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雑誌目次

論文

精神医学59巻5号

2017年05月発行

雑誌目次

巻頭言

精神医学・医療について—最近,考えること

著者: 山内俊雄

ページ範囲:P.394 - P.395

 冒頭から私事で恐縮であるが,医師としての大半を大学で過ごし,しかも後半は,心ならずも管理的な立場にあり,精神科医としての仕事も思うにまかせなかったという思いを強く抱きながら過ごしてきた。そこで,公的な役割を終えるにあたって,初心に帰って,一精神科医としてじっくり患者さんと向き合った診療をしてみたいと考えた。幸い,在籍していた大学のクリニックにはメンタルクリニックがあり,そこで時間をかけた精神医療をやりたいと考え,大学側の了解を得て始めた精神科診療も数年が経過した。
 クリニックでの診療を開始して衝撃を受けたことのひとつは,訪れる患者さんが大学で診ていた方々と大きく異なることであった。もちろん大学でも精神症状の軽症化といった変化はあったにしても,教科書的な症状を抱えており,この患者さんの症状は統合失調症でみられるものであり,感情障害ではこのような症状が出現する,などと学生に説明するのにさして困難を覚えなかった。ところがクリニックでは,このような人たちが精神科を訪れるのかと驚き,時には診断に迷い,また時にはこれは精神科医の仕事なのか,と自問するようなケースに遭遇することも稀ではない。

特集 認知行動療法の現在とこれから—医療現場への普及と質の確保に向けて

特集にあたって

著者: 松本和紀

ページ範囲:P.397 - P.397

 認知行動療法は,さまざまな精神疾患における標準的な治療法のひとつとして多くの国際的なガイドラインにも掲載され,一部の地域や国々では普及も進んでいるが,日本での普及は未だ遅れているのが現状である。しかし,国民のニーズの高まりや関係者の努力により2010年度の診療報酬改定でうつ病に対する認知行動療法が診療報酬として算定可能となり,これを機に認知行動療法のセラピストを育成するための研修が厚生労働省の事業として開始されるようになった。さらには,2016年度の診療報酬改定ではパニック障害,社交不安障害,強迫性障害,心的外傷後ストレス障害へと対象疾患が拡大した。また,看護師が医師とチームを組んで施行した場合にも算定可能となり,施行者の職種拡大の方向性も打ち出され,今後は,公認心理士を含めた多職種への拡大も期待されている。
 このように近年,わが国においても認知行動療法に対する理解や普及の流れが促進されるようになってきた。しかし,認知行動療法に対する教育体制が十分に整備されていないわが国では,認知行動療法についての誤解も多く,認知行動療法“もどき”が不適切に導入されることによる弊害も散見される。エビデンスに基づいた質の高い認知行動療法を,必要とされる多くの患者に届けるためには,多くの精神医療関係者が認知行動療法についての知識と理解を深めると同時に,認知行動療法の質を確保した上で普及を図っていくことが重要だと考えられる。

わが国の認知行動療法の現在と展望

著者: 大野裕

ページ範囲:P.399 - P.403

はじめに
 認知療法・認知行動療法(以下,認知行動療法)とは,私たちの気持ち(感情)が認知,つまりこころの情報処理のプロセスの影響を強く受けることに注目して,ストレスを感じたときの認知に働きかけて問題解決を手助けする目的で開発された精神療法(心理療法)である。
 認知行動療法は1960年代初頭にAaron T. Beckによってうつ病の治療法として提唱され,実証的な研究が積み重ねられた結果,1980年代後半から米英を中心に,うつ病や不安障害/不安症,さらにはその他の精神疾患の治療法として用いられるようになった。そうした流れの中,わが国の精神医療で認知行動療法が注目されるようになったのは2000年代に入ってからのことであるが,最近ではうつ病や不安障害などの精神疾患の治療としてはもちろんのこと,日常生活でのストレス対処法としても広く用いられるようになっている。それは,認知行動療法で用いられているスキルが,私たちが日常生活の中でほとんど意識せずに使っているストレス対処法を分かりやすくまとめたものだからである。
 しかし,広く用いられるようになっているだけに,認知行動療法が誤解されたり誤用されたりすることも少なくない。その最大の要因は,認知にばかり目を向けすぎて,悩んでいる患者をひとりの人としてみることができなくなっていることにある。そのために,認知ないしは考え方を変えさせることに汲々として,柔軟に問題に取り組む力を育て活かすという認知行動療法の基本的なアプローチが置き去りにされてしまうことになる。
 それは,認知行動療法について誤解しているためだけでなく,認知行動療法的面接の進め方についての情報が提供されていないためでもある。そのために認知の修正ばかりを練習したりマニュアル通り面接を進めたりするなど硬直化した対応に陥っている治療者も少なくないように思える。しかし,今回は柔軟なアプローチの基礎となる認知行動療法の基本型を紹介するだけの誌面の余裕がないために,それは拙著『保健,医療,福祉,教育にいかす
 簡易型認知行動療法実践マニュアル』を参考にしていただくことにして,本稿では,わが国における認知行動療法の現状を確認しながら,質が担保された認知行動療法を提供していくための課題について論じることにしたい。

認知行動療法における治療の質の管理—さらなる普及とクオリティコントロールのために

著者: 菊地俊暁

ページ範囲:P.405 - P.412

はじめに
 認知行動療法(CBT)は,近年うつ病や不安症に対する治療として医療現場で用いられるだけでなく,介護・福祉分野や企業,学校など,広く活用されるようになっている。徐々に普及している中,しかし大きくは二つの問題を抱えている。一つは治療として実施可能な医療施設が限定されていること,もう一つは治療としての質の担保をどのようにしていくか,ということである。
 前者の実施可能な施設が限られているという問題は,診療報酬とも密接に絡む。40〜50分,医師がCBTを行うことが診療所や病院の経営にとってプラスとなり得るかは甚だ疑問がある。昨年から看護師による実施が実質的に認められたが,要件の厳しさや,病棟配置,シフト勤務という勤務上の問題から,なかなか実施できる医療機関が少ないのが現状である。有効性は確認され,また医療経済的にも有用な治療であることは疑いがなく,さらなる普及のためには看護師以外の職種による実施が可能となることが求められるだろう。
 後者の質の担保,という点は,今後の普及と並行して重要な要素の一つである。それぞれの治療者が独自の方法で行うのでは,認知行動療法という枠組みの中で勝手な治療が行われているにすぎない。一定レベル以上の治療が多くの施設で行われるようにするためには,研修システムが確立し,適切な知識の獲得ができ,また指導者からのスーパーバイズが受けられる必要があるだろう。またさらに自己研鑽や集団での学習の場を整備していくことも望まれる。
 本稿では,治療の質とはどのようなものか,また客観的に評価するためにはどのようにすべきか,さらに現在行われている厚生労働省研修事業におけるCBTの技能獲得について触れ,どのように質を管理・向上していくべきか考えていきたい。

認知行動療法の職種拡大の方向性とチーム医療

著者: 藤澤大介 ,   大野裕

ページ範囲:P.413 - P.418

本邦における認知行動療法の歩みと現況
 わが国で認知行動療法が注目されるようになったのは2000年代に入ってからのことである。2004年(平成16年度)から始まった厚生労働科学研究費補助金「精神療法の実施方法と有効性に関する研究」,「精神療法の有効性の確立と普及に関する研究」,「認知行動療法等の精神療法の科学的エビデンスに基づいた標準治療の開発と普及に関する研究」(平成25〜27年度),(すべて主任研究者:大野裕)と続く一連の研究成果を受け,2010年度の診療報酬改定で,熟練した医師が30分以上をかけてうつ病に対する認知行動療法を行った場合に16回に限り診療報酬を算定できることになった。2016年度の改定では,うつ病に加えて,パニック障害,社会不安障害,強迫性障害,心的外傷後ストレス障害に医師が認知行動療法を行った場合に診療報酬が算定されることになった。
 しかし,こうした定型的認知行動療法を実践する専門家の育成には膨大な時間と費用がかかる。2011年以降,個人認知行動療法の専門家を育成する厚生労働省認知療法・認知行動療法研修事業が実施されてきたが,大野の総説(本誌p399-403)にあるように,国民のニーズに十分に応えられるまでに至っていない。

うつ病の認知療法・認知行動療法の実際

著者: 満田大 ,   加藤典子 ,   中川敦夫

ページ範囲:P.419 - P.425

はじめに
 世界保健機関(WHO)の疫学調査によると,わが国におけるDSM-Ⅳ診断による大うつ病性障害の12か月有病率は2.2%,生涯有病率は6.5%と報告されている2)。欧米諸国に比べると有病率は低いものの,一般住民の16人に1人が生涯に一度うつ病を経験していることになり,うつ病は一般によくみられる疾患であるといえる。また,厚生労働省が3年ごとに全国の医療施設で行っている「患者調査」によれば,気分障害の総患者数は近年増加傾向にあり,2008年には100万人を超えたと報告されている。さらに,2005年の日本におけるうつ病による社会的損失は2兆円を超えると算出され11),うつ病の社会へのインパクトは甚大で公衆衛生上の大きな問題となっている。
 うつ病に対する治療として,国内外のうつ病の治療ガイドラインでは,薬物療法と並んで,認知行動療法が治療選択の1つとして推奨されている1,9,10)。この認知行動療法(cognitive behavioral therapy;CBT)とは,患者の物事の捉え方(認知)や行動のパターンに働きかけを行うことにより抑うつや不安の症状緩和を図っていく短期の精神療法である。たとえば,うつ病では,自己・世界(周囲)・将来に対して極端な悲観的な認知が,うつ病の持続要因になっているという理解のもと,この悲観的で現実と乖離した思考過程を注意深く検討を進めていくことによってつらい気分を和らげ,問題解決を図っていくものである。また,非適応的行動パターンに対しても注目し,行動変容を促し,問題解決を図っていく。
 本稿では,うつ病の認知行動療法に関して,わが国のうつ病治療ガイドラインにおける位置付けやわが国からのエビデンス,そして厚生労働省のマニュアルに基づくうつ病の認知療法・認知行動療法の実際ならびに日本の医療現場で認知行動療法を実施する際の留意点について概説する。

社交不安症とパニック症の認知行動療法の普及と質の確保

著者: 清水栄司

ページ範囲:P.427 - P.432

社交不安症,パニック症の認知行動療法の保険収載と今後の課題
 日本不安症学会から申請していた,社交不安障害(社交不安症),パニック障害(パニック症),強迫性障害(強迫症),PTSD(心的外傷後ストレス障害)の不安障害(ICD-10)の認知療法・認知行動療法が,平成28年度(2016年度)から,うつ病などの気分障害に加えて,医師が行う場合に限り診療報酬として適用拡大とされた。
 社交不安障害(社交不安症)の認知行動療法マニュアル(治療者用),パニック障害(パニック症)の認知行動療法マニュアル(治療者用)は,強迫性障害(強迫症)の認知行動療法マニュアル(治療者用),PTSD(心的外傷後ストレス障害)の認知行動療法マニュアル(治療者用)[持続エクスポージャー療法/PE療法]とともに,平成27年度厚生労働省障害者対策総合研究事業「認知行動療法等の精神療法の科学的エビデンスに基づいた標準治療の開発と普及に関する研究」の報告書および厚生労働省と日本不安症学会のWEBサイトにそれぞれ掲載され,そのマニュアルに沿って実践した場合,保険適用となる。

強迫性障害の認知行動療法

著者: 中尾智博

ページ範囲:P.433 - P.439

はじめに
 強迫性障害(obsessive-compulsive disorder;OCD)に対して認知行動療法(cognitive behavioral therapy;CBT)が有効であることは論をまたない。治療ガイドラインにおいてCBTは選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhivitor;SSRI)を用いた薬物療法とともにOCDのファーストラインの治療として推奨されている。さらに無作為化比較試験(randomized controlled trial;RCT)による治療効果比較研究によって,OCDに対するCBTの効果は薬物療法の効果を上回ることが示唆されており,過去30年余に実施された精神療法・薬物療法のRCTを対象とした最新のネットワーク・メタ解析10)の結果もCBTを用いた精神療法が,SSRIを主体とする薬物療法より有意に効果が高いことを示した。大うつ病や各種不安障害への精神療法と薬物療法のメタ解析を実施したCuijpersら3)によれば,精神療法の効果が薬物療法の効果を有意に上回ったのはOCDを対象にした研究のみにみられた特徴であったという。
 OCDに対するCBTの有効性は,他の疾患以上に高いと考えられる一方で,本邦におけるその普及はまだ十分とはいえない状況にある。その原因には,CBTそのものの普及の問題とともに,OCDという疾患の特殊性ゆえに,その治療を請け負う医療機関自体も限られているという問題がある。しかしながら,2013年にDSM-51)へと改訂されOCDが不安症から独立したことや,2016年にOCDを含む不安障害へのCBTの診療報酬が適用拡大されたことなど,OCDに対するCBTは,精神科医療の現場において今高い注目を集めている。本稿では,まず現在のOCD概念について簡単に触れ,ついでOCDに対するCBTの現状について記述する。

PTSDに対する持続エクスポージャー療法

著者: 井野敬子 ,   金吉晴

ページ範囲:P.441 - P.447

はじめに
 生死に関わる脅威などのトラウマ的出来事を体験した後,イベントの種類に応じて2〜8割程度にpost traumatic stress disorder(PTSD)症状が認められるとされるが,その多くは半年ないし1年以内に自然軽快する9)。したがってPTSDとは,発症ではなく慢性化に病理の本態があると見なされる。慢性化したPTSDの治療としては,SSRIなどを用いた薬物療法と,トラウマに焦点化した認知行動療法があるが,薬物療法の効果量は0.5以下であり,改善しにくい例も少なくない。これに対して認知行動療法の中の持続エクスポージャー療法(Prolonged Exposure Therapy;PE)では効果量がほぼ1.5を超えており,またエビデンスレベルも薬物療法よりは高いことが国際的にも報告され,日本でもランダム化比較試験(RCT)が実施されている。このため慢性PTSDに対してはPEの適応が検討されるべきであるが,日本の医療現場には十分に普及していないのが現状である。本稿では,PTSDの疫学,PEの概要を述べ,さらに日本での普及と質の確保の課題について検討したい。

PTSDに対する認知処理療法

著者: 堀越勝

ページ範囲:P.449 - P.457

はじめに
 認知処理療法(Cognitive Processing Therapy;CPT)は,外傷後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder;PTSD)に特化した認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy;CBT)で,現時点ではPTSDに対し最も有効な曝露ベースの介入法の一つと考えられている。治療ガイドラインの多くがPTSDに対する介入法として曝露ベースのCBTを推奨しているが(米国精神医学会:2009,米国心理学会:2006,NICE:2005,Cochran Collaboration:2013など),CPTは筆記を用いた曝露ベースのCBTである。曝露ベースのCBTの中でもCPTはPTSD患者の認知面への働きかけを重視する介入法で,海外ではエビデンスに基づいた治療法として米国退役軍人局にもPTSD治療のために採用されている。しかし,残念ながら現在の日本ではCPTの認知度は低く,臨床の現場で実施されることも少ない。そこで本稿では,将来的に日本のトラウマ治療の選択肢が一つ増えることを願いCPTの有効性や介入の概要について紹介する。

摂食障害の認知行動療法

著者: 薛陸景 ,   中里道子

ページ範囲:P.459 - P.466

はじめに
 摂食障害は,体重や体型,それらのコントロールに対する過度な価値付けのもと,食行動の乱れや過度なコントロールへの没頭を特徴とする精神障害である。DSM-5の診断基準では,神経性無食欲症(anorexia nervosa;AN),神経性過食症(bulimia nervosa;BN),過食性障害(binge eating disorder;BED)に主に大別される。本稿では,さまざまな摂食障害の治療法の中でも高いエビデンスレベルが認められているBNを対象とした認知行動療法(cognitive behavioral therapy;CBT)について記述し,また,近年英国のFairburnが提唱し現在普及の途上にある“CBT-E”(摂食障害に対する強化CBT)について紹介する。

精神病性障害に対する認知行動療法

著者: 松本和紀

ページ範囲:P.467 - P.473

はじめに
 統合失調症を主とした精神病に対する認知行動療法(cognitive behavioral therapy for psychosis;CBTp)は,1990年代初頭からランダム化比較試験が始まり,その後も多数のトライアルが実施され,英国など海外を中心に普及してきた。英国NICE(National Institute for Health and Care Excellence)のガイドライン21)では,個人CBTは,精神病および統合失調症のあらゆる患者に勧められる治療選択肢とされており,欧米豪などの国々のガイドラインでも推奨されている。本稿ではCBTpについての概観を行い,わが国での適用や今後の展望について触れてみたい。

展望

Prader-Willi症候群の食行動

著者: 儀藤政夫 ,   井原裕 ,   尾形広行 ,   大戸佑二 ,   永井敏郎 ,   下田和孝

ページ範囲:P.475 - P.482

はじめに
 プラダー・ウィリー症候群(Prader-Willi syndrome, PWS)は,頻度1/20,00036)で発生する内分泌・神経・奇形症候群である。内分泌学的異常として低身長・高度肥満・糖尿病・性腺機能低下などを認める。奇形としてアーモンド状眼裂・小さな手足・色素低下などがみられる。また,臨床症状自然歴が解明されており,年齢ごとに症状が変化する。新生児期・乳児期には筋緊張低下,虚弱性,運動機能の発達遅滞がみられる。幼児期以降PWSに特徴的である過食がみられ,成人期以降も持続する。これにより肥満・糖尿病・呼吸障害・心血管障害のリスクが高まる。また,思春期以降にはさまざまな精神・行動障害が合併する。精神発達遅滞を合併することも少なくない。行動障害の特徴は食への執着・頑固・こだわり・困惑しやすい・日中の過眠である。責任遺伝子座は,15番染色体q11-13領域にあり,内訳は約70%が父由来同領域の欠失,約15%は母性片親性ダイソミー,すなわち染色体15番が父から伝播せず,2本とも母由来である現象に起因する。
 この症候群が精神医学的に重要なのは,以下3つの理由による。
 第一に,PWSはゲノム刷り込み現象(genomic imprinting)が初めてヒトの臨床の場で確認された例であり,エピジェネティクス時代において,遺伝—行動連関を考察する上でのモデルとなり得る。ゲノム刷り込みとは,遺伝子が生まれながらにして抑制パターンに刷り込まれている現象である。そして,この遺伝子の発現抑制は遺伝子の変異ではなく,遺伝子のスイッチ領域のDNAメチル化(化学修飾変化)であることが分かっている。PWSにおいて,父方遺伝子欠失と母性片親性ダイソミーとに共通するのは,父由来の15q11-13領域が伝播されないことである。つまり,父由来染色体は伝播されず,母由来染色体上では発現が抑制されるため結果として無発現となる。そのため,ここにPWSの責任領域が存在すると考えられる。ちなみに,母由来の15q11-13領域が伝播されないと,アンジェルマン症候群(Angelman syndrome)という全く別の症候群が発生する。
 第二に,PWSは,自閉性スペクトラム障害(ASD)の遺伝学的モデルとなる可能性がある。その理由は,15q11-13がASDにとって重要な領域であるという点にある。ASDには,染色体領域との連鎖が報告されているが,最も多いのが母方アレル特異的15q11-13の重複である。それに加えて,PWSは思春期以降に高頻度にASD様の行動を呈し,とりわけ母性片親性ダイソミーは,父方遺伝子欠失に比して,ASDとの関連が強いとされる。本邦の調査研究28)も,この点を確認するとともに,母性片親性ダイソミーと父方遺伝子欠失の行動上の差異が思春期以降に顕在化する可能性を示唆している。
 第三は,もっぱら臨床的な理由である。PWSは自閉症様症状にとどまらず,多彩な精神行動症状を呈し,症状の広範さ,重篤さともに,精神科医の関与なしにはコントロールすることが難しい。PWSの行動症状をForsterらは5領域に分類している9)が,それによれば①食物関連行動,②反抗的・挑戦的行動,③認知的硬さ・柔軟性を欠く行動,④不安感および危険な行動,⑤皮膚を引っ掻く行動であるとされる。これらの症状は,種類,重症度に個人差が大きく,かつ,個人内でも時期によって差異がある。そのうえ,行動症状の大半は,身体面の管理が小児科医から内科医へとシフトする思春期以降に発症し,深刻化していく。このようなときに,児童・思春期から成人期に至るまでの長い期間を一貫して関与できる精神科医の存在が,患者からも,家族からも期待されている。PWSの行動及び精神症状とその割合を表1に示す4)
 この総説では,PWSの行動症状の中でも,最もコントロールが困難であり,PWSをしてPWSたらしめる特徴であるところの食物関連行動に焦点をあてる。

研究と報告

標準注意検査法を用いた成人期ADHDの注意機能評価

著者: 近藤静香 ,   河邉憲太郎 ,   松本美希 ,   妹尾香苗 ,   越智麻里奈 ,   堀内史枝 ,   上野修一

ページ範囲:P.483 - P.490

抄録
 注意欠如・多動症(ADHD)は生涯にわたる障害であるが,成人期におけるADHDの診断は小児期より困難をきわめる。本研究では,標準注意検査法(CAT)を用いて,成人期ADHDの注意機能の特徴を明らかにすることを目的に調査を行った。当院外来を受診した18歳以上の知的障害を伴わないADHD患者を対象とし,認知機能検査としてWAIS-Ⅲを,注意機能検査としてCATを実施した。CAT各検査結果とWAIS-Ⅲ全検査IQとの関連について検討し,標準化データと比較検討した。CATの各課題のうち,知的機能の影響を受けず注意障害を認めたものは,Visual Cancellation Task,Auditory Detection Task,PASATであった。成人期ADHDでは視覚的・聴覚的な選択性注意,ワーキングメモリーが特徴的に障害されることが示唆された。

短報

再生不良性貧血の経過中に幻覚妄想状態を呈した1例

著者: 寺川裕基 ,   岩﨑進一 ,   井上幸紀

ページ範囲:P.491 - P.495

抄録
 再生不良性貧血の経過中に幻覚妄想状態を呈した症例を経験した。症例は68歳の男性でX-28年時に同疾患の診断を受け治療を続けていたが精神障害の既往はない。X-5年より被害妄想が出現。X年4月に貧血の治療目的で入院するも妄想による問題行動のため退院となり当院入院となる。頭部画像検査では異常を認めなかった。多彩な精神症状を認め,抗精神病薬の調整を行うが効果は乏しく,かつ副作用も出やすく,診断,治療ともに難渋した。多年にわたる出血傾向や貧血が精神症状発現に大きな影響を与えたと考えられ,同疾患の合併症として精神神経症状も考慮するべきであると考えられた。同疾患における精神神経症状の合併は稀であり,文献的にも考察を加えた。

私のカルテから

固執の中に患者が自立するためのニードを見出し肯定したことで障害受容が進んだ統合失調症例

著者: 中川潤

ページ範囲:P.497 - P.499

はじめに
 統合失調症の治療過程において,障害によってもたらされた理想と現実の落差や無力感を乗り越えるために,患者と治療者が協働して新たな自己価値を模索する「障害受容」の概念が1980年代に本邦で議論された1,2)。しかし,障害受容の過程で治療者が患者に受容を強要する可能性が指摘され,この概念が普及したとは言い難い3)。一方,薬物療法など生物学的治療が発展した現在でも,十分に社会適応できない統合失調症患者は多い。このため,患者と治療者が協働して取り組む障害受容の意義を現代において再考する必要があると言える。
 本稿では,統合失調症で信仰と食事への固執がみられ,それを是正しようとする治療スタッフと度々衝突した症例に対し,治療者が固執を患者の生きるためのニードと捉え,肯定したことで,患者の障害受容に進展がみられた例を紹介する。なお,患者本人から今回の発表に際して同意を得ている。また,個人を特定できないよう,本質を損なわない形で細部に変更を加えている。

書評

—大熊輝雄,松岡洋夫,上埜高志,齋藤秀光 著—臨床脳波学 第6版

著者: 丹羽真一

ページ範囲:P.474 - P.474

 大熊輝雄先生の『臨床脳波学』の第6版が2016年11月に出版された。同書の第1版が出版されたのは1963年11月であるから初版以来53年が経過し,その間に5回の改訂がなされたわけである。1999年の第5版出版までは大熊先生が単独で改訂作業をされたが,第6版は松岡,上埜,齋藤の3氏が改訂作業に加わられた。3氏とも大熊先生が東北大学教授在任中の臨床脳波学の弟子であり,その薫陶を受けられ脳波学に造詣が深く改訂作業を担当されるにふさわしい方々である。
 第6版への改訂作業は,大熊先生が3氏へ改訂を依頼された2005年秋に始まった,と「序」に述べられている。途中,2010年9月に大熊先生が亡くなられるという不幸があり,また2011年3月には東日本大震災が起きて3氏は宮城県などの被災者救援,被災地域医療の再生に奔走され,改訂作業は一時中断せざるを得ないこととなるなど困難な道程をたどった。それだけに改訂第6版が出版されたことを,本書の利用者・愛読者の一人として大いに喜びたいと思う。

学会告知板

日本「性とこころ」関連問題学会第9回学術研究大会

ページ範囲:P.440 - P.440

論文公募のお知らせ

テーマ:「東日本大震災を誘因とした症例報告」

ページ範囲:P.418 - P.418

「精神医学」誌では,「東日本大震災を誘因とした症例報告」(例:統合失調症,感情障害,アルコール依存症の急性増悪など)を募集しております。先生方の経験された貴重なご経験をぜひとも論文にまとめ,ご報告ください。締め切りはございません。随時受け付けております。
ご論文は,「精神医学」誌編集委員の査読を受けていただいたうえで掲載となりますこと,ご了承ください。

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今月の書籍

ページ範囲:P.496 - P.496

次号予告

ページ範囲:P.500 - P.500

編集後記

著者:

ページ範囲:P.504 - P.504

 米国で臨床修練を行うための外国医学校卒業者の受験資格には卒業校の医学教育の質に関する国際認証が必須となり,日本ではコア科の臨床実習時間を大幅に増やす必要に迫られている。このコア科には内科,外科,産科,小児科とともに精神科が入っているので,この外圧のお蔭で,精神科がようやく一般科並みの扱いを医学教育では受けられるようになってきている。しかし,医療法で一般病床と精神病床が区分されているため,医療としての必要度や技術評価には差がないのに診療報酬上は,栄養指導一つとっても精神病床には認められず,未だに患者:医師配置48:1が精神科病院の病床基準となっているなど,矛盾点は多い。これまでの負の遺産を解消し,これからの精神科医療を担う若き精神科医たちが魅力的な精神科医療のあるべき姿を描けるようにしたいとの思いにあふれた巻頭言をいただくことができ,感謝に堪えない。ところで,平成28年度診療報酬改定の際,日本精神神経学会と日本産科婦人科学会とが初めて連携して申請した,精神症状を呈する妊産婦の入院医療について「ハイリスク妊娠管理加算」が認められ,30年度改定では両学会と日本小児科学会とが連携してハイリスク妊産婦の母子の外来でのメンタルケアに対する共同指導管理料や早期集中支援管理料などの申請を行っている。このような学会の枠を越えて診療報酬改定にあたる試みは巻頭言で指摘されている精神科医療のパイを大きくする試みの一つと言えるかもしれない。また,展望で紹介していただいたPrader-Willi症候群に対する精神科医の関わりの医療経済的な裏付けにもなり得るものと期待される。30年度改定では,一般科と精神科の診療報酬上の格差のいっそうの是正を願っている。
 本号の特集は「認知行動療法の現在とこれから—医療現場への普及と質の確保に向けて」である。ご企画いただいた松本和紀先生ならびに懇切丁寧な解説をいただいた各分担執筆の先生方に深謝申し上げたい。ご指摘いただいたように,診断も治療もマニュアルどおりに進めることが標準化・グローバル化とされている現在,認知にばかり目を向け過ぎて,悩んでいる患者をひとりの人としてみることができない面接に陥る愚は避けたいものである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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