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雑誌目次

論文

精神医学53巻8号

2011年08月発行

雑誌目次

巻頭言

震災からひと月たって思うこと

著者: 岡野憲一郎

ページ範囲:P.728 - P.729

 この巻頭言を書いている4月の末の現在,わが国はいまだ3月11日午後3時前の震災の生々しい傷跡を体験している。現在私の精神科の外来では,震災以来初めて,あるいは2回目の再来診療となる患者と会う毎日であるが,互いの安否確認や震災当時の話に大半の時間が費やされる。

特集 性同一性障害(GID)

特集にあたって

著者: 齋藤利和

ページ範囲:P.731 - P.733

1.はじめに

 米国精神医学会の診断基準(DSM-Ⅳ)では,性同一性障害(GID)は自分の反対の生物学的な性(sex)に対する強く持続的な同一感を持ち,自分の生物学的な性に対する持続的な不快感,またはその性の役割についての不適切感を持っている状態であり,臨床的に著しい苦痛または社会的,職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている状態と規定されている。世界保健機関(WHO)の精神および行動の障害の疾病分類(ICD-10)でも同様な診断基準が採用されているが,さらに,ホルモン療法や外科的治療を受けて,自分の身体を自分の好む性と可能な限り一致させようとする願望を持っていることと,上記の強い性別違和感が,統合失調症のような他の精神障害の症状でなく,また染色体異常に関連するものでもないことが規定されている。

 1997年5月28日,日本精神神経学会の性同一性に関する委員会は「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」を公表した。1998年10月16日,埼玉医科大学において,このガイドラインに沿って性別適合手術(SRS)が施行された。以後,複数の医療機関においてGIDに対する身体的治療が行われるようになった。さらに,2004年7月,「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」が施行され,一定の条件下でGID当事者の戸籍の性別の変更が認められるようになった。こうした一連の流れによって,公のGID治療が定着していったといえる。しかしながら,わが国におけるGIDの治療はいまだにさまざまの困難性を抱えている。さらに,時とともに概念や治療法も変化しつつある。本特集は,こうした点をわが国の第一人者達の手によって明らかにし,明日のよりよいGID医療の展開を目指して企画された。ここでは,この特集で執筆者によって論述されているGIDを取り巻くいくつかの問題点を,彼らの言葉も借りながら紹介して序論としたい。

性同一性障害が抱える学術的課題―特に,その多様性と個別性について

著者: 山内俊雄

ページ範囲:P.735 - P.742

はじめに

 わが国において,性同一性障害(gender identity disorder)が公な形で医学の世界で取り上げられたのは,平成8(1996)年と,比較的最近のことである。それまでにも,性転換症,あるいは性転向症という言葉は用いられてはいたが,医学の領域で学術的対象とされることはほとんどなかったといえよう。わが国にこの問題が登場してきた経緯については,別の記述23)に譲るが,いわば突然のように医療界に持ち込まれた性同一性障害という問題に対して,わが国の現状は,学術的にも社会的にもいまだ適切に対処できるような状況にはなかったといえよう。

 ところで,性同一性障害にまつわる課題として,わが国の医学・医療ならびに社会が解決すべきいくつかの問題については,すでに埼玉医科大学の「倫理委員会答申」26),ならびに日本精神神経学会の「答申と提言」14)において指摘されているとおりである(表1)。

 これら指摘された課題の中では,改名の申請に対して,性同一性障害という疾患名を理由として,戸籍上の名前の変更が認められるようになったり,平成15(2003)年7月には「性同一性障害者性別取扱特例法」が交付され,1年後の平成16(2004)年7月より,一定の条件を満たした者ではあるが,戸籍上の性別を変更することも可能となるなど,性同一性障害をめぐる環境の整備も多少の進展をみた。しかし,その一方では,経済的な保障や医療支援,社会的な認知や理解,平等性の確保など,いまだ対応が不十分な問題も少なくない。

 さらにまた,学術的側面では,専門家の養成や専門医療施設の整備は遅々として進んでいないのが現状である。しかし,このような医療の未整備状況はわが国だけでなく,わが国より早くから性別違和の問題に取り組んでいる諸外国においても必ずしも良い状況にあるとはいえないようである。たとえば,O'Donoghuによれば,ヨーロッパでも国によっては,性別適合手術が円滑に行われているとはいえず,高額な治療費を払わざるを得なかったり,ジェンダーを専門とする医師が辞めることによって,ジェンダーの診療センターを閉鎖せざるを得ない状況もあるようである15)

 また,パキスタンのように性別適合手術をする専門医療機関がないところもあれば28),トルコのように宗教上の理由や独特の社会制度の中でジェンダーの問題が封印される国もある5)など,社会や文化,歴史の中で,性同一性障害をめぐってさまざまな問題が存在していることは,わが国に限らず,世界的な現象である。

 このことからわかるように,ジェンダーにかかわる医療環境の整備や社会の受け入れの改善については,時間をかけた根気強い取り組みにより,当事者のQOL(quality of life)を高めるにはどうすべきか,今後,解決に向けて模索することが求められる。

 そこでここでは,性同一性障害にかかわる学術的課題に限定して,どのような解決すべき問題が存在するかについて考えてみたい。その際,症候学,診断,治療,成因など,多岐にわたる学術的課題の中から,特に性同一性障害の持つ症状の多様性・個別性という切り口で国の内外の文献を渉猟し,今後の課題を考えたい。

 なぜなら,これまでは,たとえば診断についていえば,国際診断基準に基づいて診断するとされているが,実際には症状には個人によるばらつきが大きく,それも生物学的に男性の性同一性障害者(male to female, MTF)が示す症状と,女性のそれ(female to male, FTM)が示す症状に違いのあることが明らかになっており24,27),今後は性同一性障害の多様性や個別性を踏まえた診断,治療などの学術的検討を行う必要があると考えるからである。

日本精神神経学会「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン第3版」の概要と今日的問題

著者: 松本洋輔

ページ範囲:P.743 - P.748

はじめに

 1998年10月16日,わが国で初めて公に性同一性障害の治療として埼玉医科大学において性別適合手術(sex reassignment surgery,以下SRS)が施行された。以後複数の医療機関がこの分野の治療に名乗りを上げ,今日では性同一性障害に対する身体的治療は,広く国民に認知されるものとなった。筆者の所属する岡山大学病院では,2001年1月以降2009年5月までに,造膣外陰部形成19例,除睾術5例,乳房切除手術141例,子宮卵巣切除・膣閉鎖・尿道延長術71例,陰茎形成術23例,子宮卵巣切除術25例が行われている4)。治療普及の背景には,日本精神神経学会の性同一性障害に関する委員会が発表した1997年5月28日付「性同一性障害に関する答申と提言」中で「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」5)(以下,初版ガイドライン)が公表されたことにより,各医療機関がこのガイドラインに準拠して診療を進めることができるようになったことが挙げられる。埼玉医科大学におけるSRSはこのガイドラインに沿って実施されたものである。以後,2回の改訂を経て,現在は第3版のガイドラインが使用されている。

 以下,同ガイドラインの意義と変遷,現行第3版ガイドラインの概要と現時点で検討されている問題点について概説する。

メンタルクリニックにおける性同一性障害診療の実際―非定型例の診断・鑑別・治療をめぐって

著者: 針間克己

ページ範囲:P.749 - P.753

はじめに

 筆者は2008年4月,東京都千代田区にメンタルクリニックを開業した。2011年3月までに2,500名ほどの新患患者を診療したが,その大多数は性別違和を主訴とするものである。また,2010年には性同一性障害特例法1,3)に基づく戸籍の性別変更のための診断書を筆者が111通作成したが,これは,日本全体で戸籍変更された527名(最高裁判所に筆者が問い合わせて回答を得た速報値)のうちの,21%を占めている。しかしながら,実際の臨床では,性別違和を主訴に来院しても,戸籍の性別変更に至るような典型例ばかりではない。本稿では,大学病院のジェンダークリニックとは異なる,民間のメンタルクリニックとしての筆者のクリニックの特徴を記し,その後,非定型例を中心に,その診断・鑑別・治療について論じる。

性同一性障害の概念の変遷

著者: 康純

ページ範囲:P.755 - P.761

はじめに

 わが国における性同一性障害の治療は,1995年に埼玉医科大学で「性転換治療の臨床的研究」が倫理委員会へ申請されたことから新しい展開が始まった。その後1997年に日本精神神経学会が「性同一性障害に関する診断と治療ガイドライン」を発表,1998年に初めて公の性転換手術が行われたことにより広く知られるようになった。アメリカ精神神経学会は診断基準としてDSM-Ⅳ(1994年)を,世界保健機関(World Health Organization,WHO)はICD-10(International Classification of Diseases)(1992年)を公表しており,世界中で使用されている。また,日本精神神経学会のガイドラインが参考にしたのは,ハリー・ベンジャミン国際性別違和協会〔Harry Benjamin International Gender Dysphoria Association,HBIGDA,現在はトランスジェンダーの健康のための世界専門家協会(World Professional Association for Transgender Health,WPATH)と名称変更〕の標準治療(Standards of Care)である(http://www.wpath.org/publications_standards.cfm)。

 このように,性同一性障害の診断や治療は欧米のものに基づいて行われてきた。欧米においては19世紀中頃から性同一性障害の報告がみられるようになり,その後,膨大な知見を積み重ねている。現在では,世界各国から性同一性障害に関して,臨床的な研究をはじめ,生物学的な立場から,また社会学や政治的な立場などから,さまざまな研究が報告されるようになっている。このような状況の中で,アメリカ精神神経学会は2013年のDSM-5への改訂に際し,診断名の中から障害(disorder)という言葉を取り除くことを提案している。

性同一性障害に対する精神療法の課題とその問題点

著者: 松永千秋

ページ範囲:P.763 - P.768

はじめに

 現在,性同一性障害に対する精神療法は,主に2つの意味で理解されていると考えられる。1つは,「性同一性障害に対する精神療法はほとんど無効である」といわれる時の精神療法で,ここで言及されているのは「異性化願望」をなくすことを目的とした精神療法である3)。もう1つは,「性同一性障害は心の性別と身体の性別が一致しないために苦悩している状態であり,有効な治療法は身体の性別を心の性別に近づけることである」という,現在行われている概念化に基づくもので,そこでの精神療法は身体治療の精神的サポートとしての精神療法である3)。しかし,このような従来の精神療法の治療方針や性同一性障害の概念化は本当に当事者の実態に沿ったものなのだろうか。筆者は,性同一性障害の専門外来において,これまでに約200名の性別違和感を抱える当事者の診療を行ってきた。そして,その経験に基づいて現在の性同一性障害の概念や治療のあり方を再検討し,これまでのものとは異なった新しい治療論を提案している10)。本稿ではそれを踏まえ,筆者の考える性同一性障害に対する精神療法の課題と問題点について論じる。

性同一性障害の身体的治療とその課題

著者: 中塚幹也

ページ範囲:P.769 - P.774

はじめに

 性同一性障害(Gender Identity Disorder;GID)は,「女性が男性の身体に閉じ込められた状態(male to female;MTF)」,あるいは,「男性が女性の身体に閉じ込められた状態(female to male;FTM)」といえ,性別違和感のため自分の身体の性を強く嫌い,その反対の性に強く惹かれた心理状態が続く10,16)。精神療法によって心の性を変えることはできず,身体の性を心の性に合わせるようなホルモン療法や手術療法が行われる。

 依然として性同一性障害への身体的治療に関する医学的知見は不足しており,それを行うこと,行えないことに伴い発生する各種の問題への医療的・社会的対応に関する検討も十分とはいえない。

小児,青年期の性同一性障害をめぐる諸問題

著者: 塚田攻

ページ範囲:P.777 - P.782

はじめに

 近年,わが国で性同一性障害が注目され始めたのは,1996年7月2日,埼玉医科大学倫理委員会が性同一性障害の手術療法を正当な医療行為と判断したという大々的な報道がなされてからであろう。その答申の中で,ガイドラインを策定すべきであるとの提言がなされた。それを受けて,日本精神神経学会は性同一性障害に関する特別委員会を設け,1997年5月,性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(以下,ガイドライン3~5))の初版を策定した。その過程で,当事者の生活史・現病歴などを聴取し,多くの症例では幼少時から性別違和感を抱いていることも把握してはいたが,実際には小児の性同一性障害に関する治療経験はなく,初版ガイドラインの中では触れられなかった。

 2001年10月より,人気テレビドラマ「3年B組金八先生」で性同一性障害をテーマにしたシリーズが放映され,社会における性同一性障害への関心と理解は,それまでとは比較にならないほどの拡がりをみせた。それを機に中学生や高校生の受診も増えてきた。その中で特に訴えが多かったものは,制服着用への抵抗と第二次性徴への嫌悪感であった。

 その後,ガイドラインは2度にわたって改訂され,現在のものは第3版である。特に第2版への改訂作業の中では,第二次性徴への医学的介入も議論されたが,一般的治療としてガイドラインに盛り込むことは時期尚早とされた。しかし,なんらかの介入が必要な症例については,個別に検討することを妨げるべきではないとの判断から,ガイドライン上特に制約を設けることもなかった。

 さらに,近年の新聞報道などで小学生の性同一性障害の例が紹介され,文部科学省から性同一性障害の児童生徒に配慮すべき通知が出されるに及んで,教育現場ではどのように対処したらよいのかという関心が高まってきた。この数年,MTX(male to X),FTX(female to X)と自称し,中性化や無性かを目指すといった性同一性障害と紛らわしい症例6)の受診も増えてきた。ジェンダー・アイデンティティや性指向が不確定だったり動揺的なものに対し,ICD-107)では性成熟障害(F66.0)なる項目を設けている。

地域における医療連携

著者: 織田裕行 ,   片上哲也 ,   山田妃沙子 ,   山田圭造 ,   矢野裕子 ,   岡村宏美 ,   中平暁子 ,   吉野真紀 ,   鈴木美佐 ,   木下利彦

ページ範囲:P.783 - P.787

はじめに

 性同一性障害に対する医療にはさまざまな困難が存在する。なかでも他の精神科臨床において類をみないものとして,泌尿器科,婦人科,形成外科などの複数の科や複数の医療施設,そして臨床心理士,精神保健福祉士,看護師,弁護士などさまざまな職種と密接に連携し,多元的な治療構造を継続的に構築する必要性が挙げられる(図)。さらに,ホルモン療法や手術療法などの身体的治療を行う際には,精神科領域の治療と並行しつつ段階的に展開していく必要性がある。この多元性と多層性を伴う包括的治療の構造は性同一性障害の治療を行ううえで重要な意味を持つが,他方でその特殊性がごく少数の医療施設でしか専門的な治療が行われていない要因になっているとも考えられる。

 本稿では,この性同一性障害に対する包括的治療の重要性を確認し,我々が経験した2つの異なる形態である,適応判定を含めて大学病院などの1つの病院で包括的治療を完結する「完結型」と,地域に根差した複数の医療施設が連携し適応判定と治療を提供する「連携型」について触れ,私見を述べていきたい。

総合病院における性同一性障害医療のセンター化の取り組み

著者: 難波祐三郎

ページ範囲:P.789 - P.794

はじめに

 我々は2001年1月より性同一性障害(GID)に対する性別適合手術(SRS)を行ってきた。岡山大学精神科を受診してGIDの確定診断を受けた患者も1,180名を超え2,12),これまで我々が行った乳房切除術を含むSRSも,延べ340例を超えた3,6~11,14,15,17,18)。この間に性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)が2003年に制定され,2006年には「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(第3版)」が出され,GIDをめぐる医療環境も大きく変化してきた。また,GIDに関する情報がテレビやインターネットなどマスメディアを通じて入手しやすくなったため,自分がGIDではないかと自己判断して比較的早期に精神科を受診する患者が多くなった。

 また我々は,GIDに対するSRSの手術手技を応用して副腎性器症候群やアンドロゲン不応症などの性分化異常,矮小陰茎などの先天性性器異常,炎症後外陰部変形などに対する手術治療を行ってきた4,5,13,16)。そして,これらGID以外の疾患においても手術治療のみならず,メンタルケアやホルモン補充療法など診療科連携による治療の必要性を痛感していた。そこで2010年9月,岡山大学病院にジェンダー関連疾患を包括的に治療する部門としてジェンダーセンターを設立した。

 ここでは岡山大学病院にジェンダーセンターを設立した趣旨から実際の活動について報告し,海外における性別適合手術の問題について述べる。

研究と報告

「肥満恐怖のない神経性食欲不振症」の日本における時代的変化について

著者: 中井義勝

ページ範囲:P.795 - P.801

抄録

 1965~2009年の45年間に筆者を受診した低体重と無月経を有する摂食障害患者419例を対象に,神経性食欲不振症(AN)の診断基準すべてを有する典型的AN(1群),肥満恐怖と身体イメージの障害のいずれも有さない「肥満恐怖のないAN」(2群),肥満恐怖はあるが,身体イメージの障害のない非典型的AN(3群)を比較した。各群の割合は,1群49.6%,2群24.6%,3群25.8%であった。3つの群につき45年間の時代的変化を検討した結果,現在では1群が著しく増加し,そのため2群の割合が減少していた。「肥満恐怖のないAN」が日本に存在し,その割合が減少していることを明らかにした。

短報

Biperiden筋肉注射によってせん妄を認めた1例

著者: 松原桃代 ,   須基早紀子 ,   山口大輔 ,   加藤悦史 ,   深津孝英 ,   兼本浩祐

ページ範囲:P.803 - P.806

はじめに

 せん妄は,日常活動に意識および認知機能,知覚や思考に多大な影響,損失を与える精神症状である。せん妄の直接原因の1つとして薬剤性が挙げられる。精神科領域での原因薬剤としては抗パーキンソン病薬,睡眠導入剤,抗精神病薬,抗うつ剤などがある。抗コリン性抗パーキンソン病薬biperidenが薬剤誘発性せん妄の原因薬物であることはよく知られている。しかし,日常臨床ではbiperiden投与とせん妄の発生を明確に関連づけることができる症例に遭遇することは意外に少ない。また,我々の検索結果では,症例報告13)も少なかった。せん妄は日常活動に意識および認知機能,知覚や思考に多大な影響,損失を与える精神症状であり,薬剤性せん妄は一過性といえども重大な副作用である。今回,うつ病エピソード中に認められたアカシジアに対し,biperiden筋肉注射を行ったところ,1時間後に激しいせん妄状態を呈した1例を経験した。この低活動型せん妄と診断した症例を報告する。

 なお報告にあたっては,文書にて本人の同意を得た。また個人情報が特定されないように症例の内容を一部変更した。

Thiamine大量療法後に幻覚妄想状態が改善した非アルコール性Wernicke脳症の1例

著者: 坂東伸泰 ,   神前朋樹 ,   香川公一 ,   近藤健治

ページ範囲:P.807 - P.810

はじめに

 Wernicke脳症は,眼球運動障害,失調性歩行,意識障害を3主徴とし,病理学的には乳頭体,第3脳室,中脳水道,第4脳室周辺の灰白質に対称的な仮性脳炎性組織変化を来す8)。Thiamine欠乏が原因であり,Wernicke脳症が疑われた場合は早急にthiamine大量療法を行う必要がある8)。今回我々は,thiamine大量療法後に幻覚妄想状態の改善を認めた非アルコール性Wernicke脳症を経験したので報告する。なお,症例の匿名性に十分配慮し,病歴の修正を行った。

私のカルテから

抗がん剤治療中の抑うつ状態にmirtazapineが著効した統合失調感情障害患者の1例

著者: 小南博資 ,   松田幸彦 ,   高坂要一郎

ページ範囲:P.813 - P.815

 筆者らは,統合失調感情障害の発症から約10年の治療歴がある女性が大腸がん・多発性肝転移を合併したことで多剤化学療法をすることになり,その治療中に発症した抑うつ・亜昏迷状態に対し,mirtazapineを使用して著しく改善した症例を経験した。わが国ではmirtazapineの発売から日が浅く,担がん患者への投与例は見あたらないので報告する。

連載 「継往開来」操作的診断の中で見失われがちな,大切な疾病概念や症状の再評価シリーズ

敏感関係妄想―パラノイア問題と精神医学的性格学研究への寄与:Der sensitive Beziehungswahn(クレッチマーKretschmer E, 1918)

著者: 松本雅彦

ページ範囲:P.817 - P.819

はじめに 妄想は了解不能か?

 たとえば「周囲の人たちが自分の噂をしている」という関係念慮に対して,それを単なる疾病の「症状」としてとらえる立場と,一歩進んで,その「自己関係づけ」がどのような性格の人に,そしてその人がどのような生活環境に育ち,どのような出来事を体験して,上記のような妄想を抱くようになったのかを探求する立場とがある。妄想という主観的体験を,統合失調症のような過程的prozeßhaftな疾患の症状,つまり「結果」からみる立場を前者とすれば,後者は,その病態の「発生」状況をみて,その人がどのような状況のもとで上記の症状を体験するようになったのか,その力動的な展開を了解的にとらえようとする立場だといってよい。

 ヤスパースJaspersやシュナイダーSchneiderらハイデルベルグ学派によって,妄想が疾病固有の「了解不能」な病態だと定義されたのに対して,ガウプGauppの流れを汲むチュービンゲン学派に属するクレッチマーKretschmerは,妄想も精神反応的psycho-reagiertに出現し得ること,必ずしも過程的な疾病の症状ではなく,了解(感情移入)可能であり,精神療法によって治癒せしめ得る病態でもあることが提唱され,そのような一群の症例を報告している。それが「敏感関係妄想der sensitive Beziehunngswahn」と名づけられた。

書評

―広沢正孝 著―成人の高機能広汎性発達障害とアスペルガー症候群―社会に生きる彼らの精神行動特性

著者: 中根晃

ページ範囲:P.820 - P.820

高機能広汎性発達障害の行動特性や精神症状の特徴について論及

 大分前から成人のメンタルクリニックで大人の発達障害が多くなったという話を耳にするようになった。児童期の発達障害の臨床に従事している精神科医は,心の理論,執行機能などの認知特性の考えを援用して思春期に達した発達障害の病理をとらえ,その延長としての成人期の発達障害の臨床像を想い描こうとしていた。これに対し,成人期になって統合失調症なり人格障害などが疑われて成人中心のクリニックを訪れる発達障害の患者について論及したのが本書である。

 子どもは中学生の年齢になると自分自身を意識するようになる。この意識が年齢とともに明確になり,確固とした自己感(sense of self)に達する。正常な知的水準にあり,ある程度の社会生活が可能な高機能広汎性発達障害の人たちは,社会への適応に向けてたゆみなき努力をしており,それは障害というより特殊な発達の道筋(発達的マイノリティ)をたどりながら発達してきたものと著者は述べている。一般の人は対象を物質的存在としてとらえて体系化していく志向性と,それを社会的な環境の中で特化しようとする共感を持って把握しようとする志向性の両者によって,自己と対象との距離が適切に保たれ,体験された対象に自分固有の意味が与えられる。

―本田 明 著―かかりつけ医のための―精神症状対応ハンドブック

著者: 松村真司

ページ範囲:P.821 - P.821

精神疾患全般の診断と対応,薬物治療を網羅

 うつ病を代表とする精神疾患患者は,専門医の前にかかりつけ医を受診し,そしてその多くが適切に対処されていないという事実はこれまで何度も指摘されている。また,超高齢社会を迎えたわが国では,認知症を持つ患者への対応は,今や専門にかかわらずほとんどすべての医師が獲得すべき診療能力となった。認知症を持つ高齢者には慢性疾患が併存していることが多く,認知症への対応がなくては身体疾患の管理も困難になるからである。

 しかし,適切な初期対応をしつつ必要時に専門医へ紹介することは,専門医が考えるほどたやすいことではない。多くの疾患や症候の初期段階に対応することの多い私のような地域の医師の場合は特にそうである。さまざまな健康上の問題に対応する中で,精神症状に対応し,かつ患者の周囲にいる家族に対応していくことはとても難しいことである。多くの医師はそのような状況の中,手探りで精一杯対応しているのが現状であろう。一方で,精神科専門医にしてみれば,もう少しかかりつけ医がきちんと対応してくれれば,と思うことが頻繁にあることも想像に難くない。

―ブリス EV,エドモンド G 著,桐田弘江,石川元 訳―アスペルガー症候群への解決志向アプローチ―利用者の自己決定を援助する

著者: 村田豊久

ページ範囲:P.822 - P.822

 成人になったアスペルガー症候群の方々への心理的援助についての実際的な指南書とでもいうべき書物なのだが,その内容には驚くほど啓発的なことがらが多く,アスペルガー症候群についてはもとより,発達障害の精神療法について幾多の示唆を与えられる。

 アスペルガー症候群は70年前,ハンス・アスペルガーが特異な発達のパターンを示す一群の幼児を自閉的精神病質と名付け,根気強い長期間の心理治療教育の必要性を訴えたことに由来する。アスペルガーは,この子どもたちはその潜在的能力を信じて導いてやると,大きくなって著しい変化を見せ社会的自立の可能性も生まれてくるが,どのように好転した子どもでもいくらかの自閉的性格特徴が残るのでその社会適応にはいろいろの困難がつきまとうことも同時に示唆していた。しかし,アスペルガーのこのような提唱は長い間日本のみならず外国でも正しく認識されず,カナーに次いで自閉症の亜型の記載を行った人という理解しか持たれていなかった。

学会告知板

第18回多文化間精神医学会

ページ範囲:P.782 - P.782

テーマ 「文化と自然 東日本大震災をめぐって~多文化共生と復興」

会期 2011年9月30日(金),10月1日(土)

会長 浅井逸郎(医療法人社団ハートクリニック理事長)

会場 トラストシティカンファレンス丸の内(東京都千代田区丸ノ内1-8-1 丸の内トラストタワーN館3階)

第24回日本総合病院精神医学会総会

ページ範囲:P.788 - P.788

会期 2011年11月25日(金),26日(土)

会長 神庭重信(九州大学大学院医学研究院精神病態医学分野)

会場 福岡国際会議場(〠812-0032 福岡市博多区石城町2-1)  ☎ 092-262-4111

第41回日本臨床神経生理学会・学術集会

ページ範囲:P.815 - P.815

会期 2011年11月10日(木)~12日(土)

会場 グランシップ(静岡県静岡市駿河区池田79-4)

論文公募のお知らせ

テーマ:「東日本大震災を誘因とした症例報告」

ページ範囲:P.774 - P.774

「精神医学」誌では,「東日本大震災を誘因とした症例報告」(例:統合失調症,感情障害,アルコール依存症の急性増悪など)を募集しております。先生方の経験された貴重なご経験をぜひとも論文にまとめ,ご報告ください。締め切りはございません。随時受け付けております。

ご論文は,「精神医学」誌編集委員の査読を受けていただいたうえで掲載となりますこと,ご了承ください。

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今月の書籍

ページ範囲:P.811 - P.811

次号予告

ページ範囲:P.801 - P.801

投稿規定

ページ範囲:P.823 - P.824

著作財産権譲渡同意書

ページ範囲:P.825 - P.825

編集後記

著者:

ページ範囲:P.826 - P.826

 東日本大震災から5か月が経ち,被災地から目をそむけていれば一見何事もなかったかのような日常生活が続いているが,節電と原発処理の行方知らずの状況とがあいまって,この夏はいっそう暑い。目に見えないものは見えるものよりはるかに怖い。だから古代から人は見えないものを見えるようにしてきた。一度目にすれば「何だこんなものなのか」で落ち着くが,目にしたためにかえって不気味さやおぞましさが湧き起こってくるものもある。そこから新たな恐怖や侮蔑が出てくる。

 こんなことを思いついたのは,本号の大半が性同一性障害の特集で占められているからである。かつて性同一性障害は同性愛や性的嗜好の異常など,この障害と表面的に類似したものと混同され,おぞましいものとして排除されるかじっと隠されてきた。だが今日では,この障害は「病気」あるいは「神様のエラー」として,いや「本来のその人らしさを生きる姿」として認知されるようになった。衣服倒錯症は異性の衣服を身にまとうだけであるから医療上問題ないが,性転換を望むとなると医学的にも法律的にもさまざまな問題が引っかかってくる。今回の特集はこれらの問題を多面的にとらえたもので,冒頭の山内俊雄先生の論文はその複雑さと難しさとを整理してあるので,以下の多彩なテーマを理解するのに大いに役立った。この構成とそれにふさわしい執筆者を選んでいただいた齋藤利和先生に感謝申し上げたい。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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