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文献詳細

雑誌文献

臨床整形外科35巻3号

2000年02月発行

文献概要

ついである記・43

ベルリンの壁―その崩壊の前後

著者: 山室隆夫1

所属機関: 1京都大学

ページ範囲:P.188 - P.189

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●栄光の帝都であったベルリン
 ベルリンという地名は,13世紀の初めシュプレー川の東岸にできたBerlinという名の小さな漁村に由来するといわれている.この漁村はその後,シュプレー川の水運を利用した商業都市となり,14世紀には都市権を獲得してハンザ同盟に加わって急速に発展し,15世紀にはブランデンブルグ選帝候国の首都となり,さらに18世紀に到ってプロイセン王国の首都となった.ベルリン市街の中心地に立っている有名なブランデンブルグ門もプロイセン王国の凱旋門で,1788年から3年がかりで完成したものである.その後,1871年にビスマルクによるドイツ第二帝国が成立すると,ベルリンはその帝都となり,ヨーロッパ最大の都市として繁栄を極めたといわれる.森鴎外が23歳で衛生学研究のためベルリンに留学したのは1884年であるが,後に森鴎外の小説「舞姫」の舞台ともなったベルリンは,その当時,文化的にもレベルの高い栄光の都であったものと想像される.しかし,その後ドイツは第一次世界大戦に敗れて苦難の時代に入るが,ベルリンは拡大を続け,ヒットラーによるドイツ第三帝国の時代にはベルリン・オリンピック(1936年)の会場ともなり,再びヨーロッパの中心都市としての繁栄と栄光を回復したかにみえた.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1286

印刷版ISSN:0557-0433

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