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雑誌目次

論文

精神医学9巻7号

1967年07月発行

雑誌目次

特集 精神療法の技法と理論—とくに人間関係と治癒像をめぐって 第3回日本精神病理・精神療法学会シンポジウム

はじめに

著者: 池田数好 ,   荻野恒一

ページ範囲:P.464 - P.464

 精神療法の理論と,それからうまれる技法の問題は,いつでも,それらの背景にある共通した問題にゆきあたる。それは,治療者がいつたいどのようなパースナリティ論をもち,治療対象についての,どのような疾病論,たとえば神経症理論をもつているか,ということである。これらの背景なしには,休系的な精神療法は構想されない。逆に,たとえば責任のある神経症理論は,そのうしろに,その理論にもとづく精神療法の体系をもっているはずのものである。
 これらの基本的な背景と,それが精神療法の実際の上に,どのように生きているかを具体的にみるためには,第1に,重要なのは,治療者・患者関係にたいしてもつているその療法の姿勢を参考にすることである,とわれわれは考えたいのである。精神療法の,重要であるにもかかわらず,きわめて客観化しにくい点も,実はこのなかにひそんでいる。おなじように,第2の重要な点は,その療法が,どのような治癒像を指向しているのか,いつたい治癒とはどのようなことだと考えているのか,といつた具体的な点を比較検討することであろう。

集団精神療法の技法と理論—とくに人間関係と治癒像を中心に

著者: 池田由子

ページ範囲:P.465 - P.470

Ⅰ.まえがき
 集団精神療法の理論と技法を短く一括して述べることは,なかなかむずかしいことのように思われます。集団をもちいて人の心や体の病気を癒すことは,はるか昔から多くの社会で行なわれていたのですが,治療のこの方法が近代精神医学における治療としてあゆみを始めたのは比較的最近のことで,臨床的体験や技術が先行して,理論が後を追つている感があります。また集団精神療法として一括されているもののなかにも,媒体も方法もいろいろなものがあり,画一的なものではありません。たとえばCorsiniおよびRosenbergの集めたこの治療の機制に関する300あまりの文献のなかには,治療者によつて合計200近くの機制が記述され,集団精神療法の発展に貢献した学者としてあげられている人びとのなかには,Freud,Adlerを初めとしてネオ・フロイド派から実存分析の人びとまではいつており,正常人の実験小集団のグループダイナミックスを研究している社会科学の人びとまでも含まれております。以上のようなわけで,とても全体の状況をまとめて述べることはできませんが,私なりにこれらの主題について,またわが国の集団精神療法について感じておりますことを述べてみたいと思います。

森田療法の技法と理論—とくに人間関係と治癒像をめぐつて

著者: 鈴木知準

ページ範囲:P.471 - P.479

Ⅰ.主として人間関係をめぐる森田療法
 1)外来療法
 外来面接療法の場合は大部分の患者はひとりで治療者を訪ねてくる。そして治療者と患者との1対1の人間関係にある。この場合,かれらに,(1)神経質症状の「とらわれ」の発生機制を説明し,その不安症状はあつてよく,「とらわれた」ままで正常範囲であり1)2)40)41),われわれのふつうの心理と同じもので,強い生の欲望から起こつた無知または誤解に基因2)していることを話す。(2)ふつうの心理であるから,「とらわれ」をもつたまま自らの仕事に精を出し3)42)43),自らの責任をはたすようにすすめる。
 このような自らの生活の行動によつて,(1)症状があつても自らの仕事ができるという事実がわかること,(2)その症状はだれにでもあることの拡大したものであることの自覚がついてくること,を説明する。

精神分析における技法と理論—とくに人間関係と治癒像をめぐつて

著者: 西園昌久

ページ範囲:P.479 - P.483

 Ⅰ.
 精神分析の技法はたえず進歩がはかられ,修正されこんにちにいたつていることは他の医学的治療となんら異なるところがない。また,古くは,E. Glover3)が報告したように,個々の分析医は個々の患者たちに違つたやり方ではたらきかけ,2人の分析医がまつたく同じ技法をもちいているものでもない。もちろん,そうした技法の修正,発展,さらにバリエーションは,精神分析理論と相互に影響して発展してきているのである。それらの基礎ともなる標準的,ないしは古典的な精神分析を定義するとしたらつぎのようになるであろう。
 すなわち,精神分析とは転移神経症を発達させるのにもつとも効果的な人間関係を治療状況に作ることによつて,情動障害を治療する方法である。転移神経症とは自由連想法の実施によつて,もたらされた分析医に対する患者の小児神経症の再生をさしている。自然,分析医の治療的役割が重視され,治療上に決定的な変化を起こさせるものは分析医が患者に対して理解ある中立性という雰囲気のなかで行なう解釈である。このような経過がおしすすめられて,患者は自己の神経症的葛藤を解決することができるほどの洞察が得られる。こうした洞察が患者によつて得られることが精神分析の治療目標である。このような標準的な技法を基点として分析医たちは,精神分析の実践を行なつているのであるが,時代とともに,その内容がしだいに変遷してきていることはさきにあげたとおりである。

ユング派の分析における技法と理論—学校恐怖症児の事例を中心に

著者: 河合隼雄

ページ範囲:P.484 - P.488

 この論文は,日本精神病理・精神療法学会第3回大会に発表したことを華にしている。しかし,学会抄録には一応理論的な考察を書いておいたが,発表当日は一つの事例を中心として具体的に述べたので,この論文においても,その事例を中心として述べ,それに理論的考察をつけ加えるようにする。なお,この事例は非常に簡単なもので,ユング(Jung)派の分析をこころみたといえるものではない。ただ,簡単ではあるが,そのなかに,ユング派の療法の特徴を示せる点があるので,とりあげたわけである。
 事例:中学2年生の男子。本人の言葉によると「中間考査の成績が思いのほか悪かつたので」欠席しはじめ,66日間欠席,この間,教師が家庭訪問してもいやがつて会わず,一度は無理に登校させたが,2日間出席した後に,また欠席してしまう。本人は来診するのをいやがったが,母親がむりやりにつれてくる。なお,家は農業で,本人は一人子である。

現存在分析における技法と理論—とくに人間関係と治癒像を中心に

著者: 三好郁男

ページ範囲:P.489 - P.493

I.はじめに
 私はまず,われわれが「現存在分析」という立場をとるとき,必ず問題とせざるをえない二つの点について,簡単にふれておきたい。
 第1は「現存在分析」というとき,それが具体的にいかなる立場を指すのかということ,そしてそれにからまる,その立場の正統性の問題である。

指定討論

著者: 武田専

ページ範囲:P.494 - P.496

 本シンポジウムの指定討論者としての私の立場は,精神療法的な病院を実際に運営している者として,理論よりはむしろ実際面から病院精神療法という見地に立つて発言者の方々の発表内容を補足し,かつ若干の質問をせよということであると了解している。
 従来,わが国における精神科病院の精神医療の問題は生活療法やrehabilitationのかたちで病院精神医学の分野でとりあげられるのみで,精神分析ないし力動的な立場からの病院精神療法のこころみは,われわれのほか,一,二をのぞいてほとんど報告されていない現状である。一般の精神病院においては,初めから少数の治療者と多数の患者たちとの治療関係を基本とする,集団的な取り扱いから出発し,分裂病を中心として表層的な社会的適応の回復などに重点がおかれ,ともすれば個々の患者の微妙な個性や精神力動の推移に注意が向かぬきらいがある。これに反し,われわれの立場は,患者個々の精神内界の変化を重視する,神経症のintensiveな外来個人精神療法から発展し,医師・患者の1対1の関係に注目する閉鎖的な交渉様式を基本構造としているため,病院全体を精神療法的に管理するには,治療者・患者関係の構造の修正とそれに伴う治療技術や理論の修正が必要となってくる。わが国の精神医学の健全な発達を考えるとき,われわれは日本的な現実に,より積極的な適応をすべきであるが,一般精神病院においてもさらに積極的に,個人精神療法の知識と経験を集団的な扱いや病院治療に導入するこころみが望ましく,このような統合を行なう場は,この精神病理・精神療法学会を措いて他にないと考えられる。

指定討論

著者: 藍沢鎮雄

ページ範囲:P.496 - P.498

 質疑の焦点をしぼるようにとの座長のご指示を幸いとして,私はおもに森田療法について,つね日ごろ疑問に思つていることをありのまま論じてみたいと思う。したがって,おもに鈴木先生への討論になるが,幸い各立場の諸先生はそれぞれなんらかのかたちで森田療法にふれておられるので,他の先生方からもいろいろご教示願いたいと思う。
 討論を始める前に,討論者の立場をはっきりさせておく必要があるかと思う。それは同じ森田療法といつても,われわれの調査によれば,その実態は各診療機関によってかなり差異があるように思われるからである。この意味で過日数日間ではあったが,鈴木先生の治療の実際をつぶさに拝見することができたのは,私にとつて大きな収穫であつた。そして,先生の治療の実際が森田の原法に近く,それが先生の立場なのだと私は理解した。そしてご発表にあつたような実り豊かな治療実績をあげられ,森田療法の優秀性を実証されていることに,まず敬意を表したい。

演者回答および一般討論

ページ範囲:P.498 - P.507

 司会(池田数) では討論に対し,演者の方からご質問の順序に応じてご返事をいただきます。
 まず,武田さんのご質問に対して,現代の日本の病院という環境のなかで,JungやBossの理論によると,acting-outやtransferenceという問題を,どういうかたちに処理したらよいとお考えになるかといつた,そういうご質問が策1だつたと思うのですが,そういう点で三好さんいかがでしようか。

研究と報告

神経性不食症患者の長期予後と治癒機転について

著者: 石川清 ,   阿部完市

ページ範囲:P.513 - P.517

 私どもは2症例をあげて,神経性不食症の長期予後と積極的指導的な父性的精神療法による治療成果について述べ,かつ本症患者の治癒像,父性の欠如と発病との関係などについて,若干の考察をこころみた。

森田療法における諸問題—その理論と技法上から

著者: 大原健士郎 ,   藍沢鎮雄 ,   増野肇 ,   小島洋 ,   岩井寛 ,   石田達雄

ページ範囲:P.519 - P.524

Ⅰ.はしがき
 森田によつて創始された森田療法は,すでに40余年を経て,その治療効果が着々と実証され,近年は後継者たちによつて海外にまでその価値を問うこころみもなされるようになつてきた。しかし,その一方,多くの問題を残しているように思う。
 この論文の目的は,森田療法の構造や治療過程を論ずる前の基礎として森田療法の理論と技法に含まれるいくつかの問題点をとりあげ,われわれなりの理解を述べておくことにある。それも,一方では森田の原法に可及的忠実であるとともに,一方ではわれわれの力のおよぶかぎり,精神分析的な精神療法との関連性において論じ,諸般のご批判を仰ぎたいと考えている。

Propitan(R 3345)の臨床経験—二重盲検法による治験

著者: 長野俊光 ,   石橋幹雄 ,   大江覚 ,   紀国裕

ページ範囲:P.525 - P.531

Ⅰ.緒言
 1967年,Janssenがbutyrophenone系のhaloperidolに強力なneurolepticaとしての作用があることをみいだして以来,Bobon3),Divry2)らが臨床的にphenothiazine誘導体およびreserpinよりも効果が期待されると報告している。
 現在までにbutyrophenone誘導体として知られているものは12種類におよぶ(第1図)。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・13

開戦とラバウル基地での経験

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.532 - P.539

 昭和14年(1939)に,ドイツはヨーロッパ戦争を開始し,昭和16年には日本が太平洋戦争に突入したが,これは両方とも,私にとつて意外中の意外とも言うべき出来事であつた。ドイツの開戦は,私がミュンヘンを去つてから12年後のことであるが,私の留学当時のドイツの情勢とナチスの勢力とを思い合わせると,こんなにも早くドイツが世界を相手の開戦に踏み切るとは,想像も及ばないことであった。
 私が,ミュンヘンに滞在していた1925〜7年のころは,Hitlerが刑務所から出て,ナチス党の再建に取りかかつた時であり,『わが闘争』がようやく広く読まれ出したころであつて,反共気分と保守勢力との強いミュンヘン周辺で相当な共鳴を得つつあつたとはいえ,大きな政治勢力というほどのものではなかつた。私が初めてHitlerについて知つたのは,その視察のために特に日本から派遣されていた参謀将校で,ミュンヘン時代の遊び仲間——と言つても,チロルの山歩きをいっしよにしただけ。念のため——,そして後に日本の仏印進駐の際の軍司令官となつた中村明人中佐の話によつてである。それゆえ,その後,Hitlerが政権を獲得したと聞いても,あの短い期間に,ヨーロッパ中を戦乱にまき込むほどの準備ができるはずはないと思い込んでいたのであつた。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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