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文献詳細

雑誌文献

精神医学40巻5号

1998年05月発行

特集 アジアにおける最近の精神医学事情

アジアてんかん医療事情

著者: 清野昌一1

所属機関: 1国立療養所静岡東病院(てんかんセンター)

ページ範囲:P.487 - P.492

文献概要

■てんかんの呼称—中国と日本
 てんかん・癲癇という呼称の源は,唐代の古書「黄帝内経太素」に求められる。そこでは「癲疾」と「驚狂」の2項目すなわち,癲と狂とを区別していたという。「癲疾」は大発作を起こす先天病で,癲と癇とは10歳をもって分けた。同じく唐代の「千金方」の中には,「癇」をさらに「痙」と区別し,癇の発作では身体が軟らかく意識が保たれているが,痙では強直反張して意識を失う,とした。中国のてんかん疾病観を総説したLaiCW(1991)によると,てんかんは大発作と同義であり,てんかんだけを取り上げた医学書は中国には今日もない。伝統的医書にはてんかん治療の指針として,(1)医師は頻繁に患者を診ること,(2)発作症状は目撃者の陳述をもとに記載すること,(3)発作が反復するなら治療を変えること,(4)発作の誘発因子の有無を念頭に置くこととある。
 日本ではてんかんを「くっち」と呼んだ。西洋と違って,その原因を超自然的な神秘に求めず,食物,環境のせいにした。また癲と癇の区分は明確でなく,混同していた。江戸時代になると岡本一抱は,「癲ハ物狂ヒ,即チ気チガヒナリ,癇ハ今時云フテンカンノ事」と書き残している。てんかんを脳に結びつけて考えるようになったのは,文化2年(1805)に刊行された「医範提綱」からである。明治以降,癲癇という呼称がepilepsyの訳語として定着した。それは最古の医書「黄帝内経太素」の定義とあまり違わない結果となった4)

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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