文献詳細
文献概要
精神医学における日本の業績
森田正馬業績
著者: 大原健士郎1
所属機関: 1月照庵クリニック
ページ範囲:P.855 - P.861
文献購入ページに移動「序」に代えて
森田正馬(1874〜1938)は1874年(明治7年)1月18日に高知県の片田舎,冨家村(現在の野市町)で出生した。父22歳,母26歳の時の子である。家業は裕福な農家だったが,父親は農業のかたわら,小学校の代用教員をしており,厳格だった。母親はむしろ溺愛型だった。
森田は幼名を光といったが,長ずるにつれて正馬と呼ばれた。森田は晩年になるまで母親や親戚の人たちからも正馬と呼ばれ,現在では正馬と呼ぶ学者も多いが,父親が村役場に届け出た名前は正馬だった。森田自身も第58回形外会(1936年6月27日)で,患者たちに「私の名は,本当は正馬でなく,マサタケと読みます。馬の一字名もあるが,その時はタケシと読みます……」と述べている。森田は自分の名前をどう呼ばれようとあまりこだわらなかったようであるが,筆者自身は公の場(論文や学術講演など)では,意識的にマサタケと呼ぶようにしている。
森田正馬(1874〜1938)は1874年(明治7年)1月18日に高知県の片田舎,冨家村(現在の野市町)で出生した。父22歳,母26歳の時の子である。家業は裕福な農家だったが,父親は農業のかたわら,小学校の代用教員をしており,厳格だった。母親はむしろ溺愛型だった。
森田は幼名を光といったが,長ずるにつれて正馬と呼ばれた。森田は晩年になるまで母親や親戚の人たちからも正馬と呼ばれ,現在では正馬と呼ぶ学者も多いが,父親が村役場に届け出た名前は正馬だった。森田自身も第58回形外会(1936年6月27日)で,患者たちに「私の名は,本当は正馬でなく,マサタケと読みます。馬の一字名もあるが,その時はタケシと読みます……」と述べている。森田は自分の名前をどう呼ばれようとあまりこだわらなかったようであるが,筆者自身は公の場(論文や学術講演など)では,意識的にマサタケと呼ぶようにしている。
掲載誌情報