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特集 多様なアディクションとその対応
嗜癖の視点からみた窃盗症—何が“病的”なのか
著者: 村山昌暢1
所属機関: 1特定医療法人群馬会赤城高原ホスピタル
ページ範囲:P.191 - P.200
文献購入ページに移動はじめに
窃盗とは,広辞苑(第6版)によれば“他人の財物をこっそりぬすむこと。また,その人”,万引きは“買い物をするふりをして,店頭の商品をかすめとること。また,その人”とされる。
種々の窃盗に対する刑罰が記載されていた古代のハンムラビ法典(紀元前1700年代),旧約聖書のモーセの十戒(紀元前300年頃以前)中の窃盗を禁ずる文言,本邦の古事記(712年)中の,古代の皇族の部下の窃盗の話など,窃盗は,貴賤を問わず古代からなされてきた犯罪行為である。そのうち“万引き”が始まったのは,大量消費社会が具現された16世紀のロンドンで,“shoplifting”の語が人口に膾炙するのは17世紀末である16)。
さて,その窃盗を種々の理由で繰り返す人々,中でも,盗むという衝動に抗しきれず窃盗を繰り返す人たちがいる。その盗みは,通常の意味での物欲や金銭欲によるものでなく,いわば窃盗のための窃盗である。自己の窃盗衝動を制限できず,多くはそのリスクに見合わない少額の万引きを繰り返し,悩む。罰金,懲役など司法処罰でも,馘首,家庭崩壊など社会的制裁でも,その窃盗は止まらない。それが窃盗症〔クレプトマニアk(c)leptomania,以下,本症〕である。筆者の常勤する特定医療法人群馬会赤城高原ホスピタル(以下,当院)にはそのような人たちが,連日訪れる。
何らかのストレスの回避あるいは発散の方策として,衝動的になされた1回の万引きの成功〜快体験を機に,以後,種々の葛藤に面した時に,同様の万引きをなすことが時に無防備に繰り返され,あるいは徐々に巧妙化,大量/高額化するのが本症である。本症についての精神医学的知見が未だに乏しい中,この分野で際立った臨床体験を有する竹村は,これを「窃盗症は衝動性の障害として発生し,嗜癖問題として進行する」,と表現している20)。
現在,本症に対しては,Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM)とInternational Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems(ICD)での診断基準が広く使われている。両者は,合併症,鑑別診断での違いもあるが,内容の大部分は共通しており,ともにこの“当人の立場に鑑みて,割に合わない”,“異常な衝動性”およびその衝動性による問題行動が“繰り返し現れる”という“病的な習慣性”に焦点を当てた診断基準であると考える4,24)。
本稿では,過去の国内外の代表的なテキストや,現在の国際的診断基準におけるこの障害の記述を振り返りながら,また,当院での臨床体験も踏まえ,本症の本質を論じてみたい。
本症は,ギャンブル障害,インターネット使用障害,買い物嗜癖,性嗜癖,摂食障害などとともに,精神医学的には行動嗜癖の一つとされる。精神障害としての常習窃盗,クレプトマニアは古くからある病名であるが,行動嗜癖の中でも最も治療体験と研究の蓄積が少なく,実態の解明が遅れている。当院とその関連医療施設の京橋メンタルクリニックでは,常習窃盗症例の登録システムを構築しており,両医療施設で筆者らが診療しあるいは相談にかかわった症例は2008年1月から2017年10月の9年10か月で1,700例に達した。なお,クレプトマニアの邦訳名としては,“病的窃盗”,“窃盗癖”などが使われてきたが,アメリカ精神医学会による『DSM-5精神疾患の診断・統計のマニュアル』(2013)では,日本精神神経学会によって新しく“窃盗症”が採用された。以下,本稿でもこの“窃盗症”を用いるものとする4)。
一般的に常習窃盗は,①経済的利益のために金目の物品や金銭を盗む職業的犯罪者,②飢えて食物や生活必需品を盗む貧困者,③金があるのに些細なものを盗む病的窃盗者,の三種類に大別される。もちろん現実にはこれら三種の境界型,混在型,移行途上型など分類困難なタイプや,これら以外の熱狂的なコレクター(収集狂,蒐集嗜癖)や知的障害による常習窃盗も存在する。日常用語になった感のある日本語の“窃盗癖”は,広く②,③型両者の常習窃盗を意味し,必ずしも③型窃盗と同等ではない。本稿では,窃盗症は③型窃盗の一部であって,DSM-5の診断基準によって精神障害と診断される常習窃盗とする21)。
窃盗とは,広辞苑(第6版)によれば“他人の財物をこっそりぬすむこと。また,その人”,万引きは“買い物をするふりをして,店頭の商品をかすめとること。また,その人”とされる。
種々の窃盗に対する刑罰が記載されていた古代のハンムラビ法典(紀元前1700年代),旧約聖書のモーセの十戒(紀元前300年頃以前)中の窃盗を禁ずる文言,本邦の古事記(712年)中の,古代の皇族の部下の窃盗の話など,窃盗は,貴賤を問わず古代からなされてきた犯罪行為である。そのうち“万引き”が始まったのは,大量消費社会が具現された16世紀のロンドンで,“shoplifting”の語が人口に膾炙するのは17世紀末である16)。
さて,その窃盗を種々の理由で繰り返す人々,中でも,盗むという衝動に抗しきれず窃盗を繰り返す人たちがいる。その盗みは,通常の意味での物欲や金銭欲によるものでなく,いわば窃盗のための窃盗である。自己の窃盗衝動を制限できず,多くはそのリスクに見合わない少額の万引きを繰り返し,悩む。罰金,懲役など司法処罰でも,馘首,家庭崩壊など社会的制裁でも,その窃盗は止まらない。それが窃盗症〔クレプトマニアk(c)leptomania,以下,本症〕である。筆者の常勤する特定医療法人群馬会赤城高原ホスピタル(以下,当院)にはそのような人たちが,連日訪れる。
何らかのストレスの回避あるいは発散の方策として,衝動的になされた1回の万引きの成功〜快体験を機に,以後,種々の葛藤に面した時に,同様の万引きをなすことが時に無防備に繰り返され,あるいは徐々に巧妙化,大量/高額化するのが本症である。本症についての精神医学的知見が未だに乏しい中,この分野で際立った臨床体験を有する竹村は,これを「窃盗症は衝動性の障害として発生し,嗜癖問題として進行する」,と表現している20)。
現在,本症に対しては,Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM)とInternational Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems(ICD)での診断基準が広く使われている。両者は,合併症,鑑別診断での違いもあるが,内容の大部分は共通しており,ともにこの“当人の立場に鑑みて,割に合わない”,“異常な衝動性”およびその衝動性による問題行動が“繰り返し現れる”という“病的な習慣性”に焦点を当てた診断基準であると考える4,24)。
本稿では,過去の国内外の代表的なテキストや,現在の国際的診断基準におけるこの障害の記述を振り返りながら,また,当院での臨床体験も踏まえ,本症の本質を論じてみたい。
本症は,ギャンブル障害,インターネット使用障害,買い物嗜癖,性嗜癖,摂食障害などとともに,精神医学的には行動嗜癖の一つとされる。精神障害としての常習窃盗,クレプトマニアは古くからある病名であるが,行動嗜癖の中でも最も治療体験と研究の蓄積が少なく,実態の解明が遅れている。当院とその関連医療施設の京橋メンタルクリニックでは,常習窃盗症例の登録システムを構築しており,両医療施設で筆者らが診療しあるいは相談にかかわった症例は2008年1月から2017年10月の9年10か月で1,700例に達した。なお,クレプトマニアの邦訳名としては,“病的窃盗”,“窃盗癖”などが使われてきたが,アメリカ精神医学会による『DSM-5精神疾患の診断・統計のマニュアル』(2013)では,日本精神神経学会によって新しく“窃盗症”が採用された。以下,本稿でもこの“窃盗症”を用いるものとする4)。
一般的に常習窃盗は,①経済的利益のために金目の物品や金銭を盗む職業的犯罪者,②飢えて食物や生活必需品を盗む貧困者,③金があるのに些細なものを盗む病的窃盗者,の三種類に大別される。もちろん現実にはこれら三種の境界型,混在型,移行途上型など分類困難なタイプや,これら以外の熱狂的なコレクター(収集狂,蒐集嗜癖)や知的障害による常習窃盗も存在する。日常用語になった感のある日本語の“窃盗癖”は,広く②,③型両者の常習窃盗を意味し,必ずしも③型窃盗と同等ではない。本稿では,窃盗症は③型窃盗の一部であって,DSM-5の診断基準によって精神障害と診断される常習窃盗とする21)。
参考文献
1)American Psychiatric Association(髙橋三郎,花田耕一,藤繩昭,訳:DSM-Ⅲ 精神障害の分類と診断の手引き.医学書院,pp153-156, 1982)
2)American Psychiatric Association(髙橋三郎,花田耕一,藤繩昭,訳:DSM-Ⅲ-R 精神障害の分類と診断の手引き.医学書院,pp157-159, 1988)
3)American Psychiatric Association(髙橋三郎,大野裕,染矢俊幸,訳:DSM-Ⅳ 精神疾患の分類と診断の手引き.医学書院,pp219-221, 1995)
4)American Psychiatric Association(日本精神神経学会日本語版用語監修,髙橋三郎,大野裕監訳:DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル.医学書院,pp469-470, 2014)
5)オイゲン・ブロイラー(切替辰哉,訳):内因性精神障害と心因性精神障害.中央洋書出版部,pp196-199, 1990
6)ジョン・グラント,サック・キム(加藤洋子,訳):どうしても「あれ」がやめられないあなたへ—衝動制御障害という病.文藝春秋,p14, 2003
7)石田昇:新撰精神病学.南湊堂,pp460-463, 1906(創造出版,1977)
8)カール・ヤスパース(西丸四方,訳):精神病理学原論.第一章 病的精神生活の主観的現象(現象学)第一節 異常な精神生活の諸要素—四.欲動と意思.みすず書房,pp91-94, 1971
9)呉秀三:精神病學集要.吐鳳堂書店,pp211-212, 1915
10)エミール・クレペリン(遠藤みどり,稲浪正充,訳):強迫神経症.生得の病的状態—C衝動狂.みすず書房,pp116-129, 1989
11)エミール・クレペリン(遠藤みどり,稲浪正充,訳):強迫神経症.精神病質人格—B軽佻者.みすず書房,pp205-225, 1989
12)樺沢美香,小林千佳子,大塚淳子,他:常習的窃盗患者の看護,17年の経験—どのように困難を克服してきたか.アディクションと家族 30:pp50-54, 2014
13)村松太郎,村山昌暢:窃盗症.別冊日本臨牀 新領域別症候群シリーズNo.38 精神医学症候群(第2版)Ⅱ.日本臨牀社,pp513-517, 2017
14)大橋博司,訳・編:精神医学の源流—ギリシャ・ローマ編.金剛出版,pp162-169, 1972
15)クルト・シュナイダー(平井静也,鹿子木敏範,訳):臨床精神病理学 第6版.付録 感情と欲動の病的心理学概説.文光堂,pp174-181, 1963
16)レイチェル・シュタイア(黒川由美,訳):万引きの歴史.1.盗みと処罰.太田出版,pp24-45, 2012
17)レイチェル・シュタイア(黒川由美,訳):万引きの歴史.2.窃盗症と法の変革者.太田出版,pp46-66, 2012
18)竹村道夫:窃盗癖への対応と治療—700症例の経験から.アディクションと家族 29:pp207-211, 2013
19)竹村道夫:常習窃盗の治療.精神療法 41:pp57-61, 2015
20)竹村道夫:窃盗症の概念と治療.BRAIN and NERVE 68:pp1177-1186, 2016
21)竹村道夫:窃盗癖と他の嗜癖性疾患との比較.臨床精神医学 45:1571-1576, 2016
22)田村俊美,角田寿子,長澤貴志,他:窃盗癖処遇困難事例への看護対応の実際.アディクションと家族 28:pp51-53, 2011
23)吉野由希子,田村俊美,竹村道夫:常習的窃盗患者の看護.アディクションと家族 27:pp234-239, 2010
24)WHO(融道男,中根允文,小見山実,訳):ICD-10 精神および行動の障害 臨床記述と診断ガイドライン.医学書院,pp219-222, 1993
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