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雑誌目次

論文

精神医学5巻12号

1963年12月発行

雑誌目次

座談会

行動科学とは何か

著者: 井村恒郎 ,   黒丸正四郎 ,   島崎敏樹 ,   台弘 ,   大熊輝雄 ,   平尾武久

ページ範囲:P.947 - P.964

井村(司会) 近ごろ行動科学ということをたびたび耳にしますが,この言葉を聞きますと,私などは昔の心理学でいわれた行動主義とどうも混同してしまいます。おそらく違うのだろうとは感じるのですが,どこが違うかということがよくわからない。正直なところ私などどうも本筋は同じではないかと漠然と感じています。心理学における行動主義は感覚,思考,感情といつた本来体験されるもの,内省的に確かめられるものを抹消して,客観的に見きわめられるような事実だけを記述し,実験するという立場だと思います。つまり,意識の心理学に真向から対立する立場です。これは心理学の畑での話ですが,さて精神医学の中でどのように考えたらいいか。私の感じではまず第1に思いうかぶのは,意識の事実を記述するという建前にたつている現象学との対立関係です。精神医学の中で深い根をおろしているJaspersの現象学を否定するような方法論的な立場になると思うのですが,この私の素人的な意見につきご批判いただぎたいと思います。私はbeha書viorismとbehavioral scienc爭とを混同しているようですが,どういう点で違うのかということ,それが一つ。また現象学とそれ程真向から対立するものになるかどうか,などの点をぜひ教えていただきたいと思います。

研究と報告

精神障害に対する認識および治療的態度に関する研究(第2報)

著者: 三浦岱栄 ,   笠松章 ,   台弘 ,   西丸四方 ,   野口晋二 ,   加藤正明 ,   小此木啓吾 ,   河合洋 ,   平岩登和子 ,   南坊真理子 ,   宗宮久仁子 ,   浮田多美子 ,   石岡嘉子 ,   安永浩 ,   飯田真 ,   江熊要一 ,   堀越伸行 ,   木田富士夫 ,   大島貞夫 ,   目黒克己 ,   高橋徹 ,   安食正夫 ,   片野卓 ,   塚田不二子 ,   山田信子

ページ範囲:P.967 - P.973

I.まえがき
 精神障害その他社会的適応障害の早期発見,適切な治療並びに社会復帰などを推進させるには,精神医学的治療の進歩のみならず,関係職種の職員,患者家族および一般地域社会における精神障害および精神病院などに対する正しい認識と治療的態度が必要であり,精神障害者や精神病院に対する偏見が,これらの発見,治療,社会復帰を妨げている。われわれはすでに,看護婦,保健婦および公衆衛生教育機関職員599名について調査し,第1報に報告したように,精神障害に対する態度が「一般的社会的態度」と有意の相関を示し,年令が高く学歴が低いほど社会的には保守的態度が増えるとともに,精神障害に対する「治療的態度」が減少し,年令が若く学歴が高いほど,前者で保守的態度が減少し,後者で「治療的態度」が増加することを認めた。しかし,これらの結果が医療ないし公衆衛生に従事する職員に対して行なつたものであることや,質問紙法のみによる調査であつた点に,なお残された問題がある。この点を発展させるため,今回は特定の職業集団で医療や公衆衛生に関係のないものを選び,質問紙法のみならず面接によるテスト・バッテリーをふやして,一般の人びとの精神障害に対する認識や関心の程度を比較検討しようと試みた。
 欧米でのこの種の調査としては,ロンドンのCarstairsとHeronが農村と炭坑における比較調査を行ない,学歴と年令の要因が大きく働いていたとし,シカゴの国立与論研究所のStarが,全米住民の無作為抽出人口に対して,シチュエーション・テストを試み,これはさらにLemkauその他によつてボルティモアの指導者層の精神障害に対する態度の調査に用いられている。

精神分裂病者のリハビリテーションと精神療法との関連性について

著者: 藤縄昭

ページ範囲:P.975 - P.980

I.序言
 こんにちの病院精神医学では精神分裂病者のリハビリテーションという課題がしばしば論議されるようになつてきたが,この種の努力がわれわれ精神科医の治療的実践のなかで,いかなる意味方向をもつているのであるか,とくに精神療法との関連において考察してみようとするこころみが,この小論の目的である。
 ところが精神医学におけるリハビリテーションという言葉の定義は現在なお明確にされていないようである。Gastergerらは古くから用いられた社会的寛解という概念に代わるものとして「精神的社会復帰リハビリテーション」という概念をとりあげ,非常に広義に—こんにちまでの精神医学的諸治療も含めて—リハビリテーション療法(Rehabilitationstherapie)という用語を使つている。しかし一般には,とくにわが国では,医学的諸治療は別として,アフター・ケアー,職業の指導・斡旋などを行なう社会運動的方策について用いられており,その努力は精神的欠陥のある病者を「個々の症状にあまりこだわらず,人間存在として全体的に再教育するというところをねらい(江副)」,そして彼らの「社会的適応と経済的独立とを支持するプロセスである(小林)」といわれている。より具体的にいえばこんにちまでの精神医学的諸治療によつて社会に復帰させることのできなかつた病者に,なんらかの新しい手段を講ずることによつて社会復帰を可能にしようとする活動,井上の言葉によれば「精神医学的治療の諦められたところからリハビリテーションが始まる」という,そういつた意味では医学をこえた,リハビリテーション療法というよりも,むしろリハビリテーション活動といつたほうが適切に思われる一種の社会運動に似た努力を意味しているようである。

精神分裂病の病識欠如について(その2)—その特異的要因についての考察

著者: 梶谷哲男

ページ範囲:P.981 - P.987

I.はしがき
 前編においては,分裂病者の病識欠如のうち非特異的因子をとりあげて考察した。しかし分裂病者の病識欠如には他の疾病の場合と異なる特異的な面があり,それによつて神経症およびその他の精神病と区別する標識として用いられる場合がある。たとえば外因精神病の中には分裂病とまぎらわしい病像を呈することがあつても,その経過を追求していくと分裂病者の場合にはみられない病態への構えに気づく。そこでJaspersは,「もし完全なる病識を有する場合は,それが分裂痛なりや否やを,まず疑わねばならない」といつている。この言葉はやや極端にすぎるが,分裂病の場合は確かに非特異的な機制では把握しにくい,特異的な成り立ちをもつもののようである。このことは,分裂病自体の特異的な構造に由来することはいうまでもない。
 以下,この分裂病者の病識欠如の要因として,比較的この病に特異的と思われる点をとりあげて考察してみたいと思う。

いわゆる潜伏性精神病の研究—精神分析的精神療法過程で精神病的状態を顕在化した症例群について

著者: 小此木啓吾 ,   岩崎徹也

ページ範囲:P.989 - P.996

I.まえがき
 われわれは,分裂病境界領域患者に対して精神分析的な精神療法をこころみ,その観察による力動的な解明をめざしているが,歴史的にみて,このようなアプローチの出発点となつた潜伏性精神病(P. Federn,G. Bychowski)の顕在化についてその知見を述べ,神経症領域から分裂病領域へと,歩みを進める途上で直面される治療上,精神病理学上の問題を解明する一助としたいと思う。またこの知見は,われわれが組織的に研究中の,いわゆる《境界例》の検討に対しても,操作的な側面から一つの手がかりを与えるものである。(境界例の研究については,本誌に掲載の諸論文1)2)3)を参照)
 なお,本報告のさいのlatent psychosisの概念は,もつぱら,latent schizophreniaの観点にかぎり,潜伏性躁うつ病については,また,別の機会に譲ることとした。

向精神薬によるパーキンソン症候群に対するKemadrinの使用経験

著者: 長尾朋典 ,   式場聰

ページ範囲:P.999 - P.1003

I.はじめに
 近年精神科領域での治療面については,まさに薬物療法が主体となり,まずこの薬物療法を一度も行なわない症例はほとんどないといつても過言ではあるまい。向精神薬の種類は多種多様であり,その個々の薬物がどのような作用を行ない,精神疾患のどのような症例に有効であるかはここにはその詳細をはぶくとしても,多くの症例にはクロールプロマジン,パーフェナジン,ロウフォルフィアセルペンチナ製剤が中心的に使用されている。
 そしてこれら薬物の使用量は症例と症状によつて異なるも,使用量によつて多少ともに身体面への副症状,たとえばパーキンソン症候群(以下パ症候群)を呈することはすでに多くの報告がみられるところである。このことはHerz & Meyersもパ症候群の一つとしてこれをとりいれ分類を樹立している。このような副作用の出現により基本症状である精神症状が好転することを報告した研究者もいる(J. E. Staehelin)が,ここではパ症候群をいかに治療,予防するか,またそれによつて精神症状がいかに変化し,患者の心構えを変化せしめるかについて検討した。この副作用については,今回中外製薬会社よりKemadrinの試供を受けたので,他の抗パ症候剤の影響を考慮し,精神科領域での使用経験を報告することにする。

動き

麻薬取締法の改正

著者: 林暲

ページ範囲:P.1005 - P.1007

 前国会の終りころになつて麻薬取締法改正案が通過し,去る7月11日から施行されるにいたつた。今回の改正は罰則の強化と中毒者の収容が眼目であり,ことに後者の件はわれわれの臨床業務に関係してくる問題である。
「麻薬」というのは独特の法律用語であつて,昭和5年の麻薬取締規則に始まり,その対象は,モルヒネを主とする阿片アルカロイド,これに類する合成薬物およびコカインであり,阿片は刑法に旧刑法(明治13年)以来の趣旨を承けて阿片の吸食,その器具を取締つている。このほかにこれに類する法律としては,大麻取締法,覚醒剤取締法がある。従来麻薬に関する実務については,しばしば麻薬,大麻,阿片と一括して扱われることが多く,覚醒剤は別に扱われるのが常である。
 麻薬取締法は第1章総則から第8章罰則にいたる76条よりなるが,ここに第6章の2として「麻薬中毒者に対する措置」という1章が新たに設けられ,本章の内容は58条の2項から18項に分かたれ中毒老に対する措置の仕方の規定である。これはおそらくここに新しい条項を挿入することのために,従来の章,条の番号の大きく変わることを避けるためであろう。

提言

「批判」のあり方について

著者: 石川清

ページ範囲:P.1009 - P.1010

 過日私は『精神医学』編集委員会より,同誌11月号に発表された前田利男氏の「了解的方法に関する一批判―特にK. Jaspersの了解心理学に関して―」と題する論文に対して,反批判を試みるように依頼された。
 しかし私にはこの論文に対する反批判を行なうことはできない。その理由は,何度読みかえしてみても,この論文の中に,著者自身の見地と,その見地よりする生産的な結論を見い出だすことができなかつたことにある。つまり私はそこに反批判すべき対象を発見できなかつたのである。従つて以下に述べることは反批判ではなく,単に読後の感想であるが,それとともに「批判」のあり方と仕方について考えてみたいと思う。

内因性単一精神病の概念

著者: 遠坂治夫

ページ範囲:P.1010 - P.1011

 臨床精神医学の疾病論上,Neumannの時代以来,単一精神病Einheitspsychoseの底流は根強く流れ続けている。人はこれを精神医学臨床のニヒリズムのように言うことが多いが果してそうであろうか。ここでは,Einheitspsychose論の歴史についても,又内因性精神病の遺伝臨床的・病態生理学的事項について立ち入ることは止め,かつ又人間学的考慮を加えることなく,専ら症候論的・精神病理学的観点から,すなわち越賀の「疾病論的精神分裂病」と「類型論的精神分裂病」との立場から,「精神分裂病概念の混乱について」(本認5巻8号所載)つけ加えたい。実際臨床上分裂病の診断には何よりも症候論的・精神病理学的観点が重要な意義をもつているのである。結論から言えば筆者は内因性精神病の疾患単位に少なからぬ疑問をもつものである。外因性疾患・身体基礎をもつ諸疾患を昔のようにことごとく精神病Einheitspsychoseのかごの中に放りこもうと言うのではない。結論的に,いわゆる内因性精神病の把握の混乱・診断の滅裂を正視して,差し当りConradやWeitbrechtの想定すると思われるところに従つて内因性単一精神病Endogene Einheitpsychoseの概念を提唱したい。内因性精神病は分裂病Schizophrenieと躁うつ病Manisch-depressives Irresein(循環病Cyclothymie)と,近来非定型精神病atypische psychoseとが区別される。というよりは分裂病や躁うつ病においては一部では止むを得ずレッテルをはられている傾きがある。混乱は分裂病の概念のみではない。内因性精神病全般にわたつて今や(過去もそうであつたが)大きな困惑期にある。満田,黒沢,鳩谷らのごとく「非定型精神病」を諸方面からの裏付けをもつて積極的に規定するのもこの混乱を整理するのに貢献するところ大なる方途である。以前からのJaspers, Schneider, K., らの鑑別類型論Differentialtypologieも一つの権威ある解決である。しかし煩型鑑別であるべきものがいつのまにか鑑別診断にすりかえられてしまうことを我々はしばしば経験する。分裂病と躁うつ病(循環病)とは,実際的・症候論的に言つてのことであるが厳密に言つて判断の次元が異なる場合が多々あると考えられる。深刻な人格及び世界の特異の変容ともっぱら気分変動的な面とを同次元において並列させることがあるのは無理なのではあるまいか(勿論生気感情の変動を分裂病過程と同じ次元にもち来らされる程の研究成果があれば異論はない)。「非定型精神病」の概念が純化確立されれば事態は大きく進展する。しかしそのとき「定型」はどんなものとして残るか。一体定型というものが存するのか?場合によつては「非定型」が定型なのかもしれないのである。世界中各国・各都市の別なく定型分裂病は一見して診断されるというが厳密に言って果してそうであろうか?

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第1回国際社会精神医学会議

著者: 林暲

ページ範囲:P.1007 - P.1007

 明年8月17日から6日間,ロンドンで開かれるこの国際会議については,すでに最近の精神神経学雑誌にも紹介されているが,この会議に日本代表として出席される大阪市大の中脩三教授のもとに送られた本会議の責任者,J. Biererの手紙により,さらにこの会議の様子についてお知らせする。
 まず,この会議について日本でも精神医学隣接領域の諸雑誌,心理学,社会学,人類学,看護婦,教師の雑誌等にもニュース記事として流して欲しいとあり,これから察すると学問的な会議というより,精神衛生大会のような性格のものではないかと思われる。また25名以上の参会者のグループが出来れば相当な運賃割引の斡旋をするし,130〜150名ともなれば半額以下に出来るとある。この会議のあとにつづいて同じロンドンで精神療法の国際会議もあるし,この頃渡航の予定のある方は,中教授のところに御相談になるようおすすめする。その他今年末までに出席を申立て参会費を支払えば新しく発足する国際社会精神医学協会の会員として登録されること,また日本の厚生大臣に他の国々の厚生大臣と並んで本会議の後援者として委嘱できるよう斡旋を頼むとも書いてある。

精神医学 第5巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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