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雑誌目次

雑誌文献

精神医学58巻9号

2016年09月発行

雑誌目次

巻頭言

統合失調症への偏見とその難治性の克服に向けて

著者: 倉知正佳

ページ範囲:P.740 - P.741

 偏見とは,「一方に偏った見解」(明解国語辞典),あるいは「公正を欠く見解」(新明解国語辞典)と説明されている。統合失調症に対して,一般の人々の偏見がしばしば指摘される。しかし,その偏見には,医学的疾病観や医療者側の見解に由来する部分もあるのではないだろうか。それらが一方に偏り,公正さを欠いていたということはないだろうか。ここでは,まず,この問題を取り上げ,ついで,統合失調症の難治性の克服に向けて述べることにしたい。
 第1に問題になるのは,精神病的症状の位置付けについてである。近年の研究からは,初診時に重視される陽性の精神病的症状(幻覚,妄想,自我障害,思考障害など)は,社会的転帰とは関連しないことが明らかとなっている。実際に,5年後に就業していた人々の約4分の1は,精神病的症状を有していたという1)。筆者が精神科医としての道を歩みはじめた頃,一般の精神科病院に当直に行き,夜回診をするとかなりの患者さんたちから,自分はもう退院できるから,退院させてほしいという要求があり,その対応に苦慮したものであった。精神病的症状と社会的転帰が平行しない以上,精神病的症状が残存しているからといって,退院が時期尚早とはいえない。今日からみると患者さんのほうが正しかったのかもしれない。この点から,内田クレペリン検査が社会適応度を予測するという報告4)は大変示唆に富むものである。現代では,精神病的症状の成立は,神経回路の障害という視点から解明が進められている。特定の神経回路障害という考え方からは,精神病的症状は,その人全体からみれば,部分的現象とみなされよう。

特集 精神科臨床にみる家庭・家族の現在—何が変わり何が変わらないのか?

特集にあたって

著者: 飯森眞喜雄

ページ範囲:P.743 - P.744

 精神分析はさておき,第二次世界大戦をはさんで米国を中心に精神疾患を家族内人間関係の見地から解明しようとする研究が広まり,「家族研究」として1970年代まで盛んに行われた。日本でも当時の本誌には家族研究の論文が多く掲載されている。有名なものとしてFromm-Reichmannによる「統合失調症を生む母親schizophrenogenic mother」やLidzによる「分裂した/歪んだ夫婦marital schism/skew」,Batesonらによる親子間コミュニケーションの「二重拘束double-bind」やWynneらの「偽相互性pseudo-mutuality」など主に統合失調症関連のものが,そして家族研究を元にして後に「反精神医学」の運動に立ったLaingらのものがある。これらは今日の目から見た当否は別として,精神疾患を「内因」や「個人内部性:intraindividuality」から解き放ち,家族の在り方や家族内力動,ひいてはそれに影響を与えている社会変動という外の要因に精神科医の目を向けさせたという点では多大な功績があった。
 こうした研究は主に力動的な見地に立つほか社会学など他領域からの視点も入って行われてきたが,その後はいうまでもなく,「家族研究」というとすっかり遺伝生物学にシフトしてしまった(そもそも家族研究は遺伝生物学から始まったのだが)。

家庭の変容

著者: 富澤治

ページ範囲:P.745 - P.751

はじめに
 筆者が高校生の頃(1970年代後半),近所である祭りの時,好きだった女子生徒を誘おうと電話をかけようとして,逡巡してなかなか電話できなかったことをよく覚えている。
 当時どこにもあった「黒い電話」の前に座り,意を決して電話すると向こうのお母さんが出て,女子生徒に変わり,筆者は「お祭りに来ないか」と誘い,祭りの当日他の友達と一緒に彼女は家に来たのだった。と思うが,実はその思い出はあまりなく黒電話の前で逡巡していた記憶のほうが鮮明に残っている。
 あの時黒電話の向こうには「彼女の家庭」が「彼女の家族」が筆者の前に立ちはだかっていた。あの頃,いつか人間が1人ずつ自分用の電話を持つなど全く想像もできなかった。しかしそれから15年ほどして筆者は自分の携帯電話を初めて買ったのであった。
 和辻哲郎5)は『風土』の中で,日本の家族や家庭に関してきわめて本質的な特徴を指摘している。それは家族間の「距てなき結合」ということである。
 伝統的な価値の中で存在していた家庭や家族(関係)は今,変わったのか,変わったとすれば何故そうなったのか,それが現代の日本の精神科治療,心理療法にとってどのような影響を及ぼすのか,ということを本稿では検討してみたい。

ある変化—治療者自身と家族への視点

著者: 池田暁史

ページ範囲:P.753 - P.758

はじめに
 精神科臨床で出会う家族,あるいは精神科臨床から垣間見える家庭が現在どうなっているのか。以前と較べて何か違いがあるのか。あるとしたらそれは何で,何故そのような違いが生じているのか。本特集で与えられたこうした問いについて考察を進める前に,私は自身に期待されているであろう役割を明確にしておきたい。端的にいえば,それは私の限界を示すことでもある。
 恐らく一番重要なことは,私が家族の専門家ではないということである。特定の家族療法の訓練を受けたことはないし,社会学的あるいは文化論的に家族にアプローチするような経験も積んでいない。したがって何らかの体系立った方法で家族について論じることはできそうにない。もっとも,それは私が家族を診ない臨床家であることを意味するものではない。むしろ私自身は,通常の保険診療において十分熱心に家族と関わる臨床家であると思っている。ただしそれは,私が学んできた精神分析に基づく家族力動の理解を中心に,多少のシステム論的知識や集団療法の経験などを組み合わせたものによるアプローチに過ぎない。したがって,これから論じることは,良くも悪くもパーソナルな色彩の強い「私の家族論」であることをお断りしておきたい。

小さな臨床の窓から垣間見た現代家族模様

著者: 中村伸一

ページ範囲:P.759 - P.764

はじめに
 精神医学においても以前の「医者-患者」という旧来の医学モデルに基づいた二者モデルを採用して治療しようとする医師も多い。もちろんのこと精神科以外の科では,「医者-患者モデル」は,「医者-病気(疾患)モデル」と等値であり,医師は患者の体にある「病気」についての治療の専門家であると認識されてきた。
 しかしながら,企画者の指摘するように,現代では「治療において,家庭や家族の問題にまで立ち入らないとうまくいかない場合も多々あると思います」という指摘もある。たしかに他の科と違い,精神科を訪れる人々は必ずしも患者個人の場合だけでなく,患者と家族,あるいは家族のみが来院することがよくある。こうした各種の場合の初診面接の運用方法については,「家族への対応」6)と「初回面接の動機づけ」7)を参照いただければありがたい。また,今年の日本精神神経学会では精神療法委員会の企画で,「映像から学ぶ初回面接-家族相談編」のワークショップを開催することができ,多くの方が参集してくれた。これは筆者の企画案が精神療法委員会で通った結果に実現したものだが,多くの精神科医が,初診などでの家族相談の運用をどのようにしたらよいのか困惑しているということの表れではないかと推察した。
 さらに企画者は,社会学者・大澤真幸氏の近代日本家庭の変遷を引用し,高度経済成長期からインターネットによる絆が家族関係以上に重視されているかのような現代までの変化に注目している。こうした思いの果てに,「継続的な精神科臨床からみて,家庭もしくは家族の変容はあるのか? あるとしたらどんなふうに変容し,どのような形で臨床場面に表れているのか? ないとしたら何が変わっていないのか? それはなぜなのだろうか?」という疑問を各執筆者に投げかけている。
 社会学者である大澤氏(ただし氏は家族社会学が専門ではない)が日本家庭の変遷に注目し,その特徴を表すタイトルを付けて記述しているようだが,筆者のような一開業医で日々の臨床に明け暮れているような者が,その小さな臨床の窓から見えてくる時代光景を描写しても客観性に欠ける。やはり家族社会学者の調査研究に勝るものはない。しかし,こう言い放ってしまっては企画者の期待を大いに裏切ることになるので,断片的で,エッセイ風になることを恐れず,筆者の家族・夫婦(あるいはカップル)を主な対象としてきた臨床の小窓から微かに垣間見た来談者たちの時代的変化の特徴を拾ってみたい。ただし,この30年に及ぶ変化であり,来談者たちはすべて東京近郊の比較的裕福と思われる来談者たちである。ちなみに筆者は自由診療の完全予約制で,初回面接に90分間,その後の面接も平均毎月1回のペースで90分間を割いている。

家族は変わったのか—現実の家族とこころの中の家族

著者: 藤山直樹

ページ範囲:P.765 - P.770

はじめに
 私たちの暮らしぶりは,どんどん変化している。私が精神科医になった38年前と比べても,大きく変わった。その頃は,たとえばコンピュータというものが自分の生活にこれほど深く入り込むことは予想もつかなかったし,スマートフォンやSNSといった手段で人々が絶えず交流し続けている事態など想像不可能であったし,ありとあらゆるものが宅配であっという間に届くなどと考えたこともなかった。こうした生活の質,もしくは感触の変化は,日常生活のさまざまな領域で起きている。それはもちろん対人的な交流の領域でもそうである。
 ふりかえって考えてみよう。江戸時代の人々。明治・大正期の人々。戦後間もなくからバブル崩壊までの人々。そしてその後の現在の人々。人が人とどのように付き合い,どのようにコミュニケートしていくかについての感触はかなり違っているだろう。もちろん,いくつもの時代を通して体験を比較できる人は,人間の寿命の限性からみてありえないが,そんな人がいたら確実に変化を語ってくれるような気がする。
 そうした人と人との交流の変化は家族というものにどのように影響をしているだろう。家族のありようは変わってきているのだろうか。この特集のテーマは,私たちが臨床家として遭遇する家族から,そのことを考えてみることのようである。「エッセイのように」この問題に取り組むようにという編集委員会の依頼に応えて,この問題について,フォーマルな文献参照をせず,個人的教養の範囲で,かなりパーソナルな経験にもとづいてパーソナルな考えを書いてみたいと思う。

「隔」家族化を恐れる家族—発達障害のある子どもの子育ての支えを通して

著者: 岡田俊

ページ範囲:P.771 - P.775

はじめに
 わが国では,単独世帯が大半を占めること,それに伴う家事労働や育児の分担が困難であることなど,核家族化の弊害が指摘されてきた。その背景には,就労先が都市部に偏り,都市部における住宅事情が厳しいなど,社会情勢が大きく関与しているが,同時に,プライバシーの確保や,実家からの干渉を避け,家族としての意思決定を保とうとするなど,核家族化を志向するインセンティブが働いたことも事実である。しかし,近年では家族は,その「核」としての機能を失いつつあり,家族としての意思決定や問題解決において機能不全に陥っている。
 筆者は,発達障害を中心として,児童・青年を対象とする精神科臨床を行っているが,そこで発達障害のある児童・青年を対象とするのと同等に,これらの子どもたちを抱える家族の力動を扱うことが求められる。しかし,近年では,家族の力動自体がエネルギーを失っており,家族としての集約性が見出せない家庭が少なくないと感じられる。家族は,家族をなしえず,ただ家族という名の下にそこに接点を持つだけであり,大きな波風もないのである。しかし,一人一人は安寧に過ごしているわけではない。常に不安を感じ,誰からも隔絶することに怯えながら生きている。このような「隔」家族のなかで,援助が必要な子どもの子育てはいかに受容されていくのか,そういった家族はいかなる支えを求めているのかについて述べることとしたい。

働く母親と家族

著者: 布施泰子

ページ範囲:P.777 - P.783

はじめに
 男女共同参画社会と言われるが,現在のままの日本社会の状況では,たとえ保育園などのハードウェアを十分整えたとしても,女性がその力を発揮できるに至るには程遠い。本稿の前半では,日本の家族の母親に注目し,過去30年くらいの間に変化した点とまだ変化できていない点について述べる。
 「家族療法のポストモダニズム」は,1990年代以降欧米から輸入された家族療法を出発点とした治療者参加型のアプローチで,方法論の柔軟性にその特徴がある。後半では,日本の家族が変化した点と変化していない点の間に生じる葛藤に関連する症例を提示し,ポストモダニズムの方法論を取り入れた治療を紹介する。

挙児希望と生まれてくる子どもの福祉

著者: 上別府圭子

ページ範囲:P.785 - P.796

はじめに
 2016年5月11日,フランス通信社(AFP通信)から次のようなニュースが報じられた。
 “先月,70歳で第1子を出産したインド人女性が10日,AFPの取材に応じ,母親になるのに老い過ぎていることはなく,出産によってようやく人生を全うできたと語った。
 ダルジンダー・コー(Daljinder Kaur)さんは,北部ハリヤナ(Haryana)州の不妊治療院で体外受精(IVF)治療を2年間受けた末,先月19日に男児を出産した。
 79歳の夫との46年間の結婚生活で子どもは授からず,ほぼ望みを捨てていたという。インドでは,不妊は神の呪いとされることもあり,夫妻はあざけりの対象だった。
 「神への祈りが届いたのです。人生を全うしたように感じます。私は自力で赤ん坊の世話をしていますし,とても元気です。夫もとても協力的で,一生懸命に手伝ってくれています」。コーさんは北部アムリツァル(Amritsar)で,AFPの取材にこう語った。
 コーさんは自身の年齢を70歳前後としている。一方,不妊治療院の発表文では72歳とされている。インドでは出生証明書を持たない人が多く,自分の正確な年齢が分からないことは珍しくない。
 国立不妊治療・体外受精児センター(National Fertility and Test Tube Baby Centre)によると,夫妻の卵子と精子を使用して妊娠した男児は,誕生時の体重はわずか2キロだったが,今では「健康で元気」だという。第三者から卵子提供を受けたと考えるのが自然である:筆者注。
 コーさんの夫はAFPの取材に対し「私たちが死んだら子どもはどうなると言われます。でも,私は神を信じている。神は全能で至る所にあり,すべての面倒を見てくれます」と語った。
 インドでは2008年にも,同じく体外受精で妊娠したウッタルプラデシュ(Uttar Pra desh)州の女性が,72歳で双子を出産したと報じられている。”3)©AFP。
 コーさん夫婦の幸福感はさておき,宗教や文化の違いはあっても,ここには日本の家族にも共通したいくつもの現代的な課題が隠されている。

資料

精神科救急病棟における認知症患者の動向—一民間病院からの調査報告

著者: 臼井勝也 ,   森一也 ,   中川賀嗣 ,   松原良次

ページ範囲:P.797 - P.804

抄録
 精神科救急病棟における認知症患者の現状を明らかにするため,130人の認知症患者について在宅への退院率や入院が長期化する理由などを診療録より後方視的に調査した。3か月以内の在宅への退院率は33.1%であり,精神科救急病棟全体の66.4%と比較して低い数値であった。3か月以上の入院となった57人について,退院できなかった理由は「身体疾患」が22人と最も多かった。
 精神科救急病棟で認知症患者の比率が大きくなると病棟内でさまざまな問題が生じるだけでなく,在宅への退院率が低下して施設基準を維持していくことが困難となるため今後の対応策を考える必要があった。

「精神医学」への手紙

精神科医が裁判員を経験して感じたこと—何のための市民感覚なのか

著者: 栗林英彦

ページ範囲:P.805 - P.805

 精神科医である筆者が,先般,裁判員として裁判に参加するという貴重な経験をしたので,批判的な考察を加え,ここに報告する。
 筆者は,犯行当時20歳台の被告人が起こした強盗致傷事件の裁判に参加した。裁判を始めるにあたり,裁判長から刑罰の主目的は応報であり,更生,教育は従たる目的にすぎず,情状酌量は刑罰の軽重の調整に留まるとの説明を受けた。筆者の参加した裁判は,事実関係に大きな争いはなく,公判前整理手続きにより証拠の量も絞られていた。被告人には10歳台後半に強盗事件のため少年院に入院した前歴があることが検察官から提示されたが,それ以上の情報は提示されず,生い立ち,事件前の生活環境の提示もなかった。検察官は自身が提出した証拠により,被告人の反省は不十分であり更生の可能性はないと主張し,弁護人は,反省の弁や被害の弁済といった情状証拠により,被告人は十分に反省しており,更生は十分可能であると主張していた。

書評

—郡健二郎 著—科研費 採択される3要素—アイデア・業績・見栄え

著者: 髙久史麿

ページ範囲:P.806 - P.806

 筆者の郡健二郎先生は泌尿器科学を専門とされておられ,そのご業績に対して紫綬褒章をはじめ,数々の賞を受賞されておられるが,その中に2004年に受賞された,「尿路結石症の病態解明と予防法への応用研究」と題する論文に対する日本医師会医学賞がある。私はそのとき,日本医学会の会長として医学賞の選考に携わったが,この医学賞は日本医学会に加盟している基礎・社会・臨床の全ての分野の研究者から申請を受け,その中の3名だけに受賞が限られるので,泌尿器系の先生が受賞されるのは珍しいことであった。そのため郡先生のことは私の記憶に強く残っていた。その郡先生が上記の題で200ページ近い本をご自身で執筆されたことは私にとって大きな驚きであった。
 この本は「研究の楽しさ,美しさ」「科研費の制度を知る」「申請書の書き方」「見栄えをよくするポイント」の4章に分かれているが,特に第3章の「申請書の書き方」では実際の申請書の執筆形式に沿う形で,それぞれの項目において基本的に注意すべき点(基本編)と,実際にどのように書くか(実践編)について詳細に記載されており,科研費を申請される方にとってきわめて有用かつ実用的な内容となっている。

—松﨑朝樹 監訳—精神科診断戦略—モリソン先生のDSM-5®徹底攻略 case130

著者: 上島国利

ページ範囲:P.807 - P.807

 精神科臨床において正しく的確な診断は最重要課題である。妥当な診断こそ適切な治療に結び付き,さらには各障害の病態生理の解明に寄与するからである。
 症候の記述を重視する操作的診断基準DSMも,今や米国の基準という枠を越えて世界水準の診断基準となり,DSM-5®の邦訳は2014年に刊行された。

—川村 孝 著—臨床研究の教科書—研究デザインとデータ処理のポイント

著者: 村川裕二

ページ範囲:P.808 - P.808

 今どきの〈愛想の良い本〉ではない。
 〈臨床研究をなぜやるか,どうやるか,ロジックは,統計処理は〉などを1cmの厚さにまとめてある。

論文公募のお知らせ

テーマ:「東日本大震災を誘因とした症例報告」

ページ範囲:P.764 - P.764

「精神医学」誌では,「東日本大震災を誘因とした症例報告」(例:統合失調症,感情障害,アルコール依存症の急性増悪など)を募集しております。先生方の経験された貴重なご経験をぜひとも論文にまとめ,ご報告ください。締め切りはございません。随時受け付けております。
ご論文は,「精神医学」誌編集委員の査読を受けていただいたうえで掲載となりますこと,ご了承ください。

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今月の書籍

ページ範囲:P.809 - P.809

次号予告

ページ範囲:P.810 - P.810

編集後記

著者:

ページ範囲:P.814 - P.814

 誰もが日本的家族の在り方が根本的に変わりつつあるのではないかと感じている。日頃の親子関係,夫婦関係の在り方を通して,また家族が関係するような事件を通じて。精神科医は日常臨床の中でその変化を最も鋭敏にキャッチしている。精神医学は病気の発生や経過,治療や転帰において家族が果たす役割が非常に大きいと見なしてきたので,それは当然かもしれない。本号の特集「精神科臨床にみる家庭・家族の現在—何が変わり何が変わらないのか?」は,家族をめぐって漠然と抱いている疑問に応える企画である。男と女が子どもをつくり共同生活をして育てていくという基本構造が崩れつつあるのか,今や家族のつながりは幻想の中にあるだけなのか,個人の精神病理は変化し続ける家族構造の中で同じように変化しているのか等々。諸論文はそういった疑問に応えていただき読みごたえがあった。何よりも日常臨床から問題を考えるというスタイルがとられているので理解が進んだ。本企画テーマは,一世代進んだ将来再度取り上げられていいようなテーマではないかとふと思いついた次第である。
 巻頭言は倉知正佳先生に統合失調症についての偏見と難治性克服についてご執筆いただいた。偏見の源については医学や医療者の見解に由来するものもあると鋭く指摘されているのが印象的で,素人の人との接触で専門家が心しなければならないことが多々あることを教えていただいた。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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