文献詳細
文献概要
白壁彦夫先生追悼特集 追悼座談会
一周忌に寄せて
著者: 芦澤真六1
所属機関: 1東京医科大学
ページ範囲:P.1715 - P.1715
文献購入ページに移動 白壁さんは私と同じ昭和20年大学卒で,この年の学生は,戦争のため学年短縮があり,実質3年の医学部教育で卒業し,国家試験もなかった最後のクラスでした.そして戦争が終わった8月15日を,彼は海軍軍医の卵として,諌早の病院で迎えたとのことで,直前に長崎に落とされた原子爆弾も身近に感じられたことと思います.
われわれの医師としての第1歩も,このアメリカで完成された2度の原爆に象徴されるように,既に多くのものが失われており,いわば虚無の状態からの出発と言ってもよかったのです.既に外地への赴任など,とても考えられなかったお蔭で,9月には大学に戻れたものの,たくさんいるはずの先輩もまだほとんど復員しておらず,がらんとした医局で数少ない患者さんを診ていました.しかし,どん底になるとかえって何かをしたくなるのでしょうか,新しいものを求めてまず文献をと,当時,学会も中止され,医学雑誌も廃刊されるものが多く,日本では新しいものも少ないので,やがて日比谷に開設されたアメリカの図書館に通ったりしたものです.
われわれの医師としての第1歩も,このアメリカで完成された2度の原爆に象徴されるように,既に多くのものが失われており,いわば虚無の状態からの出発と言ってもよかったのです.既に外地への赴任など,とても考えられなかったお蔭で,9月には大学に戻れたものの,たくさんいるはずの先輩もまだほとんど復員しておらず,がらんとした医局で数少ない患者さんを診ていました.しかし,どん底になるとかえって何かをしたくなるのでしょうか,新しいものを求めてまず文献をと,当時,学会も中止され,医学雑誌も廃刊されるものが多く,日本では新しいものも少ないので,やがて日比谷に開設されたアメリカの図書館に通ったりしたものです.
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