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Japanese are too methodological
著者: 玉置哲也1
所属機関: 1和歌山県立医科大学整形外科
ページ範囲:P.897 - P.898
文献購入ページに移動研究は改めて強調するまでもなく観察に始まり推理,分析を行い,さらに帰納と実証を繰り返して発展する.すなわち我々は注意深く生体を観察するばかりでなく,時にはある条件を加え,惹起された現象をさまざまな機器や新しい手法という媒体を介して観察し,分析を行うわけであるが,そこにまた多くの陥穽が生じ得る.その1例として現在われわれの手にある各種の測定機器にも個性があり,たとえ正常に機能しており操作が間違っていなくとも極めて微妙ではあるが測定結果に差異が存在し得ることが上げられる.実例を示そう.製作者が異なる生体用増幅器を数台用意し,同じ周波数帯域など条件を一定として,同一個体より,ある誘発電位を記録したとする.このときに記録される電位は,発生源は同一であるにもかかわらず,微妙な点で一致しないことがしばしばあり,この傾向はその電位が微小な多くの電位で構成される場合に一層著明になる.その理由は,測定器の電気的特性の規定に多少の幅が許容されていることによるのであるが,もし,そのような差が発生し得ることを認識していなければ,その微妙な差に惑わされてしまうことになる.これと同じ様なことは,ほとんど全ての分野の測定機器にあてはめられることであろうと考える.すなわち,機器あるいは手段を過信し,絶対視してはならないのであって,常に疑いと厳しい批判の目でもって得られたデータを分析する心構えを忘れてはならない.基本となる事実を確認するためには常に第三者的冷徹さをもって行い,それに立脚した思考の展開を大胆に行うべきであろう.
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