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雑誌目次

雑誌文献

臨床整形外科1巻3号

1966年06月発行

雑誌目次

追悼

三木威勇治先生遺影・略歴

ページ範囲:P.227 - P.228

昭和41年5月7日午前9時心不全のために逝去さる

三木さんの思い出

著者: 天児民和

ページ範囲:P.229 - P.230

 5月7日丁度私は友人の御子息の結婚の昼食パーティーに出席していた.そこへ今東大整形外科から電話があつたと言つて教室から三木さんの死を報じてきた.その電話が会場の隅においてあるので御目出たい席で余り大きな声で話すこともできず一応電話を切つて会を済ませて急いで家に帰つた.それから9日の告別式に出るための飛行機の切符を予約したり,日程変更の電話をしたり忙しかつたが,さて落着いて考えてみると急に三木さんに対する思い出が色々と蘇つてきた.三木さんは私より1年先輩である.片山,岩原,三木,水町,天児と大体このへんが卒業年次が1,2年の差でもう30数年間学会で一緒に顔を合わせてきた.日本整形外科学会は今日こそ4,000人に近い会員を有し我が国でも有数の学会になつたが,私がはじめて日本整形外科学会総会に出席した昭和6,7年頃には4,50人の出席者で宿題報告でもある時には外科の方から人が集つてきて少しは多くなつたが誠に貧弱な学会であつた.しかし会員の数が少なく,当時は大学の講座数も非常に少なかつたので家族的な学会で我々はすぐに親しくなた.そして今日まで我々は互に切磋琢磨して学会のために働いてきた.勿論,我々は互によく討論もし,よき意味のライバルであつた.元来三木さんは九州の出身である.彼は小倉中学を出ているので九州には彼の同級生や知人も少なくない.

三木威勇治君の死を悼む

著者: 岩原寅猪

ページ範囲:P.230 - P.230

 三木君が逝つた.惜しい.
 昨年春東大を定年退職されるとともに警察病院長となり,今春はそのうえに日本医師会副会長になられ新しい活動にふみ出したところであつた.まだ春秋は十分に残されており,君を知るわれわれは君の新しい仕事に大いに期待していたところであつた.それを,天,命を籍さず,かえすがえすも惜しい.

ああ三木先生

著者: 佐藤孝三

ページ範囲:P.231 - P.231

 5月7日の朝に東大整形外科から電話がかかつた.「三木先生がおなくなりになつたそうです」「そんな馬鹿な,1週間前に仙台のリウマチ学会でお目にかかつたばかりなのに」,「でも警察病院に電話をしたら本当だといいました」
 とるものもとりあえず警察病院に駈けつけたら,ベットの上の三木先生は眠つているように安らかなお顔をしておられ,まだ肌にぬくもりがあつた.しかし先生はもう永久に私どもに話しかけて下さらないのであつた.余り急なことで,思わず先生の体にすがりついて泣いてしまつた.

視座

手術はすべてatraumaticに

著者: 岩原寅猪

ページ範囲:P.232 - P.232

 戦後アメリカから手の外科がはいつてきてこの方面の大きな刺激となつたことは誰れもが知るところである.手の外科といつしよにatraumaticという言葉がついてきたことも心ある人の見逃さないところである.手の外科はatraumaticにというのが合い言葉のようになつている.
 atraumaticは無傷的とでも訳されようか,ドイツ医学でわれわれが用い慣れてきた愛護的schonendという言葉と内容的には相通ずるものがある.

論述

腰痛,ことに椎間板ヘルニヤ

著者: 片山良亮

ページ範囲:P.233 - P.243

 本日は腰痛について申し上げます.ところで腰イタと申しますと,学生諸君は,あれは年寄りの病気だと思つて,これから一ねむりするか,それとも逃げだそうかと思案中ではないかと思います.しかし,そうは参りません.何故かと申しますに,最近青年の老化ということがいわれます.これはどんな意味かと申します,古い所に例をとりますと,明治維新の頃に志士といわれた方たちは,自分が立たずんば国家が立たずという気慨をもつておりましたが,最近の青年の中にはなんとなく大学に入り,それからマージャンとパチンコに日を送り,そのうちに,ずるずると卒業してサラリーマンになり,それからは働かず怠けて日を送る青年もあると聞きますが,このようなのを青年の老化と申します.また新しい所に例をとりますと,私どもの卒業した頃は自分の好みによつて内科をえらぶか外科をえらぶか,それとも基礎医学を修めるかと,自分の将来をきめたものでありますが,最近の学生諸君の中には,あの科は健康保険の点数が低いからやめた,基礎医学では貧乏するかも知れないからやめた,しかしあの科目は保険点数が高いからというように,自分の将来をきめる方があると聞きますが,かかる状態を青年の老化と申します.そうして,この青年の老化の精神が骨の髄までしみこみますと,肉体的に若い諸君の身上にも何時,腰イタが起るかわかりませんから今日,あすにも身に振りかかつた病気と思つて,これから一時間ほどよく聞いて戴き度いと思います.

四肢血管手術の実際

著者: 富重守

ページ範囲:P.245 - P.252

I.末梢動脈の手術
 1.適応疾患
 a)新鮮動脈損傷及び急性動脈閉塞症:上腕動脈,大腿動脈,膝窩動脈の新鮮損傷では,結紮すると可成りの頻度に壊死の発生を見るので,新鮮損傷時に出来る限り縫合修復する必要がある.殊に骨折などに合併する膝窩動脈損傷では100%近く壊死に陥ると考えて良いので絶対的適応である.前腕の橈,尺骨動脈および下腿の前,後脛骨動脈では,単独損傷であれば結紮しても著しい血行障害は認めない.しかし両枝の損傷を合併する時は,壊死には陥らなくても有意の血行障害を認める.殊に下腿の場合には後脛骨動脈,前腕では尺骨動脈がそれぞれ末梢の栄養には重要なweightを占めていると考えられる.従つて,尺骨動脈,後脛骨動脈損傷の場合は出来得れば縫合したが良い.
 また急性動脈閉塞症についても原因は何であるにせよ,閉塞部位による手術適応の選択は新鮮損傷の場合と同様であり,血栓による血管閉塞は総腸骨動脈,大腿動脈などに好発し,壊死発生の因となるので手術適応となる.

カンファレンス

Dr. Swansonをかこんで—東大・手の外科

著者: 山内裕雄

ページ範囲:P.253 - P.258

 Dr. Alfred B. Swansonについては,御存知の方も多いと思うが,Michigan州Grand RapidsにあるBlodgett Memorial Hospitalの整形外科主任であるとともに,手の外科の権威の一人であり,とくに兼任主任をされている米国有数の身体障害児センターであるTheMary Free Bed Children's HospitalおよびconsultantをされているThe Michigan Juvenile Amputee Clinicにおける多年の経験から,脳性麻痺手の再建,小児義手については造詣が深く,優れた業績をあげられている.筆者は約8年前ミシガン大学附属病院に勤務中,2ヵ月間上記Blodgett Memorial Hospitalに派遣され,その一見特異な温顔と人格に接することができ,深い印象を受けた.一昨年来日の折にも,横浜市大土屋教授の御好意で再会の機会に恵まれたが,今回3週間ベトナムで篤志診療にあたられた帰途,2日間滞京され,このカンファレンスに出ていただくことができた.日大佐藤教授,新潟大学田島助教授も参加され有意義な会となつたので,ここに再録させていただくことにした.
 なお,本誌創刊号にDr. Riordanをかこんでの会を御報告したので,今回はその際の内容となるべく重複しないように症例を選んだ.Dr. Swansonもこの誌上発表を快諾されている.

境界領域

創傷療法の原則

著者: 岩原寅猪

ページ範囲:P.259 - P.262

 化学療法は創傷療法に革命をもたらし,外科を変貌させたかの感がある.まことに,化学療法の進歩普及した今日では癤・癰や丹毒などは姿を消し,見たくもみられない状態である.創傷の治療もまた著しくらくになり戦前の俤はない.ともすれば,化学療法をやりさえすれば創は治るというような錯覚を起こさせかねないほどである.しかし,それは間違いで,いくら化学療法が有力でも化学療法だけでいつでもどんな創でも治せるというものではない.それどころか,へたな化学療法のためにいたづらに耐菌性をつくつて創の治療をかえつて困難ならしめることさえありうる.化学療法はどこまでも創傷療法の原則のもとに行なわれるべきで,これによつて二つの相乗的な治療作用が発揮されて創の治癒はより速かに,より完きをうる.
 わたくしはちようど第二次世界戦争の前後にまたがつて40年ちかくを外科の分野を歩いてき,化学療法前期の創傷療法,わたくしのいう創傷療法の原則は一応身につけているつもりである.なにごとにつけても古きを温し新しきを知ることは必要である.思い出すままに誌して若い世代の参考に供する.

診療の経験から

最近の臨床経験から—腎性クル病を中心として

著者: 天児民和 ,   真角昭吾

ページ範囲:P.263 - P.270

 今日の日常生活においてはビタミンD欠乏という状態は起り難いゆえ,実地診療上栄養性クル病に遭遇する機会が少なくなつたのは周知の通りである.しかし反面,他の原因によるクル病あるいは骨軟化症が目立つようになつたと思う.このことはクル病国といわれていた英国でもみられる現象である20).近年の相次ぐ研究によつてクル病性骨変化を起こしうる原疾患には多種多様のものが数えられ,その病因や分類が議論の対象となつている.とくに骨変化の発生原因については代謝障害との関連で種々の意見が出されているが難かしい問題を多く含み,いまだ確定的なものは見出だせない.
 天児も新潟時代よりクル病に関心をもち1),現在も代謝性骨疾患に興味をよせているので,今回は腎性クル病をとりあげて私の考えを述べてみようと思う.

手術手技

椎体前方侵襲法—3.腰椎に対して

著者: 池田亀夫

ページ範囲:P.273 - P.277

腰椎に対して
 腰痛に対する前方侵襲法として腹膜外及び経腹膜的の2径路がある.前者を応用したものとしては,結核に対して伊藤ら(1934),近藤ら(1949),Southwickら(1957)が,脊椎分離及び辷り症に対して岩原(1942),Gjessing(1951)らが,椎間板ヘルニアに対してHarmon(1950),Ley,Thurston(1954),Hensell(1958)らが挙げられ,後者としては結核に対してはHodgsonら(1960)が,脊椎分離及び辷り症に対してBurns(1933),Mercer(1936)らが,椎間板ヘルニアに対してLane, Moor(1948),鈴木(1955)らの報告がある.諸家の術式は細部において必ずしも同一でなく,また同じ径路により椎体へ直達した場合でも皮切,展開方法,骨移植法などに多少の差異がみられる.
 われわれは腹膜外直達法を常用しておるのでこれについて述べることとする.

歴史

日本整形外科学会雑誌から—第7巻から第8巻まで

著者: 天児民和

ページ範囲:P.278 - P.278

 第7巻の巻頭を飾る論文は東陽一博士の「ミエログラフィーと脊髄外科」で昭和7年第7回日本整形外科学会総会の宿題報告である.そもそもミエログラフィーは我が国においては大正15年熊埜御堂教授が脊椎骨折に行なつたのが臨床的応用の最初であるが,これを脊髄腫瘍の診断とその高位決定に応用し,腫瘍摘出手術に成功したのは昭和4年中田瑞穂教授の外科学会における発表が最初である.東博士は当時九大整形外科の助教授としてミエログラフィーを利用し脊髄外科を開拓せられた.脊髄外科は技術的には困難なものではないが手術部位,即ら脊髄,脊椎の高位を決定することが最大の難事であつたが,ミエログラフィーの出現によりこれが改善せられたために急速に脊髄外科の発達をみたものであつて脊椎の病変に関して多くの業績をあげてきた整形外科がこの方面に研究分野を広げていつたことは賢明と言わざるを得ない.

臨床経験

O脚とX脚—慶大整形外科最近9年間の集計

著者: 北野正人

ページ範囲:P.279 - P.285

 下肢形態異常の中でもO脚とX脚は日常臨床上しばしば遭遇する変形であるが,その定義は内反膝,外反膝がそれぞれ左右対称的にほぼ同程度に現われた場合とされている.しかし広義にO脚即ち内反膝,X脚即ち外反膝と解し記載されている諭文もある.又その原因に関してはBöhm(1928),Bragard(1927)らの研究以来先天性或は原発性の0脚,X脚として現われ,又くる病,内分泌異常,ポリオ,膝関節炎,外傷等によつて病的肢態を呈するに至るもの等様々である.本邦では昔からO脚を有する人の頻度が高いと云われ,又戦前から戦後数年間まではO脚とくる病との関連性は極めて密接なものであつたが,近年生活水準の向上と共に本症によるものは急速に減少の傾向にある.今回著者は昭和31年以降9年間に慶大整形外科外来を訪れ,O脚(内反膝),X脚(外反膝)と診断された患者について集計的観察を行なつた結果,いささかの知見を得たので報告する.

Bifid thumb(二重母指)の手術経験

著者: 丸毛英二 ,   室田景久 ,   桜井喬 ,   片山良亮

ページ範囲:P.293 - P.299

緒言
 指の重複化は多指症の一種であるが,手では母指に最も多い.多指症の治療は一般に早期切除を原則とするが,重要な機能を有する母指では,その切除に十分な配慮が必要である.とくに形態的機能的に全く同じような2本の母指が存在する場合に,何れを切除すべきかが問題になる.しかし変形が単に末節の2重化を示すbifidthumbにはBilhaut-Croquet法を行うことができる(第1図).
 われわれは二重母指の3例を,本法に準じて手術したので報告する.

ゴルフスイングによる第7頸椎棘突起骨折

著者: 山口光也 ,   吉成学而

ページ範囲:P.301 - P.304

 頸椎棘突起骨折は整形外科医が,ときに経験することがある.しかしゴルフスウイングによつて起きた頸椎棘突起骨折の報告例はいまだに稀である.
 最近,私どもはゴルフスイングによつて惹起した第7頸椎棘突起骨折に対し,棘突起を基底部より切除し好結果を得たので,その組織学的所見とともに報告する.

膝蓋骨Aneurysmal Bone Cystの1例

著者: 瀧川一興 ,   高田聰

ページ範囲:P.309 - P.312

はじめに
 長管骨のメタフィーゼに発生するA neruysmal bone cystはしばしば見られるが,膝蓋骨に発生するものはきわめて稀であるとされている.我々は最近その一例を経験したので報告する.

装具・器械

Chronometric Infusor—悪性骨腫瘍の治療への応用

著者: 赤星義彦

ページ範囲:P.315 - P.319

 近年制癌剤の進歩発達に伴い,悪性腫瘍に対する化学療法の臨床効果もかなり期待し得るようになり,延命効果あるいは局所治癒をもたらし得た症例も数多く報告されている.このことは適確な腫瘍感受性を有する制癌剤の開発とその投与法の改良によつて,更にその治療成績を向上させ得る可能性のあることを示唆していると言えよう.
 制癌剤の投与法としてはInfusion局所動脈内挿管投与法,あるいはPerfusion局所灌流法が特にとり挙げられる.1950年Kloppらは腫瘍を栄養としている主幹動脈内にポリエチレン管を挿入,留置して制癌剤のintra-arterial Infusionを試み10例中8例に腫瘍の縮少をみたと報告して以来,Bierman,Cromer,Grady,Sullivanand Watkins,Clarkson,Herter,白羽等は,主として手術不能例あるいは手術,放射線治療後の再発例,頭部,頸部の悪性腫瘍の治療に制癌剤のInfusionを行ない,静脈内及び経口投与と比較して遙かに優れた局所効果と副作用の軽減を認めている.

質疑応答

手指切断の適応

著者: 佐藤孝三

ページ範囲:P.321 - P.322


 手の外傷の救急処置の際に,指を切断すべきかどうかについて迷うことがあります。適応決定の基準についてご解答下さい。

移植された皮膚の色素沈着を予防する方法

著者: 富士森良輔

ページ範囲:P.323 - P.325

 植皮術を行なう場合,移植皮膚が完全に生着したからと云つて,必らずしも手術が成功したとは云えない.何故ならば,植皮部周縁及び移植皮膚と母床との間には必らず手術瘢痕が形成され,之が屡々肥厚,拘縮の原因となり,又採皮部と受皮部とが異なる以上,移植皮膚の性状(皮膚附属器官や肌理の細かさ等)や色調は周囲皮膚のそれらとは多少とも相異を示し,更に移植によつて生じる何らかの環境の変化が,術後植皮部の色素沈着又は脱出等となつて現われて来る為に,整容的目的からは遠く離れた結果となる事も屡々あるからである.
 この内,本題の色素沈着に関して述べる訳であるが,この移植皮膚に屡々生じる褐色の色素沈着はメラニンによるものであり,その沈着の深さも,移植皮膚の表皮内に止まつているものから真皮内に及ぶものまで種々である.

基本情報

臨床整形外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1286

印刷版ISSN 0557-0433

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