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雑誌目次

雑誌文献

精神医学59巻2号

2017年02月発行

雑誌目次

巻頭言

精神疾患研究における「必要性」について

著者: 山末英典

ページ範囲:P.104 - P.105

 医学研究においてよい研究テーマが備えるべき条件は,FINERとしてまとめられている。このFINERとは,Feasible(F:実施可能性),Interesting(I:真の興味深さ),Novel(N:新規性),Ethical(E:倫理性),Relevant(R:必要性)の5つの要素を示す言葉の頭文字を取っている1)。これらのうちFとE,つまり実施可能性や倫理性については,大学病院などに勤務する精神科医が実行して学会などで発表されている,わが国で多いタイプの精神疾患の臨床研究の場合,十分に吟味されてこれを満たしているものがほとんどであると思われる。しかし,残り3つ,IとNとRについては,この順番で満たしているものが減っていくように思われる。Iの真に興味深い研究テーマを設定することについては,玉石混交な状況である様に思われるが,これは当然のことにも思われる。Nの新規性については,すでに欧米などで検討されている研究テーマについて追従する様な研究が多くなりがちであることが,精神科領域にとどまらず日本の臨床医学研究全般に共通する問題であると以前から指摘されている。本稿では特にR,つまり精神疾患研究における必要性について考えてみたい。

オピニオン 精神科医にとっての薬物療法の意味

著者: 飯森眞喜雄

ページ範囲:P.107 - P.107

 「オピニオン」欄は「特集」欄とは違い,その時々で多くの精神科医が精神医学・医療で関心をもたれているテーマについて,さまざまな専門分野や得意領域の先生方に日ごろ感じておられることを,論文形式を離れ,(EBMに沿って〜EBMよりも臨床体験から)“自由に”述べていただくのが趣旨です。いわば“本音”を語っていただくコーナーです。
 先に本誌の同人の方々にアンケートをとらしていだいたところ,「精神科医にとっての薬物療法の意味」をというご希望がいくつか寄せられました。

精神科医にとって薬物療法とは

著者: 加藤忠史

ページ範囲:P.108 - P.109

はじめに
 「精神科医にとっての薬物療法の意味」とのテーマをいただいたが,精神科医が患者のために存在する以上,精神科医にとっての薬物療法の意味は,患者にとっての薬物療法の意味から自ずと導き出されるはずであろう。
 では,患者にとって治療薬とは何であろうか? もちろん,病からの回復のための「道具」に他ならない。ただ,患者は,ほとんどの場合,その道具を自らの手で入手することができず,どの道具が適切であるかも分からない。患者が回復するためには,多くの場合これが必須であるにもかかわらず,である。自らにとって必要であるにもかかわらず,自らその種類を選択することも,必要性の判断もできず,その入手も制限されているとは,ずいぶんと扱いにくい道具ではないか。
 いずれにせよ,精神疾患の治療薬が医師の処方なしには入手できない以上,患者にとって,薬物という道具を手に入れることも,精神科医を訪れる理由の一つとなり得ることになる。しかし,その理由が医学的に妥当とは限らない。筆者が研修医の頃,どうしても××という薬が欲しい,という患者に対して,覚えたばかりの精神薬理学の知識を振りかざし,その薬はこういう理由であなたには合いません,とか,そのような薬は処方できません,などと押し問答したことを思い出す。

精神科臨床場面における薬剤処方の意味

著者: 久住一郎

ページ範囲:P.110 - P.111

はじめに
 薬物療法と精神療法が精神科治療において両輪の役割を果たしていることは言うまでもない。また,薬物療法の効果に基づく薬理学的機序の検討から精神疾患の病態理解が進んできたことからも明らかのように,精神科治療において薬物療法が一定の大きな役割を果たしていることに疑いの余地はない。しかし一方で,精神科治療学の長い歴史において薬物療法がより積極的な役割を果たすことが多くなるにつれて,薬剤自身が持つ生物学的効果に対する「過信」が治療者側に起こりやすくなってきたのではないかという危惧も感じている。

精神科医にとっての薬物療法の意味

著者: 大野裕

ページ範囲:P.112 - P.114

はじめに
 薬物療法は,精神科医にとって諸刃の剣であると私は考えている。それは,薬物療法が効果的であり有力な治療ツールであるからであり,だからといって何でも解決できる万能薬では決してないからである。だからこそ,薬物療法のあり方は,精神医療のあり方を考える貴重な手がかりにもなる。
 少し前になるが,私はアメリカ精神医学会の『精神疾患の診断統計マニュアルDSM』の功罪について論じた書籍2)を上梓した。この本を書きたいと思ったのは,わが国でも,そして欧米でも,精神医学を追究するあまり精神医療が置き去りにされているという印象を持つようになったからである。
 ここで私が精神医学と呼ぶのは,精神疾患を科学的に解明し治療に生かそうとする医学の一分野としての概念である。一方,精神医療というのは,精神疾患を持つ人をひとりの人として理解し,その人らしく生きていけるように手助けする治療的アプローチを主体とした概念である。
 薬物療法という効果的な治療ツールを精神科医が手に入れたことによって,精神疾患の診療の質は大きく向上した。それもあって米国を中心に精神疾患は脳の病であるという考え方が優勢になり,脳科学の視点から精神疾患を解明しようとする研究にも力が注がれることになった。それ自体はたしかに意味のあることだし重要なことではあるが,そこには,人を診るという精神医療本来の役割が希薄になってくる危険性がつきまとっている。

私は薬物療法を精神科臨床にどのように位置付けているか

著者: 青木省三 ,   村上伸治 ,   石原武士

ページ範囲:P.116 - P.118

はじめに
 治療や支援とは,精神療法,薬物療法,環境療法・環境調整などの,いくつかのアプローチの総和としてあり,精神症状だけでなく,症状の背後にある大きな人生の流れに対して,時にはその流れを緩めたり,時には後押ししたりなどとさまざまに働き,人生の流れがよりよいものへと向かうように応援するものである。そのため,治療者・支援者には,患者さんの人生と精神症状の流れを読み,その中で個々の治療的アプローチが全体として最大限の効果を発揮するように考えることが求められる。精神療法や薬物療法などの個々の治療的アプローチが異なった方向に向かうとき,全体としての治療力が落ちる。特にチームとして患者さんに関わる時には,個々の治療が,治療全体の中でどのような役割を担っているのか,それぞれが自覚して行う必要がある。

薬物療法は医師と患者の協働作業である

著者: 中村敬

ページ範囲:P.120 - P.122

はじめに
 薬物はその薬理作用によって投与された患者の心身の状態に変化をもたらす。だがこうした説明は抽象的なものに過ぎず,実際には薬理作用だけが単独に成立するわけではない。現実の薬物療法では(急性精神病状態を除いて),患者によって語りだされた病歴や体験をもとに医師が投薬の必要性を判断し,患者との対話の中で特定の薬物を選択する合意が形成される。そして処方された薬物を患者が(ふつうは内服の形で)摂取し,その結果を医師に伝えることによって処方の調整=合意の再形成が行われる。このように薬物療法とは医師と患者の間で不断に継続される行為であり,治療関係を土台にした協働作業に他ならない。
 それゆえ精神科医には,操作的診断と薬物療法のアルゴリズムばかりでなく,投薬という行為が患者に与える心理的意味や治療関係に及ぼす影響にも目を向け,治療的関わりの全体から薬物療法をとらえ直すことが求められている。以下,薬物と治療関係の相互的影響を考え,服薬する患者の心理を踏まえた対応について私見を述べることにした。

精神科医はパーソナリティに処方する

著者: 松木邦裕

ページ範囲:P.124 - P.126

はじめに
 先日,20代後半の男性が公立医療機関から紹介されてきた。診断は主診断が統合失調症,副診断が発達障害であった。その処方には抗精神病薬,抗不安薬,抗うつ薬(SSRI),抗てんかん薬が含まれていた。
 前医療機関での統合失調症の診断は,司法で心神喪失と判断された行動があったからである。それまで発症は大学卒業後とされていたが,私の初診では中学から幻聴が始まっていることが判明した。統合失調症であることは,すでにこの男性に会っていた別の精神科医師も同意した。私が診たところ,統合失調症ではあるが,発達障害という診断の根拠はなかった。
 さて,処方に目を向けると,抗精神病薬が与えられているのは了解できる。それでは,他の薬物の投与はなぜなのかである。男性と話すと,その男性がある苦しい考えが浮かんでくると訴えたことから,この抗うつ薬が出始めたと言う。どうやら前医は強迫観念と捉え,SSRIを出したようであった。それにしても強迫症状に使うには半端な量であった。何より,その訴えは明らかに自生思考であった。抗てんかん薬は,彼が看護師に乱暴な行為をしたことがあったために処方されていたことが判明した。気分安定薬として衝動性を抑制する目的であったようだ。抗不安薬については,彼が執拗に訴える発作性の‘頭痛’が知覚過敏と診立てられたことによるものであるようだった。この症状が発達障害の診断の根拠とされていた。しかし私が問診すると,この頭痛は,当然ながら筋緊張性でも血管性でもなく,それは体感幻覚と診立てられるものだった。すなわち,彼の症状は,自生思考,体感幻覚,聴覚性幻覚と,統合失調症における自我の分裂と投影のプロセスを現象的に明示していると理解できた。
 そこで私は,すでに投与されている抗精神病薬では陽性症状に十分対応できていないと判断し,また精神運動興奮が起こりやすくなっていると診立てたので,患者と話し合いながら,抗精神病薬と抗不安薬の種類と量を変え,抗うつ薬,抗てんかん薬は止めた。自生思考は残っているが,幻聴はなく,‘頭痛’の出現は皆無である。それによって‘頭痛’への不安は大幅に緩和され,彼は落ち着いた日常生活での行動範囲を広げている。
 私には前医の処方は,客の訴える症状に直に対応する薬を次々に持ち出すドラッグストア店員と変わらないように見える。いや,客の様子を見て考えながら薬を出すドラッグストア店員もいるだろうから,その店員のほうがましである。この前医のように,精神科医は病態を系統的かつ包括的に検討しなくなったのだろうか。DSMをポケットに入れ,それに当てはめて重複的に診断し,○○病の診療ガイドラインに書かれている基準処方に適った薬剤を処方すれば済むとしているのだろうか。

精神科医と薬物療法,その込み入った関係性について

著者: 白波瀬丈一郎

ページ範囲:P.128 - P.130

はじめに
 今回私に与えられた役割は「精神科医にとっての薬物療法の意味」を考察することである。どのように考察するかについて考えると,その「意味」は,薬物療法に対する個々の精神科医の姿勢,すなわち薬物療法を自らの精神科治療の中にどのように位置付けるかによって異なることが明らかになる。その「意味」は,薬物療法自体に属するのではなく,薬物療法とそれを用いる精神科医との関係性の中に存するのである。さらにいえば,それは固定した静的なものではなく,精神科医の姿勢やその関係性によって変化する力動的なものであることが分かる。したがって,「精神科医にとっての薬物療法の意味」というテーマは,「薬物療法をいかに意味あるものにしていくか」という,精神科医に課せられた課題と読み換えることができる。
 本論では,この読み換えを「精神科医という仕事」と,その仕事における「薬物療法という存在」について述べることを通して行う。そして,意味あるものにするための課題を「薬物療法について学ぶこと」,「薬物療法についての訓練を受けること」,そして「自己愛的な狡さに開かれること」という点から考える。

精神科薬物療法の限界

著者: 井上猛

ページ範囲:P.132 - P.134

はじめに
 1950年代から統合失調症,うつ病,不安神経症,不眠に対するさまざまな治療薬が発見された。その後,原型となる薬物をもとに,より特異的な作用機序を有し,副作用がより少ない薬物が多く開発され,発売されてきた。治療薬がなかった50年以上前に比べると精神科の治療は大きく進歩してきたといえるし,隔世の感がある。現在では,薬物療法と精神療法,リハビリテーション,ケースワークなどを総合した精神科治療が行われている。筆者は,精神科治療を展開する上で薬物療法はあくまでも回復へのきっかけを作ってくれるものであると認識している。したがって,薬物療法だけに頼らずに,常にその他の多くの治療法導入の可能性がないか,さまざまな治療法の組み合せができないかを考えるようにしている。つまり,精神科薬物療法はあくまでも精神科の総合的治療の一部であると思う。
 筆者は約29年間,臨床的および基礎的な精神薬理学を専門として研究してきた。このような経歴の筆者がどのように精神科薬物療法を考えているかを,私見として本稿で紹介したい。なお,さまざまな精神疾患のうち,主にうつ病を例に薬物療法の役割を論じたい。

身体は認知・意味生成の源である—身体化された心について

著者: 内村英幸

ページ範囲:P.136 - P.138

はじめに—心でも物でもある身体
 日常臨床において,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI),特にフルボキサミンの登場は,精神療法のみでは抵抗の強い対人恐怖症・社会不安障害(SAD)や強迫性障害(OCD)などの神経症の症状を和らげ,時には劇的に症状を改善し,精神療法的アプローチを容易にした。また,第二世代の特徴的な非定型抗精神病薬の登場によって,統合失調症の治療も以前より対応しやすくなり,社会心理的アプローチが容易になってきたと思う。
 他方,脳科学において,Rizzolattiらの1996年にかけての一連の研究による「ミラーニューロン」の発見は,認知神経科学に大きなインパクトを与えた。自他共通癒合ミラー神経回路と自他分離メンタライジング神経回路の拮抗作用,さらに,基本的安静時自己デフォルトモード神経回路(DMN:心の迷走,mind wandering回路)と課題実行系神経回路(「今,ここ」に集中)の拮抗的作用などが解明されてきた2,3,6)。自己と他者・環境との関係性の認知神経科学,自己神経科学の研究は,近年著しく発展してきており,「心と脳」の媒体である「生きた身体」すなわち,心でもあり物でもある両義的身体をふまえて,薬物療法と精神療法について論ずることが不可欠になってきた。

研究と報告

うつ状態勤労者の復職支援を目的とした集団精神療法の効果

著者: 玉崎愛美 ,   堀輝 ,   松元知美 ,   梅津舞子 ,   手銭宏文 ,   吉村玲児 ,   中村純

ページ範囲:P.139 - P.145

抄録
 うつ病やうつ状態による休職者が増加しているが,復職後の再休職率が高いことが知られている。そのため現在リワーク活動が全国の精神科関連施設などで行われている。しかし,リワーク活動期間が長く,多くの勤労者を対象にできないといった課題も挙げられる。当院では復職支援を目指した短期集団精神療法プログラムを行っている。今回48例のうつ状態で休職となった勤労者を対象に短期集団精神療法の効果について検討した。プログラム受講後に48例中34例(70.8%)が復職可能となった。復職した勤労者の34例中30例(88.2%)が1年間の復職継続が可能だった。
 本結果から短期集団精神療法プログラムは一部の患者には有用であると考えられた。

短報

診断に苦慮した内省型統合失調症の1症例—「過剰な自己否定」とどう向き合うか

著者: 福家知則

ページ範囲:P.147 - P.151

抄録
 過剰な自己否定を特徴とした内省型統合失調症の症例を経験した。内省型統合失調症は,単純型統合失調症の特殊例または寡症状性統合失調症の概念に近いとされているが,過剰な自己否定を気分障害に伴う認知の歪みと誤認した場合,うつ病などの別の診断に至る危険性がある。そのため,無理に診断を確定しようとせず,患者の言葉を言葉通り理解しようと努めることで,患者が安心感を抱くことができ,内省面や精神症状がより明確に表出されるようになる。それは診断の一助となるだけでなく,精神療法的な側面も持ち合わせている。安心して語ることのできる診察の場の提供が内省型統合失調症患者にとって重要と考えられた。

資料

地域におけるひきこもり支援の力の向上に関する一考察—岩手県A地域のひきこもり支援機関とスタッフへのアンケート調査を通して

著者: 川乗賀也 ,   目良宣子 ,   西谷崇 ,   山本朗

ページ範囲:P.153 - P.157

抄録
 現代日本では,ひきこもりに対する社会的関心が集まっている。地域でひきこもり支援を担う支援機関とそのスタッフは,柔軟性を持ち,ひきこもり支援特有の難しさに向き合うことを余儀なくされる。本研究では,一地域の支援機関の現状と課題について支援機関とスタッフを対象としたアンケート調査を行い,地域の支援の力を向上させるための検討を行った。その結果,重要な課題として,スタッフの能力向上の重要性が確認できた。またスタッフにはバーンアウトのリスクが想定され,それへの対応も必要と思われた。支援機関とスタッフに助言し活動をコーディネートする人材や,官民一体となった連携等が,支援の力を向上させるために必要と思われる。

紹介

「精神科事前指示」作成支援ツール開発の試み

著者: 渡邉理 ,   藤井千代 ,   佐久間啓 ,   安藤久美子 ,   岡田幸之 ,   水野雅文

ページ範囲:P.159 - P.167

抄録
 患者の同意判断能力が欠如している場合でも,自律性を尊重した精神科医療を実践するための方法として,患者本人の同意判断能力が保たれていると判断できる時期に,自身の同意判断能力が著しく低下した際にどのような対応を希望するかについて書面で記載しておく「精神科事前指示(以下,PADs)」が知られている。わが国においてはPADsの実臨床での使用は報告されていない。今回,PADs作成支援ツールを作成し,患者本人の意見を基に書式の修正を行った。本稿では患者本人から得られたPADsに対する意見およびそれらの意見を反映したPADs作成支援ツールを提示し,PADs作成の意義について考察した。

座談会

医学教育と専門医制度のあり方

著者: 米田博 ,   福田正人 ,   神庭重信 ,   平安良雄 ,   鈴木道雄

ページ範囲:P.169 - P.181

卒前医学教育においては,すべての医学部が国際基準による認証を受けることが義務付けられ,それに適合すべくカリキュラム改革が進んでいます。卒後2年間の初期臨床研修は施行から12年を経過し,十分な検証がなされる必要があります。3年目以降の専門研修については,日本専門医機構による新しい専門医制度が,少なからぬ混乱の中で,2018年度からスタートしようとしています。今回,「精神医学」編集委員鈴木道雄氏を司会に,4名のゲストをお迎えし,このような状況下の学部教育,初期研修,専門医研修それぞれの現状と課題についてお話し合いいただきました。

動き

第21回日本神経精神医学会 印象記

著者: 上村直人

ページ範囲:P.183 - P.183

 今回,9月17,18日の2日間にわたり,熊本市のくまもと県民交流館パレアにおいて池田学会長(大阪大学精神科教授,熊本大学客員教授)のもと,第21回日本神経精神医学会が開催された。半年前の熊本県を中心とする大震災からの復興途上の中での開催であった。本学会は神経と精神の境界領域を学際的に,さまざまな立場から探究する場であり,参加者も多彩であることが特徴である。
 演題は一般口演が両日とも中心であるが,主な講演やシンポジウムをみると,大会初日の特別講演ではシドニー大学(豪)の行動神経学のJohn R Hodges教授が「The Frontotemporal Dementia:Towards more accurate and early diagnosis」と題して最近のFTD研究の知見とFTDの初期症状もしくは前駆状態に関して講演された。シンポジウムでは,「Prodromal dementia精神科と神経内科の立場から」と題して岩田淳先生(東京大)がアルツハイマー型認知症の前駆期,前臨床期への治療介入について,水上勝義先生(筑波大)がDLBの前駆状態について,福原竜治先生(熊本大)がFTD,數井裕光先生(大阪大)がiNPHについてそれぞれProdromalという視点から述べられていた。大会2日目は症例検討3演題が下村辰雄先生(秋田県立リハビリテーション・精神医療センター)の座長のもと発表された。またイブニングセミナーは小田原俊成先生(横浜市立大)による「レビー小体型認知症の診断・治療における臨床的課題」,モーニングセミナーは數井裕光先生による「認知症症専門医によるiNPH診療の実際」と実践的な内容であった。

書評

—小椋 力 著—予防精神医学—脆弱要因の軽減とレジリエンスの増強

著者: 鈴木道雄

ページ範囲:P.184 - P.184

 わが国の予防精神医学の先達による包括的なモノグラフである。
 近年,オーストラリアや英国を中心に始まった早期精神病early psychosisへの介入・予防活動が世界的な広がりを示し,わが国においても早期介入や予防にかつてない関心の高まりがみられている。著者の小椋 力・琉球大学名誉教授は,本書中に記されているように,公の場で精神障害の予防について語り難い雰囲気が強かったわが国で,1990年に予防について口火を切って論じ,1994年に大学生を対象に早期二次予防活動を開始し,2001年にはわが国初の予防精神医学領域の国際学会である第1回日本国際精神障害予防会議(2001年)の会長を務めるなど,文字通り日本の予防精神医学を牽引してこられた。本書には,わが国における予防精神医学の発展の歴史も含めて,予防精神医学の概念が包含する内容について,著者の未来志向の視点から余すところなく語られている。

学会告知板

第20回(2017年度)森田療法セミナー

ページ範囲:P.151 - P.151

第24回多文化間精神医学会学術総会

ページ範囲:P.182 - P.182

ぐんま・脳とこころのアカデミー2017

ページ範囲:P.185 - P.185

論文公募のお知らせ

テーマ:「東日本大震災を誘因とした症例報告」

ページ範囲:P.145 - P.145

「精神医学」誌では,「東日本大震災を誘因とした症例報告」(例:統合失調症,感情障害,アルコール依存症の急性増悪など)を募集しております。先生方の経験された貴重なご経験をぜひとも論文にまとめ,ご報告ください。締め切りはございません。随時受け付けております。
ご論文は,「精神医学」誌編集委員の査読を受けていただいたうえで掲載となりますこと,ご了承ください。

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次号予告

ページ範囲:P.186 - P.186

編集後記

著者:

ページ範囲:P.190 - P.190

 操作的診断基準も薬物療法も精神医療のあたりまえの構成要素になって久しい現在,診療さらには研究や教育が何を目指しているのかをあらためてかえりみるきっかけが本号にはちりばめられているように思います。
 まず,巻頭言において,山末英典先生が研究の必要性について論じて,当事者の求めるunmet medical needsに迫ることが大切であると指摘しています。それに続けて,『精神科医にとっての薬物療法の意味』と題して,9名の経験豊富な精神科医が意見を交えています。顔ぶれを見ると薬物療法を擁護したり批判したりして意見を戦わせているのかと思われるかもしれませんが,決してそんなことはありません。各先生方のバックグラウンドや経験によってニュアンスは異なっていますが,向かっている方向は驚くほど一致しているように思います。その一例が,プラセボ効果の肯定的な側面への言及でしょう。それは,当事者がどのように感じるかを尊重する姿勢に通じると思われます。文中で紹介されている事例や対応の仕方から,そのような姿勢がうかがわれるとともに,日常診療にすぐさま活用できるヒントを見出せます。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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