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雑誌目次

雑誌文献

精神医学8巻12号

1966年12月発行

雑誌目次

特集 うつ病の臨床 第63回日本精神神経学会総会シンポジウム

はじめに

著者: 新福尚武

ページ範囲:P.970 - P.970

 躁うつ病が本総会の主テーマとしてとりあげられたのは1932年(昭和7年)の「初老期うつ憂症」の宿題だけのようである。分裂病,てんかん,利軽症がくりかえし共同討議のテーマとなつたのに比べるとはなはだしい不公平といわざるをえない。
 もちろん,これにはそれだけの理由があつたと思われる。とりわけみるべき研究成果のなかつたことや臨床上それほどの問題が感じられなかつたことなどがあげられるだろう。しかし,こんにち事情はかなり変化し,実際的にもいろいろ問題が生じてきている。

うつ病の診断基準

著者: 佐野勇

ページ範囲:P.971 - P.973

 戦後20年余,わが国の精神医学はおびただしい変貌を遂げ,なかんずくアメリカ精神医学の,若い世代の研究者たちにおよぼした影響は非常に大きいといわねばなりません。しかしいわゆる内因性精神病に関するかぎり,わが国の精神病学は,古典ドイツ精神病学の動かすべからざる礎の上に,現在もなお深く根をおろしているといえましよう。
 ここにご列席の多数の大学教授の方々は,たとえアメリカ的思考,フランス的思考,またはソビエト的思考を受けいれられる方であつても,内因性精神病に関するかぎり,おそらくKraepelin以来のドイツ精神医学にもつとも大きく影響されておられ,学生に対する講義にさいしても,精神分裂病と躁うつ病を内因性精神病の両極におき,前者は不可逆的なプロツェスであり,“an sichunheilbar”であるか,たとえ“Schub”が去つても,なんらかの欠損を伴う疾患であり,後者は可逆的な“Phase”であり,“an sich heilbar”であり,欠損転帰を伴わないものであるとの“Schulpsychiatrie”を一応は教授されているに違いないと思います。

指定討論

著者: 猪瀬正

ページ範囲:P.973 - P.974

 内因性精神病のMorbusの存在を信ずると信ぜざるとにかかわりなく,精神科医は,「うつ病」あるいは「内因性うつ病という病名を用いている。そして,そのような臨床の場面で,"正しい"あるいは適切な診断がくだされるか否かで,患者の治療と経過が大きく左右されることも,日常しばしば経験するところである。したがつて,精神科医として,「うつ病」をいかに診断するかは,きわめて重要な意味をもっというべきである。
 考えてみると,診断基準をきめるということは,どのようなことであろうか。これこれの症状が揃えば分裂病,あるいは「うつ病」であるというふうに決められるものであろうか。分裂病の診断におけるK. Schneiderの第1級症状の意義を考えるならば,思い半ばに過ぎるであろう。第1級症状を示さない分裂病はいくらでもあるからである。そうすると,「基準」という言葉には,症状の「箇条書き的なもの」をこえたもの(それがきわめて重要なものと思われるのであるが)が含まれていなければならない。演者の佐野博士は,「うつ病」の内因性,外因性や心因の限界づけ——結局うつ病の診断は,診断する人の「世界観」によるといわれたが,それは恣意にまかせるほかないという意味ではないと考える。内因性精神病の診断には,特異な身体所見の欠如を前提とするし,もっぱら精神病像と経過によるものである以上,そのような困難を伴うことは,やむをえないともいえるであろう。

指定討論

著者: 千谷七郎

ページ範囲:P.974 - P.976

 「うつ病の診断基準」という点では,ただいま猪瀬教授の述べられた内容と,われわれとの間にあまり相違はない。われわれはそれらをうつ病態の諸標識として診断の手がかりにしているわけであるが,さきほどの佐野博士のご発言に関連して多少の追加をしたいと思う。
 それは一つはNervösitätあるいはNeuroseとよばれているものとの鑑別,他の一つは精神分裂病との鑑別に関する問題にふれることである。

指定討論

著者: 満田久敏

ページ範囲:P.976 - P.977

 「うつ病の診断基準」について考える場合に,まず思い出されるのは,戦前にK. SchneiderとBumke学派を代表したStauderの間で,躁うつ病の限界Umgrenzungについてたたかわされた論争である。ご存じの方も多いと思うが,Schneiderは「躁うつ病という病気は比較的珍しいものだ」と主張したのに対し,Stauderは「躁うつ病なんか,ごくありふれた精神病にすぎない」と反駁し,真向うから対立したのである。当時,Bumke教授もSchneider教授も,大学病院と市立病院の違いはあつたが,2人ともミュンヘン市に勤めていた。だから同じミュンヘンのなかで,躁うつ病の頻度がそんなに違うはずはなく,むろんこれは,この病気に対する診断基準がBumkeとかSchneiderのような大家のあいだでも——あるいはむしろ,大家であるためにといつたほうがよいかもしれないが——それほど大きく相異することを物語るもので,はなはだ興味深い。実は私,最近この2人の論文をいま一度読みなおしてみたのであるが,こんにちでもかなり読みごたえがあつて,それだけに躁うつ病については,1930年代と30年後のこんにちの間にも,治療の面はべつとして,診断の面ではそれほど大きな違いがないともいえる。

うつ病の精神力学

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.978 - P.981

 I.はじめに
 うつ病の精神力学的研究の基礎を造つたのは,他の精神疾患の場合と同じく,Freudである。そこで最初にかれのうつ病学説を簡単に紹介し,ついでその後の研究者の説を概観し,最後に筆者の考察を付したいと思う。

指定討論

著者: 辻悟

ページ範囲:P.981 - P.982

 うつ病の精神力学を問題にする場合つねに問題になる喪失体験を中心に,非常にすつきりとしたかたちでその力学を示され,教えられるところが多く,深く敬意を表したい。
 演者はうつ病者における喪失体験の中核を,主観的な感覚としての想像上の周囲との一休感ないし連帯感の喪失とされた。

指定討論

著者: 布施邦之

ページ範囲:P.982 - P.983

 土居先生はFreudをもとに,ご自身の豊かな臨床上のご経験から,うつ病の精神力学をきわめて明快に説明なさいました。とくに反論はありませんが,自分は臨床の場で,うつ病者をどう扱つているか,どう理解しているかを述べ,そこから治療とかかわりのある二,三の問題にふれてみたいと思います。
 うつ病は心の痛みmental painだとよくいわれます。痛みである以上何かmentalな次元で悪いところがあるはずです。抗うつ剤によつて痛みを止めるとともに,私はその痛みの原因を見つけることをつねに心がけています。

指定討論

著者: 矢崎妙子

ページ範囲:P.984 - P.985

 私がご発表を拝聴してまず共感をもちました点は,先生がうつ病の状態像を対象関係の障害として把握されたことであります。分裂病の対象関係とくに対人関係については現象学的にも医学的人間学的にも多くの研究者がそれに焦点をあわせ研究し,興味ある成果をあげています。しかしうつ病では対象関係の障害に重点をおいた研究は少ないと思つておりました。ところがさまざまな要因のからみあううつ病の状態像を「周囲との連帯感ないし一体感の喪失」とみごとに解明されました。このことはTellenbachがうつ病者はSein für andere(他のための存在)であり,Sein für sich(自分自身のための存在)として生きていない,いいかえますと,「ひとりの孤独な存在」として生きぬく力をもつていない,つねに他との連帯感や一体感という心理的な支えを必要としていると述べていることとも関連して大変に興味深く拝聴いたしました。
 私はここでこの「連帯感ないし一体感」の問題にしぼつて討論させていただきたいと思います。

うつ病の生物学的研究

著者: 更井啓介

ページ範囲:P.986 - P.990

I.はじめに
 当教室ではここ数年来うつ病の生物学的研究を行なつてきたが,そのさいつぎの方針によつた。
 1)うつ病は本態的に多種である。したがつてすべてのうつ病に共通な生物学的所見を望むことはできない。
 2)そのうち内因性うつ病では生物学的変化が一次的で,それは精神症状の発現に先行する。
 この方針でなされた当教室の研究は,うつ状態の生物学的研究というよりも,うつ病の生物学的研究といえる。Weitbrechtも自律神経症状はうつ病自体のprimarな変化と考えている。

指定討論

著者: 南沢茂樹

ページ範囲:P.990 - P.991

 東京女子医大では千谷教授の指導のもとに教室員が躁うつ病の研究に従事してきたので,その考えかたとその結果を——それはすでに誌上で再三詳細に述べられてはいるが——その要点を簡単に述べながら一,二討論することとしたい。
 いうまでもなく,うつ病のごとく,その精神的病像のゆえに特色づけられている疾患にあつては,その生物学を研究するさい,精神的病像と身体的症状とが一つの意味に貫かれること,すなわち換言すれば,両者にまたがる解明が同時になされることがもつともたいせつな要点となる。

指定討論

著者: 諸治隆嗣

ページ範囲:P.991 - P.994

 私どもの教室においては,情動との関連において,下垂体副腎皮質系を中心に内分泌機能の変動を力動的にとらえようとこころみてきました。その目的は特定の疾患の内分泌学的な変化を対象とするのではなく,個々の症例について,臨床像との関連に留意しながら継時的にhomeostasisの動態を追求するという方法をもちい,疾病学的な立場を離れて精神生理学的に情動と生体反応との関連を検討することにありました。その結果,精神症状の変化と一致して,それらの機能が高度かつ広範囲な変動を示すことが認められ,またその変動の大部分が特定の疾患に限定されたものではなく,情動の動きによる生体の非特異的反応であることが知られました。すなわち伊藤,吉村が行なった性腺機能の面をとりあげてみますと,まず男性では,正常の場合Gonadotropinは安定した値をとりますが,うつ状態ではときには高値を示したり,低値となったりし,バラツキが認められています。また躁状態についても同じようなことがいえます。しかし状態が改善されてきますと,いずれの場合も正常範囲内で安定した値を示すようになっております。女性では,正常の場合,月経周期に応じて,Gonadotropin,Estrogens,Pregnanediolが一定のパターンを示します。

指定討論 うつ病とカテコールアミン代謝

著者: 高橋良

ページ範囲:P.994 - P.997

 最近もつとも有望視されている1)うつ病のカテコールアミン(CA)仮説に立つて行ないつつある研究の一部を予報的な意味で発表してみたいと思う。第1表はCA仮説の根拠の一部をなす薬理学的事実をまとめたもの(最近発表されたSchildkraut2)とBunney3)のべつべつの綜説からまとめてみたもの)であるがresHpineによるうつ病の誘発,モノアミンオキシダーゼ阻害剤(MAOI)とimipramineのそれぞれの機序によるノルアドレナリン(NA)の増強作用が有力な根拠とされている。これをシナップスの図で示したのが第1図である。NAはニューロン内の顆粒から遊出すると細胞内ではミトコンドリアのモノアミンオキシダーゼの(MAO)によりデハイドロオキシマンデル酸(DHM)になりさらにカテコール-0-メチルトランスフェラーゼ(COMT)によりワニールマンデル酸(VMA)になるが,細胞外に出たNAはDostsynapticのreceptor siteに行きこれを興奮させる。しかし一部はreuptakeされることにより不活性化され一部は細胞外のCOMTにより,ノルメタネフリン(NMN)になる。MAO阻害剤はNAの遊離活性型を増やすことにより,イミプラミン・タイプの薬剤は細胞外NAの細胞内へのreuptakeによる不活性化を阻止することにより結果的にreceptor siteに行くNAを増やしノイロンを刺激してうつ状態を改善すると想像されている。

研究と報告

20年後の予後調査からみた戦争神経症(第1報)

著者: 目黒克己

ページ範囲:P.999 - P.1007

I.まえがき
 神経症という病気が,素因と環境の両面から理解すべきものである事実は周知のとおりであるが,この問題を組織的に解明する一つの方法として,長期間にわたつて,同一人物の神経症の経過を追求するこころみがあげられる。
 神経症の予後調査について:
 このような観点からみた場合,いわゆる戦争神経症の予後調査は,第一にそれが戦時,軍隊,戦場などの特異な社会的時代的な条件を契機として発生したという点,第二にそのような特異な状況が去つた一般社会のなかでの戦後20年間のわが国の社会文化的条件の推移に伴つてこれらの人々の神経症がどんな変わりかたを示しているかは,神経症と社会文化的環境の関係を解明する一つの手がかりとなるという点,第三に神経症の,いつたいどんなレベルがこのような社会文化的変動の影響を受けるか,どんなレベルが比較的不動であるかを調査する機会となるという点で,さまざまの興味ある精神医学的問題を含んでいる。すでにわが国でも,戦争神経症と社会文化的な環境について,井村1)が言及し,一般神経症の社会文化的条件の推移に伴う病像の変化について桜井,西園2)らの報告があり,また神経症の予後調査について中川3),大原4),またこの問題をいわゆる症候移動(Syndrome Shift)の観点から組織的に研究している小此木5)の報告がある。

集団心理療法場面における薬物依存者(その1)—対人関係を中心として

著者: 大原健士郎

ページ範囲:P.1009 - P.1013

I.はしがき
 薬剤を頻回に使用し,その結果生ずる異常状態は,従来,習慣(habituation)と嗜癖(addiction)とに分けて論ぜられていた。両者を比較すると,後者において,その薬剤を連続して使用したいという欲求が著明であり,使用量は回をかさねるにつれて増量する傾向を示し,精神的・身体的依存傾向を認め,個人的・社会的に悪影響を示す,などという点で区別されてきた。しかし,この種の区別は折にふれて困難で,適切な名称のないまま放置されていたが,近年,この種の患者はおしなべて「薬物依存」という名称のもとに一括されるようになつてきたことは周知のとおりである。現在では,W. H. O. の専門委員会において,精神的依存,身体的依存,耐性形成の3要件から,モルヒネ型依存,バルビツール酸剤およびアルコール型依存,コカイン型依存,印度大麻草型依存,アンフェタミン型依存,Khat型依存,幻覚剤型依存の型が定められているが,これによつても問題がすべて解決されたというわけのものではない。つぎの論文(その2)において,著者は集団心理療法場面をとおしてみた薬物依存者の占める座席の配列に注目し,かれらの分類をこころみるつもりであるが,この報告では,かれらの対人関係に重点をおき,その特徴をながめたいと思う。

疫痢脳炎後の群化徐波におよぼす中枢作用薬の効果

著者: 佐久間モト ,   栗原雅直

ページ範囲:P.1015 - P.1024

I.はじめに
 われわれは,疫痢脳炎を経過したのちに脳波上安定した3c/s群化徐波が,覚醒時に出現する症例を経験した。この症例に対して種々の中枢作用薬を与え,行動と脳波におよぼす影響をとくに群化徐波の消長に注目して観察し,興味ある知見を得たので報告する。

Imipramine(Tofranil)が著効を奏した周期性傾眠症を合併せる難治てんかんの2例

著者: 八島祐子 ,   高谷雄三 ,   尾野成治

ページ範囲:P.1025 - P.1029

I.はじめに
 従来使用されてきたbarbitur酸誘導体,hydantoin誘導体やpyrimidine dione誘導体などの一連の抗てんかん剤を駆使しても,なお効果の得られない難治てんかんの治療に対して,最近,種々の強力な抗てんかん剤が発見され研究が進められているが,一方,向精神薬として一般にもちいられている薬剤のなかにてんかん発作や性格変化などに著効を奏する薬剤が認められている1)。dimethylamino-propyl-imino-dibenzyleすなわち,imipramineは1957年にRoland Kuhnが抗うつ剤としてその特性を発表して以来,広く抑うつ状態の治療にもちいられている薬物である3)。また,ナルコレプシーや脱力発作などに対しても著効を奏するという報告6)8)9)があり,本剤は臨床的にもまた病態生理学的にもその作用機転に関し,さらに究明の余地がある薬剤と考えられる。われわれは種々の抗てんかん剤をもちいて改善のみられなかつた症例に対してimipramineを使用して著効を得たのでつぎに報告する。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・6

恩師 Walther Spielmeyer

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.1031 - P.1037

 前回で,ミュンヘンにおける研究生活を回顧したから,今回はどうしてもSpielmeyer先生の思い出に触れねばならない。しかし先生については,1935年2月,先生が突然の病気で亡くなつた直後に,限りない哀惜をこめた一文をしたためている(「神経学雑誌」昭和10年)。それをいま読み返してみると,まだ印象が生々(なまなま)しいうちに書いたものだけに,やや感傷的にひびく点はあるにしても,それは当時の私の真情ありのままを伝えたのであり,いまこれを捨てて,改めて書きおろすのは惜しい気もちがする。また先生の死の直後に書かれた多くの追憶文や,近ごろになつて発表されたHans Jacob(Grosse Nervenärzte III,1963),Willibald Scholz(50 Jahre Neuropathologie in Deutschland,1961)らの,先生に関する記述を読んでも,取り立てて目新しいこともない。
 このようなわけで,ここに先生を同顧する道として,30年前に書いた一文を骨子とし,これに取捨を加え,また少なからざる事実や感想を書き足すという方法を採ることとした。読者諸氏がこれを諒とせられんことを望む。

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第17回 日本医学総会 風見鳥ニュースNo. 8

ページ範囲:P.998 - P.998

第17回 日本医学会総会 会員募集(第2次公告)
期間 昭和42年4月1・2・3日(うち3月30・31日、4月4・5日は分科会)
開催地 名古屋市

精神医学 第8巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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