Coffee Break
大腸内視鏡うら話(2)
著者:
武藤徹一郎1
所属機関:
1東京大学第1外科
ページ範囲:P.1260 - P.1260
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Williamsとは競争でcolonoscopyをやった.どちらがうまく奥へ入れられるか競ったわけだが,結局,15分たって先へ進まない場合には交代したほうが良い結果の生まれることがわかり,むだな競争はしなくなった.オリンパスの初期の器種を用いての押しの一点張りでは盲腸へ入れるのが大仕事.それでも3時間かけ,セルシン120mgを使って盲腸のfale positive tumorを証明し,無用の手術を防止したこともある.ループの解除法を知らなかった当時,stiffening wireの代わりにピアノ線を用いたのはよかったが,直視下にピアノ線がスコープの外へ飛び出しているのがわかって肝を冷やしたこともある.英国の医師の社会的地位は高く,米国ほど医療訴訟は多くないものの,英国での医師免許のない私にとってはオッカナビックリの連続であった.
ファイバースコープの原理は,英国のHopkinsによって発明されたものである.Dr. Hopkinsとビールを飲みながら話す機会があったが,“私の論文が出るとすぐt米国へ行く途中だったDr. HirschowitzとオリンパスのDr. Suzukiという人が会いに来たが,英国人は誰も来なかった.英国で内視鏡が発展しなかったのはEnglish diseaseのせいだよ.”と話していた.