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雑誌目次

論文

精神医学54巻3号

2012年03月発行

雑誌目次

巻頭言

メメント・モリ

著者: 明智龍男

ページ範囲:P.232 - P.233

 メメント・モリという言葉を想い起こす。ラテン語で「死を想え」という意味である。私自身は「自分がいつか死ぬ存在であることを想いなさい。そのことにより,よく生きることを忘れないようにしなさい」といった含意の言葉と理解している。10代の頃に,藤原新也氏の同名の写真集で,この言葉を知ったように漠然と記憶している。以来,折に触れてこの外国語が脳裏をよぎるようになった。芸術などには疎い自分であったが,鮮烈な写真とともにメメント・モリという語感が残像のように焼き付いている。それだけ衝撃的だったのであろう。とはいえ,10代の私にその深い意味はとても理解できていなかった。

 精神科医として働くようになり,中でも特に重い身体の病気を持たれた患者さんのケアに多くの時間を携わるようになってからは,自分自身にとってこの言葉が持つ意味や響きが少しずつ変化してきた。

オピニオン 認知症の終末期医療の対応:現状と課題―尊厳をどう守るか

重度認知症治療の現場から―頑張ろう! 精神科医

著者: 黒澤尚

ページ範囲:P.234 - P.238

はじめに

 地方の高齢化率の高い精神科病院で認知症に対応していると,世で言われている認知症の世界とは別世界にいるような気がする。認知症関係の学会や雑誌,大学の偉い先生の講演などは軽度・中等度(以後,軽度と略す)の世界の話であり,私が対応しているような高度(重度)の世界の話ではない。たとえば,認知症の人に併存するせん妄の話などほとんど出てこない,この不思議。そこで,私が認知症の情報を得ようとしているときの疑問のいくつかと私の診療実績の一部について述べる。

認知症患者の終末期医療―現状,課題,試案

著者: 飯島節

ページ範囲:P.240 - P.243

はじめに

 そもそも終末期を論ずるには何をもって終末期とするかについての共通認識が必要であるが,残念ながら終末期の定義は確立されていない。2001年に発表された日本老年医学会の「立場表明」では,「終末期」を「病状が不可逆的かつ進行性で,その時代に可能な最善の治療により病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり,近い将来の死が不可避となった状態」としている6)。この定義は,悪性腫瘍のように進行性で,しかも誰もが死が不可避であると認識している疾病の場合には,比較的適用しやすい。しかし,認知症の場合は,進行性でかつ根治療法は確立されていないにもかかわらず,認知症自体は直接死因であるとは認識されておらず,実際には肺炎などの合併症で亡くなることが多いために,終末期の判断はきわめて困難である。本稿では認知症患者の終末期の病態を検討し,あるべき対応について筆者個人の考えを述べたい。

終末期にある認知症の患者の尊厳死―理念と実践

著者: 吉岡充

ページ範囲:P.244 - P.246

簡単なこの国の老人医療の歴史

 この国では世界でも初めての速度と加速度をもって超高齢化社会へ突入していった。50年,中には70~80年かけていった西欧諸国とは少し違い,高齢者医療の誤りがあった。救命などを最優先するという急性期のモデルしか知らず,慢性の,そんなには改善しない高齢者の生活を考えたモデルをあまり考えなかった時代が続いた。そんな中で認知症があり,転倒リスクや精神行動症状のある多くの人たちは,縛られたまま,多くは無念の死を迎えていったのである。そこには人権意識や彼らの尊厳に対する配慮などはほとんどなかった

 皆,縛らないで老人医療なんてできっこないと確信さえしていたのである。人手の問題や医療費の安さ,出来高払いに頼らなければならないという制度上の問題もあった。

展望

脳には東も西もない―われら臨床医のこの一手,漢方薬,患者の幸せ

著者: 堀口淳

ページ範囲:P.249 - P.267

はじめに

 本展望では,筆者の角度からみた問題意識や今後の課題点を,抑肝散を中心に,「精神科医が臨床で応用できる漢方薬」を論述するように依頼された。筆者は先に開催された第107回日本精神神経学会学術総会(三國雅彦会長)の際に,教育講演で抑肝散の臨床応用について講演したので,その内容とも多少とも重複があることをご容赦願いたい。特に,筆者らのデータの記載はほぼ同様となることにはご寛容いただきたい。その講演における趣旨は,筆者のライフワークである「不幸にして『精神の病』に罹患して苦しんでいる患者が,治療という名のもとに薬物療法を施行され,その薬物療法の副作用のために,手が震え,体がひどく重くなるなどして,結果的には患者は『精神の病』との戦いの上に,薬の副作用との戦いも強いられるといった二重の苦しみ,重圧を背負わされてしまうような現行の精神医療界であって欲しくはない」といった思いを,偶然にも検討を始めた抑肝散を取り上げて論じることにあった。

 さて,私のような世代どころか,ほとんど大半の現在の日本の医師は,医学生時代の授業で漢方医学を学ぶ機会は皆無であったように思う。どうも現時点では日本だけが,日本の医師免許さえ取得していれば,世界で唯一,漢方薬も処方できる国であるらしい。一昨年,中国・天津で開催された第37回日本脳科学会〔金学隆会長(学会機関誌Journal of Brain Science編集委員長,天津市金学隆森田心理学研究所理事長,天津医科大学生理学教授),本学会理事長は森則夫浜松医科大学精神神経学教授〕に参加したが,金教授によれば,やはり中国も西洋医と東洋医(漢方医?)の育成は,それぞれ別の大学や機関が担っており,上述の通りの実態らしいのである。

 正直なところ,筆者は現在でも漢方医学は全くの音痴なのである。せいぜい昔から,時に風邪用の漢方薬を処方する程度が関の山なのであった。もっと正直を記すならば,漢方を独学し,熱心に患者さんを診察し,漢方薬をあれこれ使い分けられる医師たちをみて驚嘆するとともに,アンビバレントな気持ちさえも抱いていた。筆者が知り合ったたいていの「日本の漢方医」たちは,不思議に西洋医学も丹念に勉強していて,そこらの“並の”「西洋医」たちよりも西洋薬の知識もよほど豊富に有している印象があった。であるのに,「日本の漢方医」たちは漢方医学も勉強する向学心旺盛医なのであった。しかし筆者にしてみれば,一方では「ならばどちらかに決めて,もっと精進すべし」といった,今から思い返せば,ガチガチの石頭,「西洋」と「東洋」とは相容れられない,別の世界の医療であるのだ,などと決めつけてしまっていたのであった。しかし後述するようなちょっとした契機が,筆者の漢方医学観を払拭した。

 筆者らが駆け出しの頃の恩師や先輩の精神科医は,皆が一様に,少なくとも筆者が研修医時代を過ごした愛媛大学では,初診から終診まで,診察といえば必ず聴診器とハンマー(打診器)を駆使し,握力を測定し,眼底を覗き,覚醒時脳波検査はルーチンであった。つまり昔の精神科医たちは,目前の患者の精神症状のオリジンが身体因性ではないかと,疑う,疑わないにかかわらず,まるで現在の神経(内)科医のように患者の身体を丹念に精査していたのである。そうであった証左の1つに,大学でもどこでも,精神科はたいていは「精神神経科」か「神経精神科」と標榜していたし,現在もほぼ同様の標榜が継続して用いられている。しかし当時から筆者は,このようにわざわざ「神経」を入れる標榜様式に,いささか奇妙さを覚えていた。「精神科」とだけの標榜でも,もうそれで十分なのではないのか,なぜなら「精神」という用語は,当然「神経」も包含しているはずなのである,と考えていたからである。

 この当たり前の身体因重視の医療行為が,筆者にはどうしようもなく染みついているのである。いまだに白衣の胸ポケットには,いつものハンマーが,首部を垂れ,落ちそうでありながらも,しがみついているのである。

 かような筆者の診療を横から眺めていた若手医師の古屋智英君が,こっそりと筆者に耳打ちしたのであった。「先生,抑肝散を使ってみてはどうですか,この患者さんに」と。当時から古屋君は漢方医学に熱心な医師で,私の診察を見学して勉強したいと申し出て,近隣の病院から毎週大学にやってきていた。現在は,当講座の助教として頑張っているのであるが,「体から入る」私の診察を見て,おそらく漢方医学的臭いを多少とも感じたのかもしれない。私の返事は,「ヨクカンサン? どう書くのそれ,どんな字?」。この瞬間が私の漢方との出会いであった。わずかに5年前のエピソードである。その時の患者さんは,レビー小体病であった。

研究と報告

健常者・うつ病性障害および不安障害における心拍変動―Heart Rate Variability(心拍変動)は精神科臨床に役立つか

著者: 山崎茂樹 ,   五十嵐雅文

ページ範囲:P.269 - P.277

抄録

 健常者77例(健常),DSM-Ⅳの診断基準に該当したうつ病性障害27例(うつ)と不安障害27例(不安)を対象として心拍変動の面から自律神経機能を研究し,以下の所見を得た。

 健常のheart rate variability(HRV)とうつのHRVの比較では,total power(TP),low frequency(LF),high frequency(HF)およびstandard deviation of the RR interval(SDRR)は,うつでは健常より統計学的に有意に小さかった。不安と健常との比較では有意差を認めなかった。

 LF/HFについては健常と比較してうつにおいても不安においても有意差を認めなかった。うつと不安の比較では,時間領域解析(SDRR)および周波数領域解析(LF,HF,TP)ともに,うつのほうが不安よりも統計学的に有意に小さく,うつでは自律神経活動がより減衰していることが認められた。うつの重症度とHRVとの関係では,TP,LF,HF,SDRRはすべて,重症群は軽症中等症群よりも統計学的に有意に小さく,重症なほど自律神経活動が減衰していることが認められた。これらの所見からしてHRVはうつの重症度判定,経過把握などの補助手段として役立ちそうである。

「肥満恐怖のない神経性食欲不振症」と「やせ願望の明らかでない神経性食欲不振症」

著者: 中井義勝

ページ範囲:P.279 - P.285

抄録

 神経性食欲不振症(AN)の診断基準すべてを有する典型的AN(1群)200例,「肥満恐怖のないAN」(2群)86例,身体イメージ障害のないAN(3群)97例を対象に,精神病理の相違を検討した。摂食障害評価表(EDI)と摂食態度試験(EAT)で検討した精神病理は1群,3群,2群の順で高かった。EDIのやせ願望が7以下の「やせ願望の明らかでないAN」(低DT-AN)は2群全例に加えて,3群の大部分と1群の一部を含んでいた。次の2点を明らかにした。3つのAN群で臨床所見は類似するが,その精神病理が異なった。「肥満恐怖のないAN」は「やせ願望の明らかでないAN」の一部分で,両者を同一視して考察すべきでない。

抑うつ症状に関する援助希求行動における楽観的認知バイアスとその関連要因

著者: 梅垣佑介 ,   末木新

ページ範囲:P.287 - P.296

抄録

 本研究は,抑うつ症状の深刻さ,予後,相談・受診行動に関する評価に楽観的認知バイアスが及ぼす影響と,認知バイアスと心理・社会的変数の関連を検討することを目的とした。分析の結果,友人より自分に関して深刻さや受診の必要性を楽観的に評価する楽観的認知バイアスが示された。また,抑うつ・不安傾向が高いほど受診の重要性を認識しやすいものの,実際の受診行動とは関連がみられなかった。孤独感が高いほど自分と友人に関して症状を楽観的に評価し,相談や受診をしたり勧めたりしない結果が示された。本研究の結果から,抑うつ症状に関する受診行動を促進する上で,楽観的認知バイアスの影響を考慮する重要性が示された。

短報

Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaと思われる諸症状を呈した混合型認知症にramelteonの追加投与が奏効した1例

著者: 古屋智英 ,   國重和彦 ,   宮岡剛 ,   和氣玲 ,   荒木智子 ,   貞國太志 ,   堀口淳

ページ範囲:P.299 - P.302

はじめに

 超高齢化社会のわが国においては,認知症のBehavioral and Psychological Symptoms of Dementia(BPSD)1)は,介護者の負担のみならず,医療費の増大といった医療経済上でも議論となるなど大きな社会問題となっている2,12)。我々精神科医がBPSDの治療を行う場合,抗精神病薬をはじめとする向精神薬を使用せざるを得ない場合が多いが,しばしば副作用などのために治療に難渋する場面に直面する。さらに2005年のアメリカ食品医薬品局(FDA)が抗精神病薬投与により,高齢患者の死亡率が上昇する可能性を警告してから,その使用においては,より慎重な検討が求められている。

 今回,我々は認知症のBPSDと思われた諸症状に,メラトニンアゴニストであるramelteonの追加投与が奏効した症例を経験したので,文献的考察を交えて報告する。なお,ramelteonの投与については,その期待される効果・予想される副作用などを家族に十分に説明し,同意のもとに投与した。また報告にあたっては家族の了解が得られており,倫理面に配慮して趣旨に影響を与えない範囲で内容を一部変更した。

精神症状を伴うパーキンソン病に対してAripiprazoleが有効であった1例

著者: 岩本崇志 ,   板垣圭 ,   柴崎千代 ,   中津啓吾 ,   小早川英夫 ,   竹林実

ページ範囲:P.303 - P.306

はじめに

 パーキンソン病(Parkinson's disease;PD)は精神症状が20~40%と高率にみられ,幻覚・妄想・せん妄・認知症症状・抑うつ症状など多彩な症状を呈する4)。このような精神症状に対して,抗精神病薬を使用することがあるが,運動機能障害が増悪し治療が難渋することがしばしば経験される。今回,精神症状を呈したPDの症例に対して,Aripiprazoleを使用することにより運動機能に大きな影響を及ぼすことなく,改善が得られたため考察を加え報告する。

資料

総合病院での臨床心理士の役割―臨床心理士の専門性と多職種チーム満足の両立をめざして

著者: 田山未和 ,   上川英樹 ,   加来洋一

ページ範囲:P.309 - P.316

はじめに

 近年,医療法上の病院の区分が,精神科などの診療科設置の有無ではなく,地域における病院機能によって決定されるようになり,地域医療支援病院―いわゆる総合病院―に求められる精神保健上のニーズは拡大しつつある。たとえば,自殺対策の一環であるうつ病の早期発見について,未治療のうつ病患者の初診が身体科で多い現状のなかで,総合病院の果たす役割は小さくない。また,本格的な高齢化社会を迎え,総合病院における認知症やせん妄の症例の増加は確実である。その他,小児科での取り組みが広まっている発達障害児への支援,がん対策に関連した緩和ケアについても総合病院への期待は高まりを見せている。

 臨床心理士(以下,心理士)に代表される心理臨床家は,病院など医療の領域では精神保健の一領域である心理学の専門職とみなされている。鑪も,心理臨床家とは,大学や大学院で心理学その他関連科学を学び,心理学的手法を使って精神病院や児童相談所など社会の心理学的・福祉領域で働いている人たちであると定義している14)。しかし,心理士が病院で業務を行うとき,その活動が保険診療報酬として認められていないことや,心理士への医学的教育が不十分なことなどの種々の制約,国家資格でない心理士の地位の不安定さなどによって,心理の専門家としてのアイデンティティーが危機にさらされることがある11)。さらに,鑪の定義に「精神病院や児童相談所など」とあるように,従来の心理臨床家の教育や業務では総合病院は必ずしも重視されてきたわけではないことがうかがわれる14)

 そこで,医療に関わる心理士も国家資格化が検討されており,病院での心理士の役割が議論されている。医療側からは,「患者と心理士が1対1でカウンセリングルームにこもり,他の専門職とのチームの一員として行動しようとしない」「心理学用語を用いて,難解な心理学的解釈をする」というネガティブなイメージがあることが指摘されている。心理士側からも,既存の心理士資格のような医療,教育や産業保健分野にも共通したオールマイティーな資格ではなく,医療心理に限定した職能心理士資格では教育,司法,産業における専門性が失われたり,診療報酬の保険点数にその待遇が左右されやすくなるといった,心理士の専門家としてのアイデンティティーが担保されないことを危惧する意見もある2,10,15)。このように,心理士が総合病院で働く際には,どのようにして心理の専門家としてのアイデンティティーを確保しながら,いかに心理士の業務に対する病院多職種チーム側の満足度を高めていくかという課題が存在する。

 我々は,すでに総合病院において増大する精神保健サービス需要に対してどのようにして供給を充足させる体制を構築するかについて報告している6)。本稿では,2つの事例を通じて,総合病院における心理士の具体的業務の一部について報告する。我々は総合病院の精神保健サービス提供の担い手として,心理士自身が組織の中から患者以外のクライエントを設定し,クライエントを中心として多職種チームの問題解決能力を引き出した。それによって,心理士が総合病院で働く場合に生じる専門家としてのアイデンティティーの危機を克服し,心理士の専門性を発揮できる機会を広げる試みについて考察する。

精神保健福祉資料(630調査)を用いた隔離・身体拘束施行者数の分析

著者: 野田寿恵 ,   安齋達彦 ,   杉山直也 ,   平田豊明 ,   伊藤弘人

ページ範囲:P.317 - P.323

抄録

 精神保健福祉資料によると,身体拘束は毎年の増加を認め,隔離は2007年に減少に転じたものの2003年に比して高い値である。隔離・身体拘束施行の現状,および身体拘束の施行と関連する要因を明らかにするために,精神保健福祉資料の都道府県別5年間のデータを用いて分析を行った。その結果,隔離多用と身体拘束多用の地域があることがわかった。また人口当たりの身体拘束施行者数は,老人性認知症疾患治療病棟の整備率との関連を認めた。そして身体拘束施行者数の増加は都道府県によって一様ではなかった。精神科病院での認知症患者の入院が,今後さらに増加することが予想されている中,身体拘束施行者数が増加する可能性が考えられた。

試論

現代精神医学のジレンマ

著者: 古茶大樹 ,   針間博彦 ,   三村將

ページ範囲:P.325 - P.332

はじめに

 精神医学の歴史は,均等で漸進的な歩みではなかった。ごく短期間に力強い新勢力が台頭し,それまで優勢だった旧勢力を傍らに押しやり,新たな学問的な潮流を生み出していく―そのような変革期として,100年前と現在はよく似ている(表1)。それは「心から脳へ」の時代,その幕開けとさらなる深化を象徴するものである。

 操作的診断が精神医学の表舞台に登場したのは,DSM-Ⅲの発表された,1980年のことである。これに先行して,おそらくは1970年頃から,生物学的精神医学という新たな名称を携え,精神医学の脳科学的側面が脚光を浴びるようになってきた。従来の精神病理学と新たな生物学的精神医学という2つの学問は,対立しつつも,車の両輪にたとえられ,精神医学を支え正しい方向へと導くことを期待されていた。

 それから早くも四半世紀が経過し,精神医学は大きな変貌を遂げた。脳科学の進歩と統計学的手法の積極的導入により,一般身体医学と,精神医学とを隔てていた垣根が取り除かれ,精神医学はやっと科学的医学の仲間入りをすることができたのである。もっとも,この四半世紀の変化は,自然科学的側面の隆盛とひきかえに,人文科学的側面を大きく後退させることになった。精神分析,そして精神病理学もその1つである。この変化が真の進歩であれば,異議を唱える必要はない。しかし,我々は念願だった統合失調症や躁うつ病の本質に近づきつつあるといえるのだろうか2)。精神医学は,その両輪のバランスを失い,さながら一輪走行で安定を欠いているようにみえる。

 本論では,疾患原因追究の道をひた走る現代精神医学のジレンマを浮き彫りにし,あらためて精神医学にとって「疾患とは何か」を問う。そして自然科学としての精神病理学の限界,了解(可能性)の重要性について論じたい。

追悼

北杜夫氏を偲んで

著者: 山中康裕

ページ範囲:P.333 - P.334

 2011年10月24日,北杜夫氏が腸閉塞で亡くなった。彼は,1927年5月1日の生まれだから,享年84歳である。本名は,斎藤宗吉で,短歌界の巨人・斎藤茂吉の二男であり,兄は日本精神病院協会長も務めた随筆家・茂太氏,父子3人とも,精神科医であった。祖父は斎藤紀一,東京・青山脳病院院長で(北杜夫畢生の大作『楡家の人びと』の作中では楡基一郎となっている)山形出身の,これも精神科医であり,あの高齢で南極やヒマラヤに出かけた快婦人たる娘・輝子の夫にと,同郷山形の斎藤茂吉を養子に迎えたのである。茂吉は東京帝国大学医学部出身の,一時期長崎医専(現長崎大学)の精神科教授も務めた俊秀であり,知る人ぞ知る芥川龍之介の陰の主治医でもある。さて,宗吉は,その青山脳病院で生まれたが,医者になりたくなくて,昆虫採集にうつつを抜かし,かつ北アルプスの山登りに惹かれて,旧制松本高校に遊学した。そこには先輩・辻邦生がいた。彼は卓球部に入り,キャプテンを務め,何とインターハイにも出ている。故郷を出る時の柳行李に入れた,父の歌集『寒雲』を読んで,父の歌のすごさに惹きつけられ,今度は文学を志すも,父茂吉は,「文学では飯は食えない」と手紙で切々と医学部進学を薦め,やむなく折れて東北大学医学部に入ったのだった。卒後,慶應義塾大学の医局に入り,そこで同人誌「文藝首都」を立ち上げた中に,同じく精神科医で作家仲間なだいなだがいた。彼は1960年に,一方で『夜と霧の隅で』なる本格小説で第43回芥川賞をとり,他方で,『どくとるマンボウ航海記』を書いてユーモア・べストセラー作家となり,やがては芸術院会員になった…云々と書いていくと,いつまでたっても,私との関係など一向に出てこず,まるで,伝記のまる写しとしか思ってもらえないので,ここらで,よそよそしい履歴はよして,一気に,筆者との関わりに急転回することにする。

 ある日,かの『死霊』で名高い埴谷雄高氏から突然電話が入った。「君は,やまなかやすひろ君という名かね?」「はい,そうですが…」「君は北杜夫君と友人かね?」「めっそうもない,作品はほとんど読んでいますが…」「君が『理想』に書いた『北杜夫論』はわしが今まで読んだどれよりもよく書けとる。北君は,もうこれを読んどるのかね?」「いえ,まだだと…」「じゃ,わしが送っとくからな!」。そこで,電話はガチャリと切れた。そして,1週間後に,今度は北さんご自身から電話。「…あの,キタですが。アナタはヤマナカさんですか?」「はい,そうですが」「『理想』の論文読みました。…ところで,今度,『さびしい王様』が新潮文庫になるので,その解説を書いてくれませんか?」それが,私と北さんとのなれ染めであった。以来,時々電話がかかったり,年賀ハガキが届くようになった。いずれも1つずつだけ紹介するが,「明日から,ボクとこの家の周りだけ,日本から独立することにしました」「え,先生,それまたどうして?」「うちの家に来る人たちから,入国税をいただくことに…」「でも,先生,逆に,先生が門を出られるたびに出国税を取られますよ」「え,それなら,何のトクにもならんじゃないか」「はい」「ボクは,これで,日本への一切の税金も払わなくていい,と思ったのに…」。年賀ハガキのほうは,上半分に,「年賀,忌中,祝合格,悲落第,祝ご出産…云々」と20ほどの入退学卒業冠婚葬祭項目が羅列してあり,そのどれかに○がしてあるだけ。そして,下半分には布団から手足を出して,斜め向きにお行儀悪く寝ている漫画の自画像が描いてあり,「モリオはいま,うつです」と吹き出しの添え書きがしてある。恐らく,前者の電話が「躁」の時,後者の年賀ハガキが「うつ」の時なのであろう。実際,北氏のこのユーモア溢れる「うつ」宣言で,どれだけ多くの躁うつ病患者たちが救われたことだろう。世間的には,「双極性I型障害」とされる北氏に私が前記の解説でつけた正式の診断名は,「一見典型的躁鬱病的気分変動を呈する,多分に癲癇気質の混入した,その実,内気なはにかみを有した分裂気質」としたのであった(『さびしい王様』解説より)。晩年,相当重厚な茂吉論や,親子全集の刊行など,精力的に茂吉の業績をきちんとまとめておかれたのが,とてもよかったと思うのである。

動き

「第52回日本児童青年精神医学会」印象記

著者: 森野百合子

ページ範囲:P.335 - P.336

 第52回日本児童青年精神医学会は,11月10日から12日まで徳島市のあわぎんホールで,徳島大学大学院ヘルスバイオサイエンス研究部精神医学分野の大森哲郎教授を会長として開催された。メインテーマは「子どもと大人の児童青年精神医学」で,シンポジウム6,教育講演13,研修コース11,症例検討4,セミナー4,共催セミナー4と充実した内容で,参加者1,232名,演題応募223題と盛況であった。

 なかでも“目玉”は,英国で児童思春期精神科医の父と呼ばれるマイケル・ラター先生の特別講演であった。先生は,子どもの精神衛生に環境が与える影響(リスク因と,レジリエンス)についての大規模な疫学研究でも知られる。講演は,“Child & Adolescent Psychopathology:Past and Future”と題され,Developmental Psychopathologyのコンセプトについて,ビデオレコーディングで話された。続いて会長の大森先生が,講義内容について質問されたビデオも流された。密度の濃い講義に対し,大森先生が的確な質問をされたことで理解が深まり,「このような形式の特別講演もよい」と好評であった。ラター先生は子どもの発達に関する研究を,児童思春期精神医学の臨床に反映させることの重要さを強調された。また発達は生物学的因子のみではなく個人の経験(環境)にも影響を受けると主張され,精神科臨床では環境因を考慮することが重要であると再認識させられた。次いで精神病理の発達を考える時,単一の理論やメカニズムですべてを説明できないと言い切られ,偶像破壊的であれとのメッセージの中に,先生の真実に対する真摯な態度がにじみ出て,非常に感銘を受けた。

書評

―澁谷智子 編著―女って大変。―働くことと生きることのワークライフバランス考

著者: 永田貴子

ページ範囲:P.338 - P.338

女性の触法患者さんの葛藤から見えるもの

 私が勤務する司法病棟は,精神障害のために重大な他害行為を起こした人の治療と,安全な社会復帰を担う場所である。「幻聴や妄想がつらくて,我慢の限界を超えて(触法行為を)やってしまった」という人が多いなか,「私がいなくなってしまったら,残される家族が可愛そうだと思って」と,妄想から憐憫の情に至って,子どもや配偶者を傷つけてしまった人がいる。実は,後者のようなケースは,時代や国を超えて女性(特に産後のうつ病など)に多いことがわかっている。女性に期待される子育て,介護,家事などから生じる葛藤は,妄想の世界にまで大きな影響を及ぼす深いテーマなのだ。

 さて,本書――情熱的な真っ赤な地に,大きな白い字で「女って大変。」と書かれた表紙を見たとき,思わず「そうそう! 男性のみなさんとは違って大変なのよね」と思った。しかし,本書は男性と真正面から対峙するような単純な構図の本ではないのがよい。

論文公募のお知らせ

テーマ:「東日本大震災を誘因とした症例報告」

ページ範囲:P.285 - P.285

「精神医学」誌では,「東日本大震災を誘因とした症例報告」(例:統合失調症,感情障害,アルコール依存症の急性増悪など)を募集しております。先生方の経験された貴重なご経験をぜひとも論文にまとめ,ご報告ください。締め切りはございません。随時受け付けております。

ご論文は,「精神医学」誌編集委員の査読を受けていただいたうえで掲載となりますこと,ご了承ください。

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今月の書籍

ページ範囲:P.337 - P.337

次号予告

ページ範囲:P.336 - P.336

投稿規定

ページ範囲:P.339 - P.340

著作財産権譲渡同意書

ページ範囲:P.341 - P.341

編集後記

著者:

ページ範囲:P.342 - P.342

 疾患の軌跡trajectoryということばをよく目にするようになった。様々なコホートで10年,20年という単位の長期追跡研究が公表されるようになり,精神疾患の発症前から発症後までの全容がわかりつつある。それに伴って,これまでの常識が常識でなくなることがある。古くは,統合失調症を不治の病としてとらえていたが,多くの縦断研究によって経過良好な群も相当数みられることがわかり,今や教科書の記述も変更された。従来の悲観論から,“回復”や“エンパワーメント”と前向きの考えが治療論の中にも入ってきたことは,治療者のみならず患者やその家族にも様々な恩恵を与えてきた。

 一方で,楽観論が過ぎると弊害も起こる。抗精神病薬が次々と登場してその有効性が誇張されてきたが,米国で行われた大規模試験によって新規の抗精神病薬の限界を思い知らされた。しかし,創薬の領域では現在の抗精神病薬では効果の乏しい陰性症状や認知障害を改善する治療薬の開発が活発になった。また,“うつ病は治る病”として啓発し適切な医療を提供できるようにすることには何の異論もないが,今の医療レベルでは治らないこともあることを一般の方々に公平に伝えることも必要だろう。うつ病発症後約10年の経過において完全に無症状の時期は平均で5年未満であるというデータもあり,うつ病が挿間性の疾患であるということを疑問視する声もある。また,抗うつ薬の抗うつ効果はかなり限定されたものであるという指摘もある。こうして楽観論と悲観論のジレンマに陥る。身体疾患でよく用いられる,疾患のリスク状態,前駆期,発症後の経過を何段階かに分ける臨床病期モデルclinical staging modelは,病態や治療における誤解を防ぎ,さらに楽観論にも悲観論にも偏らない各臨床病期に応じた治療法の開発を促進することが期待される。この概念は精神病性障害や気分障害の領域で発展がみられる。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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