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文献概要
オピニオン パーソナリティ障害の現在
BPDに思う
著者: 関由賀子1
所属機関: 1国立研究開発法人国立国際医療研究センター病院精神科
ページ範囲:P.168 - P.173
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本オピニオンのテーマは「パーソナリティ障害の現在」であるが,筆者はパーソナリティ障害の診療経験を,ことに最近ではそれほど持っているわけではない。そういう意味では,本テーマにある「現在」には合致しないのかもしれないが,筆者にはパーソナリティ障害,中でもborderline personality disorder(BPD)というと否応なく思い出される患者がいる。その患者は,精神科医になって間もない頃に(というか,直接の受け持った2例目の新入院として)担当したのであるが,その経験はその後のBPD患者とのかかわりを決定づけたともいっていい強烈な体験であった。その頃に感じた疑問の一つを契機として,かつて『「人柄」を把握するということ—「元々どういう人だったの」に触れて—』(精神科治療学23:685-690,2008)という拙論を書いたことがある。それを含むその経験で感じたことの多くは論文化できるようなものではないものの,筆者にとってその後のBPDの診療の拠り所となったことは確かであり,その当時にBPDという患者のことについて感じていたあれこれを,この機会に書き記しておくことをお許し頂きたい。
本オピニオンのテーマは「パーソナリティ障害の現在」であるが,筆者はパーソナリティ障害の診療経験を,ことに最近ではそれほど持っているわけではない。そういう意味では,本テーマにある「現在」には合致しないのかもしれないが,筆者にはパーソナリティ障害,中でもborderline personality disorder(BPD)というと否応なく思い出される患者がいる。その患者は,精神科医になって間もない頃に(というか,直接の受け持った2例目の新入院として)担当したのであるが,その経験はその後のBPD患者とのかかわりを決定づけたともいっていい強烈な体験であった。その頃に感じた疑問の一つを契機として,かつて『「人柄」を把握するということ—「元々どういう人だったの」に触れて—』(精神科治療学23:685-690,2008)という拙論を書いたことがある。それを含むその経験で感じたことの多くは論文化できるようなものではないものの,筆者にとってその後のBPDの診療の拠り所となったことは確かであり,その当時にBPDという患者のことについて感じていたあれこれを,この機会に書き記しておくことをお許し頂きたい。
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