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雑誌目次

雑誌文献

精神医学9巻9号

1967年09月発行

雑誌目次

第4回精神医学懇話会 精神医学と行動科学 主題報告

精神医学における行動科学

著者: 臺弘

ページ範囲:P.624 - P.628

I.はじめに
 私はここで精神医学にとつて行動科学の必要性を説くつもりはない。むしろ精神医学の研究や医療の実践には行動科学的アプローチがすでに深く内在していたのであつて,それを意識的にとり出すことが課題を整理し方向を見定めるために必要だと思うのである。
 そうはいつても,精神科医ならだれでも患者の行動に関心をもたないはずはないとか,Kraepelinの教科書にも患者の行動の精細な描写があるとか,患者のすることなすことすべて行動ではないか,などと論旨を拡げられてしまつては困る。それならなぜ精神医学は行動の研究の上に発展せず,現象学的精神病理学と深層心理学の上に築かれ,一方いちじるしく発達した基礎的な神経諸科学と精神医学との間には深いdichotomyが生じてしまつたのかを明らかにする必要があるだろう。

行動現象の環境投影

著者: 平尾武久

ページ範囲:P.628 - P.635

Ⅰ.個体行動特性の研究
 生態とは本来生物と環境との相互活動を意味しており,主体環境系の自己運動として他の系の介入を許さぬものである。もし環境が観測の座標系と密着しておれば,個体行動の現象は主体が観測自体にはたらきかけるかたちとなり,座標系に対して展開する統計的現象として観測される。当然その統計量は座標系の観測基準をどうとるかによつて変化する。観測の座標系が環境と密着するというのは,一定単位を規定した座標系が環境の部分と対応し,またその逆が成立し,かつ座標系のなかでの量的取り扱いがそのまま環境のなかで再現しうることを意味する。
 主体のもつ行動特性は,環境——座標系——の上に実現される変化する標本統計量の母集団の性質と考えることができよう。その意味で座標設定は,標本化の操作に該当する。座標の系を適当にとつて——それは環境を操作的に構成することを意味する——観測量の背景となる母集団の性質をうまく把握するのが実験の技術であり,その意味では操作的に構成された環境空間は一定の極限状況をmodelとして再現したものと考えることができる。

精神医学と行動科学—第4回精神医学懇話会

著者: 井村恒郎 ,   臺弘 ,   平尾武久 ,   千谷七郎 ,   霜山徳爾 ,   三浦岱栄 ,   笠原嘉 ,   小木貞孝 ,   岡田靖雄 ,   上出弘之 ,   新福尚武 ,   浜田晋

ページ範囲:P.636 - P.639

 司会 きようは,第4回の精神医学懇話会としまして「精神医学と行動科学」というテーマを取り上げました。
 ご承知のように,精神医学の方法論として,行動科学的なアプローチということが,最近よく人の口にのぼるようになりました。私の記憶をたどってみますと,5〜6年前に,松本の精神神経学会総会で,精神医学の方法論が取り上げられたとき,きようの演者の臺先生から,やはり行動科学的な方法が提唱されましたし,4年前に雑誌「精神医学」で「行動科学とは何か」という題で座談会が行なわれました。それから,ことしになつて,これはまだ発刊されていないはずですが,ある本屋さんの主催した座談会で,やはり現代精神医学方法論の一つとして行動科学的方法が論議されました。

指定討論

著者: 小木貞孝

ページ範囲:P.639 - P.641

 はじめに,私の立場を述べておきます。私はべつに行動科学の専門家ではなく,吉益脩夫先生の指導のもとに刑務所の囚人の研究をやつていたところ,臺先生からお前のやつていることは行動科学だぞといわれ,よく考えてみるとそうかも知れぬと気づき,少しばかり勉強した者であります。したがつて,いまの臺・平尾両先生のお話をきいていると大部分がなるほどそうだと啓発されることばかりで実は弱つているところです。しかし感心ばかりしていては討論者としてのせめが果せないので,どこか打ち込むすきはないかと苦慮したあげく,前から臺先生とお話しするさいにどうしても一致しないところがあることを思いだし,それをたよりに臺先生が行動科学の基本的方法とされた三つの方法,すなわち数量的な観測・実験的な問いかけ・将来の予測をたてることの各々について私の考えを述べてみることにします。
 まず,第1の数量的な観測については,ここでいわれている数量とは何をさすのかという問題があります。人間の空間や時間が,物理的な意味での時間や空間でなく,「生きられる」ものであることは人間学や現象学の前提でありますが,この前提と行動科学でいう数量概念とはまつこうから排反します。早い話が1m先においてある食物は単なるものとしての食物とも,食べられるべき食物としてもみられ,それによって食物の性質も生きられる距離も変わつてきます。私のうかがいたいことは,行動科学においては,この生きられる空間や時間と観測によつて得られた物理的距離や時計的時間との間にある隙をどういうふうにうずめていくのであろうかということです。

指定討論

著者: 岡田靖雄

ページ範囲:P.641 - P.656

Ⅰ.
 まずはじめに,討論にあたつていくつかの前提を述べたいと思います。いま小木さんは,たいへん理論的につつこんでお話しされたわけですけれども,わたしは,問題の行動科学についてはよくわからない素朴な臨床医としての立ち場から討論したいと思います。また,具体的に討論をまとめるだけの時間が与えられなかつたのをよいことにして,思いつくままに,気らくに所感を述べさせていただきます。ことばも十分に選んでありませんので,失礼な表現もでるかと思いますが,その点はおゆるしください。また,臨床医の立ち場から述べますので,とうぜん,臺先生の精神神経学会総会特別講演ならびに報告要旨を主として討論の対象にいたします。
 臺先生の総会講演は,じつにうまいお話でして,いままでの半生のお仕事をみごとにつないでみせられた,いわば義経の八艘飛びを見るようでした。われわれがエッチラオッチラ苦労して船をこいでいくところを,臺先生はみごとにとんでみせたのです。臺先生はつねづね自分の仕事を"長編小説をかくことだ"とおつしやつています。きようのお話や総会講演は,たぶん,その長編小説の筋書きだろうと思います。そうしますと,私は,作家論もいれた作品鑑賞をしなければならないことになりますので,そういう面も含むと思います。

研究と報告

刑法改正に関する私の意見 第1編 責任能力(その1)—ドイツ刑法を中心にして

著者: 田村幸雄

ページ範囲:P.657 - P.659

 日本精神神経学会の刑法改正問題研究委員会はその意見を日本精神神経学雑誌第67巻第10号(昭和40年10月)に発表し,これに対する意見を広く求めた。最近,私は広く文献をあさり考えを練ったので,ここに発表しようと思う。以下,第1篇 責任能力,第2篇 保安処分として記述していく。
 Brehmは責任能力の概念を十分理解するにはこれに関する歴史変遷,発達史を知る必要があると述べているが,これにはまつたく同感である。本論文もこの趣旨のもとに,ドイツ(本号),英国(10月号),米国(11月号)におけるこの方面の史的展望と論争を簡単に述べ,さらに,わが国(12月号)の刑法改正に関する私見を述べようと思う。

向精神薬の逐次検定法について—Benperidolの効果判定を例として

著者: 柴田農武夫 ,   佐藤倚男 ,   大橋晴夫 ,   河北英詮 ,   高橋伸忠 ,   見塩二朗 ,   清水宗夫 ,   佐藤修一郎

ページ範囲:P.661 - P.668

I.はじめに
 Sequential analysis(逐次検定法)は,第二次世界大戦の最中,A. Waldによつて考案された画期的な方法であるが,その有用性のために,軍事機密として公表をおさえられたという,いわくつきのものである。戦後になつて1947年,これが公表されて以来,初めは工業を中心とする産業界にこの方法が広くもちいられ,漸次科学的研究の分野にひろがつてきているが,医学界にもその有用性ことにその簡便性が知られだしたのは少し遅れて,Bross, I. 1)(1952)やArmitage, P.(19542),19603))の論文が発表されたころからである。胃液分泌抑制作用,気管支拡張作用などの点でこの方法による薬剤の効果判定が行なわれたほか,肝疾患における亜鉛代謝障害の判定などの論文が見られている。
 精神医学の分野にもこの方法が使われだしたのは,さらにやや遅れて1959年Sainsbury, P. とLucas, C. J. 4)が初めであろう。かれらはprochlorperazineとplaceboを外来の神経症に二重盲検法により1週間ずつcross-overさせ,不安質問紙からみたスコアを,sequentialtestでもつて有意差をみている。翌1960年にはKlett, C. J. とLasky, J. J. 5)が5つのphenothiazine系薬物を35病院からの640人の精神分裂病の患者に対してfixed-fiexible schedule(それぞれ4週間と12週間),二重盲検法で,2種類の評価表をもちい,治療後1カ月,3カ月にわたつて調査しており,その結果を逐次検定法のチャートでもつて比較している。

海外留学生の精神医学的問題(その2)—A. F. S. 交換高校生の滞米中の自覚症状

著者: 島崎敏樹 ,   高橋良

ページ範囲:P.669 - P.672

Ⅰ.まえがき
 現在までに,わが国よりフルブライト奨学生ならびにAFS交換高校生として,米国に留学しているあいだに,著明な精神障害を呈したとして送還された全例を診療し,その発病前後の状況,および現在までの経過を観察した結果,いくつかの特徴がみいだされたが,それにっいては本論文の第1部で述べた1)。これらはたまたま障害が顕著なものであつたために送還されたのであるが,発病にいたらないまでも,身体的,心理的症状は多かれ少なかれ多くの留学生が体験するものと思われる。フルブライト留学生一般についての,このような点から調査した結果は,稲永ら2)によつてすでに報告されている。しかし,上述の症例の分析結果から,海外生活の精神衛生において注目すべき心理症状としては,分裂病の前段階の症状と,抑うつ状態の前駆症状とが重要であると考えられたので,とくにこれらの点について健康留学生がどのような体験をもつたか,を調べてみた。その結果,既報の症例各様の教えるところとあわせて,海外生活の精神衛生についてある程度の指針を得ることができたように思うので,ここに報告する。

新眠剤nitrazepamの臨床—二重盲検法を用いて

著者: 矢幅義男 ,   武者盛宏 ,   岩淵辰夫

ページ範囲:P.677 - P.681

I.はじめに
 Benzodiazepine誘導体に属するchlordiazepoxideやdiazepamが,最近実地臨床の場において,狭義のtranquilizerとしてのみならず,眠剤として就眠前に使用される機会が増えてきたのは,それらの薬物の有する傾眠作用が積極的に利用されつつあるためと考えられる。
 Nitrazepamは,1965年F-Hoffman-La Roche社において開発された新しいbenzodiazepine誘導体であり,すでにヨーロッパ諸国では眠剤として市販されている。本剤は従来の眠剤と異なり,主として辺緑系において覚醒調節系にいたる余剰刺激を遮断することにより睡眠をもたらすもので,その睡眠は生理的で後に不快な症状を残さないという3)6)

Nitrazepamの催眠効果についての臨床経験

著者: 杉田力 ,   石川一郎

ページ範囲:P.682 - P.688

 Nitrazepamを30例の睡眠障害を示す患者ならびに5例の正常人に投与して,その睡眠効果を検討した。30例中著効8例,有効17例,無効5例で,25例83.3%に効果がみられた。入眠時間の短縮,睡眠持続の延長が得られ,覚醒後の頭重感,倦怠感などの不快感はほとんどみられなかつた。本剤による脳波の特徴をみるために,本剤を使用して睡眠脳波を記録し,thiopental natrium導入による睡眠脳波と比較検討したが,nitrazepam使用による脳波では,いわゆるbarbiturate fast wave様の波形の出現がなく,瘤波,紡錘波が不明瞭で,睡眠の各時期を通じて13c/s前後の波形が出現した。

紹介

—J. E. Meyer u. H. Feldmann 編集—Anorexia nervosa

著者: 下坂幸三

ページ範囲:P.689 - P.694

 本書は,1965年4月,2日間にわたつて西独ゲッチンゲンで開催された神経性食欲不振症に関するシンポジウムの記録である。以下,順を追つて紹介するが,公平な紹介であろうとするよりは,斬新な観点を選び出すことにこころがけた。

Hubert Tellenbach教授の来日にあたつて

著者: 矢崎妙子 ,   宮本忠雄

ページ範囲:P.695 - P.699

 昭和42年10月16,17の両日,東京の都市センターホールで開催される日本精神病理・精神療法学会第4回大会の招待講演者として,ハイデルベルク大学のHubertTellenbach教授が来日されることになった。そのさいの特別講演の標題としては,かれ自身が提示してきたいくつかの主題のなかから,学会側の希望で“Endogenitatals Ursprung Melancholischer und Typug melancholicus(Eine neue Konzeption des Endogenen und einer Typologie des Melancholikers)”―うつ病者の源にある内因性の問題とメランコリー型(内因とうつ病者の類型学の新概念)―がさきごろ選ばれた。
 そこで,Tellenbach教授の業績をよりよく理解してもらうために,大会の設営にあたる側として,うつ病論を中心とするかれの研究内容をあらかじめここに紹介することにした。

回顧と経験 わが歩みし精神医学の道・15

終戦と,原爆被災者脳の研究

著者: 内村祐之

ページ範囲:P.701 - P.708

 昭和16年12月8日に勃発した太平洋戦争は,昭和20年8月15日に至つて,ついに終わつた。その日の正午,束京大学安田講堂に集められた大学の職員は,ここで,思いもかけぬ終戦の詔勅を聞いたのである。国民服のズボンのすそを脚絆(きやはん)巻きにした内田祥三総長は,詔勅の放送が終わると,「聖旨を体するように」との一言を残したまま,急ぎ足で退場してしまつた。広い講堂の中はシンとして,しばらくの間,物音ひとつしない。1人1人の胸の中には,おそらく,さまざまの感慨がわきあがつているのだろうが,それは言葉にはならなかつた。このシンとした無反応が,この場合,大学人にとつて唯一の反応だつたのである。
 それは私にとつても同じことだつた。戦況が日に日に悪化してゆくことは目に見えており,本土決戦が声を大にして叫ばれていても,その成算のないことは,しろうと目にもわかつていたから,この戦争が果たして,どんな形で終局を迎えるのかとさまざまに想像をめぐらしていた折りも折り,この突然の詔勅を聞いたのである。その瞬間,心に盛りあがる複雑な思いを,特別な言葉で表現することができなかつたとて,不自然ではなかつたろう。最初の一瞬間の感情麻痺は,あまりにも突然の戦争終結に,アッケにとられたためのものだつたかも知れないが,それに引き続く時間の沈黙は,無反応と言うべきではなくて,むしろ相殺する雑多な感情の総合としての感情形態と見る方がふさわしいものであつた。

基本情報

精神医学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-126X

印刷版ISSN 0488-1281

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