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巻頭言
精神医学はいつその姿を現したのか?
著者: 酒井明夫1
所属機関: 1岩手医科大学神経精神科
ページ範囲:P.350 - P.351
文献購入ページに移動 誰かに尋ねられたとき,あるいは講義の最初に話すとき,また場合によっては何もすることがなくてぼんやりしているときに,精神科医はもしかしたら次のような問いに直面するかもしれない。「精神医学はいつ誕生したのか」,もしくは「精神医学はいつからあるのか」。
まず,それは狂気の現れとともに存在したのではないかと仮定してみる。心の機能にはつねに偏奇や逸脱が発生すること,そして人類はこれまで数々の困難な事象に対処してきたという経験則からすれば,精神医学はおよそ人類の始まりとともに存在していたと考えても不思議はない。しかし,こうした事柄はアプリオリに認めるか推論すべきことであって証明できるものではない。先史時代にそれを確定させるような資料は存在しないからである。問題は記録がないということだけではない。狂気が存在したとしても,そこに必ずしも精神医学が存在するとは限らないのである。たとえば中世フランスでは,「思春期と幼少期」の区別はなく一様に「アンファンenfant」と呼ばれ,それが「無分別もしくは狂気」を意味する「フォルfol」という概念と混同されていたという歴史家たちの言葉を信ずるならば,「狂気のあるところ精神医学あり」という命題はそれほど自明なものではないことがわかる。治療の対象とはなるべくもない大量の「無分別な存在」がそれを例証しているからである。
まず,それは狂気の現れとともに存在したのではないかと仮定してみる。心の機能にはつねに偏奇や逸脱が発生すること,そして人類はこれまで数々の困難な事象に対処してきたという経験則からすれば,精神医学はおよそ人類の始まりとともに存在していたと考えても不思議はない。しかし,こうした事柄はアプリオリに認めるか推論すべきことであって証明できるものではない。先史時代にそれを確定させるような資料は存在しないからである。問題は記録がないということだけではない。狂気が存在したとしても,そこに必ずしも精神医学が存在するとは限らないのである。たとえば中世フランスでは,「思春期と幼少期」の区別はなく一様に「アンファンenfant」と呼ばれ,それが「無分別もしくは狂気」を意味する「フォルfol」という概念と混同されていたという歴史家たちの言葉を信ずるならば,「狂気のあるところ精神医学あり」という命題はそれほど自明なものではないことがわかる。治療の対象とはなるべくもない大量の「無分別な存在」がそれを例証しているからである。
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