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雑誌目次

雑誌文献

精神医学66巻12号

2024年12月発行

雑誌目次

特集 「治療を終える」に向き合う

特集にあたって フリーアクセス

著者: 福田正人

ページ範囲:P.1501 - P.1502

 「いちど担当した患者さんには,一生付き合うつもりでいなさい」,精神科医として駆け出しの頃,先輩からそう教育を受けた。精神医学と精神医療の限界に基づく指導だったのだろうが,病気からの回復を求めて受診する身にとっては,「治療を終える」を目標にしたいのは当然の気持ちである。
 精神疾患の特質から「治る」とまで言えないことが多いとしても,リカバリーの考え方が広がってきていても,「治療を終える」について受診者ときちんと話題にしたことがあったろうか。医療者として「治療を終える」ことを意識して目指してきただろうか。そうした反省から「治療を終える」をテーマとした特集を企画した。

【総論】

精神疾患の「治療を終える」とは

著者: 青木省三

ページ範囲:P.1504 - P.1508

抄録
 精神疾患においては,患者と家族は「終わりのある急性疾患」と考え,治療者・支援者は「長い経過をたどる慢性疾患」と考えるという,乖離が生じやすい。その意味からも,一定の安定した状態が続けば,いったんは「急性疾患として治療を終える」という選択肢もあるのではないかと筆者は考えるようになった。また,治療を終える際には,「困った時には相談に来てほしい」と伝えるだけでなく,患者が社会の中で孤立しないような配慮が必要と考えた。そして,通院の経路,治療のバトンを渡すこと,通院歴の空白,転地や転院を繰り返すこと,再発・再燃を通院や服薬をやめたせいにしないこと,などについて,「治療を終える」という視点から論じた。

「治療を終える」—リカバリーとその体験談

著者: 増川ねてる

ページ範囲:P.1509 - P.1516

はじめに
 2004年。僕は,30歳で一人暮らし。生活保護を受給しながら,“病い”をよくしようと試行錯誤をしていました。18歳で新潟の実家を出て,12年後の30歳。その時は,千葉県市川市に住んでいました。仕事は数年前に辞めていて,障害年金と生活保護費が収入のすべて。人付き合いはほとんどなくなり,生活保護のケースワーカーさんが家に来るのですが,それが怖くて怖くて,出られません。通院は月に1回で,それは僕が口を開く唯一の機会のようになっていました。
 「とにかく病気をよくしたい」
 「病気が治れば,僕は社会に戻れる。今はとにかく,病気を治そう」
 「自分に合った薬は何か?」「自分に合った薬の組み合わせは何か?」毎日毎日,薬を飲んでその効果を記録し,起きた時間寝た時間,ご飯の時間や,その日したことなどを記録していました。

「治療を終える」を診療で話題にする

著者: 川口敬之 ,   小林慧

ページ範囲:P.1517 - P.1522

抄録
 「治療を終える(治療終結)」は,診療の受診者と医療者との間にジレンマを引き起こし,課題が多く存在する。目の前にいる受診者の治療終結が可能であるか否かを医療者が判断する以前に,受診者は治療目標の達成や,よりよい形での治療終結を望んでいる。本稿では,受診者とともに「治療を終える」を診療で話題にすること自体は治療初期から可能であるという視座に立ち,「治療を終える」に向き合うことを試みた。治療プロセスの中で,受診者と医療者が「治療を終える」とはどのような状態であるかについて協働的に検討することは,医療者が自身の不安やリスクへの懸念を理由に何も講じないよりも,その利点は大きい可能性がある。受診者と医療者がともに治療終結に向かうことを可能にするために重要なことは,「治療を終える」を話題にする時期や必要な配慮・視点を踏まえて,医療者が「治療を終える」を信じることかもしれない。

精神療法の「治療を終える」

著者: 池田暁史

ページ範囲:P.1523 - P.1527

抄録
 精神療法において「治療を終える」とはどういうことかを論じるために,第一水準の精神療法と第二水準の精神療法という区別を導入した。精神分析的精神療法や認知行動療法のような専門的精神療法である第二水準の精神療法には,治療開始時に期限が設定されているものとされていないものがあり,それによって治療の終わり方は相当に異なる。無期限設定の精神療法では,急に治療を終えるのではなく終結期をもつことが患者が別れを乗り越える(喪の仕事)うえで非常に重要となる。保険診療における通院精神療法や入院精神療法に該当する第一水準の精神療法は,本邦では一般に支持的精神療法と呼ばれることが多いが,その終わり方には実にさまざまなパターンがある。患者が勝手に来なくなってしまうという事態が第二水準の精神療法と比べて格段に多くなるが,それでも可能な限り「治療の終わり」を患者と治療者という2人で体験することの意味は大きい。

治療終結に至った産後うつ病症例から学ぶこと

著者: 尾崎紀夫

ページ範囲:P.1528 - P.1535

抄録
 本稿では,精神科臨床における治療終結の課題に焦点を当て,筆者の40年にわたる臨床経験に基づき,初発産後うつ病患者の治療終結プロセスを具体的な事例として提示し,うつ病治療終結を決定するうえで重要な寛解および抗うつ薬維持療法期間に関するエビデンスを示した。そして,症状レベルの改善と安定に加え,社会的機能の改善や治療終結後の再発防止を達成するためには,抗うつ薬治療に加えて,妥当性の承認を基盤とした治療者-患者関係の構築や,心理教育を経た共同意思決定の重要性について論じた。さらに,うつ病以外の精神疾患においても同様のエビデンス構築が求められると結論づけた。また,患者と家族が求める「精神疾患の明確な理解と効果的な治療法」の実現には,病態の解明,新規治療薬の開発,さらに治療終結に至るためのエビデンスの確立が不可欠であることを指摘した。

【双極症】

双極症で薬物療法を終えるということ

著者: 加藤忠史

ページ範囲:P.1538 - P.1542

抄録
 双極症の中でも,双極症Ⅰ型と双極症Ⅱ型では,薬物療法継続の基準は異なる。双極症Ⅰ型は,治療を中止することでほとんどの患者が再発に至るが,躁状態を再発した場合,社会的信用を損なうなど人生に大きな傷跡を残すことから,多くの場合再発予防療法を長期に続けることが望ましい。そのため,医師から積極的に薬物療法終結を勧めることは少ないが,薬物療法終結という選択肢を持つことが,逆説的に治療継続につながることが多い。一方,双極症Ⅱ型では,薬物療法の終結が選択肢となるケースもあるが,患者が薬物療法終結に抵抗を示す場合もある。双極症における薬物療法の終結は,医学的観点,患者の心理,医師の心理など多くの観点を含む複雑な臨床判断である。

「治療を終えたい」に寄り添う心理社会的治療—対人関係・社会リズム療法

著者: 利重裕子 ,   水島広子

ページ範囲:P.1543 - P.1548

抄録
 双極症のように,“一生付き合っていく”と考えられている病気を受け入れることは容易ではない。心の奥底では,「治療を終えて,元の生活に戻りたい」という願望が多くみられる。治療者としてまず重要なことは,患者が薬物療法をしながら社会リズムを整える必要がある(制約のある)生活から解放され,「治療を終えたい」と願うのは当然であると,患者の感情を肯定することである。また,それと同時に,患者が過去に薬物療法を受けずに自由で制約のない生活を送った結果,症状が悪化し,人生に大きな代償を払ったことを振り返り,“無理が利く”健康な自分には戻ることができないという喪失感に寄り添いながら,新しい生活スタイルを模索する患者を支えることも重要である。そして,新しい生活スタイルを構築する過程で,症状が再発した際には早期に治療を再開できるように,あらかじめ症状が再発しやすい契機を共有しておくことが重要である。

「急性期治療を終えた」その後

著者: 寺尾岳

ページ範囲:P.1549 - P.1554

抄録
 多くの双極症患者は急性期治療から維持療法へ至っても,正常気分を保ちつつ再発防止のための服薬を続けることが精一杯で,なかなか治療終結の話にはならない。実際には,長期にわたる再発予防療法の過程で患者の話が病気中心の話題から日常生活中心の話題に変わっていきつつも,再発に備えて緊張感を持って治療を続けている患者が多いと筆者は考えている。本稿では,患者も納得のうえで長期間治療を続けている双極症Ⅰ型とⅡ型それぞれ1例ずつと,患者の意向で治療を終結した双極症Ⅰ型とⅡ型それぞれ1例ずつを示す。今回提示した4例は,患者も筆者も苦労しながら双極症急性期を終え維持療法へ移行し,現時点あるいは最終診察時に正常気分を維持していた。治療を終結した2例では今後の再発の危険性は否定できず,再受診の可能性はある。双極症の治療終結を考える時には,患者の個別性に応じて,よくよく患者と話し合う必要がある。

〈essay〉

生涯一病人:躁鬱と修行

著者: 庄司文雄

ページ範囲:P.1536 - P.1537

はじめに
 「『治療を終える』に向き合う」というテーマをいただいたが,双極性障害(躁鬱病)の当事者である私は,「この病気は基本的には完治しない。服薬も生涯続ける必要がある」と医師から言われた言葉を信じて今日に至っている。つまり「生涯一病人」ということである。そのため,この度の執筆依頼に対して,私にできることは,「『治療を続ける』に向き合って」きた,つまり,躁鬱を生きてきた自分自身のささやかな歴史を綴ることしかないと思っている。
 私は昭和38(1963)年の生まれであり,現在,還暦を過ぎたところである。双極性障害を27歳で発症し,その後30年以上,万能感に満たされる躁状態と希死念慮に苦しめられる鬱状態の間(あわい)を生きてきた。おかげさまで,2023(令和5)年3月には40年間働いた職場を定年退職することができた。発症当時にお世話になった職場の産業医から,この病気との付き合いは「修行だと思いなさい」と言われたことを思い出す。私はその言葉を単に病気のつらさに耐えるということではなく,「病気をとおしながら自分を成長させていきなさい」という意味合いに捉えて,今日まで大事にしてきた。「修行」であれば,その過程で身に付けたものが何かあるはずである。わが身を振り返りながらそのことを考えてみたいと思う。

〈column〉

編者より:双極症の「治療主体感」 フリーアクセス

著者: 福田正人

ページ範囲:P.1555 - P.1555

 双極症の治療は,病状が安定してからも継続するというのが,現在の精神医療の推奨である。それを踏まえて,「治療を終える」という難しいテーマについて,深い経験に基づく知恵をいただくことができた。
 「逆説的ではあるが,薬物療法を終えるという選択肢を持つことこそが,薬物療法の継続のために,有効な方法ということになる」(加藤忠史氏),「『治療を終えたい』と願うのは当然であると,患者の感情を肯定」し,「“無理が利く”健康な自分には戻ることができないという喪失感に寄り添いながら,新しい生活スタイルを模索する患者を支える」(利重裕子氏・水島広子氏),「セルフ・コンパッションが育まれ…自分の人生に意味を見出せ…多少の困難は乗り越えていける自分に対していささかの誇りと自信を持てている」(寺尾岳氏)というコメントのいずれもが,治療の主体は自分であるという当事者の感覚を元にしたものであることが印象に残った。「治療主体感」と呼べばよいだろうか。

【摂食障害】

神経性やせ症における「治療を終える」

著者: 西園マーハ文

ページ範囲:P.1558 - P.1562

抄録
 神経性やせ症は,病状否認などの心理により治療を開始するのが難しい。治療を開始した後も,中断の可能性にはいつも気をつける必要がある。治療のアウトカムを体重のみとする治療では,体重目標を達成した後にはすぐ治療を離れてしまう場合もある。長期経過の研究では,心理的回復は体重増加の後に進むことも示されている。体重増加後の心理面の回復を目指し,治療を終えることを診療の中で話題にし,そのための準備をしていくことが重要である。少なくとも心理教育が十分行われ,再発した場合には気づいて対応できる必要がある。摂食障害は,パーソナルリカバリーや社会的リカバリーが進めば症状の回復も期待できる疾患であるが,そのためには,社会参加を促すことが非常に重要だと言える。

神経性過食症の「治療を終える」

著者: 野間俊一

ページ範囲:P.1563 - P.1567

抄録
 神経性過食症(bulimia nervosa:BN)の治療の終結とは何だろうか。BNの3〜4人に1人は慢性化すると言われるが,その背景には,まず性格傾向として,否定的感情,完璧主義,衝動性の高さがあり,否定的感情を軽減させるために過食や代償行動が嗜癖的に反復されると考えられる。少なからぬBN患者にトラウマ体験があることが推測されており,さまざまな傷つきに由来する自己存在の不確かさが否定的感情につながっていると考えられる。認知行動療法をはじめとする,BNに対する有効性の示された治療プロトコールには,治療期間が定められているものが多いが,BNの治療目標である嗜癖的な病的食行動の修正と自己存在の確立が,あらかじめ決められた期間に達成されることはないだろう。BN患者が人生の課題を自分の力で抱えていきたいと考えた際に通院がいったん終了することはあっても,いつでも再開できる関係は続けるべきである。その意味でBNの「治療を終える」ということはない。

中高年の摂食障害治療を終える

著者: 山内常生 ,   原田朋子

ページ範囲:P.1568 - P.1572

抄録
 医療機関を受診する中高年の摂食障害(eating disorder:ED)患者は増加した。なかには,若年で発症後に晩年までEDが遷延した慢性患者や,中高年での遅発発症患者までさまざまである。神経性やせ症(anorexia nervosa:AN)の遅発発症患者ではライフイベントが発症や維持に関連することが多く,一方で慢性患者の中には長期間の罹患から治療反応性の乏しい者も少なくない。回復した患者の治療を終えるうえでは,治療終結後の症状再燃に対処できる力を習得させるよう治療で取り組むことが重要である。しかし,遅発発症AN患者や慢性AN患者では,身体的な重症度などから治療を終えることは容易でない。一方,ED病理や食行動への治療を中心に据えず,ストレス要因への適応を高める治療や生活の質を第一にした治療とする場合は,EDの専門的治療から一般精神科治療などへ移行することも選択肢の1つとして考えられる。

〈essay〉

経験者が考える「治療を終える」

著者: 山口いづみ

ページ範囲:P.1556 - P.1557

はじめに
 摂食障害経験者が考える「治療を終える」というテーマをいただいた。では「治療」とはなんだろうか。また,「回復したから治療を終える」とシンプルに考えてみると,「回復」とはなにか。
 たとえば身体の病気に比べると,摂食障害の場合は「治療」や「回復」の定義にかなりばらつきがありそうだ。当事者同士でも,医療者と当事者でも,きっと医療者同士でも違っているのだろう。
 私たちあかりプロジェクトは2008年にスタートした当事者団体で,これまで自助グループ「あかりトーク」を通して200名あまりの当事者たちと分かち合いをしてきた。私が摂食障害当事者全員を代表することは決してできないが,これまで出会ってきた人たちの声を踏まえ,当事者たちがこれらをどう定義しているかを鑑みながら「治療を終える」ことについて考えてみたい。

〈column〉

編者より:摂食障害と「人生の納得度合い」 フリーアクセス

著者: 福田正人

ページ範囲:P.1573 - P.1573

 摂食障害は薬物療法の比重が小さいぶん,「治療を終える」を考える主体が当事者となることを,いずれの書き手も述べていたことが印象に残った。
 神経性やせ症では,体重の増加に引き続いて,体型への懸念やアレキシサイミアの傾向,対人関係におけるアサーションの弱さについての心理的な回復を図り,「治療を終えるための準備期間」を設けて,仕事や興味,家族,友人関係など多面的な自分の領域を持つ「多元的アイデンティティ」が健康につながるという(西園マーハ文氏)。神経性過食症では,「社会における自己存在の意義を少しずつ感じ取り,安心と自信を持って自分の人生を歩める」ようになったうえで,「通院を終了するという意味で治療を終えたとしても,医療者を含め,さまざまな人たちにいつでもアクセスができ,つねに見守られていると感じながら生きる」ことが大きな力となるという(野間俊一氏)。中高年の当事者では,「一般精神科や心理カウンセリング」へ「段階的に治療の場を移」すことで,「治療の場を離れた患者が調子を崩したいざという時に,治療に安心して戻れる場を維持することは治療を終えることと同様に重要」とされている(山内常生氏・原田朋子氏)。

【統合失調症】

薬物治療においての「治療を終える」

著者: 橋本直樹

ページ範囲:P.1576 - P.1581

抄録
 統合失調症は,「寛解」しても「治癒」は難しい病気であり,抗精神病薬の継続が必要であると考えられている。抗精神病薬の再発予防効果には高いレベルのエビデンスが存在する。代謝性副作用についても,長期服薬による生活習慣や受療行動の改善によるメリットがデメリットを上回ると考えられている。抗精神病薬中止の前段階にもなる間欠投与については有用性が否定されているが,減量については意見が分かれている。治療終結を希望する患者の気持ちは強いが,精神科医の側にその希望に向き合う準備ができているとは言えない。再発リスクの低い抗精神病薬の中止方法,再発リスクの低い患者群の同定に関するエビデンスの蓄積が必要である。

統合失調症の「治療を終える」に向けた心理社会的治療

著者: 藤井千代

ページ範囲:P.1582 - P.1587

抄録
 統合失調症の治療は長期的な継続が重視される一方,「治療を終えたい」と希望する当事者も少なくない。本稿では,その希望に対して医療者がどのように向き合うべきか,心理社会的治療の観点から論じた。「治療を終えたい」と考える背景には,病識の乏しさが関係する場合もあるが,治療に伴うさまざまな制約やスティグマなど,個別の事情がある。医療者が「治療を終えたい」とする患者の望みに対して丁寧に向き合う共同意思決定のプロセスは,当事者との信頼関係の構築に寄与するだけでなく,治療への動機づけやリカバリーにも資するものと考えられる。心理社会的治療により治療の負担を軽減しつつ,当事者の主体性を尊重した関わりを行うことが重要である。今後は,外来診療において統合失調症の心理社会的治療を適切に提供できるような体制づくりも必要である。

治療のあとの社会復帰のために

著者: 大森哲郎

ページ範囲:P.1588 - P.1591

抄録
 社会復帰ができれば,あるいは十分に社会参加ができれば,病気は社会的には治っている。身体障害や視覚障害を例にとると,積極的治療は完了しており,社会参加のためには生活障害(disability)ないしハンディキャップに対する社会の支援と理解が決定的に重要となる。統合失調症でも,症状残存というよりは持続性のハンディキャップを負った状態と見るのが現実的となることは少なくない。この観点からは,社会復帰の成否を左右する最大のポイントは,社会の支援と理解と受け入れである。はたしてそれは十分か。ただし,統合失調症におけるハンディキャップは病気の症状との区別が常に可変的である点は,追求すべき課題である。

〈essay〉

仲間が考える「治療を終える」

著者: 松本キック

ページ範囲:P.1574 - P.1575

 私,松本キックはお笑い芸人であり,「松本ハウス」というコンビ名で活動している。そして,相方のハウス加賀谷は統合失調症の当事者でもある。私は加賀谷の仲間として,三十数年という年月を共に歩んできた。統合失調症は加賀谷という人間を構成するピースの一つと捉え,一人の人間として接してきた。もちろん加賀谷のすべてを知るわけではない。正直,知らないことのほうが多いかもしれない。専門的な知識を身に着けてもいなければ,常にサポートできるわけでもない。ただ私の場合は,単純に仲間として,できることをできる範囲で注力してきたにすぎない。しかし「治療を終える」ということを考えたとき,実は私のような,仲間という存在も重要となるのではないだろうか。

〈column〉

編者より:統合失調症の「仲間と居場所と可変性」 フリーアクセス

著者: 福田正人

ページ範囲:P.1592 - P.1592

 統合失調症は寛解しても治癒しない病気であるとされてきた。しかし,「十分に社会参加ができれば,病気は社会的には治っている」のだから,「控え目に寛解と解釈していた状態を,もっとポジティブに捉えてよい」(大森哲郎氏)と考えられるようになってきている。
 薬物治療については,「治療終結が可能な患者を探す研究」が進んでいて,「治療終結を希望する患者の気持ちは強いが,精神科医の側にその希望に向き合う準備ができているとは言えない」(橋本直樹氏)。心理社会治療においては,「『治療を終えたい』とする患者の望みに対して丁寧に向き合う共同意思決定のプロセスは,当事者との信頼関係の構築に寄与するだけでなく,治療への動機づけやリカバリーにも資する」,「外来治療において統合失調症の心理社会的治療が提供できる体制の構築」が「日本の精神医療の構造的な課題」である(藤井千代氏)。「車いす利用者に対する段差のない社会環境や視覚障害者に対する点字ブロックに相当する」社会の支援と理解の不足に目を向けるとともに,「社会参加が広がるにつれて,ハンディキャップと見えていたものが縮小し,少なくとも症状レベルでは病気そのものが改善する」という「残存症状とハンディキャップの双方向の可変性」への気づきが必要だという(大森氏)。

試論

身体症状症の治療終結—その可能性を高めるには

著者: 名越泰秀 ,   小川奈保

ページ範囲:P.1595 - P.1605

抄録
 身体症状症(somatic symptom disorder:SSD)の治療終結に関する研究や論説はほとんどない。このため,他の疾患からの類推や筆者の臨床経験から論じた。まずは,SSDにおいても治療終結を目指すべきであり,その前提となる寛解は,治療を徹底的に行えば不可能ではないと考えられる。次に,真の治療終結のためには,再燃・再発の防止が必要である。強迫によるSSDでは再発が中心で,それも強迫症よりは少ない印象がある。十分な期間の薬物療法,強迫的な認知や行動の修正が望ましい。不安によるSSDでは再燃が多く,特に減薬中止の直後に生じやすい印象があり,たとえ薬物療法の継続期間を延長しても生じうる。慎重な減薬方法,ベンゾジアゼピン系抗不安薬の使用を控えることを含めプラセボ効果が生じないような配慮,「ストレス恐怖」を含む病態についての適切な心理教育,症状の出現を回避するのではなく症状への曝露を目指すようなアプローチが必要である。

書評

—本田秀夫 担当編集—〈講座 精神疾患の臨床〉9—神経発達症群 フリーアクセス

著者: 齊藤万比古

ページ範囲:P.1607 - P.1607

 中山書店刊行による〈講座 精神疾患の臨床〉の第9巻にあたるのが本書『神経発達症群』である。まず注目すべきは,本書が米国精神医学会のDSM-5が提唱し,精神疾患分類の国際基準となるはずの世界保健機関によるICD-11でも採用された神経発達症群(NDDs)という疾患群名を書名とし,ICD-11の疾患分類に準拠して構成しているところである。この書名は従来なら「発達障害」とされたところであろうが,それだとNDDsに含まれる個々の神経発達症(NDD)の影が薄まり,あたかも発達障害という単一疾患であるかのような印象を読者に与えてしまう危険が残ったであろう。本書がそうした発達障害の曖昧さを避け,精神疾患としてのNDDsを前面に押し出したところに評者は児童精神科医として共感を覚える。
 本書は総論に続く各論で知的発達症,発達性学習症,自閉スペクトラム症(ASD),注意欠如多動症(ADHD)の4疾患をそれぞれ章立てしてその諸側面に触れ,最終章に4疾患以外の発達性協調運動症や常同運動症などのNDDと,NDDsに分類されていない排泄症群,反抗挑発症,素行・非社会的行動症,さらにはICD-11では神経系疾患に分類された一次性チック症を関連疾患としてまとめているところに工夫がある。まさにNDDsの手強さは,上記の反抗挑発症や素行・非社会的行動症,そして総論である1章の「神経発達症群における鑑別と併存症」と「adverse childhood experiences(ACEs)の項で扱われている乳幼児期の心的外傷に関連した精神疾患などの併存症が絡みあう入り組んだ状態像をとらえる必要がある点と,そうした個々のケースの全体像に応じた治療を組み立てねばならない点にあるのだから。

—福武敏夫 著—神経症状の診かた・考えかた 第3版—General Neurologyのすすめ フリーアクセス

著者: 宮岡等

ページ範囲:P.1609 - P.1609

 評者は精神科医である。精神科医になって3,4年目のころ,今から約40年も前になるが,身体疾患に起因する意識障害であるせん妄,認知症,統合失調症治療薬による錐体外路症状,心理面の原因で身体症状を呈する転換性障害などに出合って,精神科医もある程度の神経内科(現在の脳神経内科)の知識が不可欠であると考えた。当時の私のバイブルは故・本多虔夫先生が単独執筆された『神経病へのアプローチ』(医学書院)であった。所属教室の主任教授に頼み,週1回程度であったが,しばらくの間,本多先生の下で研修を受け,臨床家はこうあるべきという姿勢も学んだ。
 それ以後,自分が精神科教員の立場となり,わかりやすいテキストを探している中,みつけたのが本書である。著者は初版の序で「遺伝学や生化学などのいわゆる高度医療の側面には触れていない。それらを高速道路建設に例えると,本書は街(まち)中(なか)の交通渋滞に対処するものである」,第3版の序では「『街中の交通渋滞対処』が『高速道路建設』に役立つ」,「予断や理屈に捉われないで,患者の症状を観察し,自ら一歩深く考えることが今なお臨床医に求められていると思う」と強調しており,評者が教えられてきた医療観を再確認させられた。

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基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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