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雑誌目次

雑誌文献

精神医学9巻6号

1967年06月発行

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特集 心因をめぐる諸問題 第3回日本精神病理・精神療法学会シンポジウム

一般討論

著者: 中久喜雅文 ,   久山照息 ,   小木 ,   森山公夫 ,   笠原 ,   井上 ,   新福尚武 ,   土居

ページ範囲:P.424 - P.427

 中久喜雅文(東大精神科) きようの演者の方のお話をお聞きしておりますと,だいたいにおいて心因反応は従来の準備要因と,それから心的要因の加わつたものの反応としては理解しにくいということだつたように思うのですが,私はこれを解決する一つの手段として,一つのヒポテーゼですが第3の因子に自我要因というものを考えたら解決できるのではないかと思うのです。つまりこれは土居先生のいわれたdefenceということと関係があるのですが,つまり,心的な刺激があつた場合,それに反応する自我があり,この両者の交互反応として起こつた結果が心因反応であると考えたほうがいいのではないかと思うのです。ふつうのいわゆる心因反応は急激な刺激に対する自我の反応と考えられます。
 ところで,さきほど小木さんがいわれた反則者が模範囚に変わるのはどうしてかということがありましたが,それは刺激が慢性であるために,自我に余裕ができて順応することができる。すなわち一種のadaptationである。これは急性の刺激に対する急激な反応というより,むしろadaptationであると私は考えたいわけです。つまり一つのdefenceですね。

指定討論および演者回答

指定討論

著者: 黒丸正四郎

ページ範囲:P.417 - P.419

 各演者のお話を承りまして感じましたことは,皆さんに共通してみられることが心因というものを「準備要因+心的体験=心因反応」といつたような,単純な因果論に対する否定であるということであります。私もこの点については同感であります。こういう意味から私には演者の方々に対して不満を申しあげるような材料がなく,むしろ感心いたしたようなしだいで,どうかすると,与党側にまわりそうであります。とくに下坂先生に対しましては青春期の食思不振症といつたようなものを単純に心因単位に分けずに,その症状発生の必然性を,了解心理学的に追求された態度には,私も非常に賛成であります。
 このごろ,児童精神医学で問題になつております思春期の登校拒否症といわれている神経症なども,こういった考えかたでまいりますならば,子どもがただ学校に行くのを否定しているのだというような単純な因果論的な説明でなく,そこにはやはり小さいときからの成長過程のなかに含まれている生活史を考えるべきで,ちようど食思不振症が思春期の性的成熟に対する拒否を示しているのと同様,登校拒否症はこの年齢期における社会的成熟をかれが拒否しているのだと解してもいいかと思うのであります。

指定討論

著者: 土居健郎

ページ範囲:P.419 - P.421

 各演者の発表について私の理解したところを要約しながら討論を進めていきたいと思います。
 下坂氏は,青春期神経性食思不振症についてのすぐれた臨床的な研究をとおして,外的刺激に対する反応としての従来の狭い心因反応の概念がこんにちではもはや通用しないことを指摘し,広義の心因をどのように理解しまた分類すべきかについて,一つの試案を提供しておられます。しかしこのさい心因は単にseelisch bedingtと定義され,ついで具体的に養育因・情動因・環境因・観念因などに小分けされますが,その場合心因の本質がぼやけたままでほうつておかれるように思われます。

演者解答

著者: 下坂 ,   小木 ,   笠原 ,   井上 ,   黒丸 ,   土居 ,   井村

ページ範囲:P.421 - P.424

 下坂 土居先生のご質問にお答えします。結局私は心因の本質への問いを忘れてしまつている,心因をどういうふうにとらえるかという本質がぼやけているといわれたわけですが,実際それはそうで,いわば逃げてそこを通つたわけです。私の考えを申しあげれば,原因としての心因を考える場合に心因の心のほうは狭く私が抄録に書いたことと少しく矛盾してぐあいが悪いのですが,抄録のほうは上位概念として広くとつてあります。——原因となる心的な体験は,対人的体験そのものか,あるいは出来事に触発されて出てくる対人的体験というふうにとりたいわけです。そこで抄録のなかで羅列的にとりあげたものの一つは情動因です。かつて戦争神経症や驚愕精神病の問題がさかんにとりあげられたときには,非常に純粋な情動反応といったかたちがとりあげられて,そこから二次的にヒステリー性加工というような問題も出てきたわけですが,あの当時の著者たちが心因反応といつているのは,ほとんど人格因子が関与しないで,刺激に対して直接的な,情動的な精神身体反応が起こるものを心因反応といつたわけです。それはしかし心というものはわれわれの常識からいいますと,心をもつている人間はそれぞれの生活史をふまえてつねになにかの対象を志向しているというふうに考えられますから,純粋の情動因というのは,心因には違いないでしようが,非常に特殊な,まれなものであるというふうに思います。結局驚愕反応というのはKretschmerなどは生物学的な反応になぞらえているわけですから,動物にも起こりうる。ですから純粋に,人格の関与した心の因とはいえないというふうに思うわけです。

研究と報告

Phenothiazine系薬剤による光アレルギー反応について—過敏な皮膚症状を呈した1分裂病症例における検討

著者: 須田茂雄 ,   平井富雄

ページ範囲:P.449 - P.456

Ⅰ.緒言
 わが国にphenothiazine系化合物が登場してから10年余の年月が経過した。現在使用しうるこの種の薬剤だけでも数十におよび,その適用法・副作用についても多くの研究・報告がなされている。その結果,使用法も,臨床的にある程度定式化したといつてよい。
 一方副作用については,使用当初過敏とさえ思われる注意・配慮がなされ,その報告5)6)12)〜15)についても各方面にわたるものがみられたが,最近ではパーキンソニスムスのほか,ときにみられる肝障害,無顆粒細胞症以外はほとんど注目されていないように思われる。

資料

てんかん者の自動車運転免許の問題—国際てんかん協会シンポジウム(1965)から

著者: 和田豊治

ページ範囲:P.429 - P.437

はじめに
 交通災害の問題が深刻さを加えてきた昨今,あれよあれよというまもなく,自動車免許証交付に精神障害の有無記載の診断書提出という法的規制がついに実施されるにいたつた。このことはなにはともあれ,交通対策の一環として前進であり,当然実施されるべき筋のものとして迎えられてしかるべきである。しかし問題はその実施術式であり,それに対す準備・検討である。いかに法治国家とはいえ,これでは一方交通であろう。事実,われわれを始めとし,多くの医師は混乱に投げこまれてしまつた。一日も早くみな混乱から脱しなければなるまい。
 さて,狭義精神病者の自動車運転の問題は案外,自他ともに規制が守られやすい。問題は精神病質を中心とする中毒性障害と,いまひとつはてんかんであろう。事実,後者については筆者にも診断規準,脳波上の診断手技や限界を聞きただす質問などが届いている。しかしそれについて即答できる者がはたしてあるであろうか。そこで,それについて検討する糧として,本資料を提供することを思いたつたしだいである。それは本資料がただ単なる報告ではなく,目前につるされた現実の問題として受け取られると思われるからである。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・12

国民優生法の制定をめぐつて—民勢学的調査と双生児研究

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.440 - P.448

 東京に転任して戸惑つたことは,大学教授本来の任務である教育と研究とのはかに,学識経験者の代表として,中央官庁から委員や嘱託を依頼される機会の多いこと,また専門の分野では,精神衛生運動の中心とならざるを得ないことであつた。
 もともと私は,他人との接触がそんなに不得手ではないし,また,誰とでも胸襟を開いて語り合うことができるが,この性質の半ばは後天的なもので,学生時代の寮生活や,ティームプレーを重んじるスポーツの経験から習い覚えたものである。本来の性質はむしろ気弱で,自らに対して自信がもてず,また多分に内弁慶の気味があるので,馴染みの薄い人々の間にはいつて自己主張をすることは,とかく気おくれがして,好むところではないのである。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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