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ついである記・18
Ljubljana
著者: 山室隆夫12
所属機関: 1京都大学 2国際整形災害外科会
ページ範囲:P.1330 - P.1331
文献購入ページに移動ユーゴスラビア紛争が泥沼化している中で,旧ユーゴスラビアの中の1つの共和国であったスロベニアは1991年6月に僅か3日間だけ独立戦争を戦って,その年の6月25日にあっさりと独立してしまった.クロアチア,ボスニア・ヘルツェゴビナ,セルビアが三つ巴の陰惨な戦争をすぐ隣で繰り広げているのを尻目にスロベニアが比較的容易に旧ユーゴスラビアから独立しえたのには訳がある.先づ地理的にスロベニアは旧ユーゴスラビアの西の端にあり,イタリー,オーストリア,ハンガリーと国境を接し,東のクロアチアとの国境さえ守ればよかったこと,第2にスロベニアは人種的に比較的均一で国民のほとんどすべてがスロベニア人で,言葉も他のユーゴスラビア諸国とは少し異なるスロベニア語のみが喋られていたこと,第3に旧ユーゴスラビアの中では最も近代的な工業化の進んだ地域であり,経済力がきわ立って優位に立っていたことなどがあげられる.
私と家内が初めてスロベニアを訪れたのは1995年6月11日であるが,当時はユーゴスラビア紛争の真最中であったので,どうしてそのような危険なところへ出かけるのかと多くの人々に質問された.丁度,その頃,私はハンガリーに客員教授として滞在しており,サラミソーセージで有名なセゲード(Szeged)という町で開かれたハンガリー整形外科学会に出席していた.
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