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編集後記
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ページ範囲:P.104 - P.104
文献購入ページに移動 DSM-ⅤとICD-11の改訂作業が同時並行で進んでいるが,両者ともにさまざまな理由で完成が当初の予定よりも大幅に遅れることが決定的になったようである。DSMに限って言えば,1980年にDSM-Ⅲが登場したときの賞賛を頂点として,その後,徐々にその評価が下がってきていることは明らかであり,ご当地の米国でさえも米国精神医学の屋台骨を支える人物から批判が述べられているほどである。筆者はもともと臨床に没頭していた精神科医であったために,DSMの冊子すらあまり目にする機会はなかった。しかし,研究に興味を持ち実際に携わってからは,研究対象となる症例のリクルートにはDSM診断が重要であり,さらにDSMから作成された構造化面接がなければ研究として話にならないことを学んだ。そのような過程で,DSMという便利なものがあることを改めて実体験したのである。
筆者のDSMとの付き合いの歴史は以上のように比較的淡泊なものであったために,後輩の精神科医や,教室の若い医局員には“研究や薬物療法はDSMをもとに行い,精神療法は病態水準を考慮する,というように臨床ではダブルスタンダードを採用しなさい”と長年,口を酸っぱくして教育してきた。ダブルスタンダードという観点からはDSMの負の側面はほとんど問題にならず,かえって症例の客観性を担保してくれるありがたい存在でもあるために,現在のようにあまりにDSM批判が激しい状況は筆者のような者にとっては実は居心地が悪い。結果的にどのような改訂がなされるのかは門外漢である筆者には詳細は把握できないが,いずれにしても現時点ではDSMが症候から障害を分類・区分するという水準から脱却することは不可能であり,だからこそ,その限界を知ったうえで,それでもありがたい存在として利用するという付き合い方に尽きるのではないかと思うのである。
筆者のDSMとの付き合いの歴史は以上のように比較的淡泊なものであったために,後輩の精神科医や,教室の若い医局員には“研究や薬物療法はDSMをもとに行い,精神療法は病態水準を考慮する,というように臨床ではダブルスタンダードを採用しなさい”と長年,口を酸っぱくして教育してきた。ダブルスタンダードという観点からはDSMの負の側面はほとんど問題にならず,かえって症例の客観性を担保してくれるありがたい存在でもあるために,現在のようにあまりにDSM批判が激しい状況は筆者のような者にとっては実は居心地が悪い。結果的にどのような改訂がなされるのかは門外漢である筆者には詳細は把握できないが,いずれにしても現時点ではDSMが症候から障害を分類・区分するという水準から脱却することは不可能であり,だからこそ,その限界を知ったうえで,それでもありがたい存在として利用するという付き合い方に尽きるのではないかと思うのである。
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