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雑誌目次

論文

精神医学45巻10号

2003年10月発行

雑誌目次

巻頭言

「痴呆」ということ

著者: 深津亮

ページ範囲:P.1026 - P.1027

 わが国における医師-患者関係には伝統的に権威主義的関係(パターナリズム)が是認されてきたとされている。しかし,近年,欧米を中心に「患者の権利」運動が展開されて本邦の医療現場においても医師-患者関係を取り巻く医療環境は急速に変貌を遂げつつある。「患者には基本的人権がある」という認識と,「医師-患者関係は権威主義的関係(パターナリズム)から対等な関係(パートナーシップ)となるべきである」という主張に依拠して「患者権利運動」は展開された。米国における運動は,「患者の権利章典」として法的にも結実し,以降,医療のありかたについて世界的に多大な影響を及ぼすようになった。この指導原理から「自己決定」,「自己責任」によって医療が行われるべきであるという結論が導きだされる。そして,医療現場において「病名の告知」を含めて診療録などの「医療情報開示」が要請され,実際に医療現場ではインフォームドコンセント(説明と同意)が押し進められるようになってきた。ことさらpatient-orientedというまでもなく,至極当然のことと考えられる。

特集 新医師臨床研修制度における精神科研修はどうあるべきか

意義のある卒後精神科研修システムの構築を目指して

著者: 千葉茂

ページ範囲:P.1029 - P.1032

はじめに-新しい卒後臨床研修に至るまでの歩み

 わが国では,1968年に医学部卒後1年間のインターン制度が廃止されて以来,卒業後の臨床研修は各医師の自由な選択と努力に委ねられてきた。その結果,多くの医師はストレートに各講座・診療科に所属し,専門医の道を歩んできた。このことは,医療の高度化,先端化には貢献したが,一方では,社会の複雑化,多様化に応じた全人的医療,特にプライマリ・ケアの能力不足を生み出すことになった。

 そこで,1994年から,厚生労働省,文部科学省,国立大学医学部附属病院長会議,医師会などが新たな卒後臨床研修制度を確立するための検討に入り,2000年には,厚生労働省は研修医の卒後研修必修化法案を国会に提出し,これが同年11月に成立した。

 一方,1999年11月14日に精神科七者懇談会に卒後研修問題委員会が発足し,2002年4月18日に,慎重な議論の上で作成された「卒後臨床研修における精神医学教育に関する要望書」を関連する省庁や団体に送付している。そして,2004年春から新たな卒後臨床研修制度が実施されることになった2)。なお,研修医への精神医学教育が重要である理由については,すでに詳しく論じられている1,3)

プライマリ・ケアにおける精神医学の重要性とその研修方法―東北大学の場合

著者: 松岡洋夫

ページ範囲:P.1033 - P.1036

プライマリ・ケアにおける精神医学の重要性

 卒前の臨床実習および新医師臨床研修制度のいずれにおいても,精神科は必修科目として位置付けられた。これは言うまでもなく,生物・心理社会・倫理的医療モデルとしての全人的医療を実践している精神医学の視点が,医師にとって共有すべきものであることを意味している。ここではプライマリ・ケアの観点から臨床研修について述べたい。

 WHOの報告(2000年)によると,障害者として生活する年数(Disability-Adjusted Life Year)を指標に疾患の占める割合を見たところ,感染症(29.7%)を除き臓器別疾患の中では精神神経疾患が全疾患の12.3%を占め第1位になっている。また,本邦の病床数は一般病床と精神病床を合わせると全国で約162万床あり,そのうち精神病床は22%も占めている(1999年,厚生労働省)。しかし,本邦の医師数約24万人の中で精神科医はわずか4.5%(約1万人)にすぎず,患者数の増加や入院患者数に対して精神科医が非常に不足していることがわかる。

卒後必修期間の精神科研修

著者: 小島卓也 ,   竹中秀夫

ページ範囲:P.1037 - P.1039

研修の目標と方法

 1. 医師になるものが持つべき精神医学的素養

 医師になるものが習得すべき精神医学的素養とは以下のものと考える。すなわち,臨床医として患者を全人的にとらえる基本姿勢を身につけること,すなわち患者の持つ問題を身体面のみならず,精神面や社会的な面からも理解し,患者や家族ならびに医療スタッフとも良好な人間関係を築く能力を持つこと,さらに精神疾患の診断,治療,社会復帰などについてプライマリケアに必要な基礎的な知識と技術を修得することである。

慶應義塾大学病院における精神科卒後研修

著者: 鹿島晴雄 ,   渡邊衡一郎

ページ範囲:P.1040 - P.1042

はじめに

 卒後臨床研修必修化における慶應義塾大学病院での精神科研修プログラムは,精神科以外の臨床科に進む研修医を対象として策定したものである。総合病院や診療所など,精神科病院以外の医療施設におけるプライマリーケアで必要な精神科の知識,技能の基本を研修する目的で,研修2年目に1か月のスケジュールを組んである。また2年目には5か月間,研修医が自由に研修科を選択できる期間があり,この期間に精神科を再研修することも可能である。その場合は個々の研修医の要望も加味し,柔軟な研修プログラムが実施可能である。

 以下に,当院における研修プログラム全般および精神科研修プログラムの概要を紹介する。なお本稿は,研修プログラム全般および精神科研修プログラムの紹介という性質上,「精神科」第3巻掲載の筆者らの「慶應義塾大学病院精神科研修プログラム」と同様の内容にならざるをえなかったことをお断りしておく。

精神科研修で何を学ぶのか:ローテート研修システムの経験から

著者: 河西千秋 ,   山田芳輝

ページ範囲:P.1043 - P.1046

はじめに

 2004年春から新臨床研修制度が実施され,必修科としての精神科臨床研修が始まる。今回の必修化ですべての研修医がプライマリ・ケアとしての精神医学を学ぶ機会を得たことは画期的なことであるが,精神科は,研修医が「病と人をトータルに診る」の雛形を育むのにはうってつけの科である。精神医学では病者に対する共感とコミュニケーションがまず基本であり,病を抱えた人とその周囲全体を診ていくことが精神科医の日々の生業である。精神医療はチーム医療なしに成り立たず,また治療は地域へと展開していく。

 筆者らの所属する横浜市立大学では,これまで35年間にわたってローテート研修が行われており,当精神医学教室では精神科志望のいかんにかかわらず多くの研修医を受け入れてきた1)。本論では,当科のこれまでの経験を例に挙げて,今後の精神科臨床研修における課題を論じてみたい。

藤田保健衛生大学病院の精神科卒後研修プログラム

著者: 内藤宏 ,   尾崎紀夫

ページ範囲:P.1047 - P.1049

一般医にとっての精神医学的素養

 当精神医学教室の診療上の基本理念は「生物・心理・社会的側面に配慮し,実証的データと患者・家族のニーズに基づく精神医療の実践」であり,卒後研修においても変わることはない1,2)。そのために習得すべき技能としては,①実証的データを各患者に活かすため精神症状の診断と評価を行える技能。②ある程度の集団から得られたデータを念頭に置きながら個々の患者の生物・心理・社会的個性を重んじた診療を行える技能。③さらにデータと臨床経験から割り出した診療方針と患者・家族の要望をすり合わせることができる技能が挙げられる(図)。また,より具体的な精神科における卒後研修の目標は,一般診療場面で患者・家族の心理・社会的側面を理解する上で必要とされる面接技法,基本的な向精神薬の使用法,必要に応じて精神科への紹介ができること,加えて基本的な心理・社会的な介入技術の取得である。以下,面接における精神医学的診断と身体疾患患者に対する心理・社会的介入を取り上げて,若干の説明を加えておく。

大阪大学における精神医学研修プログラム

著者: 武田雅俊 ,   田中稔久

ページ範囲:P.1050 - P.1052

はじめに

 新たな初期臨床研修において精神科が必修科としてすべての研修医に対してローテートを義務づけられたことは,医療心理学の実践の場として,精神科と身体諸科との相互理解を実現する実習の場として精神医学にとっても非常に望ましいことと考えている。医療心理学の実践の場は,これからの医療モデルを考えたときには重要であり,また,精神医学そのものの領域の広さと複合性を理解していただく場として活用したいと思っている。

聞き上手,語らせ上手の医師づくり―岡山大学卒後臨床研修案を中心に

著者: 黒田重利

ページ範囲:P.1053 - P.1056

精神科医としての素養

 望ましい医師は“頭脳,こころ(ハート),腕”の3要素を有している。しかもすべて豊かに有している。望ましい精神科医も同様であり,科学(science)としての精神医学,精神医療に関して十分で,偏りのない知識,技術を持たねばならない。また現在流にいえば,エビデンスに基づいた医療を行う。と同時に,精神科ではこれと等しくあるいはそれ以上に人格,人間性が求められる。「あの先生に会うと,ほっとする,気持ちがほぐれる」などの暖かい受容的,包容力のある態度を持たねばならない。

 精神科七者懇談会の研修プログラム案には精神科医として持つべき能力,要素として,①感性の錬磨,②コミュニケーション能力の獲得,③筋の通った医療を行う,の三つをあげている。①と②はいわゆる聞き上手としてまとめられる。確かに精神科医の中には,生まれながらに豊かな感性を持っている人がいるが,すべての人が持っているわけではない。症状,訴えを汲み,感じとる感性は精神科医として不可欠であり,それを得るように錬磨する。コミュニケーションは言語および非言語を通してのこころの交流,やりとりである。聞き上手は話の聞き役ばかりでなく,語らせ上手でもある。患者が症状,苦悩,つらさを語るときその話の腰を折らず,目を見つめ,うなずき,相槌を入れながらずっと聞く,耳を傾ける。話の内容によっては時間がかかり,聞くことが大変で忍耐力が求められる。相手への積極的関心を持つことも聞き上手の要素の一つである。あらかじめいろいろの質問項目を用意する。日頃から読書,既知・未知の人との付き合い,旅に出かけるなどによって知識,教養,情報を得ておく。また研修者の人生・生活での失敗,苦労などは精神科医として重要な素材である。

卒後臨床研修における精神科研修のあり方

著者: 大森哲郎

ページ範囲:P.1057 - P.1059

はじめに

 卒後臨床研修における精神科研修は,精神科医にならない研修医が主な対象となる。期間も決して長くはなく,徳島大学では6週間である。あまり多くを要求せず,むしろエッセンスをしっかり学んでもらうことに主眼を置くつもりである。

七者懇モデルをベースに集中セミナーを追加

著者: 井上新平

ページ範囲:P.1060 - P.1062

はじめに

 精神科医は医師全体の5.1%である(2000年,厚生労働省医師・歯科医師・薬剤師調査)。一方で,プライマリヘルスケアの新患における精神疾患の有病率は30%以上である2)。このことだけでも,今回導入された卒後研修における精神科研修の重要性がわかる。ここでは研修医に求められる“精神医学的素養”についての私見を述べたい。

精神科での卒後研修で求められるもの

著者: 前田久雄

ページ範囲:P.1063 - P.1065

はじめに

 来年度から開始される卒後臨床研修制度で,精神科も原則3か月の研修が必修化されたことの意義は極めて大きい。しかし,一方では,プライマリケア研修に必須なものとして精神科的素養が必要であることを,研修医一人ひとりに実感させ,さらには全体的な評価にも耐えうるものにしなければならないという重大な責務を担ったことにもなる。極論すれば,これまで,どちらかというと特殊な診療科であった精神科が,基幹科目の一つとして認知されるかどうかという試行期間を与えられたと見なすこともできよう。

 医学界や医療政策上からの,このような要請に応えうる研修の質が精神科に求められているとの認識があるからこそ,今回の特集が組まれたものと考えている。

民間精神科病院における精神科卒後研修はどうあるべきか

著者: 水木泰 ,   峰松則夫 ,   関健

ページ範囲:P.1066 - P.1070

はじめに

 厚生労働省から示されている新医師臨床研修制度における基本的な考え方は,医師としての人格を涵養すること,医学・医療の社会的ニーズを認識すること,プライマリケアへの理解を深め,患者を全人的に診ることができる基本的な診療能力を習得することの3点である。特にその中でプライマリケアと全人的医療の習得は臨床研修制度での大きな目標になっており,そのためには精神科的素養を身につけることが不可欠となる。日本の精神科病院のうち80%は民間病院であることから,精神科研修における民間精神科病院の役割は重要で,そこでの研修次第で今後の精神科研修が大きく左右されることになる。そこで今回,精神科の卒後臨床研修では何をどのように教えるべきかを,民間精神科病院の立場から少し具体的に述べる。

民間精神科病院と精神科卒後研修

著者: 松原三郎

ページ範囲:P.1071 - P.1074

はじめに

 2004年度からスタートする新医師臨床研修制度の中で,精神科が初期研修科目として位置づけられた。この臨床研修制度は,2002年9月に厚生労働省が示した「新たな医師臨床研修制度の在り方」の中でも明らかなように,医療の多様化,医師の地域偏在,小児医療体制不備,医療事故の多発,さらには,著しい医療の専門分化などに歯止めをかけ,全人的な幅広い診療能力,すなわち,プライマリケアのできる一定水準以上の臨床医を育成しようとする厚生労働省の思惑が強く働いた結果であると言える。初期研修が各大学や各医局の都合で左右されることなく,国の責任においてなされようとしていることは,卒後研修の充実を図る観点からは歓迎すべき面もあるが,今後,ますます行政主導のもとで医療が管理されていくことへの危惧も感ずる。また,過去のインターン制度のような過ちを犯さないように,十分に研修体制や財政基盤について検討されるべきであることは論を待たない。

 新医師臨床研修制度導入の結果,専門的な精神科医を育成するための卒後研修は3年目以降から本格化することになる。3年目以降の研修をどのような形で行うかについては,行政主導ではなく,我々精神科医がイニシアチブをとって,真摯に検討を重ねていく必要がある。この点では,新医師臨床研修制度における精神科研修のあり方を検討していく中で,整理される部分が多いものと考える。

小規模単科精神科病院での教育・研修は可能か

著者: 舟橋利彦

ページ範囲:P.1075 - P.1077

 今回の法改正の主旨は,『全人的な診療能力の修得』である。すなわち,今までなされてきた研修医制度では,その点が欠落していたことが見直された。しかしながら,新医師臨床研修において医師としての基本となる全人的な医療の提供が重視されるようになったものの,何をもって全人的医療とするかの具体案は未だ出されていない。ここで,現在わが国で行われている精神科医療の現状を踏まえて,精神保健,精神科医療の現場で積むべき内容について私案を述べる。

 医師免許修得後2年間の臨床研修は,専門を決定する前の段階であり,すべての新医師が精神科に対する正しい理解を深め,よりいっそうの興味と関心を示すように行うことが必要と考える。そこには,現在の日本において一般科の医師が精神科に対してどのような認識を持っているのか,精神科医と一般科医師との間にはどのような問題があるかを勘案し,研修を進めるべきである。

精神科医養老孟司は生まれたのか―民間精神科病院の立場から新臨床研修制度への提言

著者: 犬尾明文

ページ範囲:P.1079 - P.1082

はじめに

 解剖学者として有名な養老孟司先生が記された「からだの見方」(ちくま文庫,筑摩書房,1994)の中に,次のようなくだりがあります。「医学を学び始めてから,一方で私は,人のこころに大変興味を持つようになった。精神科の医師になろうと思ったくらいである。だから医学部を卒業してすぐに,精神科の大学院を受験した。この時は,たまたま大学院の志望者が多かったので,クジ引きで入学者を決定することになった。クジを引いたら,案の定クジにはずれたから,そこで考え直した末,解剖学を専攻することにした。つまり,医師としての私の経歴は,本人の予定では『こころ』から始まるはずだったのだが,クジに外れたために,死体つまり『身体』から始まることになった。その後は,ほとんどもっぱら身体のことを考えてきた。しかし,もともと興味があったのだから当然といえば当然だが,最近は少しずつ,『こころ』についても考えざるを得なくなった。」

 養老孟司先生は精神医学を学びたいと思われたのにもかかわらず,クジ引きという当時らしい選考方法によりその思いを断念せざるを得なかったわけです。しかしもしも大学を卒業されたばかりの先生が,来年から始まる新研修医制度を利用して,精神科での短期研修を行うことができたとするなら,先生はどのような志を持ち,どのように研修期間を過ごされたのでしょうか。もしかすると先生は,この短い研修期間に精神医学のおもしろさを再認識され,改めて精神医学の門をたたかれたのかもしれません。とすると,解剖学者養老孟司は残念ながら生まれなかったかもしれませんが,また別にすばらしい精神科医が誕生していたのかもしれません。

総合病院精神医学からみた精神科卒後研修

著者: 保坂隆

ページ範囲:P.1083 - P.1086

医師が持つべき精神医学的素養

 精神科七者懇談会卒後研修問題委員会は精神科研修プログラムの目標を作成した。以下はそれに基づいて筆者が考えた精神科研修の到達目標である。

総合病院精神科の現状と新卒後研修

著者: 黒木宣夫

ページ範囲:P.1087 - P.1090

はじめに

 2002年9月に厚生労働省医政局医事課は「新臨床研修制度の基本設計7,9)」の中で研修プログラム内容の必須科目に精神科が必要であることを公表した。どのような精神科研修が望ましいのか,そのあり方をめぐり精神医学界のみならず,新卒後研修実施病院として申請を予定している施設を巻き込んだ議論となっている。筆者は,管理型病院として届けられる可能性の高い総合病院精神科の現状と精神科研修のあり方に関して私見を述べる。

一般身体科での研修後,精神科研修を行った医師の私見

著者: 岩永英之

ページ範囲:P.1091 - P.1093

はじめに

 新しい卒後臨床研修制度で,精神科が必修化されると聞いて筆者は正直驚いた。なぜなら,医師主体による議論の過程では,必修化の意見は劣勢で,その可能性は残念ながらはなはだ低いと伝え聞いていたからである。それが一転してなぜ必修科に採択されたのだろうか。七者懇をはじめとする関係者の熱意と努力はもちろんであるが,加えて医師ではない委員からの精神科へ寄せる期待と要請が大きかったからのようである。そもそも研修制度見直しの理由は,これまでの臨床研修制度のもとで,社会が要請し期待する医師像とかけ離れた医師が増加し,さらには医療不信の声をも招いてしまう情勢になってきたからである。社会が要請し期待する医師像とは,病気の専門的治療はもちろんのこと,病苦を負ったその人を尊重し互いに信頼しうる関係を築ける資質を持った人であると考える。1専門分野にいくら優れていても,視野が狭い一方通行の関係しか取りえない医師は社会が要請しなくなってきたのだ。

 上記の観点と,身体科研修を経て精神科研修を受けた自体験1)を踏まえ,精神科研修で得るべき素養について述べたい。また併せて,筆者の所属する国立肥前療養所の研修プランを紹介したい。

「役に立つ」精神医学を教えること

著者: 野田文隆

ページ範囲:P.1094 - P.1096

医師になるものが持つべき精神医学的素養とは?

 現在の医学の中で精神科臨床が持っている最大の財産は「全身を耳にして聴き,理解する」という態度であろう。もちろん,聴き,理解することはどの科でも重要なことだと教えられるはずである。しかし,プロセスとしては,聴診器があり,画像があり,臨床検査があっての理解だと感じてくるはずである。精神医学の出発点は患者の人間的「患い」の理解である。その「患い」は痛みや苦しみだけに集約されるものではない。医師がその「患い」をすべて取り除ける(または取り除こう)と考えるのは傲慢なことである。まず何かをする前に,その「患い」を深く聴き取り,理解しようとする態度,時にはそれだけでも大きな意味があると考える姿勢こそ医師として重要な素養ではないかと思う。そして,精神科研修ではこの素養の意味が理解されてほしい。

外国の経験から精神科卒後研修を考える

著者: 松下明

ページ範囲:P.1097 - P.1100

はじめに

 私は日本ではまだ専門医として認められていない家庭医療学を,1996年から1999年にかけて米国で研修し,米国家庭医療学専門医の資格を取って帰国した。現在,人口7千人の町で「家庭医」として診療を行っているが,患者の心理状態を把握することがいかに大切か毎日実感している。

 卒後研修必修化における精神科研修では,将来精神科医にならない研修医が精神科の門を叩く。そこで研修すべき内容は,将来精神科医を目指す医師とは異なるはずである。研修医が身に付けるべき精神医学的素養とは,すべての医師が身に付けるべき素養と思われる。私が受けたアメリカでの研修内容2)は「家庭医」を専門としてやっていく医師のためのもので,日本の研修医の学ぶべき内容と必ずしも一致しない面もあるが,プライマリケアを行うための精神医学という意味では共通点も多い。ここではまず,米国における家庭医療学研修の位置付け,そこで行われた精神医学と行動科学研修の内容を紹介した上で,すべての医師が持つべき精神医学的素養について考察したい。

これまでの経験から

著者: 山下格

ページ範囲:P.1101 - P.1102

まず坐る

 今から50年ほど前,心身症への関心が急に高まったころ,特にお願いして某内科の回診に加わって,問題のありそうな患者から話を聞かせてもらったことがある。当時の内科病棟には,処置室はあったが診察室(したがって面接室)がない。やむをえず空いている個室に案内して,患者は椅子に私はベッドの端に坐ると,途端に患者が話し始めて,私はひたすらメモをとるのに追われた。その内科の検討会に3症例をまとめて報告したが,主治医が知らないことをどうして聞き出したのかと聞かれた。私は聞き出したのではなく,二人で坐ったら相手が自然に話し出したのである。

 新聞報道によると,画像を見て病人の顔を見ない医者が増えているそうである。それが卒後臨床研修を導入する理由の一つだという。ある学校では,学生が患者と医者になってロールプレイの実習をすると聞いた。その試みもよいことであろうが,予診の機会にでも,まず無心に患者と坐ると,何かが始まる。禅修業ではないが,坐ると自然に起き,坐らなければ生じないものがある。

精神医学教育関係者の意識改革と学習

著者: 西園昌久

ページ範囲:P.1103 - P.1105

医学教育改革の世界的潮流の中で

 医療制度との関連もあって伝統的,保守的医学教育に固執してきたわが国もどうやら変化の兆しを見せてきた。その現れの1つとして,卒前医学教育におけるコアカリキュラムの導入,卒後臨床研修制度の義務化がある。そのいずれにも精神医学教育は主要な役割の1つを果たすよう位置づけられているのであるが,期待に応えきれるであろうか。保守的なわが国の医学教育を世界的改革の理念と方法とで改善しようとして長年地道な活動をしている団体に日本医学教育学会がある。今回の改革の実現にも同学会指導者は政府審議会の活動に協力することで一定の役割を果たしたと思われる。筆者は長く医学教育の改革にかかわってくる中で,わが国の医学教育の指導者たちと幅広い交流をしてきたのであるが,彼らの大方の意見は,精神医学そのものの医学教育における重要性は等しく認めながらも,現実になされているわが国の精神医学教育には失望とそれによる固定観念ともいいたくなる評価では一致するのである。それをただそうにも,精神医学領域からは医学教育学会に演題発表はおろか,出席も絶無に近い状態が続いてきたのである。今回の精神科研修が卒後研修の必修科目に位置づけられたことはよほどの期待をこめてのことと考えられる。それに正しく応えるには,何をおいても精神医学教育関係者の意識改革と医学教育についての学習が必要である。それを実現するのに精神医学関連団体が主体的に環境づくりに努めることである。臨床研修における精神科研修は精神科医を育てるという目的を持ったものではない。それでもなおかつ,精神科研修を担当することは医学教育全体の改善に参加しようということである。今日の医学教育の改革の潮流は入試,卒前教育,臨床研修,卒後教育,生涯教育に一貫性を実現しようということである(世界医学教育連合:エジンバラ宣言,1988)1)。全体がよくなる中で個もよくなろうという思想である。精神医学教育にかかわる人びとが,自閉のおごりと臆病さから脱するよい機会と考える。

短報

塩酸ドネペジルが奏効した口腔内セネストパチーの1例

著者: 坪内健 ,   小林孝文 ,   中村友則 ,   北垣一 ,   稲垣卓司 ,   堀口淳

ページ範囲:P.1107 - P.1109

はじめに

 セネストパチーは,身体局所のありありとした異常感覚を訴えながらも,それを裏づける客観的身体所見を欠く状態であり4),さまざまな機能性あるいは器質性精神疾患の部分症状として生じる。このため,本症候の原因はいまだ不明であり,薬物治療の指針もない。最近我々は,脳血流低下を伴う口腔内セネストパチーの1例に塩酸ドネペジル(アセチルコリンエステラーゼ阻害薬)を試み,口腔内異常感覚と脳血流の著明な改善をみた。セネストパチーの新たな治療法を示唆する貴重な症例と思われたので報告する。

悪性高熱症の既往のある統合失調症患者に対するolanzapineの使用経験

著者: 西澤章弘 ,   井原裕 ,   新井平伊

ページ範囲:P.1111 - P.1114

はじめに

 悪性高熱症と悪性症候群とは,高熱,筋硬直,横紋筋融解などの症状が類似し,治療法もdantroleneを使用するなど病態の共通性が指摘されている。そのため,悪性高熱症の既往を持つ患者に抗精神病薬を使用する場合には,悪性症候群の発現が危惧され,使用すべきでないという見解もある15)。今回我々は,悪性高熱症の既往歴のあった統合失調症患者に対し,悪性症候群の副作用の少ないと考えられるolanzapineを使用した。経過中,高CK血症を呈したものの,olanzapineの服薬により悪性症候群が出現することはなく,寛解が得られた。悪性高熱症は,吸入麻酔薬などの麻酔薬が引き金で生ずる発現頻度の低い疾患であり,臨床において悪性高熱症の既往のある患者に抗精神病薬を使用する機会に遭遇することは極めて稀と思われる。

 本症例は,悪性高熱症の既往のある症例に対する治療的判断に際して参考になると考えられ,若干の考察を加え報告する。

資料

横浜市における精神科救急医療の現状と課題―大都市特例後6年間の実績

著者: 勝島聡一郎 ,   早馬俊

ページ範囲:P.1115 - P.1123

はじめに

 大都市においては,社会経済環境の急激な変化,核家族化の進展に伴い,住民の精神的健康を取り巻く環境が大きく変化していることから,大都市における精神保健福祉施策は,地域の実情に応じてきめ細かく実施することが必要であるとの趣旨で,1996年(平成8年)4月から精神保健福祉法の大都市特例が導入され,精神科救急の事務が,政令指定都市に移管された。

 横浜市では衛生局に精神保健福祉課を発足させ,今日までの6年間,精神科救急を充実させるために,人員体制を拡充するとともに,精神科救急病床を持つ基幹病院を整備してきた。しかし,急増する通報などに対して,受け入れ病床が不足していることなど,大きな課題が残されている。

 そこで,今回これまで行われてきた夜10時までの受け入れ体制下で,精神科救急システムを利用した対象者の通報・診察数,措置率,男女比,年齢分布,疾患名の比率などの基本的属性,経年変化などを把握することにより,今後の横浜市の精神科救急システム拡充の方向性を探るため調査を行ったので,その結果に若干の考察を加え報告する。

動き

「第28回日本睡眠学会」印象記

著者: 伊藤洋

ページ範囲:P.1124 - P.1125

 REM睡眠発見50周年にあたる2003年の6月12日(木),13日(金)の両日,第28回日本睡眠学会が太田龍朗会長(名古屋大学名誉教授),古池保雄副会長(名古屋大学医学部保健学科長)のもと名古屋市の国際会議場において開催された。睡眠学会の会員数は最近の睡眠医療に関する関心の高まりを反映して急増し1,500人に達する勢いであり,今回の大会にも1,000人に迫る学会員が参加した。学会の基本テーマは「睡眠学の包括的展開への希求」であり,それぞれ4つの特別講演,シンポジウム,ランチョンセミナー,および1つのワークショップをはじめ口演,ポスターセッションに194題の演題が集まった。

 以下に学会の日程に沿って印象を記すことにする。

書評

―千葉茂,本間研一著―サーカディアンリズム睡眠障害の臨床

著者: 山内俊雄

ページ範囲:P.1126 - P.1126

 1997年に行われた「健康づくりに関する意識調査」(体力づくり事業財団)によれば,睡眠薬を服用している人は,全国でおおよそ200万人,睡眠薬以外の方法で睡眠障害を治療しようとしている人を加えれば,睡眠の障害に悩んでいる人は672万人にも及ぶという。また,2002年に世界10か国で行われたアンケート調査でも,日本では成人のおおよそ5人に1人が睡眠の悩みを抱えているという。睡眠障害は医療にとっても重要な課題である。そんな中で,最近「夜眠れない」と訴える患者の診断や治療を夜の出来事としてだけとらえるのではなく,睡眠覚醒リズムという視点で考えるようになった。すなわち,睡眠をサーカディアンリズム(概日リズム)という,おおよそ24時間の周期の中で生ずる出来事と考えると,睡眠障害をよりよく理解できることが少なくないからである。

 本書はこのような観点から,「サーカディアンリズム睡眠障害」の基礎と臨床について記述したものである。初めに,我々の生体リズムがどのようにして形づくられるのか,どのような因子によって動かされているのか,いくつかの生体リズムがどのようにして同調,非同調を起こすのかなど,睡眠の臨床を考える上で必要な基礎知識が「基礎編」として述べられている。

―福本修,斉藤環編―精神医学の名著50

著者: 衣笠隆幸

ページ範囲:P.1127 - P.1127

 日本における現代精神医学は,最近の向精神薬と脳生理学の急速な発達によって,生物学的精神医学の潮流が中心になっている状況が見られる。また,それに拍車をかけたのは,医療保険制度の矛盾など精神科医療体制の問題だけでなく,DSM-IVなどの簡便なチェック項目による操作的診断の普及であろう。

 しかし,実際の臨床現場においては,精神病などの複雑な臨床症状を理解するためには基本的な精神病理学の素養が必要であるし,地域精神医療などの重層的な実践的理解をするための心理社会的指針が必要である。また各種パーソナリティ障害などの治療においては,無意識的内的世界の理解など,患者個人の固有の生活史に基づく力動的理解が必要不可欠なものである。

―古川壽亮,神庭重信編―精神科診察診断学―エビデンスからナラティブへ

著者: 中井久夫

ページ範囲:P.1128 - P.1129

 「診察診断学」とは診察の基本的態度から始まり,診断に至る道筋を記すものである。ありそうでめったに出ない。EBMの診断理論を具体的に盛り込んだ教科書は世界で初めてだと編者はいう。全国を網羅せず,2つの大学精神科だけで討論を重ねて編んだというのもよい。開拓者精神をもって書くにはそうでなくてはならない。その証拠に,本書は従来型の教科書と違って歯切れがよい。建前の訓示や耳ざわりのよい言葉で誤魔化している箇所がない。逆に,患者に好意を持てないときはどうするか,興奮患者への対応,性の問題など,教科書では及び腰になりがちな主題を正面から取り上げている。誤診の心理がEBMへの重要な導入部をなしているのもよい。

 本書は,日常臨床の基本的作法から始まる。そして,それは本書全体にしみとおっている。決してマニュアルづくりを意図せず,先行世代の伝統を引き継ぎ,整理したもので,それに著者たちの創見を加え,臨床経験を経たものである。ときに「初学者のためのお節介と思われる具体的指摘」を記したというが,これは編者たちが初心を忘れていないことを示している。そして,確かワイツゼッカーが医学の伝統にはもっぱら口伝のみで伝えられてきた重要な事項があるという指摘をしていたが,それをできるだけ言葉にしようという努力がみられ,その結果,わが国の治療の現場にマッチし,かつ一般に良識が持つ「高度の平凡性」に達している。

―日本精神神経学会百年史編集委員会 編集―日本精神神経学会百年史

著者: 影山任佐

ページ範囲:P.1130 - P.1130

 本書は昨2002年に「日本精神神経学会」が創立百年を迎えたのを記念して発刊されたものである。学会の歩みがわが国の近代精神医学,医療の歩みそのものであることが,本書によって克明に再現されている。周知のように英仏米などの欧米の精神医学会機関誌が1990年代にこぞって150年記念号を出版した。つまり,わが国の精神医学,学会機関誌は彼らより50年あまり遅れて出発したことになる。このことは内村祐之(以下敬称略)が「日本精神医学の過去と未来」と題する本学会50回総会記念講演において「ハンディキャップの大きさ」とすでに指摘している。とはいえ「後手の先手」というが,遅れて出発したとはいえ,呉秀三などわが国精神医学のパイオニアたちの先見の明により世界をリードしていた当時の欧州精神医学,医療の最良のものがわが国へ移入され,彼らの叡智と情熱,努力によってまがりなりにも近代精神医学が本邦に定着していったことは現在の時点から見ても高く評価される。ただし欧州とは言え,前記内村も指摘するごとくドイツ精神医学に著しく偏していた日本精神医学・医療のその後の歴史的展開の評価,その功罪は現在時点で鋭く吟味されねばなるまい。つまりはアングロサクソン系の実践的精神医学・医療の欠落である。

 本書は892ページからなる本篇と学会議事録,全国大学医学部精神医学講座と精神医学関連学会,団体などを収録した368ページからなる資料篇の2巻から構成されている。さらにはデジタル情報化時代にふさわしく,資料篇巻末にはCD-ROMが付いている。創刊当時から最近までの学会機関誌の総目次索引がData base版に納められ,著者索引などの検索が極めて簡便になっている。さらにはPDF版では精選論文49編が採録されており,入手しがたい古典的論文が手軽に読めるようになったことは大変ありがたい。すでに物故された先達者,恩師や先輩たちの名前と論文名が液晶ディスプレイにズラリと並ぶとまさしく古典が新たな生命を与えられて蘇生し,学問の永続性を実感し,新鮮な感動すら覚える。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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