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雑誌目次

雑誌文献

臨床整形外科15巻1号

1980年01月発行

雑誌目次

巻頭言

第53回日本整形外科学会総会を迎えるにあたり

著者: 宮城成圭

ページ範囲:P.7 - P.8

 去る昭和54年4月,東京都で開催された第52回日本整形外科学会総会において日本整形外科学会会長に指名され身に余る光栄と感激している.
 日本整形外科学会は8,000名に近い会員を擁し,さらに広く,さらに深く基礎的,臨床的,社会的発展を遂げつつあり,学会の円滑な運営,実り多き学術集会の開催を期して最善の努力を尽し,重責を果す所存である.

視座

先天股脱発生予防とその実践

著者: 赤星義彦

ページ範囲:P.9 - P.9

 災害や疾病の発生に先だつて,その発生を防止する具体的手段を講ずることが"予防"であり,疾病の予防はすべての治療法に優先する.先天股脱発生予防の可能性は,過去100年有余にわたる治療法変遷の流れの中でもしばしば指摘されており,新生児,乳児検診治療の際オムツだけで自然治癒する例を自から経験した整形外科医の誰もが考え続けてきたことであつた.しかし具体的手段・方法論となると,確たる理論的裏づけに乏しく,医療から一歩踏み出した社会医学的成果の実証は難かしい課題として取残されてきた.
 本邦で公衆衛生行政と密接にtie upした乳児検診が本格的に開始されたのは1950年で,飯野ほか東北大グループの極めて地味な忍耐を要する研究は高く評価されるべきであろう.その経緯は今田(整形外科,14:343,1963)が発症予防と治療の面から詳述しているが,学会でも種々討議され,ほぼ10年で全国的な保健所検診が普及し定着した.1960年頃より,Ortolani,von Rosenらの新生児検診,治療が各地区病院で行われるようになり,乳児に対するPavlikのRiemenbügel法も急速に普及して治療成績の著しい向上を斉らし,最近では補正手術を必要とする難治性股脱は著しく減少してきた.

論述

頸部脊椎管のdevelopmental stenosisによるミエロパチーの検討

著者: 礒部輝雄 ,   服部奨 ,   河合伸也 ,   早川宏 ,   今釜哲男 ,   山口芳英 ,   小山正信

ページ範囲:P.10 - P.18

緒言
 1957年PayneとSpillaneはcervical spondylotic myelopathyの発症原因に頸部脊椎管前後径の狭小が関与すると報告して以来,cervical spondylotic myelopathyの頸部脊椎管前後径の計測が注目され始め,1964年Hinkが頸部脊椎管のdevelopmental stenosisによるミエロパチーの症例を報告して,本症の概念を確立した.
 私達が昭和32年以降,山口大学整形外科学教室において,頸部脊椎骨軟骨症等の頸椎部ミエロパチーに観血的療法を施行した症例は222例であり,これらの中には頸椎症性変化等の極めて少ない頸部脊椎管のdevelopmental stenosisのミエロパチーを少なからず経験した.

脊柱変形治療におけるanterior spinal instrumentation

著者: 金田清志 ,   本間信吾 ,   樋口政法 ,   野原裕 ,   小熊忠教 ,   越前谷達紀 ,   百町国彦 ,   藤田正樹 ,   光崎明生

ページ範囲:P.19 - P.28

緒言
 脊柱変形治療におけるanterior approachは,(1)種々の原因の重度の後彎変形,(2)後彎変形に伴った脊髄圧迫性麻痺,(3)重度の側彎症,(4)後方要素欠損のある脊柱変形,(5)過大前彎,(6)anterior spinal instrumentation,などで行われている.側彎症治療のためのanterior epiphysiodesisはcongenital scoliosisで僅かに試みられる程度Hans-Günther Götze 1976)4)で殆んど行われてない.
 Dwyer(1969)2)が側彎症矯正にcable,plate,screwを使用したDwyer instrumentationを発表してから,脊柱変形治療でのanterior spinal instrumentationは輝しい出発をした.側彎症手術療法でのHarrington instrumentationの成績は多く報告されてきたが,Dwyer instrumentationについては,その成績,合併症,適応など,いまだ長期経過観察例が少なく十分検討されていない.

側彎症手術における合併症とその対策—その1.Superior mesenteric artery syndromeについて

著者: 佐々木健 ,   井上駿一 ,   玉置哲也 ,   大塚嘉則

ページ範囲:P.29 - P.37

はじめに
 上腸間膜動脈症候群(superior mesenteric artery syndrome,以下SMA syndromeと略す)は,腹部大動脈と,ほぼ第1腰椎の高さで,これより分岐する,上腸間膜動脈との間を十二指腸の下水平部が走行するという,解剖学的な素因の上で発症する,腹部膨満,頻回の胆汁性嘔吐などを主訴とする高位消化管イレウスであり,外科,内科において,比較的まれな疾患として報告されている1〜5)
 しかしながら,側彎症をはじめとする,脊柱の手術的治療における合併症として,それ程まれなものではなく,ときに,重症となり対策に難渋することがあるので,私共の教室における経験を中心として,解説を加え,論ずる事としたい.

Riemenbügel法による先天股脱整復のメカニズム

著者: 岩崎勝郎 ,   鈴木良平

ページ範囲:P.38 - P.45

はじめに
 乳児先天股脱の治療においてRiemenbügel(以下Rbと略)の有用性は広くみとめられており,本装具を装着することにより80〜90%の脱臼が整復され数カ月後には臼蓋形成不全も消失して良好な股関節に発育していくという臨床的な事実は多くの人により証明されてきている.しかしこのRbにより脱臼が整復されるメカニズムに関してはいまだ不明の点が残されており,この整復理論の不明確さが,Rb装着の実際においていくつかの混乱をまねいているとも言える.
 Rbの整復理論に関してはPavlik1),Mittelmeier2),坂口3)らがそれぞれ自己の見解を報告しているが,これらにおいて共通する点はRb装着下における下肢の自動運動が脱臼を整復させる力として作用するということである.一方鈴木4)はこの整復作用に下肢の重量が関与している事を示唆している.

慢性関節リウマチの膝関節造影像—第4報.関節軟骨,半月像について

著者: 田中義則 ,   冨士川恭輔 ,   伊勢亀冨士朗

ページ範囲:P.46 - P.53

はじめに
 日常の関節リウマチ(以下RAと略す)の診療にあたり,多くの場合,膝関節の病態は臨床所見と単純X線所見から判定されるが,これらのみでは関節軟骨,半月,靱帯,滑膜など関節構成体の病態を十分に把握することは困難である.さらに近年,変形,拘縮などにより機能不全に陥つたRAの膝関節に対しても,積極的に機能改善がはかられるようになり,ますます膝関節の緻密な病態の把握が要求されてきている.
 1900年代初期にRobinsonおよびWehrenendorffによりはじめて空気を用いた膝関節造影が行われた.以後膝関節造影法は改良が重ねられ,1959年にAndrénおよびWehrin1)らが水平X線軸二重造影法を開発するに至り飛躍的な進歩を遂げた,

手術手技

脊柱側彎症に対するV. D. S.(Zielke)法

著者: 大谷清 ,   渡辺俊彦 ,   中井定明 ,   藤村祥一 ,   満足駿一 ,   柴崎啓一

ページ範囲:P.54 - P.60

 1975年西独のDr. K. Zielkeは脊柱側彎症に対するDwyer手術を改良した方法としてVentrale Derotations-spondylodese(V. D. S.)法を紹介している(Orthopädische Praxis,Sonderdruck aus Heft 8/1975,XI. Jahrgang,Seite 562-569).彼は本手術法の特徴としてDwyer手術の短所とされている矯正後の後彎発生を抑え,椎体の減捻(derotation)効果を発揮するとして発表している(第1表).
 昨年,著者の一人大谷は西ドイツ側彎症センターにDr. K. Zielkeを訪問し,彼の手術を見学する機会を得た,確かに彼の手術を見学し,本手術は後彎の発生を抑えるばかりか,ある程度の後彎矯正が可能であることを知つた.この点においてDwyer手術の短所を補足するものである.

臨床経験

Locking finger—自験例9例(11指)と現在までの報告例57例(58指)の検討

著者: 井上五郎 ,   三浦隆行 ,   前田敬三 ,   中村蓼吾 ,   荒木聡

ページ範囲:P.61 - P.67

はじめに
 手指のMP関節が突然ある指位に固定され,伸展もしくは屈曲が不能になるものはlocking fingerと呼ばれ,狭窄性腱鞘炎を除けば比較的まれなものである.現在までの報告は,我々が調べた限りでは,国の内外を合わせて57例58指である.今回,我々は9例11指のlocking fingerを経験したので報告するとともに,自験例を含めた現在までの報告例66例69指につき検討を加えた.

重症珪肺症に合併した高度の骨関節病変を伴う慢性関節リウマチの臨床的考察および剖検所見について—特にカプラン症候群との関連について

著者: 須賀哲夫 ,   西岡久寿樹 ,   大井淑雄 ,   御巫清允 ,   斉藤健一 ,   千代谷慶三

ページ範囲:P.68 - P.74

はじめに
 我々は男子珪肺症患者392人における慢性関節リウマチ(以下RAと略す)の有病率を調べていく途上,高度の骨関節病変を伴うRAの1例を経験したので,若干の考察を加えて報告する.

Plasmazelluläre Osteomyelitis(形質細胞性骨髄炎)

著者: 西島雄一郎 ,   山崎安朗 ,   東田紀彦 ,   村本潔 ,   石野洋 ,   山本雅英 ,   佐々木雅仁 ,   岡田正人 ,   谷和英

ページ範囲:P.75 - P.81

緒言
 Plasmazelluläre Osteomyelitis(以下形質細胞性骨髄炎と訳す)とは,一次性慢性骨髄炎の3つのtypeのうちの一つとして取り扱われる疾患で,従来Periostitis albuminosa(Ollier-Poncet)と呼ばれてきたものであるが,その病理形態学的特徴が,肉芽組織内における形質細胞の増殖が著しいことからLennert8)(1964),Uehlinger12)(1970),Exner1)(1970)ら主として独語圏の病理学者によつて命名された疾患名である.
 一方,英米においては,従来の急性骨髄炎と違つて,急性増悪がなく,また著しい全身の炎症反応を示さないtypeの骨髄炎を1965年Harris4)らがprimary subacute pyogenic osteomyelitis(以下亜急性骨髄炎と訳す)として報告して以来注目を浴びるようになつているが,その病理学的記述はなく,もつぱらそのレ線像に重きをおいて論じられている.

骨に原発した良性線維性組織球腫(fibrous histiocytoma)の1例

著者: 荻野幹夫 ,   蜂須賀彬夫 ,   古谷誠 ,   浅井春雄 ,   小坂正 ,   小杉雅英

ページ範囲:P.82 - P.85

はじめに
 軟部組織に原発する線維性組織と組織球の混在する幾つかの病変を,fibrous histiocytomaの概念で統一的に理解したのはStoutとLattes13)であり,1967年の事であつた.1964年には,その悪性のものの報告3,5,9,12,14)がO'Brien & Stout8)によってなされ,その後幾つかの報告が相ついでなされた.良性のfibrous histiocytomaと悪性のそれとの鑑別が必ずしも容易でない事も知られて来た.骨原発の本病変については,悪性のfibrous histiocytomaの報告が1972年Feldman & Norman2)によつてなされ,その後幾つかの報告7,16)がある.しかし良性のfibrous histiocytomaが骨に原発した例の報告はない.本文の目的は骨に原発した良性のfibrous histiocytomaの1例を報告し,組織像の類似しているnon-ossifying fibromaとの関係について考察を加える事である.

小児踵骨骨折の症例

著者: 池田勝 ,   番場哲司 ,   江川巖 ,   岡田征彦 ,   松本英孝

ページ範囲:P.86 - P.90

 小児における踵骨骨折は,成人に比して稀れなものとされているが,我々は,最近5年間に6症例の本骨折を経験したので,若干の文献的考察を加えて報告する.

分娩時の頸髄損傷と診断した3症例

著者: 浜崎丈治 ,   江口寿栄夫 ,   住吉正行

ページ範囲:P.91 - P.92

はじめに
 分娩時の外傷で鎖骨骨折,上腕骨骨折,大腿骨骨折などの骨折や,分娩麻痺は比較的遭遇するものであるが,分娩時におきる頸髄損傷は稀れである.最近我々は,最初は両側性の分娩麻痺と診断されていたが,後に分娩時の頸髄損傷と診断した,あるいはこれを疑つている3症例を経験したので報告する.

カラーシリーズ 義肢・装具・1

杖・車いす

著者: 初山泰弘

ページ範囲:P.2 - P.5


 つえ(杖)クラッチの呼称は,欧米でもstick,cane,crutchなどあってまぎらわしい.ここに紹介する名称は(車いすを含め)日本リハビリテーション医学会,リハビリテーション機器委員会のメンバーが中心になって検討作成した,日本工業規格(JIS)福祉関連機器用語の最終原案(JIST-0101)から引用したものである.
 原案では,つえ「手に持って歩行の助けとする細長い棒.握り,支柱,つえ先から成り,手と床面の2点で支持する」.

整骨放談

Hardy Country

著者: 宮崎淳弘

ページ範囲:P.94 - P.94

 Percy J. Barnettの家はEnglish Channelを眼下に見る丘の斜面にある.Waterloo駅から3時間半,Axminsterから車で10分の海辺で,向うに続く断崖には,鴎が群れ,庭に舞い下りる.七高2年の秋,英極東艦隊空母Eagleとホッケーの試合をした時,笛を吹いたのがRoyal Air ForceのSquadron Leaderの彼であつた.以後1940年,独英戦争初期まで文通が続いた.
 1968年,欧米旅行に当り,先ず行つて見たかつたのがP. J. Barnettの家と,Hardyの小説,TessがAlec D'urbervillesを刺してAngel Clareと逃げ,警官に捕まる夜を過したStonehenge,またその小説の出だし,坂を下る牛乳馬車の車輪が外れ,父親が怪俄をした道.Egdon heathの地平線から足の悪い男の影が近づいてくる,素晴らしい描写で始まる,"The Return of the Native"の土地,また"Jude the Obscure"に描れたJudeが,少年時代鳥の番をしながら,鳴子の綱を引くのを止めた,Dorchester(小説ではCasterbridge)の麦畑等であつた.

基本情報

臨床整形外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1286

印刷版ISSN 0557-0433

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