資料
機会損失の視点から見た総合病院における精神保健サービスの供給について
著者:
上川英樹
,
田山未和
,
島袋恭子
,
秦克之
,
嘉陽嘉世
,
宮城幸之佑
,
伊波久美子
,
平安周子
ページ範囲:P.671 - P.677
はじめに
経済学において「機会損失」という概念がある8)。これは費用概念の1つで,見かけ上は損失が出ていなくても,最善の決定をしなかったがために,得られるはずであった利益を損失と計算することをいう。たとえば,ある商品の人気があり,買い需要があるにもかかわらず,生産が追いつかず在庫切れとなった場合に,生産計画を多くしておけば得られたはずの利益を機会損失という。医療福祉分野でいうと,介護が必要な認知症高齢者がいるにもかかわらず,介護施設が足りないという事例もそうであるし,かかりつけ医がうつ病の症例を精神科診療所に紹介しても,予約が1か月待たないととれないという事例も,医療福祉制度において国民が得られるはずであった利益が失われているという意味で機会損失といえる。
現在,総合病院の精神医療は危機的状況である。日本総合病院精神医学会の調査によると,総合病院の精神科病床数は減少しており,総合病院に勤務する精神科医の数も減少している3,4)。精神科に関する診療点数は他科に比べて低く,病院経営上で不採算であるという理由もあるが,業務量の多さにより,精神科医が燃え尽きてしまったり,最初から若手精神科医が総合病院での勤務を敬遠したりと,精神科医側の原因もあると推測される。一方,厚生労働省の患者調査によると,気分障害の患者数が1999年に約50万人であったものが,2008年には約100万人に増加している7)。さらに,今後本格的な高齢化社会を迎え,一般病院における認知症やせん妄の症例の増加は確実である。その他,小児科に関係する児童精神医学,がん対策に関連した緩和ケアなど精神医療に対する需要は高まりを見せている。結果として,需要と供給のバランスが崩れ,予約待機患者の増加や総合病院で精神科が閉鎖されるという機会損失が発生している。
我々臨床医は,日常業務の中では,各医療機関あるいは各診療科の収支が黒字であるとか赤字であるとかに眼を奪われがちであるが,総合病院において赤字の精神科を閉鎖すれば,問題が解決するものではない。なぜなら日本は国民皆保険制度があり,国民平等に一定の医療サービスが提供されなければならないという原則があり,総合病院において必要な精神医療が受けられないという機会損失の費用は,将来,必ず国民が負うことになるからである。そういう事態に至ってしまうと,国民は,必要な精神医療にアクセスできないという不満を感じ,精神医療に対する信頼が失われるのは確実である。したがって,まずは需要を充足させる供給体制をつくることが必要条件であり,さらにその価格に対する質が高いことが十分条件となる。本稿では,筆者の勤務する総合病院における非常勤精神科医のコンサルテーション・リエゾン業務の一部について報告し,「どうすれば増大する精神保健事例の需要に対応できる精神保健供給体制を確立できるか」という課題への具体的試みについて報告する。