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文献詳細

雑誌文献

精神医学56巻3号

2014年03月発行

文献概要

連載 「継往開来」操作的診断の中で見失われがちな,大切な疾病概念や症状の再評価シリーズ

てんかんに並存する精神病―本邦における歴史と新たな展望

著者: 兼本浩祐1

所属機関: 1愛知医科大学精神科学講座

ページ範囲:P.255 - P.257

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「癲」の歴史―たおれ病から精神病,精神病から再びてんかんへ2)

 てんかんと精神病が言葉として混同されるようになったのは実は歴史的にはそれほど古いことではない。「癲」がてんかんを意味する医学用語として初めて登場したのは,紀元前200年の秦の始皇帝の時代に宮廷医によって編纂された中国最古の医学書である『黄帝内経太素』によるとされる。「癲」という文字はもともと転ぶことを意味する「顚」にやまいだれを付けたものであり,転ぶ病,つまりは“falling sickness”という意味が原義であったとされる。もともと日本ではてんかんは,いびきを意味する「くつち(鼾)」,「くつちふす(鼾臥す)」,「くつちかき」などと呼ばれていたが,中国医学の「癲」の伝来によって日本でもてんかんは「癲」と呼ばれることになった。7世紀初めの隋の煬帝の時代,『病源侯論』という書物に初めて「癇」という言葉が使われ,10歳以下の小児てんかんを「癇」,10歳以上の成人のてんかんを「癲」と呼ぶ現代でも通用しそうな合理的な命名法が生まれ,これを受けてわが国でも奈良時代以降,「癇」という言葉が導入されたといわれている。「癲」と「癇」が合わさって「癲癇」として用いられるようになったのは9世紀の唐で編纂された『千金方』以降とされ,室町時代以降には庶民の間でも「癲癇」という言葉が使われるようになった。

 中国では明代の16世紀前半以降,日本でもその影響をいち早く受け,安土桃山時代の16世紀後半から,「癲」と「狂」との同一視が始まったが,少なくとも日本での「癲」と「狂」の混同は,明代の代表的な医学書『医学正伝』の影響が大きかったとされる。江戸文政2年(1819年)に書かれた本邦で最初の精神医学書であるといわれる漢方医,土田獻の手になる『癲癇狂経験編』では,「癲」はその大部分が精神疾患を表しており,ごく一部にてんかんかと思われる記載が含まれるのみである5)。興味深いのは17世紀末,江戸の漢方医の間で巻き起こった論争で,当時名医として知られていた香川修庵が「癲癇」と「狂」が同じ原因で起こり病態の現れ方に違いがあるだけで両症が互いに並存すると主張し大方の漢方医がこれに賛同していたのに対して,岡本一抱は『黄帝内経太素』に遡り,「癲」を狂と同一視し,「癇」を日本古来の「くつち」と考えたのは後世の誤りで,「癲」と「癇」は同一の疾患でありこれは「くつち」であって,「癲」を狂と考えるのは後世の誤謬であると主張している。癲と狂とのこの同一視に由来する癲狂という言葉が使われなくなるのは,大正時代を待たねばならなかった。

参考文献

1) Adachi N, Onuma T, Kato M, et al:Analogy between psychosis antedating epilepsy and epilepsy antedating psychosis. Epilepsia 52:1239-1244, 2011
2) 秋元波留夫:実践精神医学講義.日本文化科学社,pp521-531, 2002
3) Kanemoto K, Tadokoro Y, Oshima T:Psychotic illness in patients with epilepsy. Ther Adv Neurol Disord 5:321-334, 2012
4) Trimble MR:The Psychoses of Epilepsy. Raven Press, New York, 1991
5) 土田獻:癲癇狂経験編(大須賀恒夫,横井晋訳,精神医学 20:445-460, 1978)

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-126X

印刷版ISSN:0488-1281

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