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文献概要
追悼
中根 晃先生を偲んで
著者: 市川宏伸1
所属機関: 1東京都立小児総合医療センター
ページ範囲:P.552 - P.553
文献購入ページに移動 中根先生は旧制武蔵高校を経て,東京医科歯科大学医学部を卒業後,神経精神医学教室に入局された。島崎敏樹教授のもと,精神病理グループの一員として,幻覚・妄想を中心に研究されていた。一時東京都立梅ヶ丘病院に勤められたのち大学に戻られ,自閉症児病棟(第一種自閉症児施設:医療型を併設)が設置されたのを機に,再び梅ヶ丘病院に勤務され,病院長まで勤められた。
1982年筆者が病院に赴任した頃は,就学前病棟と学童病棟,各々20床ずつの自閉症児病棟があった。入院自閉症児は,重度ないし中等度の精神遅滞を伴い,自傷・他傷行為も頻繁で,身辺自立も厳しい子どもも多かったため,スタッフは予想外の行動への対応に追われていた。その頃社会は右肩上がりであり,幼児も多く,幼稚園,保育園は手のかかる子どもは受け入れてくれなかった。入院希望者が殺到し,就学前病棟は入院半年待ちという状況であった。ここは福祉的入院も可能な病棟であり,医療スタッフの中に,保育士さんも配置されていた。メリル・パーマー,CLACなどのアセスメントツールを導入され,看護師,心理士,保育士たちと一緒になって病棟運営を促進されていた。また言語聴覚士や作業療法士による行動療法的な対応を重視し,病棟スタッフへの指導を始めていた。
1982年筆者が病院に赴任した頃は,就学前病棟と学童病棟,各々20床ずつの自閉症児病棟があった。入院自閉症児は,重度ないし中等度の精神遅滞を伴い,自傷・他傷行為も頻繁で,身辺自立も厳しい子どもも多かったため,スタッフは予想外の行動への対応に追われていた。その頃社会は右肩上がりであり,幼児も多く,幼稚園,保育園は手のかかる子どもは受け入れてくれなかった。入院希望者が殺到し,就学前病棟は入院半年待ちという状況であった。ここは福祉的入院も可能な病棟であり,医療スタッフの中に,保育士さんも配置されていた。メリル・パーマー,CLACなどのアセスメントツールを導入され,看護師,心理士,保育士たちと一緒になって病棟運営を促進されていた。また言語聴覚士や作業療法士による行動療法的な対応を重視し,病棟スタッフへの指導を始めていた。
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