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雑誌目次

雑誌文献

精神医学59巻9号

2017年09月発行

雑誌目次

巻頭言

認知症について—自分の歩いてきた歴史を振り返って

著者: 小阪憲司

ページ範囲:P.797 - P.797

 昭和40年(1965)に金沢大学医学部を卒業した私は,名古屋で1年間のインターンを終えた後,名古屋大学の精神神経学教室に入局し,それ以来,主に認知症の臨床と研究を続けてきた。小学校の頃に赤十字の父と言われたアンリ・デュナンに憧れて医師になり,いろいろな神経精神医学を経験し,神経病理学グループに属しているうちに,当時はほとんど関心が向けられていなかった「認知症の臨床・神経病理」に関心を持ち,1970年代からは,私が提唱したレビー小体型認知症と神経原線維変化型認知症についての臨床と研究を主体に続けてきた。
 私が提唱した「レビー小体型認知症(DLB)」は現在ではアルツハイマー型認知症に次いで二番目に多い認知症であることが知られているが,認知症という名前がついているので,誤診されていることが多い。特に,いろいろな精神症状やパーキンソン症状や自律神経症状などが先行することが多いので,誤診されやすい。DLBでは坑精神病薬に対する過敏性があるために,精神症状に対して抗精神病薬を安易に投与するとかえって症状が悪化し,取り返しのつかないことが起こることが少なくないので,特に精神科医はDLBをよく理解し,正しい対応をしなければならない。

特集 精神疾患の生物学的診断指標—現状と開発研究の展望

特集にあたって

著者: 鈴木道雄

ページ範囲:P.799 - P.799

 精神医学以外の分野では,多くの疾患の病態生理や病因が究明され,観察に基づく診断から病因・病態に基づく診断への転換が起こった。いまだに臨床的観察に基づくパターン認識による診断の段階に留まっている精神医学の領域でも,同様の転換を促すには,診断や治療に有用な生物学的指標(いわゆるバイオマーカー)が欠かせず,これまで,そのような生物学的診断指標の開発のために多くの努力がなされてきた。いまだ十分に達成されてはいないものの,近年は着実な進歩が認められ,注目すべき研究成果も少なくない。本特集は,精神疾患の生物学的診断指標の臨床応用の現状,開発研究の成果,今後の課題などについて,理解しやすい形で展望することを意図している。
 本特集で取り上げられている生物学的診断指標は,光トポグラフィー検査(近赤外線スペクトロスコピー,near-infrared spectroscopy;NIRS)以外はいわば研究段階のものである。平成26(2014)年に,それまで先進医療として知見を積み重ねてきた光トポグラフィー検査が,うつ症状の鑑別診断補助のために保険診療として認められたことは,精神医療の歴史における画期的なできごとであった。その後3年が経過し,光トポグラフィー検査の使用経験が蓄積されるとともに,さまざまな議論がなされている。抑うつ状態の診断における光トポグラフィー検査の意義について,あらためて確認・検討することは重要と思われる。

うつ病の診断における光トポグラフィー検査

著者: 福田正人

ページ範囲:P.801 - P.808

保険診療としての光トポグラフィー検査
 光トポグラフィー検査が2014年4月からうつ病について保険適用となり,いわゆる機能性精神疾患について臨床検査が診療として初めて認められた。ここでは,保険診療としての光トポグラフィー検査を概説する。詳しい解説は福田4)にある。

形態MRIによる統合失調症補助診断の可能性

著者: 根本清貴

ページ範囲:P.809 - P.815

はじめに
 統合失調症は古今東西を問わず,人口の約1%が罹患する精神疾患である。統合失調症に罹患すると,程度の差はあれ,幻覚・妄想に代表される陽性症状や自発性の低下・感情鈍麻といった陰性症状に苦しめられる。また,認知機能も低下することが明らかとなっている。しかし,なぜそれらの症状が引き起こされるのかはまだ明らかにはなっていない。
 19世紀後半から20世紀初頭にかけて,Kraepelin,Bleuler,Schneiderらにより統合失調症は疾患単位として確立されてきたが,当初から,統合失調症には臨床的な進行に対応する進行性の脳病態があると仮定されていた。しかし,半世紀以上にわたる死後脳研究では,統合失調症患者の脳には神経変性所見がみつからず,1972年には「統合失調症は神経病理学者にとって墓場である」14)との言葉が残されるに至った。
 しかし,この状況は数年後にコンピュータ断層撮影(computed tomography;CT)の登場によって大きく塗り替えられることとなった。1976年にJohnstoneらは,慢性期の統合失調症患者では,脳室が拡大していることを報告した6)。その後,1984年にSmithらによって統合失調症患者に対する磁気共鳴画像(magnetic resonance imaging;MRI)の報告がなされた。この論文では統合失調症患者が9名,健常者は5名と被験者が限られており,かつ,定量を試みた項目では統合失調症と健常者では有意差は認められなかった。しかし,MRIはCTよりも脳構造を細かく知ることができることがはっきりと示され,統合失調症の画像研究が相次いで報告されることとなった。その結果,統合失調症では脳室の拡大が認められること,扁桃,海馬,海馬傍回を含む側頭葉内側部が萎縮すること,上側頭回が萎縮することなどが次々と明らかとなった。これらの詳細はShentonらによるレビュー16)が詳しい。彼女らは1988年から2000年にかけて発表された193編の統合失調症のMRI画像研究を網羅してレビューしており,統合失調症の画像研究の黎明期をよく知ることができる。
 これらの研究で用いられている手法は,主として「関心領域法」であった。関心領域法は,研究者が関心を持っている脳領域に焦点をあて,その脳領域に対して手作業で関心領域を設定し,その容積を算出するものである。関心領域法は今でも重要な研究手法のひとつであるが,関心領域以外の情報は見過ごされてしまうことになる。そのような中,探索的に脳構造の異常を検出しようとする試みがなされた。Voxel-based morphometry(ボクセル単位形態計測;VBM)は探索的手法のひとつであり,全脳を対象に,局所で脳容積が異常となっている領域を検出しようとする。そして,世界でVBMが最初に応用された疾患は統合失調症である。Wrightらは,15人の統合失調症患者に対して,陽性症状と上側頭回の灰白質容積および脳梁の白質容積に相関があることを報告している17)
 この報告以降,統合失調症に対するVBM研究が多く行われてきた。2017年7月現在,PubMedで“Schizophrenia voxel-based morphometry”で検索すると416件の論文がヒットする。そのような中,これらの論文に対するメタ解析も行われてきており,統合失調症の形態異常のエビデンスが日に日に蓄積してきている。そして,VBMを用いた統合失調症の診断の可能性も検討されている。そこで本稿では,現在明らかになっている統合失調症と脳構造の関連について,そして診断補助ツールの可能性について概説する。

統合失調症バイオマーカーとしてのミスマッチ陰性電位

著者: 藤岡真生 ,   越山太輔 ,   多田真理子 ,   切原賢治 ,   永井達哉 ,   荒木剛 ,   笠井清登

ページ範囲:P.817 - P.825

統合失調症におけるバイオマーカーの必要性
 統合失調症は,幻覚,妄想などの陽性症状,意欲欠如や感情鈍麻といった陰性症状,および遂行機能障害などの認知機能障害を主症状とする精神障害である。前駆期,初発期,慢性期の順に経過することが多い。前駆期には,社会的・職業的な機能低下や微弱な精神病症状を呈する。初発期にはじめて本格的な精神病症状を呈し,統合失調症と診断されることが多い。その後数年が経過して慢性期に至る。現在,統合失調症を含むほとんどの精神障害の診断は,患者の訴える症状や徴候の観察に基づいて行われている。本来ならば,医学的診断は病因や病態生理に基づくべきである。しかし,ほとんどの精神障害で病態生理の多くが明らかになっていない現状では,診断は症候の観察に頼らざるを得ない。こうした臨床診断に基づき生物学的研究が行われてきたが,その結果,同じ臨床診断の中に異なる生物学的な基盤を持つ集団が混在すること20)や,異なる臨床診断でも同じ生物学的な基盤を共有すること24)が報告されている。したがって,バイオマーカーを用いて生物学的に均質な患者集団を分類することができれば,予後予測,治療反応性の予測,新規治療法の開発などに有用であることが期待される16)
 バイオマーカーは,患者での研究においてより信頼性が高いことや臨床的に意味がある指標であることが重要だが,生物学的基盤の解明のためにはモデル動物の作出と解析も重要となる。そのためには,ヒトや動物で共通に計測できるトランスレータブルなバイオマーカーの開発が求められる。統合失調症ではこれまでに多くの生物学的研究が行われてきたが,上記のような条件を満たすバイオマーカーはそれほど多くはない。その中で有望な候補として考えられるのがミスマッチ陰性電位(mismatch negativity;MMN)である。

事象関連電位および脳形態MRIによる精神病発症予測

著者: 高柳陽一郎 ,   樋口悠子 ,   鈴木道雄

ページ範囲:P.827 - P.834

はじめに
 統合失調症は,思春期〜成人早期に発症することが多く,慢性の経過をたどる精神疾患である。統合失調症患者の機能的予後は一般的に不良であることが知られているほか19),近年では平均余命も一般人口と比較し約15年短いことが明らかになっており7),この疾病による社会的損失は莫大である。
 統合失調症における精神病未治療期間(duration of untreated psychosis;DUP)の研究からDUPが短いほど症状は軽く治療反応性が良好であることが示され17),また介入研究でDUPを短縮することにより患者の症状や予後が改善されたと報告され13),統合失調症においても早期診断,早期治療が重要である。
 統合失調症はさまざまな非特異的症状を呈する1〜3年程度の前駆期間を経て発症することが多い。前駆状態については一定の臨床症状をat-risk mental state(ARMS),すなわち精神病発症リスクの高い状態として操作的に診断する方法がとられている14,27)。近年,ARMSと診断された患者がさまざまな介入によって統合失調症などの精神病性障害を発症することを防ぐことができるか否の検討が行われており,薬物療法や認知行動療法の有効性に関するエビデンスが集積しつつある22)。一方で,ARMSと診断されてもその後精神病性障害を顕在発症する割合は3割程度であるため4),統合失調症などの精神病性障害の発症を予測できるようなサロゲートマーカーの開発が望まれている。事象関連電位(event-related potentials;ERPs)や脳形態磁気共鳴画像(magnetic resonance imaging;MRI)は統合失調症やARMSを対象とした研究が数多くなされており,そのようなサロゲートマーカーになり得るモダリティとして期待されている。

計算論的神経科学に基づく精神疾患バイオマーカー開発の現状と今後の展望

著者: 八幡憲明

ページ範囲:P.835 - P.842

はじめに
 症候に基づいて類型化される精神疾患において,その神経生物学的な基盤に対する理解は未だ不十分であり,臨床場面で患者の診断や治療計画の決定に資するバイオマーカーも現時点では開発の途上にある。ここでは,計算論的神経科学(computational neuroscience)の手法を精神医学研究に適用することで,疾患の現象論的側面と病態生理学的側面を架橋し,生物学的根拠が明確な指標のもとで疾患体系を捉え直すことを目指した近年の試みを概観する。
 従来,この種のアプローチでは理論主導(theory-driven)の研究が多く行われてきた。例えば強化学習モデルやゲーム理論モデルなどの構築を通じて,分子・細胞から神経回路に至る階層構造を持った脳で疾患特異的に生じる変化と,表出される行動とを対応付けるための検討が重ねられてきた8,10)。快楽消失や不注意,実行機能の低下などといった精神疾患を規定する症候の多くについて,理論モデルによる説明が試みられている。
 一方,疾患にかかわる生物学的な特徴量がデータに内在するものとして,これを特定の研究仮説を設けることなく,解析的に見出そうとする「データ駆動(data-driven)」の研究手法が今日新たな潮流となりつつある7)。本稿では,その現状と今後の展望について,特に神経画像を用いた研究を取り上げながら詳述する。
 たとえば,機械学習の手法を大規模画像データに適用し,個人の疾患傾向が定量可能な指標の確立を目指す研究がこれにあてはまる。近年,個人の状態予測(たとえば疾患か健常か)が高精度に行われたとの報告も頻繁に目にするようになってきた。しかし,これを臨床へ橋渡しする道程はまだ長く,より多くの症例による信頼性の検証や,いくつかの重要な技術的課題の克服が残されていることに留意すべきである。
 最後に,データ駆動のアプローチで見出された疾患特異的な特徴をニューロフィードバックなどの治療に活かす可能性について論じる。このような研究開発は,神経画像によって精神疾患の診断と治療を融合し,臨床精神医学において初めて「セラノスティクス(theranostics)」を実現する可能性を秘めている9)

白血球の遺伝子発現からみた気分障害の診断

著者: 山形弘隆 ,   内田周作 ,   關友恵 ,   渡邉義文

ページ範囲:P.843 - P.848

はじめに
 うつ病とは何か,ということを以前に比べてよく考えるようになった。なぜなら,日々の診療で抑うつ気分や意欲低下などを訴える多種多様な患者さんたちに出会うが,ICD-10やDSM-5のような症状の組み合わせで診断される診断基準に従うと,臨床像が明らかに異なる患者さんが,同じ「うつ病」として診断されてしまうことに違和感を覚えるからである。もちろん,臨床的な特徴によってある程度の亜型分類は行われており,たとえばDSM-5では,不安性やメランコリア,精神病性などの特徴を特定することができるが,特に外来診療では,これらの特徴まで完全に同定することは難しい。メランコリアのうつ病だと思い入院させてみると,環境変化だけで症状が速やかに改善する適応障害患者を経験したり,神経症だと思っていた患者さんが経過の中で躁状態を呈したりすると,自分の未熟さを痛感してしまう。同じ大学内で診療を行っていても,診察する医師によって診断が変わってしまうこともある。このような曖昧さをなくすために,うつ病のバイオマーカーを見つけ,うつ病を検査で診断できるようにしたい,と考えて研究を行うわけだが,これがまた難しい。なぜなら,臨床研究を行うための診断ツールがICD-10やDSM-5なのだから,そうやって集められた患者さんたちはどうしてもヘテロな集団になってしまう。まさに本末転倒である。対象患者さんを絞り込んで,バイオマーカーを同定したとしても,その解釈の問題もある。同定されたうつ病のバイオマーカーが,うつ病の何を反映しているか,ということが分からないのである。遺伝子発現マーカーを例に挙げると,同定された遺伝子発現変化が,抑うつ気分を反映しているのか,罪業妄想を反映しているのか,あるいは食欲低下や不眠を反映しているのか,「うつ病」という疾患単位で集めた患者さんの臨床研究では分類することができない。たとえば,抑うつ気分を反映するマーカーを同定したとしても,それは患者さんの問診で十分な訳であるから,実臨床にはあまり役に立たない。本稿では,このような限界がありながらも,診断や病態メカニズムの解明につながる気分障害の遺伝子発現マーカーを同定するために,当科が行ってきた研究結果やその方法論を紹介しながら,これからのうつ病研究の課題について検討したい。

クロザピン誘発性無顆粒球症の薬理遺伝学研究

著者: 齋藤竹生 ,   池田匡志 ,   岩田仲生

ページ範囲:P.849 - P.854

はじめに:クロザピン治療の現状
 「複数の抗精神病薬」を「十分な量」,「十分期間」服用しても「改善が認められない」ことによって定義される治療抵抗性統合失調症は,統合失調症患者全体の1/3にあたると報告されている。そして,クロザピンは治療抵抗性統合失調症において適応が認められている唯一の薬剤であり,その反応率は60〜70%とされる5)
 しかし,このように有用な薬であるのにもかかわらず,世界的にも,また本邦でもクロザピンは十分には普及しているとは言えない。その最大の理由は,クロザピン誘発性無顆粒球症という重篤な副作用が約1%程度認められる事実に起因するであろう。
 無顆粒球症は血液中の顆粒球数が500個/mm3以下となり,感染症に対する抵抗力が下がる重篤な病態で,その死亡率は2〜4%程度である9)。そのため副作用の早期発見・早期対処などを目的とし,定期的血液検査の確実な実施と処方の判断を支援する仕組みとしてクロザリル患者モニタリングサービス(以下,CPMS)があり,その運用手順に則りクロザピンの治療は行われる。
 具体的には無顆粒球症の早期発見のため,頻回の血液検査を行い白血球数・好中球数のモニタリング(白血球数・好中球数のモニタリング頻度は,特に問題がなければ最初の26週間は1週間に1回,その後は最大で2週間に1回まで間隔を空けることができるが,モニタリングの継続は必要である)を行う。しかし,患者にとって大きくはないが侵襲的であり,ストレスフルであり,そして医療者にとっても一定の手間がかかる。
 さらに,治療開始時には入院が必要であり,血液内科との連携が必要であるなど,そもそも使用できる環境にある施設は限られる。加えて,心理的要因なのかもしれないが,「無顆粒球症に対する恐れ」を患者のみならず精神科医も持つことなどが普及しにくい要因となっていると考えられる。
 最も避けるべき無顆粒球症の診断基準は,上述のように好中球数500個/mm3未満である。しかし,現実的には安全性に配慮して顆粒球減少症(好中球数1,500個/mm3未満)もしくは白血球減少症(白血球数3,000個/mm3未満)になった時点でCPMSの運用手順に則り,クロザピンの投与は中止しなければならない。そして,基準値をわずかに下回った場合においても,投与は中止しなければならず,たとえ速やかに血球数が回復したとしても,またクロザピンが著効していた症例でも再投与をすることはできない。一方で臨床の現場では,白血球数・好中球数が比較的容易に変動することを医師は経験している。クロザピンを処方し,頻回に血球数をモニタリングするようになると,ますますそれを実感することが多いであろう。
 現時点では,いったん顆粒球減少症や白血球減少症に陥った症例が,そのまま無顆粒球症まで進展するのか,それとも速やかに回復するものなのかを見分けることができないため,安全に使用するために,顆粒球減少症や白血球減少症に陥った時点で投与を中止するという制約は,やむを得ないことである。そこには安全性の担保と,この制約のために本来は無顆粒球症への進展の危険性が低い(と臨床的・直感的に考える)患者までもが有用な薬剤を使用できなくなってしまうということのジレンマが存在する。治療抵抗性統合失調症治療において,すなわちクロザピンの代替となる薬剤がない現状において,もし無顆粒球症に進展する可能性の低い患者を見分けることができるようになれば,その患者はクロザピンの投与を続けることができるため,大きなメリットとなるであろう。
 本稿では,近年同定されてきた無顆粒球症の遺伝的リスクが臨床判断にどのように役立つのか,そして,この現状のジレンマにどのように役立つのかについて述べたい。

精神疾患における臨床症状定量化—情報通信技術や機械学習を用いたアプローチ

著者: 岸本泰士郎 ,   工藤弘毅 ,   田澤雄基

ページ範囲:P.855 - P.861

はじめに
 すべての医学領域において,症状の定量化は治療を行う上でも,研究を行う上でも最重要事項の一つである。現代医学において病勢を表す定量可能なバイオマーカーは多く開発され,日常臨床においても利用されている。挙げれば枚挙に暇がないが,血算,X線写真,腫瘍マーカー,抗体価,CT,MRI,シンチグラフィなど,多くの診療科で重症度の評価に用いるものが多数存在する。
 精神科領域においてはこのようなバイオマーカーが圧倒的に不足している。研究段階のものは存在するが,実用されているものはほとんどない。このため一般に精神疾患の重症度を表現するのに用いられているのは,種々の評価尺度である。特定の精神疾患を対象として精神症状全般の程度を評価するもの,精神疾患全般を対象として精神症状全般の程度を評価するもの,特定の症状の程度を評価するものなど数多く存在するが,これらには妥当性,信頼性などに問題が含まれていることも少なくない。何よりも,多くの評価尺度を用いるには一定の時間を要し,多忙な臨床現場で利用するのは困難である。
 このように,疾患の病勢を反映し日常臨床で使用可能なバイオマーカーが不足していること,評価尺度の利用に限界があることは,臨床上,多くの障害を引き起こしている。たとえば,治療開始基準が不明確になること,また,治療反応の定量化が困難になることから,標準的な治療が行いづらくなる。曖昧な重症度評価(あるいは治療反応の評価の難しさ)は,新薬開発のための治験を失敗に終わらせ,多くの製薬企業が精神科領域から撤退する事態にまで発展している。
 近年,情報通信技術(information and communication technology;ICT)やそれらを通じて得られる膨大なデータを解析する技術の発展がめざましい。精神科領域においても,このような技術を使って先に述べた重症度評価の困難さに対処する試みがなされるようになった。一つのアプローチとして,遠隔医療技術,具体的にはテレビ電話を用いた中央評価がある。さらに一歩先のアプローチとしてウェアラブルデバイスや機械学習を用いた症状の定量化などの試みがある。
 本稿では,まずレーティングスケールの問題について述べた後,遠隔医療を用いた中央評価について述べる。その後,ウェアラブルデバイスや機械学習を用いた新しい試みについていくつかの研究を紹介する。

研究と報告

長崎市の原爆被爆者における長期経過後の精神的影響—第3報:急性放射線症状と〈死の烙印〉の呪縛

著者: 太田保之 ,   三根真理子

ページ範囲:P.863 - P.872

抄録
 原子爆弾被爆後に急性放射線症状を呈した急性症状(+)群と呈していなかった急性症状(−)群との間で,急性放射線症状が長期経過後に及ぼしている精神的影響について分析した。評価尺度は,被爆体験によるPTSD症状を測定するIES-Rと精神的健康度を評価するGHQ-12である。急性症状(+)群は急性症状(−)群に比べ,1)IES-RおよびGHQ-12高得点者率は有意に高値であり,2)「現在罹患していると思っている疾患数」と「原爆と関係があると思っている罹患疾患数」も有意に多く,3)主観的健康感も有意に悪かった。また,4)自分が〈被爆者である〉ことを黙秘した体験を有する人も有意に多かった。これらの所見は,1)殺戮的な破壊力を有する原爆の熱線や爆風によって生死にかかわる甚大な身体的傷害を受けた上に,一瞬にして阿鼻叫喚の原子野に曝されたという戦慄的体験,2)紙一重の差で生命だけは救われたという安堵の気持ちを激しく揺さぶる驚愕的体験(自己の体内にも密かに残された可能性が高い「原爆の発する〈死の烙印〉」を意識せざるを得ない体験)という二重のトラウマ体験に基づいていると考えられる。

Logopenic variant of primary progressive aphasia(LPA)—5症例における臨床症状と機能画像所見との関係

著者: 武石さつき ,   工藤由理 ,   成瀬聡 ,   江澤三恵 ,   川瀬康裕 ,   市野千恵 ,   北村葉子 ,   今村徹

ページ範囲:P.873 - P.884

抄録
 Logopenic variant of primary progressive aphasia(LPA)の診断基準を満たす5症例の神経心理学的症状と脳血流SPECT画像との関係を検討した。全症例で音韻性錯語と左縁上回の血流低下の有無が一致しており,語の理解障害がみられた症例では,上,中,下側頭回の後部に血流低下を認めた。LPAにおける音韻性錯語,語の理解障害の出現には,これらの部位の機能低下が関与していることが示唆された。文レベルの復唱障害や理解障害の重症度は,言語性短期記憶障害の重症度と相関する傾向があった。Logopeniaがみられなかった一部の症例では,被影響性の亢進や保続など前頭葉症状が目立つ傾向があり,前頭葉の機能低下が発話量減少の顕在化を妨げている可能性が考えられた。LPAのいくつかの症状において,局所損傷例の研究で確立された失語の症候学とその病巣局在に関する知見と類似した関係を見出すことができた。LPA症例の多様性の少なくとも一部は,局所損傷例と同様に,機能低下が及ぶ範囲の多様性によって説明できると考えられた。

私のカルテから

不注意と過眠を背景とした双極Ⅰ型障害についての1考察

著者: 柴田真美 ,   川岸久也 ,   鈴木光志 ,   山口智美 ,   村井俊哉 ,   船曳康子

ページ範囲:P.885 - P.887

はじめに
 注意欠陥性多動性障害(Attention-deficit/hyperactivity disorder;ADHD)と双極性障害の合併は多いことが示されている。たとえば,成人のADHDの47%が双極性障害を合併し,双極性障害の患者の21%がADHDを合併しているとの報告がある7)。しかし双極性障害の過剰診断には注意が必要で,Perroudら6)の報告では,138人の双極性障害患者において,ADHDの自記式評価尺度では63人が陽性であったが,臨床所見を総合すると,最終的にADHDと診断されたのはその約3割にとどまった。
 このように,ADHDにおける衝動制御困難と,双極性障害の躁病エピソードにおける気分高揚との鑑別には注意を払わねばならない。また,双極性障害の初発年齢はADHD群では非ADHD群よりも早く,うつ病エピソードの回数が多く予後が悪いという報告がある2,5,6,7)。しかし一方で,n=50と小規模の検討ながら,その両者の間に,急性期の気分障害の重症度や予後に関して有意な差はないという報告もある3)。以上のように双極性障害とADHDの合併率および症状の重症度の差異についてはエビデンスが十分でなく,併存の機序や因果関係はいまだ不明である。
 今回我々はADHDと診断し加療中のところ,双極性障害を発症し,短期間に精神病症状を伴う重症躁病エピソードを繰り返した症例を経験した。特に注目したのは,双極性障害の発症前に重度の過眠を呈した点と,病相と関連した睡眠障害を呈した点である。睡眠障害を通して,ADHDと双極性障害の関連について考えたい。なお本症例の発表に際しては患者本人に承諾を得た上で,匿名性を確保するため,症例の特徴が保たれる範囲で記載を改変している。

書評

—篠崎英夫 著—精神保健学/序説

著者: 樋口輝彦

ページ範囲:P.888 - P.888

 著者は昭和41年に慶應義塾大学医学部を卒業されたので,小生より5年ほど先輩になる。大学は異なるが,精神医学,医療の分野でほぼ同時代を過ごしてきた小生にとっては,著者の足跡を追うことは自らの歩んだ道と重ね合わせる,あるいは照らし合わせることができる。個人的には私にとって,このような意味があり,大変興味深く本書を読ませていただいた。しかし,本書はそのような個人レベルの関心を超えた日本の精神科医療,医療行政を考える上で重要かつ貴重な意味を持っている。
 著者は,ご承知のように,公僕としての仕事の大半を精神保健医療福祉行政に注がれた。1970年代から2002年までの30余年間,行政の立場で一貫してこの領域をリードされたが,この30余年間は戦後日本の精神保健・医療行政の大きな変革期であり,重要な施策,法律が生まれた時代であったことを考え合わせると,まさにわが国の精神保健・医療行政変革の中心人物と言っても過言でなかろう。この著書の第6章「戦後医療のエポックと医療行政」は戦後の精神保健医療行政の推移が粕川氏(医学出版社の編集者)と著者の対談としてまとめられているが,当時実際に行政を担当されたご本人の解説だけに,臨場感が伝わってくる。著者は障害保健福祉部長時代に「精神保健福祉士法」の成立にかかわり,精神保健福祉士の国家資格化を実現させ,健康局長時代には「健康日本21」の策定にかかわり,その後医政局長時代には「新医師臨床研修制度」の準備に取り組まれたが,第6章では当時のいきさつが詳しく述べられており,単なる歴史的資料の解説とは一味違う内容である。

—青木省三 著—こころの病を診るということ—私の伝えたい精神科診療の基本

著者: 松﨑朝樹

ページ範囲:P.891 - P.891

 こころに問題を抱える者を前にして,我々はどのように診療に当たっているだろうか。明確な項目や基準が挙げられた診断基準の使用が普及しつつあり,さまざまな精神障害に対する治療のガイドラインも作成されていることからすれば,すべきことは明確になったようにみえる。しかし,精神科の医療のすべてが明確になったわけではない。精神医学で扱われるものが人のこころや人生である以上,そこには人間的な理解やかかわりが必要とされ,アルゴリズムやガイドラインに書かれていることなどは実際に必要となる精神科の臨床の一部でしかない。では,精神科に関わる医療者の正しいあり方とはどのようなものだろうか……そんな精神医学における不明確な点をどう理解し,どう対応すべきか,それが語られたのがこの本である。
 解説は実際の臨床に沿って始められる。初めて精神科の病院を訪れた者に対してどのように話を始めるべきか,診療情報提供書や問診票を手に何を思うべきか,患者の様子から何を知ることができるのかなど,情報をどう拾い上げ,その精神障害や人物,人生をどう理解し,どう診断を下し,その診断とどう向き合うべきだろうか。診断を下した後,患者と関係を作り,維持し,治療的に関わる中,さまざまな言葉や薬を手に,どのように寄り添い,回復へと導き,その方向を見定めるべきだろうか。さらには患者の中には怒る人もいれば,自殺を試みる人もいれば,話が止まらない人もいるが,どのように対処すべきだろうか。そのような実臨床におけるさまざまな物事につき,ときにきわめて細やかに,ときに大局的な視点から理解を助けるよう,あるときには非常に理論的に,あるときには非常に具体的に語られている。

学会告知板

第4回日本「祈りと救いとこころ」学会

ページ範囲:P.890 - P.890

論文公募のお知らせ

テーマ:「東日本大震災を誘因とした症例報告」

ページ範囲:P.808 - P.808

「精神医学」誌では,「東日本大震災を誘因とした症例報告」(例:統合失調症,感情障害,アルコール依存症の急性増悪など)を募集しております。先生方の経験された貴重なご経験をぜひとも論文にまとめ,ご報告ください。締め切りはございません。随時受け付けております。
ご論文は,「精神医学」誌編集委員の査読を受けていただいたうえで掲載となりますこと,ご了承ください。

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次号予告

ページ範囲:P.892 - P.892

編集後記

著者:

ページ範囲:P.896 - P.896

 突然の豪雨や気温の乱高下といった異常気象が日常化しつつある夏を乗り越えて,じっくりと読書をしたくなるような季節にさしかかっています。そのような折にふさわしく,本号では,「精神疾患の生物学的診断指標—現状と開発研究の展望」という読み応えのある特集が組まれています。とはいえ,けっして難解ではなく,各分野の専門家の先生方が最新の情報を分かりやすく記述しておられます。トップバッターは,光トポグラフィー検査を保険診療に導いた功労者である福田正人先生で,抑うつ状態の鑑別診断補助のための臨床検査としての意義や問題点と今後の展望を述べておられます。その後に脳画像や神経生理の研究に基づいたバイオマーカーに関する論文が4編続きますが,他の3編を含めていずれから始めても興味深く読んでいけます。「特集にあたって」でも述べられているように,大量の情報処理を含めた技術の進歩による解析方法の高度化および精緻化がもたらしつつある研究の進展が,いずれの論文からもうかがわれるからだと思います。その中でも情報処理の進歩を反映したという点では,「計算論的神経科学に基づく精神疾患バイオマーカー開発の現状と今後の展望」および「精神疾患における臨床症状定量化—情報通信技術や機械学習を用いたアプローチ」が最もストレートに思われました。
 特集以外にも,臨床に根差して疾患の生物学的基盤を追求する「Logopenic variant of progressive aphasia(LPA)—5症例における臨床症状と機能画像所見との関係」が掲載されています。レビー小体型認知症の提唱者として一般にも広く知られている小阪憲司先生による巻頭言もそのように地道な臨床と研究を積み重ね続けることの大切さを語っているように思われます。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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