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特集 精神科臨床から何を学び,何を継承し,精神医学を改革・改良できたか(Ⅰ)
医療観察法はなぜ必要とされたか—その制定にかかわった一精神科医の視点から
著者: 山上皓12
所属機関: 1初石病院 2東京医科歯科大学
ページ範囲:P.1207 - P.1215
文献購入ページに移動筆者が精神障害の状態で犯罪行為に及ぶ者(以下,触法精神障害者と称する)の問題に関心を持ち始めたのは,精神科医となって3年目,1969年に国立武蔵療養所に勤めてからのことである。当時,同所の最も堅固な閉鎖病棟には,過去に凶悪事件を起こして終生退所は許されないとされる一患者が居たが,スタッフは患者を刺激しないよう,事件については一切触れぬようにしていた。同所では精神鑑定に助手として携わる機会も得たが,統合失調症による被害妄想に基づいて弟を刺殺した25歳の男性を鑑定人(原田憲一医長)が責任無能力と判定したのに,裁判官は再鑑定の結果を採用して5年間の実刑を科したのを目にし,若い精神病者が長く治療の機会を失することに無念さを感じた。女児に対する強姦事件を起こした前科7犯,41歳の男性は,鑑定時に反省の色も見せず,自ら「これは一種の病気じゃないかね」,「止めるにはたまを取る(去勢する)以外にないです」と述べていたが,鑑定人(秋元波留夫所長)は,器質性脳疾患に基づく軽度精神遅滞(IQ:61)のため限定責任能力と判定し(参考意見として欧米諸国にあるような性犯罪者治療施設の必要性を付記),裁判官はこれを採用して懲役1年6月の判決を下したのを目にし,刑期を半減された精神障害者がじきに出所して新たな被害者を生むことを許す法制度に理不尽さを感じた。精神科医療と刑事司法の間には,さまざまな重要な課題が存在するのに,日本においては,両者の接点と言えるのは,措置入院制度と精神鑑定,矯正医療などにすぎないが,欧米諸国には触法精神障害者を一般患者と区別して専門的に治療する制度・施設が整備されており,それを基礎として司法精神医療・医学が発展していることを知り,日本でもそのような制度ができるとよいと強く思った。
このような経験から,私は精神鑑定と司法精神医学に関心を抱き,1972年に東京医科歯科大学難治疾患研究所犯罪精神医学研究室の中田修教授のもとで専攻生となり,司法精神医学研究の道へと進んだ。時期的には,法務省が法制審議会の答申に基づいて治療処分の導入を図る刑法改正を目指していて,これが社会的論議を呼び,日本精神神経学会ではその成立阻止を目指す運動が活発化していた頃のことである。専攻生となる前年の暮れに開催された日本犯罪学会総会に参加してみると,壇上はすでに「保安処分反対」を叫ぶ精神科医達に占拠されていて流会を余儀なくされた時の光景が,今も鮮明に記憶に残っている。
その後,法務省による治療処分導入の主旨が,触法精神障害者の処遇を措置入院制度という医療行政措置に委ねることがもはや許されない時期にきているという危機感から生じていることを知った2,7)。反対論者たちは精神神経学会の総会をも占拠し「改正案は触法精神障害者に治療なき拘禁を強いるもので,抑圧されている精神障害者に更なる抑圧を加えようとする悪法だ」と主張し,精神病院内での不祥事(患者への過剰な拘禁や虐待など)を告発しては学会員や世論に訴えた。宇都宮病院事件注1)の真相を知ると,患者の人権擁護が喫緊の課題であることもよく理解された。それでも筆者には,精神障害者の人権擁護が大切なのは当然だが,精神障害者による犯罪の防止対策もまた重要であり,両者を混同して論ずべきではないという思いがあったが,当時の学会には冷静な論議など許さぬ雰囲気があった。私はこの国の触法精神障害者の実態をぜひ調査したいと考えたが,実際にその機会を得たのは法務総合研究所との共同研究に参加した時(1982年)からである注2)。
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