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雑誌目次

論文

精神医学9巻11号

1967年11月発行

雑誌目次

第5回精神医学懇話会 地域精神医学 主題報告

日本における地域精神医学—どこから出発するか

著者: 桑原治雄

ページ範囲:P.809 - P.821

I.はじめに
 精神障害者の治療が,古い入院治療中心の閉鎖的隔離的な方向から開放的な地域社会中心の治療の方向に進もうとしていることが,ようやくわが国の精神医療従事者の間でも広く認められるようになつてきた。
 地域社会で精神障害者を治療しようとの考えを広くとつて地域精神医学と呼ぶなら,この方向はとくに名称をつけるまでもなく,精神医療の発展してゆく方向である。

指定討論

著者: 江熊要一

ページ範囲:P.821 - P.823

 桑原先生は日本における地域精神医学——どこから出発するか」という演題で話されました。私は「私の地域精神医学——どこから出発したか」という演題にいたします。実は桑原先生とは先日機会がありまして,そこで相当討論いたし,そこでの討論のほうがきようよりおもしろかつたのではないかと思うのです。それをあとでくりかえすかもしれないのですが,桑原さんの報告にも明確にはされておりませんでした地域精神医学なるものについて,私たちも群馬の仲間といろいろ話し合いましたが,各自それぞれの概念をもつており,結論が出ない。ただ地域精神医学が地域精神衛生網や地域精神衛生活動のありかた,あるいは地域の疫学的調査などだけを問題にしていたのでは,地域精神医学は形骸をさらすことになるということでは一致したわけです。したがつて,これから私がお話しすることは私なりの地域精神医学であるわけです。メイン・スピーカーのつもりでお話しさせていただきます。
 さて,桑原さんは原稿によりますと,地域精神医学を地域住民と精神医療のかかわりあいとしてとらえ,地域住民の要求,精神医療の組織や体系の現状を批判し,そこから日本における地域精神医学なるものをお話されました。現在の日本の精神医療のありかたを論ずるかぎりにおいては,基本的には桑原さんの報告に異論がありません。また地域精神医学を論ずる場合,地域における精神衛生網のありかたについてそれを避けてとおるわけにはいかないと思いますし,とくに公衆衛生学の立場としての桑原さんの発言は当然と思います。

指定討論

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.823 - P.825

 私も桑原さんのお話を承つて,問題を真正面からとりあげられた勇気と,医療中断の事実をとりあげられた着眼のよさにたいへん感心したのですが,しかしお話やまたお書きになつた報告*を読んで若干異論があります。これは討論でして,異論を唱えることが私の義務だと思いますから,まず異論から話していきたいと思います。
 桑原さんのただいまのお話にはそれほど出ていないのですが,しかし報告*のなかで,「日本における地域精神医学をどこから出発するか」という問題で,桑原さんはもつぱら社会復帰という点に重点をおかれています。その点について桑原さんのGedankengangはおそらくこういうことだろうと思うのです。日本では在院患者数が非常に増え,在院日数も長い,欧米では安定剤が使われてから減少してきたにもかかわらず,日本では減少しない,むしろ上昇している。そういう事実をふまえて,いつたいこれはなぜかという問題提起をしておられます。そしてそのためには社会復帰を促進することが必要だが,それにはどうすればいいか,それは地域づくりだというのが桑原さんのお考えのように思います。もちろん社会復帰の問題をsozialな面からとりあげることは大事なことですが,しかしその点で桑原さんの考えかたに若干異論を唱えたいのです。地域精神医学というのは必ずしもリハビリテーションだけがおもなものではなくて,もう一つ広い意味でのpreventionという問題があります。

日本における地域精神医学—第5回精神医学懇話会

著者: 加藤正明 ,   桑原治雄 ,   中沢正夫 ,   榎木稔 ,   西尾友三郎 ,   石原幸夫 ,   畑下一男 ,   高臣武史 ,   岡田靖雄 ,   船曳宏和 ,   江熊要一 ,   士居健郎 ,   山本和郎 ,   河村高信 ,   小倉清 ,   菅又淳 ,   逸見武久 ,   武田専 ,   中久喜雅文 ,   臺弘

ページ範囲:P.826 - P.846

はじめに
 司会 この地域精神医学の懇話会を提案された墓教授はまもなく見えると思いますが,時間がまいりましたので,本日の会を始めたいと思います。
 昨年の総会でコミュニティ精神医学がとりあげられてから1年半以上たちました。この11月には地域精神医学会という学会が誕生するということでもありますし,きようは桑原さんに主題報告者になつていただき,公衆衛生の立場からお話を願い,そのあと江熊さんと土居さんに指定討論をお願いしてあるわけですが,演題の性質からおのおのが主題報告でもあるという含みでやつていただくようにお願いしたいと思います。

研究と報告

刑法改正に関する私の意見 第1篇 責任能力(その3)—米国篇

著者: 田村幸雄

ページ範囲:P.847 - P.851

Ⅰ.法家と精神科医との冷戦
 英国でもM. N. R. を中心に法家と精神科医とが対立しているが,米国ではこの対立がいつそうひどいように思われる。米国では精神分析学や力動精神医学のさかんなのがその一因であろう。両者の対立は,犯罪者に対する態度の根本的相違にもとづくところが大である。
 法家は一般につぎのような見解をもつ。

対鏡症状にみる社会性の病態

著者: 高橋徹

ページ範囲:P.853 - P.857

Ⅰ.まえおき
 人が鏡を見るということは日常的なことがらである。しかし,めだつ場合がある。たとえば,acne vulgarisを気にしている人が毎日長い時間鏡を見ていたり,末梢性顔面神経片麻痺の人が日に何度も鏡を見ながらしきりに表情をためして暗い気持ちになつたりする。なかには,なんでもないはずの骨盤の形が尋常でないという変わつた考えにとりつかれている男の患者が,みんな寝てしまつてから自分の部屋でかくれて鏡の前で家庭医学の本の解剖図と自分の腰の形とを比べて見ているという変な印象を受ける場合や,人が見ていても平気で半時間も洗面所の鏡に顔を近づけたり,遠ざけたり,笑う表情をしたり,目を細めたり,頬をさすつたりしていて,なぜ見ているかたずねてもその理由が深くつかめない不可解な印象を与える例(Ais. 31歳,男)もある。
 P. Abelyは,鏡のようにものを映す表面に顔やからだの一部や全身を映して,しきりにしかも長いあいだ眺める要求のあらわれを,精神疾患の徴候という面からとらえて対鏡症状(le signe du miroir)と名づけている1)。この定義があいまいなのでもつと限定するために,鏡を必要とする十分な理由なく使用しなければならない,という点を強調しようとこころみた学者もいるが,かれ自身も非のうちどころのない定義を与えることはほとんど不可能だと述べた2)

Sjögren-Larsson症候群の1例

著者: 兼谷俊

ページ範囲:P.859 - P.863

I.はじめに
 1955年Sjögrenは,北スエーデンの精薄施設で,魚鱗症,高度ないし中等度の知能障害,Little型の脳性麻痺を合併している5例をみ,これを報告した1)。この後,精薄施設および脳性麻痺患者の入園施設などにおける全国的調査から,患者およびその家族を含めて約3,000人を検診,死亡例を含めて同様の合併症をもっ28例を発見し,Larssonの臨床的協同研究から,本症をSjögren-Larsson症候群として発表した2)。以来,本症についての二,三の報告はあるが,わが国ではまだ1例も報告されていない。ここに報告する例は,3歳時から先天性脳性麻痺として扱われてきた男子例で,整形外科的手術前の検査の一つとして,脳波検査を依頼されたものであるが,精神薄弱のほかに魚鱗症様皮膚病変があつたため皮膚科に紹介したところ,本症を疑われ,検査検討の結果,木症と診断したものである。今回は本例にみられた臨床症状,一般検査所見,脳波所見および類似疾患との差異などについて述べてみたい。

精神障害者のリハビリテーション(第2報)—退院後の精神障害者の家庭訪問による研究

著者: 井上正吾 ,   吉本昭三 ,   田中雅文 ,   宇佐美光枝 ,   世古貞子

ページ範囲:P.864 - P.868

Ⅰ.緒論
 さきに,井上は,入院中の患者がどのような処遇を与えられるべきかについて,精神障害者の治療体系の確立を想定して,調査を行ない,第1報として報告した。すなわち沖保健所管内の在院患者の実態を調査し,デイ・ホスピタル,外来通院などでの治療が好ましい者は在院患者の22%を占め,ホステル,ナーシング・ホーム,などの施設が好ましい者は31%であることを述べた。なお保護作業場(工場)などに適した者は6%であつた1)。ところが現実には,井上が想定した精神障害者の治療体系は確立されていない。そこで現時点での問題として,精神障害者が地域社会においてどのような位置づけにおかれ,処遇を受けているのかを明らかにする必要がある。以上の必要性から,津保健所管内における県内精神病院退院在宅患者が退院後どのような社会復帰のありかたをしているかを調査した。

あるハイミナール中毒患者の死—いわゆる人間学的考察

著者: 前田利男 ,   田宮崇

ページ範囲:P.871 - P.874

Ⅰ.序論
 Arzneimittelsuchtの成因に関しては,素質的原因と環境的原因の二つが一般に考えられている。ただそのどちらがより根本的な原因であるかは個々の症例によつて違うであろう。
 Suchtに関しては,いろいろな観点より解釈されるであろうが,v. Gebsattel2)はArzneimittelsuchtにおいてMitte1そのものが人間を破滅に導くのではなく,むしろその人間がMittelを使用せざるをえなくなつた不満,空虚感,実存的苦悩がSuchtにおちいらせ,その人間を破滅に導くことを明らかにした。v. Gebsattelを初めZutt,Kulenkampffなどのいわゆる「了解的人間学的立場」からもSuchtに関する解釈が行なわれている。

神経精神科領域におけるCDP-choline(Nicholin)の使用経験

著者: 岩本信一 ,   田淵健次郎 ,   笠井勉 ,   木下忠謙 ,   宮本隆至

ページ範囲:P.876 - P.881

Ⅰ.まえがき
 近年大都市において交通災害・産業災害による受傷者がいちじるしく増加してきた。これら受傷者の大部分はなんらかの後遺症を残し,ことに頭部外傷者の場合,自覚的・他覚的症状がいちじるしく,患者は救急処置のあと種々の愁訴をもつて神経科を訪れる場合が多い。しかしこのような症例では症状が頑固で,自律神経・間脳機能障害を主とする愁訴が年余にわたつてつづく場合も少なくない。
 また一酸化炭素中毒後遺症や,てんかん・振戦せんもうなどの急性意識障害も神経科ではしばしば経験するが一般に難治で看護をはなはだ困難にし,ときには不幸な転帰をとることもまれではない。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・17

精神鑑定にあらわれた世相

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.882 - P.890

 さきに(第11回)私は,自分が取り扱つた精神鑑定例の中で,最も知性が高く,また精神病理学的にも珍しい2人の人物のことを書いたが,今回は,戦中,戦後の非常時に鑑定した幾つかの特殊例について述べてみたい。これらは,いつの時代にも起こり得る性質の犯罪であるが,戦時中の厳重な物資統制の下で,あるいは終戦直後の貧窮と,警察力の不備の状況下で,多少にかかわらず誇張された形で現われたという意味で,時勢の一面をうかがわせるに足る例である。
 東京に転任以来,私は,この大都市で起こつた事件はもちろん,他の地域で起こつた事件であつても,特殊なものについては,精神鑑定を依頼されることが多かつた。これらの鑑定例のうち,司法精神医学的内容のものは,専門学会の宿題報告として(『精神神経学雑誌』53巻,昭和26年),また多少通俗的のものは単行本として(『精神鑑定』創元社,昭和27年)発表したので,ここでは,事件や鑑定の内容よりも,むしろ時代的影響というところに重点を置いて述べたいと思う。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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