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雑誌目次

論文

精神医学63巻9号

2021年09月発行

雑誌目次

特集 産業精神保健の現状と課題

特集にあたって

著者: 井上猛

ページ範囲:P.1289 - P.1289

 2015年に労働安全衛生法の改正に基づき職場のストレスチェック制度が始まり,職場のストレスが注目されるようになった。ストレスチェックの結果を集団ごとに集計,分析をしてその結果に基づく職場環境改善を進めることが事業主の努力義務となった。職場のセクシュアルハラスメント対策,妊娠・出産・育児・介護休業などに関するハラスメント対策も事業主の義務となっている。2020年労働施策総合推進法の改正により,いわゆるパワハラ防止法が施行され,事業主(会社側)のパワーハラスメント対策が法的に義務付けられることとなった。2000年以降,わが国では児童虐待,いじめの防止に関する法整備が行われてきたが,職場におけるセクハラ,パワハラへの対策も他者からの心理的被害を法律によってなんとかしようという日本政府による一連の対策であると理解される。法制化による対策が必要なほど,これらの心理的被害が深刻であると筆者は理解している。このように,最近産業精神保健をめぐる状況は法制度の面から大きく変化し,産業精神保健にかかわる精神科医,保健師,看護師,心理師にはこれらの変化の中で現状を理解し,対策に関与することが求められている。さらに,精神科医は産業医としての業務だけでなく,労働者の主治医の立場からも産業精神保健に関与する。前者は一部の精神科医にとどまるが,後者の役割はすべての精神科医が担わなくてはならない。2020年にはCOVID-19流行による不景気,倒産企業数の増加,リモートワーク,失業者増が起こり,職場における精神保健は重要な国家的課題となっている。産業における精神医学の役割はますます大きくなっており,精神医学は産業精神保健に積極的に貢献しなくてはならない。本特集では,産業精神保健の現状と課題について各分野の専門家に解説いただいた。それぞれの論文は産業精神保健の重要な点や最近の変化を指摘しており,産業精神保健を正しく理解するのに役立つと思う。産業精神保健に精神医学が貢献することに本特集が役立つことを期待する。

ストレスチェック制度と産業精神保健—これまでを振り返り,今後の課題について考える

著者: 小田切優子

ページ範囲:P.1291 - P.1299

抄録 ストレスチェック制度は一次予防を目的としたメンタルヘルス対策である。制度の施行から約6年が経過し,毎年多くの労働者が受検し制度が定着してきた一方,メンタルヘルス対策としての効果を実感しにくいという声も耳にする。本稿ではストレスチェック制度の各ステップを振り返り,今後の課題について考えたい。各種ツール類を参考に,事業場のメンバーが積極的に,そして主体的に職場環境に取り組み,メンタルヘルス対策の一次予防が進むことが期待されている。

労働施策総合推進法の改正とパワーハラスメント対策の現在

著者: 鈴木翼

ページ範囲:P.1301 - P.1310

抄録 2019年の労働施策総合推進法の改正により,職場におけるパワーハラスメントの定義が法令にて明記されるとともに,事業主(会社側)のパワーハラスメント対策が法的に義務付けられることとなった。本稿では,法改正の内容を,これまでの経緯とともに解説した。
 職場におけるパワーハラスメントは,適切な業務上の指導との線引きにその難しさがある。今回の法改正は,この線引きを明確にしようとするものであるが,実際の判断には総合的な考慮も必要であり,その性質上,悩ましさは残る。
 また,事業主のパワーハラスメント対策については,セクシュアルハラスメントと同等の法的義務が導入された。実効的な対策とするには,継続的な取り組みが重要である。

産業精神保健が取り組むべき基礎的課題について

著者: 浜口伝博

ページ範囲:P.1311 - P.1319

抄録 産業の変化は職場のサービス化とIT化を推し進め,労働者にさらなる処理スピードと情報処理負荷を求めている。これらは労働者のストレスを高め健康障害となって現れており,精神障害の労災申請件数も1次関数的に増加している。過重労働対策として労働時間の上限規制が施行されてはいるが,その効果の兆しはまだみられない。産業精神保健活動は,上流でのストレス対策と下流での事例対策との同時進行で取り組む必要があり,上流はストレスチェック制度を応用しながら組織的な取り組みとし,下流の事例対策としては,社員と専門職の面談しやすい社風づくりを進めるべきであろう。労働安全衛生法改正を機に産業医の権限強化と産業保健機能強化が進められているが,社会が期待する産業保健成果をどこまで出せるかは現場の専門家に委ねられている。産業精神保健活動も,同じく労働者の安全と健康を確保する事業者活動として総合的に進める必要がある。

労災保険制度における精神科治療

著者: 黒木宣夫

ページ範囲:P.1321 - P.1329

抄録 精神障害の労災請求件数は毎年,過去最高を更新しているが,その中でも「自殺ではない精神障害」の労災認定件数が急増しており,労災保険による精神科治療の在り方,特に労災認定後の長期療養が大きな日常臨床上の課題となっている。労災保険では「治癒」(症状固定)しないかぎり,障害認定しないという基本原則があり,療養・休業補償給付は継続する。そのことも労災認定後の長期療養が増加している要因とも考えられている。本稿では,労災認定基準の動向,労災保険給付,労災認定,治癒(症状固定),労災認定後の長期療養調査(労災疾病臨床研究事業)の報告,さらに労災認定後の長期療養事例を提示し,労災保険による精神科治療の問題点を報告する。

非正規雇用労働者における精神保健

著者: 廣尚典

ページ範囲:P.1331 - P.1339

抄録 非正規雇用労働,特に派遣労働,パートタイム労働に従事する者の労働実態および精神保健の現状と課題について概説し,近年増加しているダブルワークが健康に及ぼす影響とその対策における問題点にも言及した。一般に非正規雇用労働者は,正規雇用労働者に比べ,精神的健康が阻害されやすい状況にあるという報告が多い。非正規雇用者のストレス要因は正規雇用労働者と異なった面があり,仕事・職場外の要因,さらにはそれらと仕事・職場関連要因との相互の影響を考慮して,精神的健康に関する支援を行うことが望まれる。社会保障などのマクロの視点も重要である。

COVID-19拡大下における医療機関での復職支援の現状と課題

著者: 五十嵐良雄

ページ範囲:P.1341 - P.1353

抄録 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大に伴う復職支援の現状と課題に関して論述した。精神疾患により休職した労働者への復職支援プログラム(リワークプログラム)に関して,これまでの発展経過を概括的に述べるとともに,感染拡大下での実施状況などに関して日本うつ病リワーク協会の実施した調査結果も示した。また,臨床場面での経験も含めて考察し,今後のリワークプログラムへの展望についても触れた。

産業医から治療者に期待すること

著者: 市来真彦

ページ範囲:P.1355 - P.1364

抄録 労働者にとって「労務を提供する」ということは,疾病があろうがなかろうが,「勤怠不良がなく,期待されるアウトプットを出す」ことである。よってうつ病の患者が復職可能であるということは,症状が軽減しているだけでは不足であり,上記条件に到達させた上で診断書を記載する必要がある。そのためには,1) 治療初期の時点で,患者に「正しい休息」に努めさせると同時に,本人の同意を得て会社側から本人の労働内容などの情報を入手した上で治療プランを立てる,2) 診断が決まったら正しい診断を診断書に記載し,復職時には配慮する必要があることを会社側に明らかにしておく,3) 時期が来たら,身体のリハビリテーション,脳のリハビリテーション,認知療法などの心のリハビリテーションという3つの「訓練」を開始し,4) 生活リズムを働く状況にシフトさせていく,5) 薬物療法は,復職前には,職種によって適切とは言えない薬物を服用させないようにしておく,といった取り組みがなされていることが望まれる。

産業精神保健分野におけるプレゼンティーイズムの重要性および睡眠との関係

著者: 石橋由基

ページ範囲:P.1365 - P.1371

抄録 近年,産業保健の現場でプレゼンティーイズムの重要性が増しており,その文献的な整理・考察を行った。特に①プレゼンティーイズムの経済的な損失額がアブセンティーイズムよりも大きいこと,②疾病によるアブセンティーイズムよりも広い範囲で労働環境のコンディションを表す概念であること,③測定が簡便であり,妥当性が担保されていることが近年プレゼンティーイズムが注目される背景として挙げられる。さらに,プレゼンティーイズムを引き起こす大きな原因となる睡眠の問題に注目し,睡眠時間だけでなく本人が満足できる睡眠がプレゼンティーイズムを引き起こさないために必要であるとの研究結果を紹介する。今後プレゼンティーイズム概念の産業保健分野での普及に従って,その要因として大きな睡眠にも注目が集まり,さらなる研究・実践が進むことを期待している。

睡眠・生活習慣とジョブストレス・プレゼンティーイズム

著者: 志村哲祥

ページ範囲:P.1373 - P.1381

抄録 人間は仕事のストレスなどの心理的ストレッサーのみによってメンタルヘルスの問題を生じるわけではなく,睡眠や食生活をはじめとする生活習慣もまた影響する。睡眠・生活習慣の問題はジョブストレスにおける心身のストレス反応と強く関連するのみならず,不調による労働生産性の低下であるプレゼンティーイズムをも引き起こす。睡眠・生活習慣はセルフケアが可能な要素でもあり,職域において,ただちに職務環境を変革できないような場合であっても,個人の裁量によって改善できる重要な因子であると考えられる。

COVID-19流行下におけるライフスタイルと体内時計の変化

著者: 高江洲義和

ページ範囲:P.1383 - P.1390

抄録 COVID-19の世界的な感染拡大により我々の社会生活は大きく変化した。さまざまな社会行動制限が就労者の心身に与える影響は多要因であり,その影響は未だ明確には解明されていない。現代社会の就労者は夜型化した個人の体内時計と社会で要求される睡眠・覚醒リズムのずれや,その結果生じる睡眠負債などが心身のストレスに影響を与えていることが知られている。COVID-19拡大に伴う社会行動制限によるライフスタイルの変化により個人の睡眠・覚醒リズムは夜型となり,睡眠の質の悪化を招いているという報告もあるが,逆に睡眠の質が改善しているという報告もあるため,その影響は一様でないと考えられる。未だ続くCOVID-19拡大の中で心身の健康を維持するために,多様化した個人の体内時計に合わせた新しいライフスタイルを模索していくことが求められている。

研究と報告

未治療期間が強迫症(OCD)の臨床像や精神病理,治療反応性に及ぼす影響についての後方視的調査

著者: 日下部新 ,   宮内雅弘 ,   橋本彩 ,   橋本卓也 ,   中嶋章浩 ,   向井馨一郎 ,   松永寿人

ページ範囲:P.1391 - P.1403

抄録 強迫症(obsessive-compulsive disorder:OCD)では,選択的セロトニン再取り込み阻害薬および認知行動療法が第一選択的治療とされているが,この反応性にどのような要因が影響するのかについて,いまだ一貫した見解は得られていない。
 本研究では,発症後から薬物など適切な治療開始までの罹病期間,すなわち未治療期間(duration of untreated illness:DUI)に注目し,OCDの臨床像や精神病理,あるいは治療予後にいかに影響するかを,当方で1年以上治療を継続した358例を対象に後方視的調査によって検討した。
 結果,DUIが長期のものは,より強迫症状が重度で全般的機能水準が低度であり,治療開始1年後の予後も有意に不良であった。この結果はOCDにおける早期発見,早期介入の重要性を支持するものと考えた。

資料

New long stay患者の1年後転帰に関連する要因についての予備的検討

著者: 小松浩 ,   大野高志 ,   米田芳則 ,   石田雄介 ,   槙貴浩 ,   大場綾希子 ,   森康子 ,   富田博秋 ,   角藤芳久

ページ範囲:P.1405 - P.1415

抄録 New long stay(NLS)患者(入院期間1年以上5年未満)を対象に,1年後転帰(入院継続の有無)に影響する要因を明らかにするため,NLS患者23名を対象に,「重度かつ慢性」基準案,精神症状(BPRS),病識(SAI-J),認知機能(BACS-J),病前推定知能(JART-25),自閉スペクトラム症特性(AQ-J),自己効力感(SECL),self-stigma(ISMI-J)の評価を行った。調査時点から1年経過した時点で退院群と入院継続群の2群に分け,調査時点での各評価項目の比較を行った。入院継続群(n=15)は退院群(n=8)と比較して,「重度かつ慢性」基準案の該当群の割合,BPRS総得点が有意に高く,SAI-J総得点,ワーキング・メモリのZ scoreが有意に低い結果であった。本研究により,精神症状の重症度,病識とワーキング・メモリの低さが1年後転帰の予測因子になり得ることが示唆された。

書評

てんかん臨床に向きあうためのシナリオ

著者: 加藤昌明

ページ範囲:P.1404 - P.1404

 てんかんを診るときに,自身のスタンスの取り方になんとなく戸惑いを感じる精神科医は少なくないのではないだろうか。この本はそういった医師に,「てんかん医療の基本を踏まえつつ,そこに精神医学的あるいは心理的な視点を織り込むことがさほど特別なことではない」というメッセージを伝え,「シナリオ作り」をガイドしてくれる。精神科医であり,かつてんかん専門医として長年てんかん臨床に深くコミットしてきた著者ならではの視点に根差して書かれた著作である。「シナリオ」という喩えが最初はちょっとなじみにくいかもしれないが,読み進むうちにその意味がじわじわと分かってくる。
 導入のあと,チャプター2「ケースから考えるシナリオ」での13症例の紹介が圧巻である。発作が止まっても内に抱えた悩みの深さ,治療開始の合意を得ることの難しさなどが,一見元気な高校生や,高齢発症のケースを通じて語られる。次いで精神症状を伴うケースについて,単に薬物の使い方にとどまらず,疾病としてではなく一人の人間にとってのその状態の意味を受け止める,という姿勢の大切さが示される。てんかんと診断的に紛らわしい心因性非てんかん性発作のケースでは,診断のその先,治療的な関わりの苦労や工夫が具体的に語られる。発作が難治なケースへの,治療者としての地道な関わり方も分かりやすく語られる。これら13症例の紹介を通じて,読者はそのレベルに応じてさまざまな気付きを得られる。こうしてイメージがつかめてきた「シナリオ」の意味が,チャプター3「てんかんを覆う霧を払う」で明示される。治療者の側が自分なりのてんかん臨床のシナリオを描くこと,(膨大なてんかん診療領域の)何を諦めて,何を身につけるか(どこまで自分一人で行うか),てんかんについての自分のイメージを明確にする,といった目からウロコの直言が次々に語られる。この章と続く2章(薬物療法の解説など)が,主にてんかん学の基本的なことがらの理解と,それを踏まえたシナリオ作りのガイドである。対してチャプター6,7は精神医学的・心理学的視点からのシナリオ作りのガイドである。健康なてんかん患者の「心」にも目を向ける,「どんな人なのか」という輪郭を踏まえて診療する,心理アセスメントは原因探しではないなど,精神科臨床で当然のことが,てんかん診療においても同じように大切であることが解説される。

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基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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