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「日本神経学会」(現:日本精神神経学会)創立以前の日本における19世紀西欧神経心理学の受容史—(2)神経心理学的諸概念・知見の導入と独自の発展への道程(1881〜1902年)
著者: 濱中淑彦1
所属機関: 1八事病院
ページ範囲:P.1329 - P.1339
文献購入ページに移動 前編(1)においては,Brocaの報告(1861)以後の西欧神経心理学の受容の歴史を,1861年から1880年までの時期について検討し,神経心理学を開拓したBroca,Trousseau,Sanders,Jackson,Werllickeらの原著を通じて直接に行われたのではなく,彼らの研究と見解を神経学,内科(症状・診断)学,精神医学などに取り入れた他の諸家の著作(Hartmann 1866以後),および邦訳書(特にHartshorne 1879)を通じて明治初期の医学者が受容した過程を明らかにし,他の言語障害と区別される「失語」の概念と用語が三宅秀(1878)の神経診断学講義に登場したことを述べた。
本稿では,その後1881年から日本神経学会(現在の日本精神神経学会)が創立(呉秀三,三浦謹之助 1902)された時期までの神経心理学受容史について述べる。本文中,太字の語,人名は邦語書として初出と思われるものである。
本稿では,その後1881年から日本神経学会(現在の日本精神神経学会)が創立(呉秀三,三浦謹之助 1902)された時期までの神経心理学受容史について述べる。本文中,太字の語,人名は邦語書として初出と思われるものである。
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