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雑誌目次

雑誌文献

精神医学9巻5号

1967年05月発行

雑誌目次

特集 創造と表現の病理 第63回日本精神神経学会総会シンポジウム

はじめに

著者: 島崎敏樹

ページ範囲:P.309 - P.309

 この主題が日本精神神経学会の総会において組織的にとりあげられたのは今回が初めてのことであつて,あるいは今後しばらくその機会はないかもしれない。
 この主題をめぐつてシンポジウムをひらく意義がどこにあるかを一言述べる。自分の好きな作家なり,画家なり,作曲家なりがあつて,かれが心に偏りをもつていたか狂気になつたかした場合,自分がたまたま精神医学にたずさわつていたことから,その人物の作品の精神医学的分析を行なうことはだれにもできる。しかしそれはまだ科学に距離がある。このような個人的関心から進んで,共通の,通分された,だれとでも客観的態度で討論できる次元にまでゆかなければ,科学の場での厳しい認識の眼に堪えない。

Ⅰ部・創造性の病理

創造性とその病理

著者: 佐々木斐夫

ページ範囲:P.310 - P.314

 Ⅰ.
 人間の創造のいとなみを心的活動の面で解明しようとするこころみにおいて,その過程と成果とにかかわる病理の問題は,これまで主として精神病理学や病態心理学の内側から追究されてきた。したがつて創造や表出のはたらきに生じる異象は,研究者が臨床体験のうちで遭遇する病態一般の,一区画とみなされるわけで,いきおい研究者の興味は情動的表現を基動とする文学や芸術の領域に集中しがちであつたし,それだけに治療を本務とする専門の精神医や異常心理学者にとつては,とかく副次的な意義しかもちえなかつたといえよう。もちろん病者に通在する行動や思考の異常性の判定に比べれば,文学作品や芸術形象における病的要素を具体的に定位してゆくことは,自由な美的表現が人間生活のなかで一つの独自なSpielraumをかたちづくるものとして,社会的な承認を受けているだけに,いろいろと困難な条件を伴わざるをえない。つまり芸術や文学の創作表現の場では,周知のように正常と異常との区別がつけにくいからである。
 ところで管見によれば,最近にいたり私たちの課題に対してアプローチのしかたの変改を促すような,新しい状況の諸変化が生じてきたように思われる。ここでは二つの対照的に顕著な例をとりあげてみよう。一つは創造性(creativity)の本質やその開拓に関する研究を,正常心理学および関連諸科学の主要日程のなかへ織り込むことが,巨大な発展を遂げつつある産業社会の側から要請されるようになり,それに応じる専門学者のあいだで,発明の心理からくふうの論理にわたる多面的な考察が,実験と調査との方法に支えられて活発化してきていることである。

精神分裂病と創造性

著者: 宮本忠雄

ページ範囲:P.315 - P.320

Ⅰ.まえおき
 「精神分裂病と創造性」をめぐる問題は,これまでにも病誌の領域でのもっとも重要な問題のひとつとして,さまざまな観点から取り扱われてきている。とりわけ,分裂病性創造の様式的特徴やStilwandelの問題はすでに1920年代に精神医学的関心の前景を占め,Morgenthaler, W. 1),Jaspers, K. 2),Prinzhorn, H. 3),Weygandt, W.,Pfeifer, R. A. 4)らによつて熱心に論じられた。これらの詳細については筆者はほかで述べており5)6),また少ない紙面でふたたびそれを概説することもあまり意味がないので,ここではテーマをもう少し限定して,幻覚という精神病理学的現象を媒介として「分裂病と(芸術的)創造」の問題を重点的に考えてみようと思う(したがつて「綜説」というような一般的論述ではないことを前もつて断わっておきたい)。
 幻覚をここでの手がかりとしてとくに選んだのは,ほかの分裂病症状と比べて創造活動との関連がより具体的・直観的にとらえられるという理由にもよるが,むしろ,分裂病と創造性を主体的に媒介するものがほかならぬ幻覚ないし「幻覚的意識」ともいうべきものであると息われるからで,結論的にいえば,このへんに分裂病的創造の特性がひそんでいると予感される。

追加討論

著者: 野村章恒

ページ範囲:P.320 - P.321

 分裂病と創造性の関連について論ずることはきわめて広汎にわたつているので,宮本氏が述べたように,病跡学的興味の対象を選ぶときムンクのような画家とカフカのような文学者とを研究者自身の興味と力量によつてあらかじめはつきり区別することが必要である。また比較芸術病理学的研究のために,明らかな分裂病者の病的絵画と超現実主義者の絵画の類似性を精神病理学的に究明することも未開拓の分野といえよう。宮本氏のとりあげた画家ムンクの『叫び』は両手で両耳を被うて絶叫している図で,油絵よりも版画のほうに幻覚に苦悩するであろう破局寸前のCry for helpの実感がみられる。ロスアンゼルス市自殺予防センターのパンフレットの口絵に転用されているのもむべなるかなと思われる。他の作『マドンナ』も「女体の病み疲れたものに妊娠の悲しいイメージのなかに,生と死との懐疑,不安,孤独,憂愁の感情の交錯をあふれさせている」(嘉門安雄による)点から精神病理学的に興味をひく。
 宮本氏はこの長寿の画家の生涯と作品との関係を病誌を通じてあとづけた報告をされ,Winklerの考えの分裂病の妄想型辺縁圏内にあるとする説を採用している。しかし36歳発病当時には四角関係という恋愛の悩みの心因も考えられる点と,46歳軽快後の画風の外向化の転換は気分昂揚の軽躁気分とみることはできないだろうか。これは懐疑,不安,孤独,憂愁の少年期から環境的に身心両面の素地に色あげされていたものが,神経症的体験を転機として魂の生長開眼として社会的自己実現の方向に発展した画風の変化とみられないであろうか。宮本氏は『叫び』は狭義の幻覚ではなく広義の幻覚的意識を母胎として創造された名作であるとしているが,この幻覚的意識から完全にさめた現実直視のなかでの『坑夫』などの制作も健康な名作とよべるであろう。

うつ病と創造性

著者: 千谷七郎

ページ範囲:P.322 - P.326

I.はじめに
 与えられた標題について発表することは時期尚早の感を深くするのであるが,きようはこの仕事のやつかいさの一端を披歴するまでのものとなると思う。
 さて,こんにち「創作」という語,創造性ではなくて,創作という語がどのような範囲にもちいられているかはさしあたつて問わないとして,ともかくゲーテの創作過程をとおして,作物が生まれる過程に2とおりあることが看取されることである。ここでは主としてゲーテの自叙伝『詩と真実』を中心にしてみてゆく(訳文は小牧健夫訳による)。

指定討論

著者: 小木貞孝

ページ範囲:P.326 - P.327

 千谷先生の創造性能と表出衝動の区別を機軸とするお話は,創造性の問題について根本的な現象を指摘された卓見であると敬意を表する。とくに,ゲーテにおいて2種類の創作がみられるということ,うつ病相期における内的な抑うつや人生嫌悪を意志により表出している過程などは興味深くうかがつた。このお話をうかがいながら,私の考えていたことは,同じうつ病と思われる夏目漱石の場合には事情はどうであろうか,ということである。
 漱石の一生に3回のうつ病相期がみられること,その作品がうつ病体験の影を色濃く映していることについては,千谷先生も私もべつなところで述べたことがあり,ここで詳細を述べることは省略したい。ただここで問題としたいのは,漱石のめざした創造が,千谷先生のいわれる表出衝動にもとづくものであり,おそらくこの点に,近代から現代にいたる小説を中心とする文学の本質的な面が現われているということである。

Ⅱ部・病跡

乃木将軍と殉死

著者: 王丸勇

ページ範囲:P.329 - P.332


 晩年学習院長をつとめた陸軍大将乃木希典(1849〜1912)(以下将軍と略称)は,大正元年9月13日の夜,明治天皇の霊柩出門の号音と同時に,夫人とともに殉死した。こんにちにおいても古武士的武将の典型として,また至誠,誠実,正直の徳をそなえた聖雄として乃木神社に奉祠されている。

「大いなる正午(Grosser Mittag)」体験(ニーチェ)について

著者: 霜山徳爾

ページ範囲:P.333 - P.339

Ⅰ.「世界」喪失体験
 従来の精神病理学においては,その文学的表現が少なくない分裂病における世界没落体験や,種々のうつ状態における厭世的虚無的気分のごとき,世界に対する否定的体験についての,すぐれた現象学的知見はかなり存している。このような「世界」喪失への危機感につらぬかれた体験の研究は,一つには治療上の要請と,ほかには危機感に生きる現代人の社会心理とも連関して,大きな意義をもつていると考えられるが,さらに創造とその病理とに関連づけるとき,いつそう興味深いものになつてくる。「なぜに分裂病の初期にはなはだしばしば宇宙的な,宗教的な,形而上学的過程があるのか。これはきわめて印象深い事実である。崇高な会得,地上にはけつしてありうるとは思えなかつた感動的楽奏,創造的なもの……これはけつして精神病の性質から把握されるものではない」とヤスパースは述べている。しかしこれは分裂病の場合にかぎつたことではない。うつ病的世界でもデューラーの「偉大なる憂愁者」は現実にたとえばマルチン・ルッターの陰うつな創造のうちにその翳をおとしている。

ヴァジニア・ウルフ

著者: 神谷美恵子

ページ範囲:P.339 - P.345

I.はじめに
 20世紀前半の西欧文学史において顕著な現象の一つは,いわゆる“意識の流れ”を克明に描き出そうとする小説が,いくつも現われたことであつた16)。この新作風の有力な推進者としてProustやJoyceらとともに世界的に認められているのがVirginia Woolf(1882〜1941)である。
 彼女の人と作品についての研究は内外に多数あるが,それはほとんどすべて文学的見地からのものであつて,この作家に精神障害があつたらしいことは,生前から憶測されていたにもかかわらず,病跡的研究は,筆者の知るかぎり,まだ行なわれていない。

久保栄の病蹟学における課題

著者: 懸田克躬 ,   春原千秋

ページ範囲:P.345 - P.354

Ⅰ.作家の型と病蹟学
 病蹟学または病誌学が,芸文の世界の人々の創造的な活動と,異常なその作家または芸術家の心性との相互関係を明らかにするものであるとすれば,この領域における学問的な業績の成立の可能性は,一にかかってその作者の精神生活の異常な心性と,その創作にかかる作品についての十分な知識と領解とを前提とすることはいうまでもない。
 この意味においては,この種の学問的な探究にとつては,その作家ごとに,その領域における研究の対象として適するかあるいは適しないかが,いろいろな点で問題となってくるであろう。

Ⅲ部・芸術療法

芸術療法を通じてみた創造と表現の病理

著者: 徳田良仁

ページ範囲:P.357 - P.363

Ⅰ.まえおき
 多くの精神病者は,その精神症状ゆえの悩み,苦しみ,不安,妄想にとらわれ,無為の時間に身をゆだねて,創造的あるいは生産的行為をまつたく忘れているかのようにみえる。
 しかし,かれらのなかの少数ではあるが,ある場合には,あたかも霊感のひらめきを感じとったかのごとく,あるいは新しい創造の泉の湧きあがるかのごとく,自発的に創作活動に精力を傾注するもののあることは,すでに周知の事柄である。

絵画療法における創造と表現の病理

著者: 加藤清 ,   藤縄昭

ページ範囲:P.364 - P.370

I.はじめに
 精神疾患者によつて創造された作品の分析によらないで,それが創造されていく過程そのものに関与することによつても,また「創造と表現の病理」というテーマには迫まりうる。芸術療法ないし創造療法は正にこの目的にかなつている。すなわち,創造療法の内的構造とその動的過程の具体像を明らかにすることは,とりもなおさず,創造性とその病理の理解を深めるのに役だつであろう。本論では,その方法として,絵画療法中,患者にみられる創造性の育成が,治癒傾向となつて現われていく過程をまず分析し,つぎにこの方法では分析しきれない問題があれば,それを掘り起こして明らかにすることにする。

「創造と表現の病理」を終つて

著者: 荻野恒一

ページ範囲:P.370 - P.370

 本シンポジウムの最大の成果は,各発表者の貴重な研究の一端を知りえたこともさることながら,むしろ「創造と表現の病理」の原理論と方法論をめぐつて,さらには課題の選択と焦点をめぐつて,多くの問題がなおわれわれに残されていることを知りえたことではないかと思う。この意味でつぎに,われわれが今回あらためて示唆をうけたいくつかの具体的な課題の二,三を拾いあげることによつてまとめに代えたい。
 創造と病いという総論的主題においても(Ⅰ部),病跡という各論的研究においても(Ⅱ部),また芸術療法という実践の場においても(Ⅲ部),創造になんらかの仕方で関与している「病い」についての精神医学的見解が,その研究を決定的に左右するようである。2,3の発表者が引用されたJaspersの「創造力が病いにもかかわらず現われたのか,それとも病いのためにこそ現われたのか」という設問のなかにも,すでに分裂病的過程に関するハイデルベルグ学派の見解が存することはいうまでもない。また同じく数名の発表音が引用されたDelay,Minkowski,Volmatを含めてフランス精神医学者の大部分は,分裂病を人格解体過程と見做し,この見解に立つて分裂病者における創造と表現を論じ,あるいは神経症者のそれとの根木的相違を力説色するのである(たとえばDelay)。それゆえ徳田,加藤,藤縄の諸氏の精神病(とりわけ分裂病)への芸術療法の諸報告は,二重の意味,すなわち一つには「日常的(病的)自我から脱自し,美的実践を契機として本来的(客観視できる)自我を発見してゆく」(宮本)という精神療法的課題,一つには「臨床精神精医学の次元で病跡学を展開し,とりわけ精神療法的に追求してゆく」(野村教授)ことによつて,さきの分裂病観を再検討し,また創造と病いの病跡を書き改めるという課題が隠されていると思う。

紹介

—Max Hayman 著—Alcoholism;Mechanism and Management

著者: 大原健士郎

ページ範囲:P.375 - P.375

 Hayman教授に初めて接したのはUCLA(University of California of Los Angeles)の研究室である。小柄で白髪の教授はおだやかな口調でありながら,初対面から積極的に日本の飲酒者の実態,治療方法とりわけ禁酒会の役割りなどについて質問を浴びせてきた。教授は,本著の出版で事足れりとするのではなく,今後も本著を基礎としてアルコールに関するあらゆる和識を求め,より完成した著書にしたいと強調した。
 著者の言葉をかりれば,「近年アルコール中毒は医学酌な疾患と考えられるようになってきたが,この問題には非常に多くの社会的・法律的・職業的な側面を含み,これらもまた定義の中に含まれねばならない」のである。ロサンゼルスは他の大都市と同様にダウンタウンを中心として飲酒者や薬物依存者が多く,各界の注目を浴びているが,実際,ダウンタウンの裏街に足を踏み入れるといかに大きな社会問題となっているかが身をもつて体験できる。教授の立場は,たとえ彼らが欲すると欲せざるにかかわらず,治療の対象となるという立場をとる。そして彼らを治すという立場をとる以上,現段階では社会精神医学的なアプローチが第一義的なものである。とは言うものの,著者はこの分野のみで科学的なアプローチが完壁なものとなると考えているわけではなく,「アルコール中毒に関する見解」の章をとり上げてみても,疫学的見解,身体的見解,学習理論的見解,社会文化的見解,精神力動的見解,宗教団体からの見解といった風に多彩で,飲酒者の病理を各方面から追求し,学問的に有意義な成績や仮説はすべてとり入れ,飲酒者の病理を解明すべく努力している。教授の行なつている治療も考えられるすべての方法を用いているが,現在最も力を入れている方法は,集団精神療法と精神分析であり,前者にはとくに禁酒会の協力があずかって力あるもののようである。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・11

3人の人物—長与又郎・清野謙次・大川周明

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.376 - P.383

 東京大学に赴任して,最初に手がけた研究が,病理学の長与又郎教授らと共同で発表した,傑出人脳の研究であつたことは,さきに述べたが,私は,この長与さんを,私の最も敬愛する先輩の1人であり,かつ,わが国の医学界が生んだ最も卓越した人物の1人であつたと思うので,ここで,いささか長与さんについて語りたいと思う。
 長与さんは,昭和9年から13年まで,東京帝国大学の総長をつとめたが,あたかもこの期間は,昭和4,5年来,抬頭して来た軍部勢力が,昭和11年の2・26事件によつても反省の色を見せず,それのみか,軍部に引きずられた政治当局は,海外における積極政策を押し進め,国内に非常時の危機感をあおつて,挙国一致の態勢を強要した時代であつた。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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