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ついである記・45
冬のユングフラウ
著者: 山室隆夫1
所属機関: 1京都大学
ページ範囲:P.660 - P.662
文献購入ページに移動1995年1月17日は阪神・淡路にマグニチュード7.2の大地震が襲った日である.京都でも私の自宅の周辺では屋根瓦が落ちたり,石燈篭が倒れるほどの強い揺れがあった.丁度その日,私はスイスのインターラーケンで開催されるSummits of Orthopaedic Technologyに出席するため,朝の飛行機便で関西国際空港からチューリッヒへ向けて出発する予定になっていたが,震災のため空港が閉鎖され出発することができなかった.しかし,翌朝には空港の業務は再開され,そこへ行く列車「はるか」も平常通り運行されたので,私はこの地震による災害の大きさを殆んど知らぬままに,1日遅れで関西国際空港を発った.この学会では,私は第1日目の朝に特別講演をすることになっていたが,飛行機が予定通り着けば講演の前日の夜遅くにはインターラーケンに到着できそうだった.
私の乗った飛行機は関空を発つと間もなく反転して,丁度,神戸市の上空を北上した.乗客は神戸の被害の状況を知ろうとして,皆が窓に鼻をすりつけるようにして下界を見ていた.高度はすでに2,000m以上に達していたものと思われ,神戸の街の破壊状態はよく判らなかったが,4カ所から煙が上っているのが俯瞰された.この時点で,上空からヘリコプターを使ってこの4つの火元を消火すれば大火災になることを防止することができるだろうと誰もが考え,機中で話し合った.
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