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雑誌目次

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精神医学8巻11号

1966年11月発行

雑誌目次

特集 宗教と精神医学 第63回日本精神神経学会総会シンポジウ厶

はじめに

著者: 三浦岱栄

ページ範囲:P.883 - P.883

 宗教と精神医学の関係の問題は,私がかねて“精神医学”の展望欄で述べたごとくきわめて重要な各種のモメントを含んでいるのであるが,このテーマがようやくわが国においても日本精神神経学会の総会において今回“正式”にとりあげられるにいたつたことは,司会者ならびに副司会者として慶賀に堪えないしだいである。なぜなら,このことは,わが国の精神医学も旧来のnosologicalな,あるいはinstitutionalな精神医学の枠をこえて,広くsocial psychiatryの領域にまで進出してきたことを示す兆候のひとつだと司会者たちは考えるからである。換言すれば,現在の,あるいはこれからの精神医学は広く“人間の科学”の一分野を占めなければならぬという使命観に立つとすれば,理論的には,人間の共通の母胎ともいうべき,心の奥深く巣くつているところの本能-情操の探究,開明に,宗教も精神医学もそれぞれ有力な突破口を提供してきたことは,歴史的にも明らかな事実で,実践的には,精神衛生の一端を荷負うことが約束されているといつてもよいだろう。本日は14名の会員から,宗教と精神医学の関係の各方面にわたつての研究報告の申し込みをいただき,司会者側よりの厚い感謝の意を表したい。またその報告のあるものについては指定討論をお願いしたが,これまた快諾くだされたことをお礼申しあげる。

地域社会からみた精神障害者の宗教分布とその信仰体制,ならびに宗教が精神障害者に与える影響について

著者: 桑原公男 ,   鈴木弘雄

ページ範囲:P.884 - P.889

I.はじめに
 日本人の宗教的特徴として,その多様性と,重層性があげられる。そしてわれわれの社会には,宗教的伝承といわれている種々な宗教的いとなみが存在し,われわれ日木人はダイナミックな行動の面において,種々の影響を受けている。疎外状況に囲まれているわれわれは,創造的な主体をつくり出すための自己主張の結果,宗教のもつ宗我の本態を見誤りがちであり,直接的暗示にさらされている非合理的傾向にはしりやすい。Grensted1)は,被暗示性の統御のできいかんにより成人的生活の成否が定まると述べている。一方,現代の思想の流れは宗教のもつ不寛容性を可能なかぎり縮少して,人類のための対話を人間に要求している。James2)は宗教現象をいたずらに変態あるいは病的として,さげすむことをしないで,人間精神の生けるがままをとらえようとする方法と努力を示している。われわれもすなおにこの考えに従うものであるが,同時に宗教が人間生活の究極的な意味を明らかにするところのまじめな社会的態度である以上軽信に対しては厳しい態度をとりたい。

ミクロネシアの民族精神医学的一考察—民族学的特性とその社会的背景

著者: 八瀬善郎

ページ範囲:P.889 - P.895

I.序論
 未開人心性や宗教体験を心理学的またはさらに精神病理学的現象に帰結して,それら心性や宗教を説明しようとするこころみは数多くみられるが,本稿ではそういつた深い意図とはべつに,ただ機会を得てすごすごとのできたグァム島および,旧日本委任統治領であつたマリアナ,東西カロリン群島での経験から興味ある二,三の点と文献上の知見について述べてみる。著者の同地域滞在期間は,1964年2月より1965年2月までのまる1ヵ年間と,1966年2月より3月にかけての時期である。

指定討論

著者: 荻野恒一

ページ範囲:P.895 - P.896

 東ニューギニア高地の住民は,人種的には純粋のパプア人であり,海岸地帯,とりわけ北および束沿岸地帯でみられるような「ミクロネシアあるいはメラネシアと混血したパプア人」は,高地には存在しない。また言語学的には,メラネシアあるいはポリネシアとはまつたく異なつたパプア語というべき言語圏を形成している(650ないし800にも分けうる雑多な言語がみられるのであるが)。さらに文化的には,たかだか30年ないし35年前まで,それにさかのぼること数万年もの間,まつたく外来文化の浸入なく,石器時代程度の物質文化生活がいとなまれていた。一言にしてヤップ(Yap)族と東ニューギニア高地のパプア族とは,人種的,文化的,言語的,歴史的にみて,なんらの関連をもつていないのである。
 それにもかかわらず,八瀬の報告したKANとよばれる独特の類宗教現象にきわめて類似の現象が,東ニューギニア高地における伝統的文化として存在しているのである。すなわち私がかつて報告したように1),たとえば束ニューギニア高地チンブー地方のクマ族の人たちも,アニミズム的思考,死者崇拝,祖先霊の実在信仰を有しており,さらにかれらのうちに妖術師がいて,部落内の高い地位を占めており,部落民たちは,たとえば落雷,洪水などのときには,この妖術師に呪文をとなえてもらい,また近親者の死亡のときには,妖術師の託宜にもとついて,祖先の霊に神聖なる豚の血を捧げるのである。また妖術師は「耳で聞くことのできない言葉」によつて死者と交通することができ,あるいは降神術を行ない,その憑依状態において死者の言葉を語ることができる。さらに妖術師は,まじないによつて(似面非)医術をも行ないうるのである。

北方原始民族のシャーマニズムについて

著者: 中川秀三 ,   長野俊光 ,   石橋幹雄 ,   佐々木幸雄 ,   大江覚

ページ範囲:P.897 - P.900

I.緒言
 北方諸民族は,文化変容によつて,民族固有の特質的文化や,純血を失い,順応者は,田園風土を嫌つて大都会に定位したりあるいは,部族の風俗を売物とした観光事業を生業とするなど,近代社会に融和しているが,反面には部落に残された集団成員は,保守的な伝統思考的傾向をもち,閉鎖的な村落を形成している。
 部落には,いぜんとして,伝承的な呪術的行動様式や,「祟り」「憑き」などのcustomary beliefおよびshamanの憑依状態を中核とするmagico-religiousな信仰儀礼,あるいは古老の神祭儀式などが残留しており,animismやanthropomorphismに根ざした土俗的伝承的な共同体の確信状況を背景に,密教的性格をおびた呪術的宗教行事がしばしば行なわれている。

天神信仰の医学考

著者: 王丸勇

ページ範囲:P.900 - P.902

はじめに
 天神信仰,すなわち天満天神としての菅原道真に対する信仰は,平安時代このかた現代にいたるまで,時代思想と結合してその信仰内容に変遷はあるが,全国1万3千の天満宮の存在が示すように,わが国民に大きな感化影響をおよぼしてきた。

精神分裂病患者の宗教的関心について—キリスト教を中心として

著者: 稲垣卓

ページ範囲:P.903 - P.907

I
 日常の臨床において,20歳前後の青年で患者の症状をその青年期の精神的混乱ないし人生観的煩悶として理解することがある程度可能で,精神分裂病と診断するのにためらいを感じさせる症例に遭遇することはまれでなく,そのなかには宗教に関係をもつているものがある。青年期に発病する分裂病の一部のこのような初期症状と健康な青年の精神的混乱とがいかなる関係にあるかは分裂病の本質にかかわる重大な問題であるが,筆者は青年期における人生観的煩悶のひとつの指標として宗教に対する関心をとらえ,健康者と分裂病者の宗教に対する態度を統計的に比較しようとこころみた。
 とくにキリスト教を中心としたのは,わが国の現状では人生観的煩悶をいだいた青年が宗教の門をたたく場台,もつとも訪れやすいのはキリスト教と禅宗であろうと考えたことによる。とくに欧米では宗教といえばほとんどキリスト教であり,幼児よりの宗教教育が青年期の精神的混乱のなかで宗教的回心conversionとして実を結ぶことが多い。しかしわが国では青年期にいたつて初めてキリスト教会を訪れるというかたちをとることが多いので,「教会に行つた」ということを指標にして宗教的関心,さらには精神的混乱をうかがい知ることが可能であるとみられるからである。

離人体験と宗教信仰

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.908 - P.910

I.宗教の心理的意味
 歴史的社会はすべてなんらかの宗教を中心として発生してきたといわれる。すなわち宗教は社会を形成する各人を結びつける靱帯の役割をはたしてきたのであつて,古来の成人式が宗教的意義を有しているのはこのためである。しかし現代のように社会が宗教的思想的に複雑かつ混乱しているときには,子どもが成人して社会人となる過程において,宗教は表立つた役割を演じてはいない。それでも宗教的心理は潜在的にそこにはたらいているのであつて,ときには積極的に宗教を求める者もいるほどである。これら積極的求道者は宗教によつて精神的危機をのりきろうとする。しかし危機に破れれば,なんらかの精神障害を経験せねばならない。以下に記す症例Tは,診断的には分裂病圏内に属すると考えられるが,求道の過程で発病し,かつ求道の完成によつて治癒している点,上述の観点を裏書きしていると思われるのである。

あるキリスト者の重症躁病像

著者: 柴田収一

ページ範囲:P.910 - P.912

I.はじめに
 宗教と精神医学というテーマで,いわゆる内因性疾患が論じられるとき,それはほとんど精神分裂病であつて,躁うつ病がとりあげられることはきわめてまれである。しかし実際には,躁うつ病,とくに躁病に,きわめてbuntな宗教的色彩の症状が多く認められることを見逃がすわけにはいかないし,それどころかこのような症状の病像に対してもつ意味の解明こそ,現在の精神医学の急務の一つであるとも思われるので,以下にその1例を述べる。

宗教精神病理学の方法論的考察

著者: 小西輝夫

ページ範囲:P.913 - P.917

I.序言—精神医学者の宗教観
 宗教という人間にのみ認められる精神のいとなみについて,精神医学がその意味を問うことはけつして無意義ではない。事実,多くの精神医学者が宗教に関心を示している。しかしその関心の示しかたにはいろいろの問題が含まれているようである。
 ドイツ語圏における両者の交渉の歴史8)を例にとつてみると,まず精神異常を宗教的原理で説明しようとしたHeinrothの非医学的方法は論外としても,宗教現象を科学的学説に解消せしめようとしたFreudの科学万能論は,宗教を「集団ヒステリー」ときめつけるという天才らしからぬ粗雑な理解に終つている。ついで,宗教に対する認識方法としての自然科学的方法の妥当性を吟味するあまり,宗教は精神医学の対象でないとしたJaspersの潔癖な主張も問題を回避した感がある。そして最近にいたり,宗教的人間の行為と病態を,人間存在の全体的関連において統一的に理解しようとするHeimanらの人間学的方法を得て,やつと妥当な方向が示されたといえるが,このような学説の変遷が宗教といえば即キリスト教(有神論)である西欧的思想風土のもとでの提議であることを,われわれ東洋の精神科医としては,一応心にとどめておく必要があると思う。というのは,東洋には仏教という無神論宗教があるからである。

指定討論

著者: 高良武久

ページ範囲:P.917 - P.919

ある種の宗教的体験について
 宗教的体験あるいは神秘的体験とか霊的体験といわれるものは精神病理学的対象となる病的現象もあるが,必ずしも病的とは認められない種類のものも多いのでこれらを同一視してはならない。
 わが国で故森田正馬教授によつて記述され,その後数氏によつて多数の例を報告され現在われわれがしばしば遭遇するいわゆる「祈檮性精神病」はその前者に属すものである。これは一般に教養の低い女性に多く見られるもので,不安な心境にあるものが,宗教あるいは迷信に惑溺して精神障害を起こすもので,人格変換,憑依現象,意識野の狭小,幻覚妄想,興奮などを伴うことが多く原始反応的でbionegativの現象である。

信仰と幻覚

著者: 小田晋 ,   宮本忠雄

ページ範囲:P.919 - P.923

I.はじめに
 宗教病理学的幻覚論は,われわれに二つの課題を呈示する。その一つは,精神病理学的現象としての幻覚における信仰の病態であり,もう一つは,宗教的な体験としての「幻覚」に対する精神病理学的な研究である。第1の課題が精神病理学の対象であることは疑いなく,小論でわれわれが採用する方法論は,この第1の課題を解くことによつて第2の課題に対して間接的な照明を与えようとするものである。第2の問題については,少なくとも直接には,精神病理学は手を触れることが困難である。それは,幻覚が対象なき知覚(Perception sans objet, Ball)であることからして,宗教的な体験としての「幻覚」とされている現象のすべてについて,実際に対象が存在しないということは,一つの認識論的立場を前提としないかぎり,いえないからである。すでに精神病理学的な意味での幻覚であることを確定しえない事柄について,精神病理学的な分析を加えるということは,方法論的に越境をおかすことになると思われる。したがつてここではまず第1の課題について,いわば疾病学的,現象学的,人間学的な三つの側面から検討を加えるにとどめることになる。幻覚論に宗教病理学的角度から接近することによつて,一つには幻覚発生における心因論の問題,宗教体験の真偽決定論の問題に近づくことになる。さらに,上記の三つの側面が内的な連繋をたもちながら,一つの「幻覚する人間」の構造をつくりあげている様相を認識するなかで,内因性精神病の宗教的幻覚も,単なる病像決定論の範囲をこえた意味をもつものとして考えることができよう。

指定討論

著者: 加藤清

ページ範囲:P.923 - P.924

 宗教と精神医学というまつたく精神医学にふさわしい主題のもとで,宗教より信仰をひき出し,精神医学からは精神病理的現象として幻覚をとり出して,この二者をどのようにつきあわして論ずるかがいま.要求されている.わけです。ただ問題になるのは,宗教と精神医学では,そのおのおのの根源において人間を多元的に理解しようとして互いに微妙に相呼応しあう点が,共通点として,漠然とながら直観的に感じられるのに反して,信仰と幻覚というようにテーマが限定されてくると,このテーマの内実をそこなわずに,はたしてこの問題を伝統的な宗教精神病理学の枠内で取り扱えるのかという危惧の念が生じてきます。これが,私にとつてひとつの重荷としてのしかかつてくるのを感じます。いま,演者はこの問題を疾病学,現象学,人間学というふうにいわば下から上への方向に,病的宗教的現象の叙述を進めつつ,ひとつの視点のもとに考察し,しかも,これをFranklの立場を採用して統一的に理解できることを示されました。そこにはひとつの人間学的観点が首尾一貫して暗黙のうちに用意されているように思われます。いずれにせよ,われわれにとつて,古くしてしかもつねに新しいこのテーマをさらに一歩進めて論究されることが求められている現在,まず第1に演者のこの点に関する見解を端的に表明していただければ幸いです。このことは,この種の患者の治療に従事している臨床家の根木的態度の育成にも資するところがあると思われるからです。

精神療法の治療目的に影響を与える宗教的背景について

著者: 浅田成也

ページ範囲:P.925 - P.928

I.はしがき
 宗教について哲学辞典を見ると,「一般に人が超人間的な威力を認めてこれに対する畏怖および信頼の情を感じ,また犠牲を捧げ祈願礼拝し……一面には主観的な心的生活として,他面には客観的な社会的現象として現われる……」とある。
 これによつても,宗教そのものの定義が漢然としているといわざるをえないが,標題の宗教的背景というのは私の知るかぎりのキリスト教と根本仏教とにかぎることにする。そしてキリスト教は,主として新・旧約聖書,根本仏教は,主として北伝の漢訳の四つの阿含経と南伝の大蔵経について紹介されたものによることにした。

宗教事象の社会精神医学的研究—教団成立を支えるもの

著者: 藤沢敏雄 ,   佐々木雄司 ,   小野泰博 ,   菅又淳 ,   秋元波留夫

ページ範囲:P.928 - P.932

I.はじめに
 前回の総会で,宗教集団の「病気なおし」が神経症群に対していちじるしい効果をあげていることと,身体疾患をもつ者についても,その生活態度を積極化させることなどを報告した。
 敗戦後のanomieの状態で,無数の宗教集団が爆発的に誕生したことは,まだ記憶に新しいことである。現在は,一見当時と情況を異にしているとはいえ,いまだに原始的でshamanisticな集団や,shamanisticな色彩を強く残しながら教理の確立をはかり,既成教団化しつつある集団に,よりどころを求める民衆はあとをたたない。この種の問題については,すでに社会学や宗教学の立場での研究に多くの成果をみているが,今回の報告は,こうした宗教集団のもたらす「救い」や「生きがい」の意味をその心理機制について検討しようというものである。

指定討論

著者: 吉野雅博

ページ範囲:P.932 - P.932

 私は以前民間信仰系の信仰生活に関連する反応性精神障害について,調査・報告したことがあった。この調査を通じての感想をいくつか述べたいと思う。
 まず,信者の年齢層は40歳前後の中年者,男女別は婦人がかなり多い。入信・入会の動機や理由は,本人や家族の病気のためというのがもつとも多く,つぎに家庭内の不和・葛藤などの対人関係の困難や孤立感,経済上の不安のためというのが多い。

森田療法と禅

著者: 鈴木知準

ページ範囲:P.933 - P.936

I.緒言
 ここで述べる禅という言葉は,教団的禅宗のことではなくて,禅修行そのものであることを,あらかじめ申しておきたい。
 森田は自ら創始した森田療法が,禅から得たものは少なく禅の言葉を利用して説明しただけである1)とし,西欧医学的に出発したことを述べている。野村2)によれば,森田は西欧精神医学的にはKraepelin,Weir Mitchel,Binswangerらの影響を受けているとしている。一方,内村3),笠松4),新福5),青木6),佐藤幸治7)らは,森田療法の背後に禅思想のあることを述べている。

指定討論

著者: 藤田千尋

ページ範囲:P.936 - P.938

 森田療法と禅とに関して,従来からかなり多くの論説がなされておりますが,そのほとんどが両者の類似性をあげているだけで,その特質的差違については述べられていないように思えます。そこでこれらの論説を私なりに区分してみると,ほぼつぎのように3つに分けられます。すなわち,その第1は,森田療法そのものを規定する考えかたであります。
 禅思想の特質と森田療法とのそれの類似性から,森田療法は禅的方式の内容をもつものであると結論すること。少なくとも,日本で神経症といわれるものは,"とらわれ"そのものが人間の苦悩の原因であると考える仏教の考えかたに影響されており,これの治療には,禅思想にみいだされる体験主義や現実への態度を原理として生かしている森田療法が最高である,として禅思想の体系のなかに森田療法を完全に包含させたもので,森田療法は,禅療法であるというものであります。

宗教と精神衛生

著者: 中脩三

ページ範囲:P.939 - P.940

I.宗教というもの
 各方面からの有益なお話を承りありがたく感激にたえません。とくに稲垣氏,鈴木氏,高良氏のお説,小西氏の仏教に関するお考えをうれしく拝聴しました。私はあえて精神衛生と申しますが病約体験を宗教とするのは私のとらないところで,神懸りやトランス状態,テレパシーなどは宗教とはいえない,正常な精神を有する人のみが宗教を論じ哲学を考えるべきだというのが私の主張だからであります。もちろん原始宗教としてシャーマニズム,アニミズム,宗教的儀式としてのエクスタシー的暗示などは昔は正常の人々の行動を規制したかもしれません。また現在でも文化的背景の相違,教養の差によつてそんなものを宗教とよんでよいこともありましよう。しかしわれわれ精神科医にとつてはそんなものは僻見でなければ迷信であり,お稲荷さんやえびすさんが宗教といえるかどうか,宗教的儀式と宗教そのものとはまつたく違う。正月に1週間も休んで神に仕え,いかにも日本人はすべて伊勢の星大神宮をあがめ,吉凶を占い,日を選ぶ,これらは氏族的習慣であり,神官は儀式のみをするもので説教はしない,お寺では法を説いてくれるが個人の悩みを救つてはくれない,すなわち日本人の大多数の人々は宗教の何者であるかを理解しない,理解させようともしない。そこに国民の欲求不満があり,極端な戒律を有するもつとも権威主義の中世紀的新興宗教の勃興をうながしたことになる。すなわち日本人は無宗教人種だ,宗教はいらぬという考えは誤りで,むしろなにかよい教えがあればとびつきたい,藁でもつかむ心境にあり,それだけに危険な国民であり,まさか違えばどちらの方向にはしるかわからない。浅田氏は仏教は自主独立,キリスト教は依存的といわれたが教義それ自身はいざ知らず,現在の日本民衆または近世の歴史の物語るところでは日本人はおそろしく依存性の強い国民で西欧人はその反対であると思う(日本人の性格の研究—劣著)。この東西の国民の人格像の融和をはかることはたいせつである。

研究と報告

前頭葉性言語-思考障害の1例

著者: 大橋博司

ページ範囲:P.943 - P.947

I.はじめに
 いわゆる前頭葉症状群がきわめて多様な精神症状をもつことはよく知られた事実であり,また前頭葉起源と考えられる言語障害(失語)あるいは思考障害についても多くの報告があるが(大橋11)),今回は1例の左前頭葉切除例にみられた特殊な失語とそれに結びついた思考障害について考察してみたい。

新抗うつ薬N-7048(Noritren)の臨床経験

著者: 佐々木邦幸 ,   藤谷豊 ,   栗原雅直 ,   大熊文男 ,   野口拓郎 ,   遠藤俊一

ページ範囲:P.949 - P.954

I.はじめに
 われわれは,数年前から各種抗うつ薬の臨床的検討を行なつてきているが,これらのいわゆる抗うつ薬として一括される薬物群は,中枢刺激作用を主とするものから,神経安定作用を主とするものまで,それぞれの特性に従つて分類されうることを述べた1)
 今回,新種の抗うつ薬N-7048(Noritren)を,内因性うつ病を初め,精神分裂病を含む各種精神疾患患者に試用したので,この臨床経験をまとめ,他の抗うつ薬との比較において考察を加えた。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・5

ミュンヘンでの研究生活

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.956 - P.963

 留学先を決めるに当たつて,呉秀三先生は,「近ごろ若い人の行かないミュンヘンがよかろう」と勧めてくれた。私も,ここは,当時,精神医学のメッカと信じられていた所だし,またSpielmeyerの新著を,初心者ながら素晴らしいものだと思つていたので——それは,私の想像をはるかに超えて,不朽の名著と評価されるに至つたものだが——それに全く異存がないどころか,進んでそれを望んだのだつた。そして他の先輩連のように,あちこちを転々とせず,ここだけで終始しようと考えた。そこで,呉先生から,Bumke教授とSpielmeyer教授とに宛てた紹介状を書いてもらつて,出かけたのである。
 ところで,私の卒業から留学へかけての1923〜5年のころの,ドイツ語圏の精神神経学界には,重要な研究が相次いであらわれ,今日から顧みても,空前と言うべき時期であつた。思い付くままに,その2,3を拾つてみると,まずEconomoの嗜眠性脳炎の発見が1917年で,それに続く後遺症の問題は,錐体外路とその神経核の機能の研究を盛んにする契機ともなつたが,これに関係のあるVogt夫妻の画期的の研究,『線状体系の疾患の病理』が出版されたのは1920年のことである。また,後にノーベル賞を得たWagner-Jaureggのマラリヤ療法の発見は1922年で,これに引きつづく10年間,この問題の追試討論に,学界は大にぎわいを呈した。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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