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雑誌目次

論文

精神医学50巻11号

2008年11月発行

雑誌目次

巻頭言

文化と文明

著者: 武田専

ページ範囲:P.1042 - P.1043

 西洋文明の伝統を受け継ぎながらも,効率性と平明さとを追求するアメリカ文化は,全世界を席捲しようと意図してきた。デューイらにより代表されるアメリカのプラグマティズムは,知識が真理であるか否かは実際に役立つかどうかによって決定されるとする思想である。1980年に発表されたDSM-Ⅲは,精神科診断の国際的な分類を確立し,具体的かつ体系的な調査から得られたデータを基礎として,疾病概念やその分類,さらには診断技法にまで拡大しようとする意図のもとにスタートしている。

 たとえばうつ病であるが,私たちが精神医学を学んだ昭和20年代後半には,統合失調症(分裂病)とともに,内因性精神病の代表的なものとされ,器質的な気質性の感情要因が優位とされ,感情性精神病ともいわれた。現在では地球上の5人に1人はうつであるとまでいわれている。かつては,その基底には循環性格といわれる気質があるとされ,健常に近い範囲内でもうつと躁の気分が動いているといわれた。このような人たちは必ずしも躁うつ病になるとは限らず,気分が沈んで何もかも嫌になり,仕事も手につかぬスランプの時期はあっても,陽気で社交的な軽躁気分の時期もあり,世間的に成功するような人たちもいた。

オピニオン・医療観察法の見直しに向けて

医療観察制度の現状と課題―司法精神医学者の視点から

著者: 山上皓

ページ範囲:P.1044 - P.1048

はじめに

 2005年7月15日の医療観察法の施行より早くも3年が経ち,法見直しの検討の時期を迎えることとなった。この間,新たにスタートした医療観察制度は,諸種の困難に遭遇しながらも,おおむね順調に経過し,精神科医療と刑事司法ならびにその境界にある司法精神医療の領域に多大な成果をもたらしつつある。筆者は,本制度の創設にかかわった者の1人として,本法の適正な運用にご尽力くださっている関係各位に敬意と感謝の意を表したうえで,ここに,本法施行の成果と今後に残される課題について論じさせていただく。

法律家の立場から

著者: 町野朔

ページ範囲:P.1049 - P.1051

5年を目途とした検討

 これまでにも,医療観察法の運用を実際に担当する精神医療の現場からは,鑑定入院に関する規定が明確でないこと2),身体合併症治療のために指定入院医療機関以外の病院に転院した入院者(100条3項)に,本法による行動の制限がなし得るか明らかでないこと,誤った診断を前提にした裁判所の決定が確定したときにも「再審」の規定がないことなど,多くの点が指摘されてきた。本稿は,「座学」の立場から,医療観察法における「入院による医療」とその手続きを中心に,医療法としての医療観察法の基本構造という観点から,若干のことを述べる。「入院によらない医療」,地域精神医療については,より複雑で困難な問題があると思われるが,それは別の機会に検討しなければならない。

講座担当者の立場から

著者: 林拓二

ページ範囲:P.1052 - P.1054

はじめに

 いわゆる「医療観察法」は,心神喪失等の状態で,殺人・強盗・放火・強姦・強制わいせつ,およびこれらの未遂と傷害にあたる行為を行った者に対し,裁判所による公正な手続きと専門施設での手厚い医療を保障するために制定されたものである。しかしながら,その法案の提出が,大阪池田小学校での児童大量殺傷事件を契機にしていることからもわかるように,ここには社会防衛的な意図があることは否めない。ただ,保安処分であるとの批判を避けるために,その目的を「病状の改善及びこれに伴う同様の行為の再発の防止」と「社会復帰の促進」であるとし,通院治療と地域におけるケアの充実が謳われている。この医療観察法は,激しい反対の中で成立した経緯もあって,各方面に配慮した妥協の産物であり,残された問題も多い。そこで,5年後の見直しに向けた活発な議論が始まろうとしているのが現状である。

 本稿では,講座担当者の1人として,個人的な意見を述べさせていただきたいと思う。

指定通院医療施設であり,精神科救急に対応している病院の立場から

著者: 藤村尚宏

ページ範囲:P.1055 - P.1058

はじめに

 民間病院において,医療観察法への取り組みには,いわゆる鑑定入院1)と指定通院医療(以下,指定通院と略記)の2つがある。鑑定入院は,経済的メリットが大きいためか,かかわっている病院は相当数あり,鑑定入院医療の質の問題はともかく量的には問題化していない。指定通院に関しては,受ける民間病院が限られていて数少ない。あわせて,必要十分な通院医療が行われていないのではないか?という問題が浮かび上がっている。この問題と課題の解決ができるような医療観察法の見直しが必要とされる。これから,鑑定入院も指定通院も比較的多く扱っている,精神科救急・急性期型の大規模精神科病院の立場から発言を試みる。なお,要旨は,2008年2月の第4回日本司法精神医学会で発表した。

国立精神・神経センター司法精神医学研究部の立場から

著者: 吉川和男

ページ範囲:P.1059 - P.1061

はじめに

 医療観察法制度は,2001年6月8日,大阪で発生した池田小学校児童殺傷事件を契機に国会で審議が開始され,2003年7月16日に公布,2005年7月15日より施行というかなり短期間のうちに誕生した制度である。このように短期間での公布・施行を優先したため,関連法規である刑法,刑事訴訟法には,全く手は加えられず,精神保健福祉法についてもわずかな修正がされたに過ぎず,結局,医療観察法はこれらの関連法規からは完全に独立した第3の法規定として誕生した。このことから,法手続上かなり複雑な問題が生じている。また,同様な時間的制約から,医療観察法が目指す方向性も十分確認されないまま予算が組まれてしまったため,現在,病床不足という深刻な問題も生じている。さらに,わが国の精神保健医療が慢性的に抱えている地域精神医療の欠陥も,この制度で大きく露呈されることとなった。本稿では,医療観察法で見直すべき点で最も本質的な問題を列挙し,その具体策についても提起したい。

なぜ医療観察法は廃止しなければならないか

著者: 伊藤哲寛

ページ範囲:P.1062 - P.1066

はじめに

 「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(以下,医療観察法)が動き出して3年を経過した。2年後の2010年には見直しが予定されている。

 医療観察法は,保安的要素を内に秘めつつ,表向きは医療と社会復帰の促進を謳うという二重構造を持ち,その運用も入退院の決定を司法が担い,医療と社会復帰の責任は医療が担うという司法モデルと医療モデルの折衷的性格に特徴がある。その多義的性格ゆえに,保安処分制度導入を積極的に進めてきた立場からも,保安処分制度に反対してきた立場からも,さまざまな問題が指摘されている。施行後5年の見直しに向けて今後ますます論議が活発になると思われる。

 筆者は,臨床の現場の精神科医として,この法律は廃止すべきだと考えている。本稿では,法制定までの背景,この法律の基本的性格,施行以後の状況,予想される見直しの方向などについて述べ,廃止の論拠を示すことにする。なお,医療観察法には「強制隔離の法的根拠」「適正手続き問題」など法律学的に吟味されなければならない疑義もあるが,ここでは触れない。

研究と報告

気分障害における表情認知の研究

著者: 豊田満生 ,   松井三枝 ,   ,   住吉太幹 ,   田仲耕大 ,   樋口悠子 ,   鈴木道雄 ,   倉知正佳

ページ範囲:P.1069 - P.1077

抄録

 寛解期の気分障害患者および健常者を対象として表情認知課題を実施し,両者の表情認知課題の成績の差の検討を行った。結果,表情識別課題における正答率,および表情判別課題における感度得点で,気分障害患者は健常者に比べて成績が有意に低かった。寛解期の気分障害において,幸福表情・悲しみ表情における表情の判別および識別に関して健常者と異なることが見出された。気分障害における表情認知障害は,状態依存性によるものではなく,寛解後も継続して認められることが示唆された。一方,バイアス得点においては寛解期の気分障害患者においてネガティブバイアスは認められず,これは状態依存性であることが示唆された。

抑うつを伴う片頭痛にparoxetineが著効した4症例

著者: 木田涼 ,   馬場元 ,   鈴木利人 ,   新井平伊

ページ範囲:P.1079 - P.1086

抄録

 抑うつと片頭痛の合併にparoxetineが著効した4症例を経験した。これまでにSSRIをはじめとする抗うつ薬が片頭痛に効果があると報告され,その薬理機序として痛みの増悪因子と考えられるうつ症状を軽減させることを介した二次的な作用やセロトニン神経系を介した片頭痛への直接的な作用が指摘されている。今回経験した症例はいずれもparoxetineの投与後,抑うつ症状の改善に先んじて比較的速やかに片頭痛が改善した。したがって,以上のことはparoxetineの片頭痛に対する効果が抑うつ症状の改善による二次的な効果というより,セロトニン神経系への直接的影響が強いことを示唆していると考えられた

当院にて経験した多剤大量療法からの薬剤整理に成功した統合失調症3症例

著者: 本山真

ページ範囲:P.1087 - P.1092

抄録

 定型抗精神病薬を多剤併用し長期間の入院をしていた症例において,副作用の軽減もしくはQOLの向上を目的として,抗精神病薬を減量整理できた経験をした。減量の前後で簡易精神症状評価尺度(BPRS)による精神症状の評価および錐体外路症状評価(ESES),血液検査,心電図による安全性の評価を行い,BPRSは薬剤入れ替え後平均約10%改善し,ESESは若干の改善,血液検査では血糖値を含め特に悪化した項目はなかった。1例では多剤服用時に認められていた心電図異常が改善しQTcが正常化した。各症例とも1年以上が経過しているが,臨床上重大な問題となる所見はみられず安定した状態を保っている。なお,今回は症例報告であり解釈には限界がある。多剤大量療法から脱却するための成功要因やその際の悪化を来す因子について,今後例数を増やして検討していきたい。

アルツハイマー病と診断され,後に進行性核上性麻痺が明らかになった1臨床例

著者: 田中健一 ,   湖海正尋 ,   大原一幸 ,   太田正幸

ページ範囲:P.1095 - P.1100

抄録

 数年にわたり記憶障害と被害妄想を呈しアルツハイマー病(AD)と診断され,経過中に進行性核上麻痺(PSP)が明らかとなった1例を経験した。PSPの初発症状として多い易転倒性や歩行障害は何年も目立たたなかったが,認知症状出現4年後の時点でMRIにより中脳萎縮を認めた。記憶障害出現後,PSPに特徴的な神経症状である頸部後屈や眼球運動障害を生じるまで6年経過しており,この頃には認知症状の進行とともに海馬を含む広範な脳萎縮が生じていた。PSPにADが先行した合併例か広範な脳萎縮を伴うPSP例と考えるのか,神経病理学的検索を行った先例を参考に考察を加えた。

短報

眼球彷徨roving eye movementが観察されほどなく死に至った2症例―せん妄増悪時の特徴的眼球運動

著者: 上田諭 ,   児玉由希絵 ,   大久保善朗 ,   伊藤敬雄

ページ範囲:P.1103 - P.1106

はじめに

 コンサルテーションリエゾン精神医学(以下,リエゾン)では,精神症状の適切な評価のために,それに影響を与える身体面の評価を欠かすことはできない。診察においては,臨床検査の結果などとともに,患者が示す有意な表出や徴候をみつけることが重要となる。今回,重症の身体疾患症例にかかわる中で,せん妄ないし意識障害の増悪時に特徴的な眼球の動きが観察され,その後ほどなく死に至った症例を2例経験した。この眼球運動は,比較的ゆるやかな左右への振り子様往復運動で,roving eye movement(眼球彷徨)7~9)であると思われた。脳幹障害のない意識障害時にみられるとされているが,精神科臨床では馴染みが少ない。せん妄をみることの多いリエゾン活動では,病態評価や治療対応の点から重要な指標になり得ると思われ,症例を提示し考察した。個人情報保護のため,症例の細部には変更を施した。

反復経頭蓋磁気刺激療法による治療後,長期に寛解状態を保っているうつ病の1例

著者: 乾真人 ,   行正徹 ,   井上賀晶 ,   吉村玲児 ,   中村純

ページ範囲:P.1107 - P.1110

はじめに

 経頭蓋磁気刺激療法(transcranial magnetic stimulation;TMS)は非侵襲的に大脳皮質を刺激する方法として,主に神経内科領域での中枢神経機能検査として普及してきた。しかし,1993年にHöflichら6)によってうつ病の治療に対しても可能性が示された。現在に至るまでにうつ病についての治療は数多く発表がなされている4,5,7,8,10)。今回,我々は,薬物治療抵抗性のうつ病患者に対して反復性TMS(repetitive TMS;rTMS)を施行し,症状の改善を認めた後にも長期にわたって寛解状態を保っている症例を経験したので報告する。

 抑うつ症状の評価はハミルトンうつ病評価尺度(HAM-D)を用い,同時に3-methoxy-4-hydroxyphenylglycol(MHPG)の血中濃度も継時的に測定した。

資料

「精神保健医療福祉の改革ビジョン」に関する情報のウェブサイトを用いた公開の試み

著者: 長沼洋一 ,   立森久照 ,   小山明日香 ,   竹島正

ページ範囲:P.1113 - P.1118

はじめに

 2004年9月に厚生労働省精神保健福祉対策本部より提示された「精神保健医療福祉の改革ビジョン」4)(以下,改革ビジョンと略す)では,精神保健医療福祉体系の再編という国家的な課題が提示された。その後,障害者自立支援法の成立によって,障害福祉サービスの体系が再編され,公費負担医療も自立支援医療費制度に一本化された。これに伴い2006年度より厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学事業)「精神保健医療福祉の改革ビジョンの成果に関する研究」研究班が立ち上げられた。この研究班では,これまで行われてきた精神保健福祉に関する調査を継承・発展させ,改革推進のためのフォローアップ研究を行い,根拠に基づいた改革の実現を図ることを目的としている。精神保健福祉の改革を研究の立場から推進していくには,政策の進展にかかわる数値指標についてモニタリングを行い,その結果を各地域の精神保健福祉計画における企画立案や実践に反映してもらうことが重要である。そのため,現場実践にあたる地域の政策立案者にとってアクセスしやすい形で最新の情報を提供していくことは重要である。

 この「改革ビジョンの成果に関する研究」を円滑に進め,現場での実践に反映させていくためには,これまで各論的に行われてきた,精神保健福祉医療の多方面にまたがる調査研究,臨床活動を俯瞰的に把握し直すことが課題となる。そのため各論的な情報を効果的に集約し,アクセスしやすい形で共有化することが重要である。臨床研究や疫学研究においては,そこに携わる研究者らがインターネットを活用し,研究に関する情報を共有し,臨床データを収集し多施設合同研究を実施するのに用いられている2)。またいくつかの大学や団体では,World Wide Web上にウェブサイトを開設して情報提供を行うとともに,アクセスログを解析すること(以下,アクセス解析と呼ぶ)で利用状況や利用者のニーズについて検討した報告もみられる1,5~7)

 そこで本研究では,「改革ビジョンの成果に関する研究」(以下,改革ビジョン研究とする)のために,情報公開・共有方法を目的としたウェブサイトを開設し,アクセス解析によりその有効性を探索することを目的とした。

紹介

複雑性悲嘆(CG)の診断基準化に向けた動向

著者: 瀬藤乃理子 ,   丸山総一郎 ,   加藤寛

ページ範囲:P.1119 - P.1133

はじめに

 死別の悲嘆に関する研究は大きな変革期を迎えている。特にここ10数年は,Freudから始まった精神分析的な見解が影をひそめ,実証的な研究が多く報告されるようになった75)。そのような悲嘆研究の流れの中で,現在,欧米で最も注目されていることは,「複雑性悲嘆(complicated grief;CG)が,次のアメリカの精神疾患診断基準DSM-Ⅴに入れ込まれるか」という点である。

 死別の喪失からの回復過程に現れる症状の多くは「正常反応」であることが知られており,大部分の人たちは自然な形で悲しみ,喪失に適応していく。その意味では,死別反応の大部分は疾患として取り扱うべきではない。しかし,一部は重い精神症状や社会的機能の低下などを引き起こす64)。現行のDSM-Ⅳ-TRにおいては,死別反応はVコード(DSMに定義された精神疾患ではないが,臨床関与の対象となることのある他の状態)にあり,死別後2か月過ぎても重い抑うつが継続する場合には,「大うつ病」として診断してもよいとされている。一方,死別後にPTSD(posttraumatic stress disorder)に類似した症状がみられる場合があることから,臨床場面ではPTSDと診断される場合もある。パニック障害などの不安障害の徴候がみられることもあり,複雑性悲嘆(以下,CGと略す)の病態は,診断上,これまではさまざまな疾患名の中に包含されてきた62)。しかし,現在は第一線で活躍する多くの悲嘆研究者が,「CGは抑うつやPTSDなどを併存する(comorbidity)ことはあっても,本質的には異なるものである」と明言している16,59)

 CGの診断基準化にあたっては,次の3つの事柄を慎重に検討する必要がある。1つは,CGは本当に精神疾患として認められるものか。2つ目は,疾患分類学(diagnostic taxonomy)的にCGは類似した他の精神疾患と独立したものとして扱えるのか。3つ目は,提案される診断基準はCGを診断するのに妥当で信頼性のあるものか,という点である。これらの検討課題をクリアするためには,CGの実体や概念を明らかにする必要があり,診断基準化を目指す欧米の悲嘆研究者たちは,DSM-Ⅴに向けて実証研究を積み重ねている。

 本稿では,この3つの検討課題について現在までに欧米で示されてきた研究や見解を整理し,診断基準化に向けた議論と,CGの診断に関連する今後の課題について述べる。

書評

―野村総一郎 著―内科医のためのうつ病診療(第2版)

著者: 松村真司

ページ範囲:P.1134 - P.1134

一般医の目線で記載されたうつ病の解説書

 当院には時に医学生や研修医が診療所実習に訪れる。実習が終わった後には必ず,彼らが実習中に受けた印象を聞くことにしている。患者との距離の近さを挙げる学生がもちろん多いが,それとともに「診療所には精神面の問題をもつ人がこんなに多いと思わなかった」との印象を述べる実習生が多い。不安障害,認知症などとともに,身体的愁訴が前景に立ったうつ病患者は本当に数多い。最近ではうつ病に関する啓発も増え,患者自らが「自分はうつ病ではないか」と考えて訪れる患者も多くなってきている。

 著者自身も記しているが,認知症,高血圧,糖尿病などと並び,うつ病は疾患の罹患率とその症状の多彩さ,そのアウトカムの重大さから考えると,専門家のみですべてに対応することは現実的ではない。著者によると,内科医のうつ病診療のレベルが期待された水準にないことが,本書のような啓発書を書くきっかけだったとのことである。確かに,これほどありふれた疾患であるにもかかわらず,卒前・卒後における研修機会は十分とはいえない。精神科医に相談をすることも,地域に出てしまうとなかなか容易ではない。また,地域によっては精神科医の診察のアクセスが悪い場合もあり,その場合には好むと好まざるとに関わらず,非精神科医が治療の相当の部分まで担当せざるを得ない場合もある。できれば専門医に診療してもらいたいと思いながらも,薄氷を踏む思いで診療をしている非専門医はかなりの数に上るのではないだろうか。

―熊野宏昭,久保木富房 編,貝谷久宣 編集協力―パニック障害ハンドブック―治療ガイドラインと診療の実際

著者: 笠井清登

ページ範囲:P.1135 - P.1135

パニック障害の正しい知識と治療指針の普及に向けて

 パニック障害は,青天の霹靂のように生じるパニック発作で初発し,その自覚症状は動悸,息苦しさ,胸痛等の循環器・呼吸器症状が主体であるため,精神科や心療内科ではなく,内科や救急外来を初診する場合が圧倒的に多い。また,「パニック」は一般的な外来語として「精神的に取り乱す」といった意味で用いられているため,パニック障害の病態を一般の方はもちろん,医師ですら理解していないことがまれではない。しかし,パニック障害は,生涯有病率が一般人口の数パーセントと非常に頻度の高い疾患であり,すべての医療従事者に正しい知識と治療の指針を普及させることが必要である。このハンドブックは,そのような主旨から作成されたが,結論を先に申し上げると,大成功の書であり,その目的を達成するに違いない。

 本書は,心療内科・精神科・臨床心理の第一人者が結集し,生物―心理―社会的な見地から非常にバランスよく記述されている。いわゆるEBM(evidence-based medicine)の羅列だけでは,実践知とならないこともあるが,本書はもう一つの“EBM”(expert/experience-based medicine)が随所にちりばめられており,その意味でも大変バランスよく,実践的である。私は編者・編集協力者の方々を個人的によく存じ上げているが,彼らは常に集い,議論し,最新情報に敏感であり,非常に科学的で実践的なバーチャル研究所を形成している。本書の内容に,信頼性・一貫性を感じるのはそのためであろう。

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編集後記

著者:

ページ範囲:P.1140 - P.1140

 養老律令(718年)が精神の障碍に対する税と刑の減免措置を定めていたことは現存する文献であり明確である。しかし,その看護には近親者があたるように定められ,家族に過重な負担をかけてきた歴史は1900年の精神病者監護法で私宅監置が認められていたように,連綿と引き継がれてきた。精神障碍と犯罪という二重の苦悩を背負う方々の医療と社会復帰を,1300年たってようやく,国の責任で十分な医療者の手をかけて行うことになった医療観察法が2005年7月に施行された意義はきわめて大きい。施行5年後の見直しを2年後に控える今,医療観察法での医療にはまだまだ解決すべき課題が少なからずあることが指摘される中で,その見直しの議論を深めるべく,オピニオンのコーナーが企画された。

 町野教授が指摘しているように,入り口である検察官の申し立ての義務規定(33条)にある「医療を受けさせる必要が明らかにないと認める場合」を検事だけの判断でなく医療との合議制としてどう構築するか,また,立法当初から疑問が集中していた鑑定入院に関する規定をどう明確化するか,林教授の提案される鑑定センター構想も含めて論議する必要があり,これらをどう法文化するかが次の課題となっている。その他,地域医療と福祉サービスをどう構築するか,治療抵抗性の強い,処遇困難な精神障碍者の医療をどう確保するのか/しないことが適切なのか,不処遇決定や終了の決定に対する法整備をどうするかなど,読み応えのあるオピニオンが揃っている。医療観察法の症例に関する具体的な検討結果とこれらの論議との整合性を図りながら,どう改定していくかを明らかにする企画を今後も準備できればと願っている。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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