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我が国最初の西洋精神医学書「精神病約説」とその訳者神戸文哉
著者: 平沢一1
所属機関: 1京都大学医学部精神科
ページ範囲:P.548 - P.555
文献購入ページに移動 明治九年に京都で我が国初めての西洋の精神病学書「精神病約説」が出版された。その原著者はヘンリイ・モオヅレイ,訳者は神戸文哉であることは,以前から知られていた。しかし誰に尋ねてみても,モオヅレイの原著を見た人も,神戸文哉の詳しい経歴を知る人もなかつた。「約説」の奥付けに長野県士族とあることから,僅かに長野県の人とわかるだけにすぎなかつた。明治初年の京都の医事を詳説している「京都府立医科大学八十年史」1)にも,文哉については断片的な記載を見るのみである。その後「八十年史」の「諸家所蔵参考資料目録」により,明治二十一年一月までの校員履歴が保存されていることを知り,昨年の八月十三日若林正治氏に同道して京都府立医科大学に赴き,横田穣氏の御世話により,校員履歴の中から神戸文哉の履歴書2)を発見した。これによつて神戸文哉は旧小諸藩士で,嘉永元年八月十二日に生まれ,江戸に遊学して和漢学と医学とを修め,明治八年京都療病院管学事を拝命したことが明らかになつた。文哉はこの時なお二十七才であり,その後の経歴については僅かに中野操氏3)4)5)の「明治時代京都医事年表」により明治十四年四月大阪府病院に赴任したと知るにすぎなかつた。同氏に伺ったところ,大阪府立医学校に提出した明治十五年五月十一日までの履歴書6)の写しを送られ,さらに文哉の娘が医師億川摂三氏に嫁ぎ,その嗣子億川新氏は神戸に在住の旨を伝えられた。そこで億川氏に問い合わせると,亡父の後妻つぎは文哉の次女で昭和二十年三月の大阪の空襲で戦災死したが,三女のみつは天方家に嫁し健在であると教えられた。
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