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雑誌目次

雑誌文献

臨床整形外科23巻5号

1988年05月発行

雑誌目次

視座

軟部悪性腫瘍のadjuvant chemotherapy

著者: 荻原義郎

ページ範囲:P.565 - P.566

 骨悪性腫瘍,就中骨肉腫のadjuvant chemotherapyの有用性に関しては現在異論はないであろう.しかし軟部悪性腫瘍のそれに関してはまだ一定の見解が得られているとは言いがたい.
 そもそも軟部悪性腫瘍はその発生頻度が全悪性腫瘍の約1%と非常に低い上に腫瘍の発生部位によって各々の科に分散されており,それらをまとめ難く,また組織像が非常に多彩であり種々の悪性度のものが混在しているのでそれらの性格をつかみ難い.その上これらの腫瘍は偽被膜を有し限局性に見える増殖を示すために単純な摘出術がしばしば行われている.これらの事は軟部悪性腫瘍に対し効果的,統一的な治療を行う妨げとなり,その治療成績は,5年生存率が40〜50%と決して良いと言える状態ではなかった.しかし最近のEnnekingら多くの研究者のすぐれた業績は,軟部悪性腫瘍にも骨悪性腫瘍と同様極めてradicalな手術が必要である事を強調しており,手術的療法は近年大いに改善されて来ている.また術前の化学療法や放射線療法の併用は個々の腫瘍の局所制圧率を非常に高め得る事がSuit,Rouesse,Potterらの研究により示され,これら補助療法の有用性もまた確立されたものとなって来ている.一方,術後の化学療法に関しては,以前からadriamycinやdacarbazineが単剤で用いられており,その効果が報告されている.またその後combination therapyとしてALOMD,CYVADIC,その他多くのprotocolが発表され,種々の施設で追試されている.しかし報告されているそれらの成績の多くはさまざまであり有用性は一定していない.

論述

外傷後脊髄空洞症について—5例の自験例を中心に

著者: 柴崎啓一 ,   塚原茂 ,   吉田宗人 ,   大谷清

ページ範囲:P.567 - P.574

 抄録:最近,外傷後脊髄空洞症の5例を経験した.全例とも対麻痺例であり,受傷後4.5年から22年に発症していた.クシャミなどの腹圧上昇機転が契機となって発症した症例が2例見られていた.診断はmyelography,delayed CTM及びMRIによりなされたが,1例ではsyrinx直接穿刺によるsyringographyも診断に有効であった.治療はsyrinx-subarachnoid shuntにより行ったが,1例を除きdrainageはそれぞれ頭・尾側クモ膜下腔に各1本ずつ留置した.全例とも術後成績は良好である.
 以上の臨床経験をもとに外傷後脊髄空洞症に関する若干の知見を報告し,更に,文献的考察も加えて本疾患の概要に就いて紹介した.

発育期における椎弓切除後の脊柱変形に関する臨床的検討—小児脊髄腫瘍例による検索

著者: 中田好則 ,   井上駿一 ,   北原宏 ,   後藤澄雄 ,   南昌平 ,   平野彰一 ,   木元正史

ページ範囲:P.575 - P.582

 抄録:発育期の椎弓切除後の脊柱変形,特にpostlaminectomy kyphosisには,高度変形に至る例があり臨床上重要な問題である.今回1959年より1985年までに教室においてlaminectomyを施行した小児脊髄腫瘍29例中,追跡し得た男性8例,女性10例計18例を対象とし脊柱変形の発生進展の臨床的検討を行った.その結果kyphoscoliosis 6例,kyphosis 2例,scoliosis 1例を認めた.脊柱変形は15歳以下および頸椎部より胸腰椎移行部間でのlaminectomy施行例に認め,腰椎部施行例には認めなかった.kyphosisの発生はlaminectomyの部位に一致しており神経麻痺との関連はなかった.scoliosisではlaminectomyの部位より下位に発生しており,また神経麻痺との関連が示唆され,両者の変形には異なった発生因子が関与していると思われた.またosteoplastic laminectomyやlaminectomyと同時に施行したposterior instrumentation例において変形の進行は緩徐であった.

腰椎椎間板ヘルニアにおける髄核脱出様式

著者: 渕岡道行 ,   山浦伊裟吉 ,   中井修 ,   大川淳

ページ範囲:P.583 - P.589

 抄録:腰椎椎間板ヘルニアにおける髄核の脱出様式を的確に把握しておくことは,椎間板ヘルニアの様々な治療法の中から症例ごとに最適な方法を選択する上で極めて重要である.
 そこで,過去3年間に当科で臨床的に腰椎椎間板ヘルニアと診断されCTDを施行した62例69椎間につき,①椎間板後方線維輪の穿破部位,②穿破後のヘルニア塊の位置,③椎間板変性と穿破部位,④CTDによる術前のヘルニアのtype分類と術中所見との比較の4点を検討した.

爪下外骨腫の10例

著者: 赤木健 ,   赤堀治 ,   近藤陽一郎 ,   橋詰博行 ,   吉村一穂 ,   楠戸康通 ,   三宅俊行 ,   井川晴友 ,   妹尾則孝 ,   松田和実 ,   浜家一雄 ,   土井謙司

ページ範囲:P.591 - P.596

 抄録:1)昭和49年より11年間に爪下外骨腫10例を経験した.症例は母趾9例,第IV趾1例であり手指はない.男性6例,女性4例,初診時年齢は8歳から17歳で,10歳代が8例,発生部位はすべて末節骨遠位部で,背内側への発育が8例,背側中央へのものが2例であった.全例に切除術を施行し予後は良好であった.2)組織学的には,骨軟骨腫型と線維性骨化型に分類され,両者の混合型も存在する.3)発生機転としては,外傷あるいは慢性刺激により骨膜その他の結合織が硝子軟骨,線維軟骨に化生しさらに骨化すると思われる.4)腫瘍をその軟骨帽も含めて完全に切除するには手術時十分な展開が必要であり,われわれの行っているFish-mouth皮切は愛護的にこの目的を達している.

手術手技シリーズ 関節の手術<下肢>

大腿骨減捻内反骨切り術(小児)

著者: 松永隆信

ページ範囲:P.597 - P.604

 大腿骨減捻内反骨切り術は先天性股関節脱臼(以下先天股脱と略す)のうち,大腿骨近位部の前捻過大ならびに外反股が原因で遺残亜脱臼となった症例あるいは観血整復時同様の理由で整復位保持が困難な症例に対して,求心性不良を改善させるために適用される補正手術で,1954年Bernbeckによって報告されたのを嚆矢とする.それ以前から大腿骨頸部の前捻過大は臼蓋形成不全の構成要素の一つと考えられ,大腿骨減捻骨切り術は施行されていた.しかし,先天股脱の大腿骨頸部は前捻過大のみでなく,外反股を伴っていることが多いこと,さらに,観血整復の際には股関節を外転内旋位すなわちLangeの肢位で大腿骨頭は求心性良好な位置を保持できることから,Bernbeckは寛骨臼と大腿骨頭との適合性が良好となる股関節外転内旋位に保持し,手術的に下肢を平行伸展位に矯正するという考えのもとに大腿骨転子間部での減捻内反骨切り術が開発された(図1).以来,本法は幾多の人々によって追試され,その手技にも多少変更が加えられながら手術侵襲が骨盤側に比べて少ないこと,求心性改善によって臼蓋形成も促進が期待されるとの考えから,一時盛んに施行された時期があったが,追跡調査で再外反股がかなり生ずること(図2),多少の前捻過大や外反股は歩行動作などによって自然矯正が期待されること(図3),さらにSalterあるいはPemberton骨盤骨切り術が出現,普及するに及んで,本術式は寛骨臼の補正にとどまらず,ある程度の前捻過大や外反股による求心性不良はcoverできることなどの理由で求心性不良,臼蓋形成不全ならびに大腿骨前捻過大・外反股が合併する遺残亜脱臼に対しては,先ず前述の方法で臼蓋補正を優先するものが多く,現今では本法の適応となる症例はかなり限定されている.
 以下,本術式の適応や手術手技を順次述べるが,この手術の意義を理解するには健常児大腿骨近位部の形態について理解しておく必要がある.

認定医講座

脊柱変形と脊椎奇形

著者: 北原宏

ページ範囲:P.605 - P.613

I.脊柱変形
 はじめに
 脊柱変形の基本型としては側彎症(scoliosis),後彎症(kyphosis),前彎症(lordosis)の3つがあり,それぞれが単独の変形のこともあるが多くは組合わされて後側彎症(kyphoscoliosis),前側彎症(lordoscoliosis)となる.変形は,その大きさ,範囲,局在,変形の方向,及び原因により分類され,それ以外の情報としては年齢,性別,性成熟度,椎体の回旋度,骨年齢が大切である.

上位頸椎の外傷と先天異常

著者: 大井利夫

ページ範囲:P.615 - P.621

 上位頸椎部は,その解剖学的特異性から頭蓋底部を含めて,頭蓋頸椎移行部(cranio-vertebral junction=CVJ)と呼ばれることもあり,臨床上,様々な特徴を示す部位として知られている.

整形外科を育てた人達 第59回

Theodor Kocher(1841-1917)

著者: 天児民和

ページ範囲:P.622 - P.625

 Theodor Kocherは外科教授としてBern大学で多くの業績を残されたが決して整形外科医ではない.しかし19世紀から20世紀の初期の整形外科はあまり大きな手術をしていなかった.そのためドイツ整形外科学会の第12回の会長になったWienのHans Spitzy(1872-1956)がドイツ整形外科学会Deutsche Gesellschaft fur Orthopaedische ChirurgieのChirurgieを省きDeutsche Gesellschaft fur Orthopaedieとしてしまった.ListerのAntisepsisからAsepsisに進歩し,現在の整形外科は手術的療法を広く取り入れている.整形外科で手術をあまり行わなかった時に外科では四肢の手術を活発に行っていた.殊にKocherは関節の手術も行い,皮切を考えて関節に侵入する術式を考案している.今日外科手術書の関節の部分を見るとKocherの術式が数多く記載されている.その為にKocherは整形外科医ではないが整形外科を育てた人達の一人であると言っても過言ではないと思う.

検査法

脊椎・脊髄疾患に対する常電導MRIの適応と限界

著者: 那須正義 ,   赤沢啓史 ,   工藤展也 ,   田辺剛造

ページ範囲:P.627 - P.633

 抄録:MRI(Magnetic Resonance Imaging)はごく最近実用化された補助検査法であり,その応用価値が臨床上検討されている.種々の脊椎脊髄疾患(2年間,224例)に常電導MRI検査を行った.本検査法では患者への悪影響はないとされている.得られる画像は粗く空間分解能は低い.臨床上,その疾患の病態把握,治療法の選択,手術手技の参考などに直接なり得て,これまでの補助検査法に加えて必ず本検査法を試みたいと考えられるものを有用性ありとすると,有用性が認められたものはArnold-Chiari奇形,脊髄空洞症,脊髄腫瘍,動静脈奇形,硬膜クモ膜嚢の証明・病態把握と脊椎炎症病変⇔脊椎腫瘍(主に転移性)の鑑別診断であった.現在の常電導MRI検査は,脊柱の変性変化由来の疾患に対して他疾患との鑑別以外に有用性はないと考えられた.

Tethered Spinal Cord SyndromeにおけるMRIの診断的有用性について

著者: 中邨裕一 ,   里見和彦 ,   戸山芳昭 ,   若野紘一 ,   平林洌

ページ範囲:P.635 - P.640

 抄録:8例のTethered Spinal Cord Syndromeに対してMRIを行い,従来の検査法であるMyelogram,CTMと診断的有用性について比較検討した.神経根の走行異常やTight Filum Terminaleの検出にはMyelogramが優れていたが,術前の情報として最も重要な脊髄と腫瘍の解剖学的位置関係を知るにはCTMとMRIが有用であった.CTMとMRIを比較すると,CTMは脊髄や腫瘍を造影剤の陰影欠損として示すのに対して,MRIはこれらを直接所見として描出する.このため両者の鑑別も可能である.またMRIは撮影条件を変化させることによって腫瘍の質的診断がいくつか可能になる.断層面については,CTMが多数の横断面Sliceを要して三次元の情報を得るのに対し,MRIは任意の断層面が選択できる.このようにMRIは画像診断としても優れる上に無侵襲に行えることから,Tethered Spinal Cord Syndromeの診断には第一選択ともいえる検査法と思われた.

臨床経験

下腿に発生した皮膚転移巣を初発症状とした肺癌の1例

著者: 山川徹 ,   須藤啓広 ,   鶴田登代志 ,   舘靖彦 ,   鈴木勝美 ,   荻原義郎

ページ範囲:P.641 - P.643

 抄録:内臓癌の下肢への皮膚転移は比較的まれとされている.今回我々は皮膚転移巣である下腿軟部腫瘤を肺癌の初発症状とした症例を経験した.
 症例は59歳女性で慢性腎不全にて透析中に右下腿の腫瘤に気付き当科を初診した.この腫瘤は増大傾向にあったため,生検を行い小細胞性癌の転移が示唆された.胸部単純X線像にては,心陰影に隠れて見いだされなかった肺野の腫瘤陰影をその後の全身CTにて発見し,小細胞性肺癌との診断をえた.その後,この症例は全身化学療法を施行されたが,その甲斐なく死亡した.

持続硬膜外ブロックに合併した硬膜外膿瘍の1例

著者: 吉田宏 ,   鈴木邦雄 ,   道振義治 ,   中島明彦 ,   伊崎寿之

ページ範囲:P.645 - P.649

 抄録:帯状疱疹痛の治療に近年頻用されている硬膜外ブロックに合併した硬膜外膿瘍を経験したので報告する.症例は62歳の女性で帯状疱疹痛治療で持続硬膜外ブロックを行い,9日目で注入時痛が生じたため中止し,13日目に再び硬膜外ブロックを試みたが同様の注入時痛が発現したため留置を断念し,経過観察していたところ17日目より下肢脱力,ついで排尿困難,歩行障害が起こった.炎症症状および脊髄造影上完全ブロック像を認めたので硬膜外膿瘍と診断し,椎弓切除及び化学療法を行った.約3ヵ月後つかまり歩行,約6ヵ月後杖歩行が可能となった.

脊柱再建を要した巨大な馬尾神経神経鞘腫の1例

著者: 白崎信己 ,   冨士武史 ,   倉都滋之 ,   久保雅敬 ,   濱田秀樹 ,   川合省三

ページ範囲:P.651 - P.656

 抄録:高度の椎体侵蝕のために脊柱再建を要した,巨大な馬尾神経神経鞘腫の1例を経験した.症例は44歳女性で,昭和44年,腫瘍切除術を受けたが,術後より右下肢の筋萎縮,知覚鈍麻が残存した.昭和60年5月,腰痛の増強を主訴として来院した.画像診断にて,L4〜S2の椎弓,椎体への腫瘍の広範な侵蝕像が認められた.手術療法は二段階に分けて施行された.まず,前方要素の腫瘍切除および前方固定術が施行され,5カ月後,椎弓切除,脊柱管内腫瘍の切除,後側方固定術が施行された.後方手術後1年の現在,知覚,運動麻痺は改善せず,膀胱障害は増悪し,間欠的自己導尿を施行しているが,L4〜S1の脊柱再建の完成と,腰痛の消失をみた.本例のように骨破壊が高度な場合,脊柱再建を考慮にいれた計画的手術が必要である.

側彎と腰痛を呈したoccult spinal dysraphismの1手術例

著者: 三上靖夫 ,   長谷斉 ,   榊田喜三郎 ,   宮本達也 ,   渡辺俊彦

ページ範囲:P.657 - P.660

 抄録:明らかな神経症状を呈さずに側彎および腰痛を来したoccult spinal dysraphismの1例を経験した.症例は14歳の女性で激しい腰痛を訴えるが両側SLR 60°以外は神経学的に異常なく,単純X線像では第12胸椎から第5腰椎にCobb角52°の右凸の側彎を認めた.ミエログラムでは脊髄円錐部に腫瘍性陰影を認め,円錐下端は第3腰椎椎体高位で低位にありCTMでは同部に一致してfat density massを認めた.手術時,第4腰椎高位の瘢痕様の皮膚直下より索状物が生じ第3腰椎棘突起を貫いて硬膜内へ入り脊髄円錐部の脂肪腫へと連続していた.索状物および脂肪腫を切除し側彎に対してはZielke前方法によりCobb角0°へ矯正し,腰痛は消失した.索状物による脊髄の尾側への牽引が腰痛および側彎の原因のひとつであると考えられた.

Congenital Sacral Defectによる脊柱側彎症について

著者: 石田義人 ,   村地俊二 ,   野上宏 ,   沖高司 ,   伊代田一人 ,   山口正則

ページ範囲:P.661 - P.666

 抄録:仙骨欠損に伴う脊柱変形は,完全欠損に伴う論述が多く,部分欠損における脊柱変形の重要性については強調されていない.
 われわれは部分欠損例を多く経験し,それに伴う脊柱変形が,欠損の状態及び骨盤との関係において,病態がそれぞれ異なることを確認したので,新しい分類を試みた.
TYPEA―腸骨が頭側に転位し,下部腰椎が腸骨と関節を形成し,それに伴い側彎が生じる.
TYPEB―仙腸関節は正常な位置にあるが仙骨欠損内に下部腰椎が陥入し側彎を形成する.
両者とも,脊柱側彎は,立位と臥位で特徴的な骨盤傾斜を形成しながら,進行するものが多い.二分脊椎に合併する症例が多く,特に脂肪性髄膜瘤に多発し,腰椎下部奇形を伴うことから,発生機転にも同一な要因が考えられるのではないかと推測する.

第1腰椎に発生した孤立性骨髄腫の1手術例

著者: 佐藤弘明 ,   長谷斉 ,   渡辺俊彦 ,   榊田喜三郎

ページ範囲:P.667 - P.670

 抄録:第1腰椎に発生した孤立性骨髄腫を観血的に治療する機会を得たので報告する.症例は44歳の男性で,仕事中荷物を持ち上げた際,突然左腰部に激痛を自覚した.某病院を受診し,当科を紹介された。入院時現症で神経学的所見に異常はなかった.X線像では第1腰椎は圧壊され,骨透亮像と硬化像が混在していた.CTでは椎体および椎弓は,多房性嚢腫状の腫瘍により置き換えられていた.骨シンチでは第1腰椎に一致して集積像があるが他部位に異常集積像はなかった.選択的動脈造影では腫瘍は両側第1腰動脈より豊富に栄養されていた.術前embolization後,椎弓切除,腫瘍摘出による後方除圧術,続いてハリントンS. S. I.による後方固定術を行った.腫瘍は組織学的にplasmocytomaであった,3週間後,再びembolization後,椎体全摘,前方固定術を行い,放射線療法も追加した.術後2年2ヵ月を経過した現在,再発,転移はなく経過良好である.

追悼

岩原寅猪名誉教授との交友を偲びて

著者: 天児民和

ページ範囲:P.673 - P.673

 3月14日,慶応大学整形外科より電話で岩原名誉教授が亡くなられた事を知らせて頂いた.
 岩原さんは数年前より入院生活をしていられたので数回病室にお見舞に訪ねたが,最近はお見舞にお訪ねもせず失礼していた.それはお見舞にお訪ねしてもお慰めする言葉が無くなって来たからである.昭和一桁時代には整形外科の講座のある大学も少なく,医学界でも低い地位にあったので,当時若手の整形外科医であった東大の三木威勇治,慈恵医大の片山良亮,慶応大の岩原寅猪と私の4人は学問上の討論は活発に行っても私的交友は親密に行い整形外科学会の団結を強くして発展せしめようと度々4人で話し合っていた.それから早くも半世紀が経過し,今は日本整形外科学会は会員数14,000名以上となっている.その間岩原さんの活躍も素晴らしいものがあった.昭和10年当時慶応大学の整形外科教授は前田和三郎先生であったが,第10回の整形外科学会長になられた時,外科学会長も慶応大学の外科教授の茂木蔵之助先生であったので御相談の結果,外科と整形外科の両学会の合同宿題講演が行われ九州大学の神中教授が股関節外科を,前田教授が脊髄外科を講演せられた.この時前田教授は岩原助教授と連名で発表せられた.前田先生と私が昭和54年対談をした時に話されたが,この講演は岩原助教授がよく働いてくれて脊髄外傷,脊髄腫瘍とコルドトミーの資料を集めてくれたので,これを中心にして講演したと話された。この時前田先生の講演は3時間休むことなく朗々と話されたのを今も思い出している.戦争が激しくなって岩原さんも東京第一陸軍病院で脊髄損傷患者の治療方面に働いておられたが,昭和16年岩原さんが去られた後に私が大阪の陸軍病院から東京に移って行った.岩原さんと私との間には因縁浅からざるものがあったと思う.

岩原寅猪先生の横顔を偲ぶ

著者: 青池勇雄

ページ範囲:P.674 - P.674

 岩原先生は誠に偉大な先生でありました.3月15日に慶大整形外科からの先生御逝去の報にびっくりし,心から御冥福を祈りました.翌日の密葬の日は,前日の冷たい風に代わって,雲一つない暖かい日で,先生をお送りするのに相応しい良い日でした.
 先生の学問上の業績,医政上の足跡など枚擧にいとまがなく,先生の開発された多くの手術法は岩原法として永遠に残り,また国立箱根療養所,国立療養所村山病院,伊勢慶応病院,慶大月ヵ瀬リハビリテーションセンターなどを開設されましたことは,先生の企画の緻密さ,強靱な説得力と実行力などから産まれたもので,このことは先生の折りに觸れそのお言葉からうかがうことができます.

恩師故岩原寅猪名誉教授

著者: 矢部裕

ページ範囲:P.675 - P.675

 恩師岩原寅猪名誉教授には,気管支肺炎のため,昭和63年3月14日,午前5時30分,御逝去されました.昭和56年1月27日,脳梗塞にて倒れ,7年余りにわたる臥床生活にもかかわらず,やつれはみせず,普段と同じ安らかなお顔で永久の眠りにつかれました.享年86歳,高曜院医明道隆大居士となられました.
 昭和21年10月,前田和三郎教授を継ぎ,昭和41年5月退職にいたる20年余,慶大整形外科学教室を主宰し,今日の隆盛を築きあげたわけであります.年若くして昭和25年には日整会会長を,更に東日本臨床整形外科学会,日本脳神経外科学会,日本形成外科学会,日本パラプレジア医学会の各会長をつとめられました.学内においては慶応義塾厚生女子学院長,慶応義塾大学病院長を兼任,学外においては国立箱根療養所長を兼任,また慶応義塾退職後は国立村山療養所長,伊勢慶応病院理事長として活躍されました.

恩師故上田文男先生を偲んで

著者: 丹羽滋郎

ページ範囲:P.677 - P.677

 昭和63年1月22日,上田文男名誉教授は安らかに永眠されました.享年79歳でした.昨年の暮,12月27日,もう少し体力をつけたいとのことで入院されましたが,本年に入り急に容態が変化し,不帰の人となられました.
 私共門下生は,もう一度お元気になられ,先生の明るい慈愛に満ちた御指導をいただきたいと思っていましたのに大変残念でなりません.

基本情報

臨床整形外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1286

印刷版ISSN 0557-0433

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