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文献詳細

雑誌文献

胃と腸34巻11号

1999年10月発行

Coffee Break

内視鏡奮戦記(4)

著者: 武藤徹一郎1

所属機関: 1癌研究会附属病院

ページ範囲:P.1415 - P.1415

文献概要

4.内視鏡内輪話

 1971年から1972年にかけて大腸内視鏡はイギリスはもとよりヨーロッパに広まった.ブリストルで内視鏡学会が行われたときに,fiberscopyの原理を発明したというProf. Harold Hopkinsと一緒に飲む機会があった(Nature 173:39,1954).彼いわく,“私の論文が発表された後に,2人の人が訪ねて来た.1人は南アフリカのHirschowitz,もう1人はオリンパスの鈴木という人だ.”前者の話は納得できるが,後者のほうは最近確かめたところ実在の人物であることがわかった.そのうちにSt. Mark病院にはアメリカのACMI(American Cystoscope Makers Incorporation)からも内視鏡が1本寄贈された.ただし,先端の動きを制御する機構がオリンパス製とは全く異なっていて,棒状のハンドルを回転させたり前後に動かしたりする方式で,慣れるのに時間がかかったが,慣れてしまえば先端の動きを流動的かつダイナミックにコントロールでき,Dr. Christopher Williamsなどはアメリカ製を好んでいた.しかし,映像の悪さが決定的で,やはり総合的にはオリンパス製のほうがより多く使われていた.

 Morson&Pang(1967)のdysplasiaに関する有名な論文が出た直後のことで,dysplasiaへの興味が高まっていた時期であったこともあって,内視鏡はdysplasia発見に有用に違いないと提言したのだが,誰も反応を示さなかった.筆者の英語がまずかったのか,あるいはX線検査によほど自信があったのであろう.しかし,2~3年後にはDr. Williamsはsurveillance colonoscopyの有用性を報告していた.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1219

印刷版ISSN:0536-2180

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