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巻頭言
精神科臨床の土台
著者: 兼子幸一1
所属機関: 1鳥取大学医学部脳神経医科学講座精神行動医学分野
ページ範囲:P.346 - P.347
文献購入ページに移動 昨年は東日本大震災という,想像の域を超えた天災に見舞われ,さらにレベル7の原発事故というほとんど人為的な問題が重なり,少なからぬ影響を受けた友人,親族が少なくない。日々の多忙を言い訳に物事を深く考えない習慣がついてしまった自分でさえも,その衝撃に日常や仕事など,自分が関わりを持っているさまざまなことについて一歩立ち止まって考えざるを得なかった。精神医学については,「臨床で重視すべきことは何か?」あるいは「精神疾患でみられる身体性」というかなり漠然とした,しかし,基本的な問題が気になり始めた。以前から,それこそ無意識のうちに気になっていたことが頭をもたげてきた,と表現するほうが適切かもしれない。
「臨床で重視すべきことは何か?」という問題は患者さんの言葉に関係してくる。精神科医は患者さんが自ら語る言葉のうちに,その精神内界を知るための最も重要な鍵を見出そうと努める。これはごく自然なことであるが,患者さんはあくまでも自身の苦痛を披歴するのであって,診断や治療にとって重要な鍵をいつも言語で提供してくれるとは限らない。たとえば,「親の愛情が不足していたせいで自分が駄目になった」と訴える患者さんに対して,どのような病理性を想像するだろうか? もちろん,こうした訴えがなされる状況や患者さん自身に関する他の所見に加えて,親子関係にまつわる生育史を十分に聴取することが不可欠であろう。しかし,十分な情報を得たり,操作的診断基準を満たすような明快な診断を下したりすることが常に可能とは限らない。一方,患者さんがどのような人格構造の持ち主か,という点について考えることはいつでもできる。両親の養育態度に関する訴えは,境界性パーソナリティ障害をはじめとするパーソナリティ障害の患者さんから,ある種の他罰性や操作性を伴って聞かれることは周知の事実である。しかし,最近,明らかに広汎性発達障害(PDD)スペクトラムと診断できる患者さんの診察場面でも,同様の訴えがしばしば聞かれることに気づかされた(筆者の独断・偏見でないことを祈る)。両者は同一のものと考えてよいのか? あるいは,PDD圏の場合には,操作性よりはこだわりと捉えるべきか? 若い精神科医と話をしていると,上記のような訴えに関して,「診断はパーソナリティ圏」という見立てがちゅうちょなしに返ってくることが多い。どうも,ある診断に関係すると知られている症状や徴候(もちろん,操作的診断基準に含まれるほど診断特異的ではない)に気づくと,鑑別診断を検討するという適切な批判的精神が働きにくくなるらしい。もっとも,自分自身でもこうした短絡をやってしまっているに違いなく,その辺りを取り込まれている可能性があり,自戒する次第である。器質的な疾患を除けば,精神医学では真に臨床に役立つような生物学的知見はまだまだ少ない。このような状況で診断困難な症例に対峙する場合,ごく少数の臨床的所見や患者さんの言葉による訴えだけに頼りすぎず,さまざまな臨床的エビデンスや個人的臨床経験に基づく批判的精神をフル稼働させ,常に柔軟に自身にフィードバックしていくことを習慣化する姿勢こそが精神科臨床の土台の一部を築くと考える。
「臨床で重視すべきことは何か?」という問題は患者さんの言葉に関係してくる。精神科医は患者さんが自ら語る言葉のうちに,その精神内界を知るための最も重要な鍵を見出そうと努める。これはごく自然なことであるが,患者さんはあくまでも自身の苦痛を披歴するのであって,診断や治療にとって重要な鍵をいつも言語で提供してくれるとは限らない。たとえば,「親の愛情が不足していたせいで自分が駄目になった」と訴える患者さんに対して,どのような病理性を想像するだろうか? もちろん,こうした訴えがなされる状況や患者さん自身に関する他の所見に加えて,親子関係にまつわる生育史を十分に聴取することが不可欠であろう。しかし,十分な情報を得たり,操作的診断基準を満たすような明快な診断を下したりすることが常に可能とは限らない。一方,患者さんがどのような人格構造の持ち主か,という点について考えることはいつでもできる。両親の養育態度に関する訴えは,境界性パーソナリティ障害をはじめとするパーソナリティ障害の患者さんから,ある種の他罰性や操作性を伴って聞かれることは周知の事実である。しかし,最近,明らかに広汎性発達障害(PDD)スペクトラムと診断できる患者さんの診察場面でも,同様の訴えがしばしば聞かれることに気づかされた(筆者の独断・偏見でないことを祈る)。両者は同一のものと考えてよいのか? あるいは,PDD圏の場合には,操作性よりはこだわりと捉えるべきか? 若い精神科医と話をしていると,上記のような訴えに関して,「診断はパーソナリティ圏」という見立てがちゅうちょなしに返ってくることが多い。どうも,ある診断に関係すると知られている症状や徴候(もちろん,操作的診断基準に含まれるほど診断特異的ではない)に気づくと,鑑別診断を検討するという適切な批判的精神が働きにくくなるらしい。もっとも,自分自身でもこうした短絡をやってしまっているに違いなく,その辺りを取り込まれている可能性があり,自戒する次第である。器質的な疾患を除けば,精神医学では真に臨床に役立つような生物学的知見はまだまだ少ない。このような状況で診断困難な症例に対峙する場合,ごく少数の臨床的所見や患者さんの言葉による訴えだけに頼りすぎず,さまざまな臨床的エビデンスや個人的臨床経験に基づく批判的精神をフル稼働させ,常に柔軟に自身にフィードバックしていくことを習慣化する姿勢こそが精神科臨床の土台の一部を築くと考える。
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