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印象記
緊急内視鏡検査に関する国際シンポジウム(プラハ)に出席して
著者: 竹本忠良1
所属機関: 1東京女子医科大学消化器内科
ページ範囲:P.1308 - P.1308
文献購入ページに移動 1971年6月3~5日,チェコスロバキアの首府Prahaで,Urgent Endoscopy of Digestive and Abdominal Diseasesという主題の国際シンポジウムが,また6月6日にはKarlovyでSeminar of the International Society of Gastrointestinal Endoscopyが行なわれた.チェコスロバキア消化器病学会のCzeck and Slovak Endoscopic Commiteesの企画で,会長は,Z. Maratka教授であった.同教授とは最初1965年のBudapestの学会でお会いし,とくに近藤台五郎先生が親しくしておられ,1966年東京の第3回世界消化器病学会にはたしか助教授でKojecky教授とともに来日された.Maratka教授は学会開催のぎりぎりまで近藤教授が参加されることを心待ちされたが,ちょうど重なるOTCAの早期胃癌診断講習会などの関係で私が代って出席したわけである.
今度のPrahaの学会でもっとも活躍されたのは京府医大の川井啓市講師であったが,われわれは東京女医大組7人,大原綜合病院2人,昭和大外科1人その他2名で,東京―Moscow直行便を利用,2日Prahaに入った.ハンガリー,ユーゴスラビアの学会に参加した経験をもとにいわゆる共産圏ではグループ行動した方が通関などでなにかと楽だと感じていたからである.チェコの学会といえば,日本から多数参加され,学会のあとでチェコ動乱が起こり一層Prahaを印象づけ忘れ得ぬものとした1968年を想い起こされる方が多いだろう.品格のあるPrahaの美しい「百塔の町」はどこでも写真撮影の対象になる.
今度のPrahaの学会でもっとも活躍されたのは京府医大の川井啓市講師であったが,われわれは東京女医大組7人,大原綜合病院2人,昭和大外科1人その他2名で,東京―Moscow直行便を利用,2日Prahaに入った.ハンガリー,ユーゴスラビアの学会に参加した経験をもとにいわゆる共産圏ではグループ行動した方が通関などでなにかと楽だと感じていたからである.チェコの学会といえば,日本から多数参加され,学会のあとでチェコ動乱が起こり一層Prahaを印象づけ忘れ得ぬものとした1968年を想い起こされる方が多いだろう.品格のあるPrahaの美しい「百塔の町」はどこでも写真撮影の対象になる.
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