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追悼
小阪憲司先生を偲んで
著者: 井関栄三1
所属機関: 1シニアメンタルクリニック日本橋人形町
ページ範囲:P.1075 - P.1077
文献購入ページに移動その後,1991年に先生は横浜市立大学医学部精神医学教室の教授となり,私は講師から助教授として12年間,ご一緒に仕事をさせていただき,親しくご指導いただきました。先生は学問に関しては厳しい方でしたが,実にフランクでなんでも相談できる方でした。老年精神医学の臨床では,横浜市立大学に認知症疾患治療研究センターを作られ,認知症専門外来を発展させ,横浜市福祉局との疫学研究なども行いました。神経病理学の研究では,毎週開かれる剖検例の病理カンファレンスには,自ら参加されてご指導いただきました。当時は,まだDLBの疾患概念は世界に共通のものとはなっておらず,レビー小体をもつ剖検例がいくつもの異なる名称で報告され,混沌とした時代でした。当然,DLBの頻度なども分かっておらず,現在,「アルツハイマー型認知症」に次ぐ第二の認知症疾患になるとは想像しておりませんでした。このため,当初は私たちも剖検例の臨床病理学的研究を引き続いて行っておりましたが,その後,1997年に,DLBおよびPDの原因蛋白がαシヌクレインであることが明らかとなり,私たちの神経病理研究はαシヌクレインを用いた免疫組織化学,免疫電子顕微鏡を用いた病態機序の解明を目指した研究に移ってまいりました。1995年,DLBの第1回国際ワークショップ(International Workshop on DLB and PDD)が開催され,DLBの概念が国際的に共通のものとなり,現在につながるDLBの臨床病理診断基準が作成されました。先生はその中心的役割を果たし,その後のワークショップでも常に新しい研究成果を発表されてこられました。
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