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雑誌目次

論文

精神医学7巻6号

1965年06月発行

雑誌目次

特集 呉秀三先生の生誕100年を記念して

はじめに

著者: 江副勉

ページ範囲:P.496 - P.496

 本年は,わが国近代精神医学のBegründerであられた呉秀三先生が,慶応元年2月,江戸青山に誕生されて,正に百年めにあたる年であり,精神神経学会にとつて記念すべき年であります。
 先生が三浦謹之助先生とともに創設された日本神経学会(1901)のこんにちの隆盛を思い,また先生がもつとも力を尽された精神障害者対策が重大な社会問題となつているときにおいて,先生の先駆的な精神をあらためて確認し,その今日的意義をほりおこすことは,きわめて意義のあることである。

一般演題

クロノローギッシュに見た精神医学史における呉秀三の位置,他

著者: 近藤宗一

ページ範囲:P.497 - P.508

 呉先生はこの時代(第1図重線部分)にHocheやSommerとは同年,Liepmann,Alzheimer,Adolf Meyer,Simon,Bonhoefferなどともごくわずかの年齢の差で生きられ,わが国の精神医学の黎明期を指導された。以降その歴史は50年,ヨーロッパの近代精神医学のそれはおよそ2倍と計算され,そこに彼我学問のハンディキャップがあるといわれる。しかしそのハンディキャップとは,具体的にどのような内容であつたのだろう。実をいうと,呉先生が学ばれた当時のドイツの学問水準も,そうたいしたものではなかつた。
 たしかにそのあたり(重線部分)でGriesinger(1817-1868)の脳病論が,Krafft-Ebing(1840-1902)やSchüle(1840-1916)の教科書,Wernicke(1848-1902)のGrundriss(1894)などによつて臨床体系の一応の完結された姿を見せる。しかしそれはあくまでも脳病論的方法の限界においてであり,それ以前の「Anstaltでの精神医学」を克復したと信ずる新しい学問思潮の満潮時としてである。干満はやがてくりかえされる。

シンポジウム「呉秀三と病院精神医学」

あいさつ

著者: 江副勉 ,   岡田靖雄 ,   吉岡真二 ,   金子嗣郎 ,   長谷川源助 ,   前田忠重 ,   香内信一 ,   西尾友三郎 ,   古川復一 ,   秋元波留夫

ページ範囲:P.509 - P.535

 シンポジアム「呉秀三と病院精神医学」を司会いたします前に,司会者として一言ご挨拶をいたします。
 ご承知のように,呉秀三先生は,わが国精神医学の建立者(Begründer)として,学問的な面において,また実践面においても,実に幅の広い偉大な足跡を残されました。

指定討論

著者: 岡庭武 ,   松井紀和 ,   佐藤壱三 ,   猪瀬正

ページ範囲:P.536 - P.543

沖縄の私宅監置
 現在沖縄においては,精神科医療機関も,精神衛生行政も,本土に比較してはなはだしい遅れが見られる。しかも,いまだに実態調査も行なわれない状況なので,沖縄のスタッフは見通しのつかない相手に向かって奮闘し,病院という窓口での応接にいとまがない。したがつて,医療を受けられない野ばなしの患者がきわあて多く,本土ではまれとなつた私宅監置患者も多数にのぼる。
 私は,昨年1月から7月まで日本政府派遣医師の一員として,精神科医療の指導援助を行なつてきた。沖縄のかかえている問題は複雑にして困難な問題が多い。その概略は「病院精神医学」第9集を参照されたいが,たまたま私宅監置を見る機会をえたので,ここに報告する。

一般討論

著者: 菅修 ,   小池清廉 ,   滝山米太郎 ,   五十嵐衡 ,   諏訪敬三郎 ,   成田茂 ,   植松正 ,   西丸四方 ,   川上武

ページ範囲:P.544 - P.552

呉先生と救治会
 救治会をとおして呉先生のお考えが,どのように具体化していつたかについて,少しつけ加えたいと思います。
 救治会ができましたのは,先程お話がありましたように,明治35年で,呉先生が欧州からお帰りになつてからのことです。当時精神病者というものは,社会からも,家族からも見はなされたまつたくみじめなものでした。そこで,呉先生は,当時の大学教授夫人,たとえば,岡田和一郎夫人岡田徳子氏,三宅秀夫人三宅藤子氏,榊保三郎夫人榊実子氏,呉秀三夫人呉皆子氏,片山国嘉夫人片山亀子氏などを説いて,精神病者慈善救治会を組織されたわけであります。この名称は後に精神病者救治会となり,さらに救治会となりましたが,その理由については,後で申しあげます。

呉先生の思い出

(1)巣鴨病院医局時代/(2)その業績/(3)渡欧のこと

著者: 斎藤玉男

ページ範囲:P.508 - P.508

 私が巣鴨病院の医局に入局したのは明治39年12月,一般の開業医が精神科を認めようとしなかつた時代でそのころの精神科教室は卒業生の入局が少なく非常にさみしい状態であつた。
 当時は内科,外科以外の入局は少ないのが普通で,一般の人は精神病院すなわち牢獄と思っていたし,実際牢獄らしき面もあった。したがって当時巣鴨の医局は呉先生が同郷の人で東京で開業している人をパートとして頼みかろうじて医員の数を充たしているようなわけで,そういう人の1人が浴風会の尼子さんの厳父四郎という人であつた。

研究と報告

精神療法の1例(吃音例)

著者: 越賀一雄

ページ範囲:P.557 - P.561

I.緒論
 最近の精神身体医学の知見,また精神障害,とくに精神分裂病に対する精神療法による治療の知見がしきりに学会にて報告され,また各種医学雑誌に認められるようになつた。しかしながらそれらの根底にあるべき原理についての考察,反省,批判が十分になされているか否かについて著者は若干の疑いの念を禁ずることはできない。
 精神身体医学の根底にはまず精神と身体の関係の問題,心身論が当然問題にされねばならず,また精神分裂病の精神療法にあたつては,はたしてそれが真の精神分裂病,換言すればRümkeのいうechte Schizophrenieであるか,あるいはそれ以外のPseudoschizophrenieであるか,またさらには非定型精神病とかLeonhardのいわゆるzykloide Psychoseであるのかが問われなければならないであろう。

抑うつ状態に対するdesmethylimipramine(Pertofran)の臨床経験

著者: 黒丸正四郎 ,   岩本信一 ,   花田雅憲 ,   笠井勉

ページ範囲:P.563 - P.567

I.はしがき
 うつ病ならびにその他疾患の抑うつ状態に対して,近年各種phenothiazine誘導体やreserpinまたMAO抑制剤が使用され,うつ病に対する薬物療法の可能性がいちじるしく拡大されたことはすでに周知のとおりである。
 しかしその後これら各種薬剤についての臨床知見が豊富になるにつれて,薬物療法に伴う種々の副作用も知られてきた。たとえば,phenothiazine誘導体は抑制症状に対して効果が乏しく,かえつてoversedationを起こし,またMAO抑制剤は長期連用にさいして時に重篤な肝障害や視神経萎縮を起こすことなどであつて,うつ病のごとき長期の病期を有する疾患では連用に多少の躊躇を感じる。したがつて今後のうつ病治癒において,従来の抗うつ剤とは化学構造のまつたく異なるimipramineおよびその誘導体に多くの期待がかけられる。しかるにimipramineは往々効果発現が遅延し,危急の場合多少焦躁の感なしとしない。このときにあたりわれわれはimipramineに加えて,さらにその誘導体であるdesmethylimipramine(Pertofran)を使用する機会をえたので,その臨床経験の概要を以下に記述する。

Desmethylimipramine(Pertofran)の抗うつ作用についての臨床的検討

著者: 三浦岱栄 ,   伊藤斉 ,   開沢茂雄

ページ範囲:P.571 - P.575

I.緒言
 Pertofran(G 35020)はスイスGeigy社において開発された新しい抗うつ剤である。
 その化学構造はN-(γ-dimethylamino-propyl)-iminodibenzyl-hydrochlorideであり,現在抗うつ剤としてわが国でも広く使用されているimipramine(Tofranil)に類似しており,一般名もdesmethylimipramine(略してD. M. I.)と称せられ,imipramineの側鎖の末端に存在するmethyl基の一つを欠いた構造である。

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相馬事件(7)

著者: 岡田靖雄

ページ範囲:P.554 - P.556

 前号(1)〜(6)に引きつづいて,松沢病院医局病院問題研究会編「精神衛生法をめぐる諸問題」より「相馬事件」を以下に紹介する。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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