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雑誌目次

雑誌文献

精神医学9巻3号

1967年03月発行

雑誌目次

展望

失外套症状群の諸問題

著者: 吉田哲雄

ページ範囲:P.161 - P.172

I.はじめに
 最近,重症脳外傷,一酸化炭素中毒症などに関連して,失外套症状群(Das apallische Syndrom,Kretschmer31),1940)に対する関心がたかまつている。失外套症状群についてのKretschmerの所説は,広い視野に立ち,含蓄に富むものである。しかし,臨床所見の詳細にはふれず,基礎とした症例も,詳しく記載されたのは1例のみだつたためもあつて,この症状群をめぐる諸問題が残された。
 一方,Cairnsほか6)(1941)がKretschmerと独立に提唱した無動性無言症(Akinetic mutism)も,普及してきた。これは,一般に,失外套症状群と同一または近縁とみなされることが多いが28)36)43)59)60)61)68),その異同は検討の余地がある。また,島崎52)(1939)が,すでにKretschmerより1年さきに,失外套症状群とほぼ同様の状態を,「人間的分化機能の喪失」という独自の見地で報告しているのがあらためて注目される。

研究と報告

寛解期分裂病者における病識に関する二,三の問題

著者: 梶谷哲男

ページ範囲:P.173 - P.177

Ⅰ.はしがき
 病識は,疾病判断の有無をみるという日常の臨床的,実践的次元から,病態に対して病者のとる全人格的構えの意味を考察するという精神病理学的次元,その洞察を治療的実践に利用しようとする精神療法的次元,さらには自覚(Besinnung)一般としての人間学的次元におよぶ非常に広汎多義な概念である。しかし一般的には,Jaspersの「自己の体験に対し観察しながら立向かう構えの正しいもの」とされ,その後多くの訂正意見が発表され,病識についてのかなりの定位(Orientierung)が与えられてきたが,そのあいまいさはまだ十分解決されたとはいえない。
 ただし,その概念のあいまいさにもかかわらず,この言葉は,日常しばしば使用されているし,ある意味では不可欠の臨床用語の一つともいいうるであろう。

社会復帰過程からみた分裂病者の人格障害—予後調査およびロールシャッハ再テストの知見をめぐつて

著者: 鈴木竜一

ページ範囲:P.179 - P.183

Ⅰ.まえがき
 三浦は第1回精神病理・精神療法学会のシンポジウムの「精神分裂病の"治癒"とは何か」で,分裂病とはHEyのいうごとく1),慢性的に進行する自閉的存在への解体を本質とし,したがつてその真の意味における治癒はきわめて困難であるという見解を表明した2)。この見解はわれわれが行なつたロールシャッハ・テストによる境界例・破瓜病・欠陥状態・社会的寛解状態などのいわゆる分裂病領域にある各患者の人格障害の研究の知見とよく一致した3)
 (1)第1表のように,ロールシャッハ・テスト(以下ロ・テストと略す)上その分裂病としての特徴は,テスト反応の不活発さ,現実把握の歪み,いわゆる分裂病指標などにあるが,このような人格障害の知見は,境界例,破瓜病,いわゆる欠陥状態の間に質的な連続性を示し,その違いは段階的な程度の差である。

精神分裂病者の作製した建築設計図についての検討

著者: 広瀬伸男 ,   大塚諄雄 ,   高田紗智子 ,   高井作之助

ページ範囲:P.185 - P.188

Ⅰ.序
 精神病者とりわけ精神分裂病者の作製したものについての蒐集と考察に関する業績は,絵画,彫刻,創作などを中心に実におびただしい量にのぼつている。そのなかで,かつて私は短詩型の作品,書翰,標語などの蒐集と検討について報告してきた。しかしながら,今回私どもの扱つた建築平面プランのごとき文献は,内外ともに見当たらず,ただ建築物の報告としてはわが国において二笑亭をあげることができる程度である。しかも,ここにかかげる設計図は私どもの要請とか期待によつて累積されたり,歪曲されたものではなく,あくまで患者自身の作品であり,まとめるにあたつて患者の閲覧持出しの拒否にも遭遇したが,2患者とも入院数カ月の後,一種の疎通により初めて膨大な作品に接することができたのである。そこで,2人の精神分裂病者の作品群から得た所見を,紙面規定の許す範囲内において,若干披瀝してみたいと思う。

分裂病欠損家族の精神医学的研究(その2)—力動的接近から

著者: 玉井幸子

ページ範囲:P.189 - P.199

Ⅰ.まえがき
 (その1)でわれわれは,現在,わが国の精神病院に入院している分裂病者の家族の父母欠損率,欠損の内容,欠損の時期,欠損の補足のされかたについて報告した。実はこのこころみは,われわれの精神医学的家族研究本来の接近方法である力動的接近の準備を整える意義をもつている。なぜならば,力動的接近は個々の症例に莫大な時間と努力をついやして詳細な知見をもたらすintensiveな研究方法であるが,その反面,どうしても研究対象は量的,数的にかぎられたものであり,ともすると偏つた資料を微視的に分析し全体的な見通しを見失うおそれもなきにしもあらずである。
 このような配慮から,まず統計的な接近を行なつた。一方で,筆者は慶大神経科式の力動的家族研究の方法を適用して分裂病欠損家族への力動的接近をこころみた。この力動的接近は①個人精神療法,②家族テスト,③家旋而接,④Ackermannの統合的家族診断方法,からなつている。したがつてそれは本来intensiveなcase studyの積みかさねという手続きから成り立つているが,さらにこの接近法を某本としたつぎのようないくつかの研究がこころみられている。

集団心理療法場面における薬物依存者(その2)—座席の成立

著者: 大原健士郎

ページ範囲:P.201 - P.206

Ⅰ.はしがき
 さきの論文では,薬物依存者における対人関係のもつ意義について述べた。この論文では,薬物依存者の名称のもとに一括されている患者たちをいかにして分類しうるかという一試案を提起したいと思う。著者の乏しい臨床経験からしても,薬剤をくりかえして使用する患者において種々の点(薬種別・年齢別・基礎人格の差異,合併または先在的な精神障害の存在,家庭内緊張の有無,薬剤の使用目的等々)でこまかい差異が多々みいだされるように思う。たとえば,バルビツール酸剤およびアルコール依存型の範疇にはいる患者をとりあげてみても,その内容には種々のものが含まれ,同一に論ずることは困難である。この見地から,著者はこの論文で,主として行動科学的にこの種の患者の分類をこころみ,私見を述べたいと思う。
 なお,本論文中の〔症例番号〕は,さきの論文(その1)と重複するものに付されたものであり,その症例については簡潔に説明してあるので,(その1)を参照されたい。

仮称「発熱-緊張症状群」の2例

著者: 浅尾之彦 ,   有岡巌 ,   稲森次郎 ,   大海作夫 ,   中川治 ,   西村公宏 ,   西村暉子 ,   南耀子

ページ範囲:P.207 - P.211

I.はじめに
 いわゆる「急性致死性緊張病」なるものは,1832年Calmeil4)により報告されて以来,相当多くの症例が報告されているが,この状態に対する診断名には,多くの用語が使用され,その概念もいまだ一定したものがあるとはいいにくい。
 この場合の症状は重篤であり,また,予後が悪く,その名に示すごとく,死の転帰をとるものが多い。

動き

北京の精神病院—中国精神神経学界管見

著者: 小西輝夫

ページ範囲:P.212 - P.218

はじめに
 1965年秋,日本中国文化交流協会訪中関西代表団(団長・京都国立博物館館長塚本善隆博士)に随行して約3週間にわたり,中国の各地を訪問する機会を得た。もつとも,関西在住の文化芸術客方面の代表者からなる団体(総員10名)の随員医師として訪中したのであるから,中国の医学事情をみるのが主目的ではなかつたし,それに例の文化大革命はそれ以前とそれ以後の中国のあらゆる面をまつたく変貌させてしまつたと思われるので,いまごろちよつと見の中国医学界の印象を記しても,おそらく見当はずれなものになるかもしれない。とくにあの広大な中国が3週間あまりの見聞で理解できるはずもないし,また共産主義(というよりは毛沢東主義というべきだと思うが)体制下の,けつしてありのままが見せてもらえたとは思えない旅行で中国の印象を素描することは軽率のそしりを免れないであろう。しかしまた日本にいては想像もできなかった事柄を眼前にしたことも事実である。日本人が隣の中国についてあまりにも無知であったことを痛感させられた3週間でもあつた。もつともそれ以上に中国人も日本の現状を知らなさすぎるが,これはおそらく知らされていないのであろう。とすれば,知る自由をもつわれわれ日本人がもつと積極的に中国を理解すべきではないだろうか。スケジュールのぎつしりつまつた団体行動の寸暇をぬすんでかいま見た中国医学界の,文字どおりの管見記であるが,1965年の秋という時点で見聞したありのままを記してみたいと思う。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・9

アイヌの比較精神医学

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.222 - P.229

 北海道大学在任中の出来事のうち,私事として最も大きなものは,昭和5年(1930年),父鑑三が東京で死んだことである。父は,その1年ほど前から心臓病に罹つていたが,この年の正月ごろには心臓発作も加わつて,病勢が進み,ついに3月28日の朝まだき,らんまんの桜花に,みとられるようにして,70年の生涯を閉じたのである。
 それはもちろん私にとつて大きなショックであつた。われわれ父子の関係は,最後の10年間を除くと,必ずしも「良き父」と「良き息子」で終始したわけではないが,私は,父の死後数年にわたつて,しばしば父の夢を見た。これは,私の意識下で,父が,いかに大きな印象を私に与えていたかを示すものであつて,私自身,幾たびか,そのことに思い到つて驚いたものである。

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第17回 日本医学会総会 風見鳥ニュースNo. 7

ページ範囲:P.230 - P.231

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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