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雑誌目次

論文

精神医学48巻5号

2006年05月発行

雑誌目次

巻頭言

20年後を考える

著者: 中村祐

ページ範囲:P.466 - P.467

 アメリカやオーストラリアを旅したことがある方は多いだろう。都市には高層ビルが建ち並び,町と町の間は立派な道路だけが走っている。「ガソリンスタンドがなかったら」と思わずにはいられない区間が珍しくない。私が留学したスウェーデンもそのようなところだ。100km/時で走っているにもかかわらず,40分間も町に出会うこともなく,しかも対向車にすら合わないこともあった。こんなことが今の日本であるだろうか? わが国では,今のところ険しい山岳や小さな島を除いてほとんどのところに人家がある。欧米とは違い,ある意味ではどこでも安心して暮らせるところといえる。

 現在,わが国の財政状況はきわめて悪く,数字的なものでは第二次世界大戦当時と変わらないという。そのため,急速に種々の改革という名の変革が進行しつつある。まず,平成の大合併と呼ばれる多くの市町村の合併が行われた。地方自治体の効率的な運営がその主たる目的であるが,そのため役所機能が集約化され,地域によっては公的なサービスが受けづらいことが発生しつつある。次に,三位一体改革という財源の地方移譲が進みつつある。これにより地方財政が圧迫され,公共事業の削減が進み,地域の経済を圧迫している。また,地方自治体で介護保険運営されることから,介護保険サービスの受給者が多い地方では介護保険費が上昇している。加えて,生活保護費の地方移譲や平成20年といわれる医療保険の地域移譲などが予定されている。このような変革により,地方は急速に住みにくくなっている。このままで変革が進めば,地方においては税収の不足と資産価値の下落が生じ,一方では社会保障費の居住者負担が増大することになる。その反面,都市部には社会資源の集中による利便性の向上,それに伴う産業の集中が進む。

展望

自傷の概念とその研究の焦点

著者: 松本俊彦 ,   山口亜希子

ページ範囲:P.468 - P.479

はじめに

 近年,自傷行為への関心が高まり,専門誌で取り上げられる機会も多いが28),そのたびに我々は,わが国の自傷に関する認識の遅れを痛感している。その最たる例は,手首自傷症候群 (wrist-cutting syndrome;WCS)54)という表現である。意外に知られていないことであるが,1970年代後半にこの臨床症候群がわが国に紹介された時点で48),すでに海外ではその臨床単位としての存在を否定されていた4,68)。また,「自傷は周囲の関心を集めるために行われる」という誤解もよく耳にするが,海外の専門家の多くは,自傷はたいてい1人のときに行われ,その行為はしばしば誰にも知らされないものと認識している31,66)

 このように,自傷に対する認識に関する彼我の隔たりは大きいが,しかし実は海外においてさえも,いまもって自傷の概念と精神医学における位置づけは不明瞭であるといわざるを得ない状況にある。現に,DSM-IV-TR1)のI軸障害のどこにも自傷に関する記述は見あたらず,かろうじてII軸障害である境界性人格障害(borderline personality disorder;BPD)において言及されている。しかしこれでは自傷が,治療の対象ではなく,限界設定の対象であることを公言しているような印象さえ与えかねない。

 こうした状況のなかで,今回我々は自傷概念の変遷とその研究の焦点の概説を試みた。本稿が,いまだ十分には定まっていない精神医学的な位置づけを明確にする一助となれば幸いである。

研究と報告

抗精神病薬とtandospironeの併用が奏効した治療抵抗性の統合失調症の2症例

著者: 根本清貴 ,   中村大介 ,   大谷洋一 ,   水上勝義 ,   朝田隆

ページ範囲:P.481 - P.485

抄録

 抗精神病薬に5-HT1A受容体作動性抗不安薬tandospironeを併用することで,幻覚妄想状態や易怒性・攻撃性などが著明に改善した治療抵抗性の統合失調症の2症例を経験した。2症例は長期にわたって抗精神病薬による治療を受けていたにもかかわらず,被害妄想・体感幻覚等の病的体験および易怒性・攻撃性に改善を認めなかった。これらの症例に対してtandospironeを追加したところ,精神症状が著明に改善した。統合失調症の治療において抗精神病薬とtandospironeの併用は,易怒性や攻撃性を改善するとともに,抗精神病薬の抗精神病作用を増強することが示唆された。

日本版バーチャルハルシネーション(VH)を用いた統合失調症の疾患教育の試み―アンケート調査の結果の解析

著者: 松本武典 ,   小堀修 ,   勝倉りえこ ,   大森まゆ ,   丹野義彦 ,   原田誠一

ページ範囲:P.487 - P.494

抄録

 1990年代後半に,統合失調症の急性期でみられる幻覚妄想症状を疑似体験できるバーチャル・ハルシネーション(以下VH)がアメリカで開発され広く利用されてきた。しかしアメリカ版VHの内容に関していくつかの問題点が指摘され,2003年春に筆者の1人が精神医学面の監修を担当して日本版VHの制作が始まった。同年末に日本版VHが完成し,現在日本版VHの活用が始まっている。

 今回我々は,高校生・専門学校生・看護学生・大学生の総計545名を対象として日本版VHを用いた統合失調症の疾患教育を実施して,無記名のアンケート調査を行った。調査結果から,日本版VHが統合失調症に対する正しい理解を促し,早期発見・早期治療や薬物乱用の予防にも寄与し得る可能性が一定程度示された。同時に,不安を惹起するなどのいくつかの問題点も明らかになったので,今後VHを利用する際の参考に留意していきたいと考えている。なお今回のアンケート調査の対象には心理・看護系の学生が多く含まれており,結果に影響を与えている可能性があると思われる。今後,日本版VHを体験したさまざまな人を対象としてアンケート調査を行い,検討を続けていく予定である。

思春期から成人期における広汎性発達障害の行動チェックリスト―日本自閉症協会版広汎性発達障害評定尺度(PARS)の信頼性・妥当性についての検討

著者: 神尾陽子 ,   行廣隆次 ,   安達潤 ,   市川宏伸 ,   井上雅彦 ,   内山登紀夫 ,   栗田広 ,   杉山登志郎 ,   辻井正次

ページ範囲:P.495 - P.505

抄録

 広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders:PDD)を評価するために作成された日本自閉症協会検討委員会版広汎性発達障害評定尺度(PDD─Autism Society Japan Rating Scale:PARS)を青年成人に用いて,その信頼性と妥当性を検討した。思春期以降を対象とするPARS思春期成人期尺度は,幼児期・児童期の行動を回顧的に評価する項目群と,現在の行動を評価する項目群から構成され,それぞれスクリーニングと現在の支援ニーズの把握を目的とする。幼児期34項目と現在評価33項目はともに十分な内部一貫性と弁別妥当性を有することが示された。これらより,PARS思春期成人期尺度はPDDのスクリーニング尺度として有用であることが示された。

短報

重複記憶錯誤を呈したアルツハイマー型痴呆の女性例

著者: 丸井和美 ,   井関栄三 ,   村山憲男 ,   木村通宏 ,   江渡江 ,   柴田浩生 ,   新井平伊

ページ範囲:P.507 - P.509

はじめに

 重複記憶錯誤(reduplicative paramnesia)は,Capgras症状(Capgras syndrome),フレゴリ錯覚(Fréoli syndrome),相互変身錯覚(syndrome of intermetamorphosis)などとともに同定錯誤症候群ないし誤認症候群(misidentification syndromes)3)に含められており,実際にはただ1つしかないはずの場所や人物が複数存在すると確信する現象をいう。現在,Capgras症状との混同など重複記憶錯誤の概念には混乱がみられる。今回,アルツハイマー型痴呆(Alzheimer-type dementia)の女性例において,重複記憶錯誤と考えられる特徴的な症状がみられたので提示し,その発現機序に関して考察する。

抗利尿ホルモン不適合分泌症候群(SIADH)により重篤な水中毒症状を呈した統合失調症の1例

著者: 宮本歩 ,   壁下康信 ,   落合直 ,   本西正道 ,   柳雄二

ページ範囲:P.511 - P.514

 抗利尿ホルモン不適合分泌症候群(syndrome of inappropriate secretion of antidiuretic hormone;SIADH)は,血清浸透圧が低値であるにもかかわらず,抗利尿ホルモンの分泌が不適切に亢進している状態が続く症候群であり,抗精神病薬,抗うつ薬など向精神薬の重大な副作用の1つであるが,いまだその発症機序は明らかになっていない8)。一方,水中毒は多飲水あるいはSIADHなどに起因して希釈性低Na血症を来し,嘔吐,尿失禁,けいれん発作,意識障害などの症状を呈し,重症例では脳浮腫,肺水腫を併発し,時に死亡する重篤な疾患である。今回我々は抗精神病薬を服用中にSIADHにより重篤な水中毒症状を呈した統合失調症の1例を経験したので,若干の文献的考察を加え報告する。

辺縁系神経原線維変化認知症の一剖検例

著者: 都甲崇 ,   勝瀬大海 ,   磯島大輔 ,   小阪憲司 ,   平安良雄

ページ範囲:P.515 - P.517

はじめに

 辺縁系神経原線維変化認知症(limbic neurofibrillary tangle dementia;LNTD)は,臨床病理学的概念であり,病理学的に多数の神経原線維変化(neurofibrillary tangles;NFT)が辺縁系に出現するにもかかわらず,老人斑がほとんどみられない点を特徴とする。従来,欧米ではAlzheimer's variant of neurofibrillary tangleなどと称され,アルツハイマー型認知症(Alzheimer-type dementia;ATD)の亜型とされてきたが1),わが国では小阪ら5)や山田ら6)がATDとは異なる範疇でとらえ,それぞれLNTD,senile dementia of neurofibrillary tangle type(SD-NFT)と呼び,近年海外においてもこうした名称が使われることが多い。本疾患は連続剖検例中の約5%に認められ,神経変性疾患としては少なくない頻度でみられるものの,現時点では臨床症状や画像検査での確定診断は困難である。今回,病理学的にLNTDと診断された1症例を経験したので臨床経過と病理所見について報告する。

試論

ニート・社会的ひきこもりからの回復に向けての取り組み―対象者の動機づけに応じた介入のあり方

著者: 臼井卓士 ,   臼井みどり

ページ範囲:P.519 - P.528

はじめに

 「ニート」「社会的ひきこもり」は,マスメディアを中心に注目されはじめ,近年では精神科医療,地域精神保健福祉,教育,就職支援など幅広い領域で関心が高まっている。ニート(Not in Employment, Education, or Trainingの略称)は雇用されておらず,学業もしておらず,職業訓練も受けていない無業者のことを指す。ひきこもりは,「さまざまな要因によって社会的な参加の場面が狭まり,就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」11)を指す。共に状態像の記述であり,医学的診断や単一の疾患や障害の概念ではない。また定義についても種々の議論がある。

 筆者らは,「ニート」「社会的ひきこもり」の支援にかかわる中で,対象の多様性,支援の困難さを日々思い知らされるとともに,回復に寄与する方略を開発する必要性を痛感してきた。そして「ニート」「社会的ひきこもり」に陥っている本人(以下,本人あるいは対象者と呼ぶことがある)が問題となっている行動・状態を変化させ,望ましい状態を習得していく過程に介入する際に,本人の態度や状態を変化させていく意志・動機づけの程度を基準にすることの重要性に着目してきた。

 さて行動科学の分野では,多理論統合モデル(Transtheoretical Model)17)という概念が知られている。これは,アメリカの心理学者Prochaskaが提唱した概念で,人の行動の変化に対する動機づけの程度をステージ分類し,そのステージに応じた介入法を用いることで,適切な行動を促進させることを目的としている。米国,カナダを中心に,禁煙,食事療法,医療コンプライアンス改善などの分野で活用され,日本では,糖尿病10),統合失調症療養19)などへの応用が知られている。

 近年,「ニート」「社会的ひきこもり」に対して,さまざまな支援が行われ,さまざまな知見が集積されつつある。筆者らは,「ニート」「社会的ひきこもり」に関しても,対象者の動機づけの程度に応じた援助・介入を行い,対象者の変化を促進していくための指針を検討していくことが必要な時期に入ったと考えている。

 本論では,「『ニート』『社会的ひきこもり』対象者の動機づけと行動変化に向けての介入のあり方」というテーマに関して,まず①他領域で用いられている,多理論統合モデルを紹介し,②「ニート」「社会的ひきこもり」を対象にした新たな援助モデルの必要性を述べ,③多理論統合モデルを参考に「ニート」「社会的ひきこもり」向けに筆者らが考案・作成した援助モデルを紹介させていただく。

 なお,本論で扱うニート・社会的ひきこもりケースは,「統合失調症や中核的な自閉性障害や中等度以上の知的障害などを除き,軽度発達障害まで含めたケース」12)とする。

「ベクトル診断」の紹介―伝統的診断方法の定式化の観点から

著者: 太田敏男

ページ範囲:P.529 - P.537

はじめに

 昨今,診断基準を有する疾患分類体系の整備とともに,精神疾患の病態について,おびただしい数の研究発表がなされている。しかし,診療については,操作的診断基準に基づいて行うことに対して,実地診療家などから根強い慎重論がある7,19)

 このことに関連して太田15,16)は,診断過程を「分類問題の枠組み」でなくベイズ統計学的な「意思決定問題の枠組み」で見ることの重要性を指摘した。そして,分類問題の枠組みで拾い切れない問題を挙げ,それらが意思決定問題の枠組みではどのように診療に組み込まれるかを論じた16)。ベイズ統計学を医療に用いることは,以前から行われていることである。特に昨今,いわゆるEBM(Evidence-Based Medicine)の流行とともに,臨床疫学関連書籍の中で盛んに紹介されている8,9)。また,コンピュータ診断の研究でも,ベイズ統計学は基本的な方法論の1つとなっている2,11,20)。しかし,太田16)のように診断過程を総合的に論じるための枠組みとしてそれを使用したものは少ない。

 ところで,Mitnitskiら13)は,診断に関して「ベクトル診断」“vector diagnosis”という興味深い用語の導入を行っている。これは,1つの病態に対して1つの疾患を充てようとする従来の診断手法に対して,1つの病態に対して可能性のある多数疾患を診断として採用しようというものである。そして,それぞれの疾患に対して確率を付与し,そのセット,すなわちベクトルをその時点の診断と考える。太田も上記論文16)の中で「その時点の各疾患の確率プロフィールである診断」という表現で全く同じ内容のことに言及している。しかし,表現のしかたとしては,「ベクトル診断」という言葉のほうが,より直接的で印象的である点で優れていると思われる。

 ただし,内容を仔細に検討すると,太田16)の主張していることとMitnitskiら13)の言っている内容とには,基本的なところで違いが認められる。

 そこで,本論では,Mitnitskiら13)の言うベクトル診断を紹介するとともに,太田16)の主張内容がそれとどう違うかを指摘する。また,複数診断という点はDSM-IV4)の多重診断を連想させるが,ベクトル診断は,基本的コンセプトの点でそれとは異なるものなので,その違いにも言及する。そして,それらを通じ,昨今の操作的方法や分類体系を踏まえたうえで,伝統的診断法の長所を再認識すべきであることを論じたい。

 なお,診断に関係する用語として診断,疾患,障害,範疇などさまざまなものがあるが,本稿では,太田16)と同じく,疾患分類の単位としての診断と診断行為としての診断の混同を避けるため,前者を疾患と呼び,後者を単に診断と呼ぶことにする。ただし,Mitnitskiら13)の論文の紹介に限り,原著者の用語を尊重して,診断単位を診断範疇と呼ぶ。

私のカルテから

Olanzapineが奏効した産褥期精神病の2例

著者: 高尾哲也 ,   水上勝義 ,   太刀川弘和 ,   吉野聡 ,   田中勝也 ,   朝田隆

ページ範囲:P.539 - P.541

はじめに

 産褥期精神病とは,産褥期に気分障害や幻覚・妄想状態などの多彩な病像を呈する急性の精神障害の総称であるが,その病態生理や治療,予後などについては不明な点が多い1,3)。したがって,これらに対する治療は各種向精神薬の対症的投与にとどまり,標準的な薬物療法は確立していない。すでに抗精神病薬として定着した非定型抗精神病薬,とりわけolanzapine(以下,OLZ)は,抗精神病作用の他に気分安定作用を併せ持つことが知られている2,6,7)。今回我々は,OLZが奏効した産褥期精神病を2例経験したので,若干の文献的考察を加え報告する。

夜間せん妄にClomipramineが著効した1例

著者: 川崎晃一 ,   王丸道夫 ,   稲永和豊

ページ範囲:P.543 - P.545

はじめに

 老年期の夜間せん妄の治療に,最近は非定型抗精神病薬の有効例が多数報告されているが,他の薬剤が選択される場合もある。筆者らはclomipramineの単独使用により,夜間せん妄が改善した症例を経験したので報告する。

シンポジウム MCIとLNTDをめぐって

なぜ今MCIとLNTDか

著者: 小阪憲司

ページ範囲:P.547 - P.550

はじめに

 この特集は,第10回神経精神医学会(会長:加藤進昌東大教授)において,筆者と田邊(愛媛大教授)が企画し座長を務めたシンポジウムを中心に組んだものである。MCI(mild cognitive impairment;軽度認知障害)についてはすでによく知られており,最近では一般の人たちの間でも知られるようになってきているが,LNTD(limbic neurofibrillary tangle dementia;辺縁系神経原線維変化認知症)はあまり知られていない,耳慣れない用語であると思われる。

 MCIが今トピックになっているのは,認知症,特にアルツハイマー型認知症(ATD)の早期発見・早期治療,さらにはその予防のうえで重要な概念として重要視されるようになったからである。MCIについては,他の著者により詳述されるので,ここでは簡単に触れるにとどめる。一方,LNTDは特に後期高齢者に発症する特有な認知症であり,普通はATDと間違われているもので,後期高齢者のMCIを考える場合にはATDと同様に,あるいはそれ以上に,LNTDを考慮しなければならないほど重要な認知症である。現在も後期高齢者は増加しており,わが国では近い将来には超高齢社会を迎え,後期高齢者がますます増加することは間違いない。そういう状況にある今,「MCIとLNTDをめぐって」はきわめて今日的な話題であると思われる。

物忘れの背景:MCIとLNTDをめぐって

著者: 田邉敬貴

ページ範囲:P.551 - P.554

はじめに

 この特集は昨年11月東京大学加藤進昌教授主催第10回日本神経精神医学会のシンポジウムの一つとして上記題のもと取り上げられた内容である。ちょうどこの学会の理事長を小阪先生から引き継いだところで,「広汎性発達障害をめぐって」というシンポジウムの他に本学会の特色を出した何か話題の異なるシンポジウムを組んでほしいという加藤先生のご好意により,小阪先生と相談し実現したものである。

 以下がその際に加藤先生にお送りした文面である。その背景の臨場感があるのでそのままここに示す。“もし一般演題で適当なテーマがなければ,軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment;MCI)との絡みで辺縁系神経原線維変化痴呆(Limbic Neurofibrillary Tangle Dementia;LNTD)を取り上げてはいかがか,という案が出ました。これはアメリカを中心にMCI,特に記憶が障害される場合を単純にADとの関係でとらえる,という姿勢に警鐘を鳴らす意味もあります。なぜならば,老年期痴呆,特に高齢者では進行性の健忘が中心で後方症状が目立たず人格的な崩れもあっても強くはない一群が,現にかなりの数でみられ,これら臨床的に単純型老年期痴呆(simple senile dementia)とよばれる症例の中にLNTDが確実に含まれている。そしてLNTDでは老人斑はほとんどみられない,したがってLNTDはADとは別個に扱うべきである,加えてsimple senile dementiaという臨床診断が下される一群は経過もゆっくりで,アルツハイマー化が比較的速やかに起こる症例とは予後も違う,あるいは対応の仕方が異なる,という背景があります”。

 筆者が言いたいことはこの一文に凝縮されているので,以下要点のみを述べる。なおMCIとLNTDについての詳細は本特集の他の論文を参照していただきたい。

MCIの多様性をめぐる問題点

著者: 荒井啓行 ,   古川勝敏 ,   岩崎鋼 ,   関隆志

ページ範囲:P.555 - P.559

認知症とは(図1)

 一般に,認知症とは「一度獲得された知的機能の後天的な障害によって,自立した日常生活機能を喪失した状態」と考えられている。実際図1に示すように,日常的な生活遂行機能は高齢になっても急速に衰えることはなく,重篤な心・肺疾患などの身体疾患がなければ時間軸におおむね平行に推移すると考えられる。一方,認知症患者では明らかな右肩下がり現象がみられ,日常生活または社会生活機能の明らかな喪失を来し,認知症と判断されるようになる。したがって,本来この「傾きの程度」,つまり現在の認知機能を以前のそれと比較することで正常か認知症かの判断が可能となるはずである。したがって,認知症の診断には長年その患者を診てきたかかりつけ医(家庭医)が最も適している。一方,紹介を受ける立場の専門医は,発症前の知的機能レベルがどの程度であったか(図1の縦軸切片の点Aに相当)についての具体的な情報を持たず,またこの右肩下がり現象の傾斜は個々の患者の知的能力(点Aの高さ)や置かれた環境によって大きく修飾され得ることが問題となる。

 たとえば,教育歴18年,現役のエリート役員で常に企業経営に関する重要な判断を求められている60歳の方がアルツハイマー病(AD)を発症した場合,さまざまな場面で判断のミスが生じ,「社会生活機能の低下」が周りの目からも明らかで,この傾斜は大きく見え,受診動機につながるであろうと思われる。したがって認知症との判断に結びつきやすいこととなる。一方,息子夫婦と同居し,3度の食事は運ばれ病院通い以外はほとんど外出もしない教育歴6年の70歳の方では,たとえADを発症してもこの傾斜は緩やかにしか見えず,「漢字はもともと書かなかった。趣味らしい趣味もなかった」となると認知症かどうかという判断はより困難となる。より操作的な米国のアルツハイマー病の臨床診断基準であるNINCDS-ADRDAやDSM-IVでも,「記憶障害のみならず,失語・失行・実行機能障害などもみられ,複数の脳領域にまたがって高次機能が障害された結果として,以前の日常生活機能レベルからダウンし自立した生活が維持できない」ことが確認されてはじめて認知症と診断されることになっている(図1の点線でclinical threshold of dementia diagnosisと示したもの)。この横線をどこに引くかについては医師の臨床的判断であるため,医師の主観や経験によっても大いに影響され,決して客観的とは言えない。

MCIとLNTD―精神科の立場から

著者: 池田研二

ページ範囲:P.561 - P.566

はじめに

 MCIの状態から認知症への移行についての臨床研究では,報告によって幅があるが,1年で7~20%であるとされている。単純に計算すると,MCIが5年後に認知症に発展する割合30~60%程度ということになる。すなわち,かなりの割合でMCIから徐々に複数の認知機能障害を呈するに至り,ATDがその中心疾患であると考えられている。いずれにせよ,認知症に進展する群には,アルツハイマー型認知症(ATD)なり,脳血管性認知症(VaD)なり,病理学的基盤がその背後に想定されている。しかしながら,認知症に進展しない症例も多い。以下に2~3の文献を引用して紹介するように,MCIから認知症に移行しない群のみならず,正常化する場合も多い。さらに,MCIの状態に長くとどまったり,長く病的な記憶障害(amnestic MCI)が続いた後に認知症に進展する症例も少なからず存在する。このような症例群については,それがどのような病理学的な基盤に基づくものであるかは興味が持たれるところであるが,これまでに具体的に言及されていないし,まとまった病理報告もない。この報告はそのようなMCIが長く続く病態の少なくとも一部は,tangle-only dementia10),神経原線維変化型老年期認知症(SD-NFT)11)あるいは辺縁神経原線維変化型認知症(LNTD)と呼ばれる,比較的,最近になって知られるようになった高齢者の認知症性疾患が相当するのではないか,ということを紹介するものである。

SD-NFT(LNTD)をめぐって

著者: 山田正仁

ページ範囲:P.567 - P.571

はじめに:神経原線維変化型老年認知症(SD-NFT)─老年期認知症の一疾患単位

 アルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)(DAT)と同様に海馬領域を中心に多数の神経原線維変化(NFT)を有するが,老人斑をほとんど欠く認知症の一群が存在することが従来から知られており11),しばしばADの非典型例あるいは亜型と考えられてきた。

 筆者らは,こうした病理学的特徴を有する老年期認知症例を,同年代のDATと,臨床,病理,アポリポ蛋白E遺伝子型などについて多角的に比較し,それがDATとは異なる新しい疾患単位であることを示し,NFT型老年認知症(senile dementia of the NFT type;SD-NFT)という名称を提唱した13)。その後,この疾患は辺縁系神経原線維変化型認知症(limbic NFT dementia)8),神経原線維優位型老年認知症(NFT-predominant form of senile dementia),神経原線維変化を伴う老年認知症(senile dementia with tangles)7),tangle only dementiaなどとも呼ばれている。

「精神医学」への手紙

救急医と精神科医の溝が深まっていることを危惧する―自殺企図患者への対応をめぐって

著者: 井貫正彦 ,   遠藤博久 ,   北村伸哉

ページ範囲:P.572 - P.574

 自殺企図患者が救急医療施設,特に3次救急である救命救急センターに搬送されることは,いまや日常茶飯事である。大量服薬をはじめとした自殺企図患者に関する研究報告をしばしば目にするが,再企図防止のために救急医と精神科医の連携が重要だと,繰り返し指摘されている。

 残念ながら現状では,連携がなかなか実現せず,精神科医の治療法に問題があるのではないか9)と,むしろ救急医からの批判が高まっている。

動き

「第23回日本森田療法学会」印象記

著者: 立松一徳

ページ範囲:P.576 - P.577

 第23回日本森田療法学会は,2005年11月17日から19日まで,福居顯二会長(京都府立医大)のもと,ぱるるプラザ京都にて開かれた。紅葉のピークにはやや早かったものの,秋の京都は豊かなひとときを共有するには絶好の舞台であった。しかし,臨床的な視点に基づく建設的な議論が多く生まれたのは,福居会長をはじめとする京都府立医大の先生方の行き届いた大会運営にこそ負うところが大きかったと感じた。

 今大会は,「森田療法の拡がり」をメインテーマとして,公開講座,研修ワークショップ,3つの講演,3つのシンポジウム,43の一般演題から構成されていた。筆者には,ダイナミックに生まれ変わろうとしつつある「森田療法の今」を反映していると感じられて,刺激的な3日間であった。以下,その点を中心に報告したいと思う。

「第10回日本神経精神医学会」印象記

著者: 守田嘉男

ページ範囲:P.578 - P.579

 日本神経精神医学会第10回大会は東京大学大学院医学研究科精神医学分野 加藤進昌教授を会長とし,2005年11月17日(木)・18日(金)の2日間にわたり東京,京王プラザホテルで開催された。

 筆者は幸いにも1996年第1回大会から参加しており,2000年の第5回大会と第3回国際神経精神医学会合同開催(京都)では三好功峰会長の事務局を経験させていただいたので,節目となる10回目の学会印象記を残す役目を与えられたと思っている。

書評

現代精神医学定説批判 ネオヒポクラティズムの眺望

著者: 加藤敏

ページ範囲:P.581 - P.581

 かつて日本を代表する評論家小林秀雄は,科学的技術知の目覚しい進歩に引き換え,人間の人格,また知恵は全く成長しておらず,かえって,思想が浅薄になっていることを憂えた。計量化と視覚化をなによりの通路とする科学的アプローチが産業社会の市場原理と対になってますます大きな力をもちだしている今日,この評論家の憂えはいっそう大きくなっている観を禁じ得ない。「実に浅薄ですよ,このごろの知識人は」という小林秀雄のきびしい批判の言葉は,今日,精神医学の分野で論文を書き,講演で話す「知識人」の多くにもあてはまることは間違いないだろう。評者自身,「これでいいのか?」と内心忸怩たる思いにかられることがある。グローバリゼーションの時代に入り,はなはだ遺憾ながらとりわけわが国では,批判精神がひどく衰弱してしまったように思う。

 その意味で本書は時宜に即した待望の本格的な批判の書であり,特筆に価する。もともと生物学的精神医学を専門とする著者によって,こうした現代精神医学の「軽薄な」思考,あるいは「怠慢な解決」(A.アルトー)を正面に見据えてその不備を鋭く突き,ラディカルかつ建設的な考え方が提出されているだけに,説得力がある。前著『精神分裂病の薬物治療学』で提唱されたネオヒポクラティズムの視点を発展させ,生物精神医学で「定説」と喧伝されているいくつかの代表的な知見を取り上げ,しかるべき自己治癒の機制が作動していることを尊重する「回復論的治療観」のもとにあらたな解釈を施し,薬物療法,ひいては精神科治療全般に対してあらたな展望を拓く。著者の回復論的治療の導きの糸となる概念は,フランスの外科医ラボリによって発見された外科的なショック後の解体と再生の間を振動する「侵襲後振動反応」である。この考え方を援用して,脳内ドパミンは,統合失調症の防御または修復に関与する侵襲後振動反応とみなせるシステムであるという魅力的な説が打ち出される。さらに,うつ病についても回復モデルから考察し,セロトニンをはじめとしたモノアミンは回復因子と把握される。

子どもの法律入門―臨床実務家のための少年法手引き

著者: 高岡健

ページ範囲:P.583 - P.583

 「少年による凶悪事件の続発等を受けて少年法が広く社会の注目を集めているが,その改正問題をみても,マスコミを含め,一般にどれだけ正確な理解がなされているか心許ない」「残念ながら,私が少年問題に関わる教育関係者や臨床実務家と接する際にも同様の不安を覚えたことが希ではない」──本書を出版する目的は,ここにあるらしい。そうだとすれば,著者は十二分にその目的を果たしていることになる。

 たとえば,「少年に対する刑事処分・刑事手続き」と題された章を読んでみる。すると,少年の刑事裁判は数が少なく,著者でさえたった数件しか担当していないという事実から始まり,刑事手続き・捜査手続き・刑事処分選択などが順序よく,過不足なしに記載されていることがわかる。臨床実務家は,短時間で少年の刑事処分について整理し,理解することができるのである(ただし,同じく少数ながら,精神科医が関与を要請されることのある精神鑑定については,触れられていない)。

解説と資料 精神保健法から障害者自立支援法まで

著者: 伊勢田堯

ページ範囲:P.584 - P.584

 時宜を得た出版とは,本書の出版をいうのではないか。2005年10月に障害者自立支援法が,精神保健福祉法一部改正とともに成立し,精神医療保健福祉サービスが大きく変わる時期であり,その対応が臨床現場でも求められている,まさにその時にタイムリーに出版されたからである。

 評者のように,行政に働く者にとっても昨今の矢継ぎ早の改革案と法律を消化するのに,正直言って相当の努力を必要としている。ましてや,臨床に忙殺される現場にとって,難解な行政用語と行政文書であることも考えると,臨床現場に応用できるまでに理解することは,至難の業ではないだろうか。とはいっても,臨床現場も法律の下で仕事をしなければならないので,知らなかったでは済まされない。そういった現場の臨床家のニーズにタイムリーに応えたのが本書である。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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