ストレスと自律神経―心拍変動解析による不安・抑うつの評価
著者:
榛葉俊一
,
仮屋暢聡
,
石井朝子
,
松井康絵
,
大西椋子
,
安藤貴紀
ページ範囲:P.1173 - P.1181
はじめに
ストレスは,精神と身体両面にさまざまな影響を与える。精神面では,情報処理を混乱させ,必要以上の不安や抑うつを引き起こす。変化が顕著な場合は自覚的・他覚的にとらえられるが,日常の中で見過ごされることも少なくない。自覚されても,改善すべき状態として認知されないこともある。表情などに変化がみられず,周囲は把握できないことも多い。そして,ストレスの影響が大きく長引くと,不安障害やうつ病などの精神疾患が引き起こされ,生活に多大な障害をもたらす場合もある。適切な治療的,予防的対応を可能にするために,ストレスの精神面への影響を,客観的に評価できる指標の開発が望まれる。
ストレスの身体面への影響においては,動悸,発汗,下痢など,自律神経がかかわる症状が頻繁に観察され,ストレス障害の診断にも使用されている3)。胃潰瘍や高血圧などの身体疾患の背景にストレスによる自律神経活動の変調があることも,日常臨床で認められる。このようなストレスと自律神経活動との関連を踏まえ,ストレスの精神面に対する影響を,自律神経活動を介して評価することは興味深い。自律神経には交感神経と副交感神経があり,両者は多くの臓器の活動を二重支配する。その調節は,それぞれの臓器の機能にとって反対方向であり,「fight or flight」につながる活動を支持する交感神経と,休息的,栄養的な活動につながる副交感神経両者の活動は,ストレスが引き起こす心理状態に密接に関連していると考えられる。
交感神経と副交感神経の活動を解析するために利用される自律神経指標の一つに,心拍変動がある15)。期外収縮や心房細動などの病的な変動以外にも,心拍の間隔は生理的に短縮延長を繰り返す。心拍変動の解析には,心拍間隔の時系列的な変化を分析する時間領域(time domain)の解析と,変化を波ととらえて,その周波数領域(frequency domain)を解析する方法があるが,後者は交感神経と副交感神経の活動を分離して解析する場合に利用されることが多い。周波数領域の変動には周期の異なるいくつかの種類があり,呼吸のリズムに関連するHigh Frequency Fluctuation(HF)と血圧の変動と関連するLow Frequency Fluctuation (LF)などが認められる。薬理学的な研究により,HFは副交感神経活動を,LFは交感神経活動と副交感神経活動両者を反映することが知られており,LFとHFとの比(LF/HF)は交感神経活動の指標として用いられている2)。
心拍変動指標は最初,胎児の健康状態との関連で研究され始め,心拍変動の存在が胎児の良好な健康状態を示す可能性が検討された24) 。胎児における心拍変動データの解釈についてガイドラインが示されている21)。また,循環器学の分野では,虚血性心疾患の病状と心拍変動指標との関連について多くの研究がなされ,心拍変動指標の利用法についての指針も提示されている18)。さらに,虚血性心疾患とうつ病との合併が疫学的に認められることを踏まえ4),両者を結びつける因子として心拍変動に関する知見が見出されている。虚血性心疾患の患者のうち,重度のうつ病に罹患している者は心拍変動異常が認められ26),うつ病の治療によりこれらの変化は改善することなどが報告されている9)。また,心拍変動の周波数分析はうつ病以外の精神疾患においても研究されており11),統合失調症における副交感神経活動低下6)やパニック障害における交感神経活動指標の変化が報告されている28)。
多くの身体・精神疾患においてストレスが症状発現に影響を与えることを踏まえると,ストレスにさらされている対象者の心理状態を,心拍変動指標により分析する試みは興味深いと考える。さまざまな分析法が考えられるが,本稿では覚醒・睡眠時の心拍変動指標と心理状態の関連(研究1)およびストレス障害の心理治療における心拍変動指標の利用(研究2)について報告する。