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ついである記・47
ハワイ島
著者: 山室隆夫1
所属機関: 1京都大学
ページ範囲:P.898 - P.899
文献購入ページに移動われわれ太平洋戦争の時代を経験した者にとっては,ハワイといえば1941年12月8日の未明に日本の海・空軍の行なった真珠湾攻撃のことがまず脳裏に浮かぶ.もう60年も前のことになるのに,当時10歳の少年であった私の記憶にすらこの奇襲攻撃の成功は一種の快挙として今も鮮明に残っている.それは太平洋戦争の緒戦におけるこの大きな戦果が,当時の日本国民の気持ちを戦争へと昂揚させるために,日本政府や軍部によって極めて有効に利用されたからである.また,一方アメリカ側でも,この奇襲攻撃は宣戦布告をする前の卑怯な攻撃であって国際法上も許されないものであると言って国際的にも大いに喧伝し,“Don't forget Pearl Harbor”というスローガンを掲げて自国民の反日感情の昂揚に努めたといわれる.
あの時代の世界の政治的・経済的・軍事的情勢を考えれば,真珠湾攻撃の有無に拘らず,早晩,太平洋戦争は起こらざるを得なかったと思われる.そして,アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアなど莫大な富の蓄積を持っていた当時の植民地大国を相手に戦っても日本に勝ち目が無かったことも今なら容易に理解できるところである.それにも拘らず,世界の大国を相手に日本が戦争を始めたのは当時の軍部の独走と狂気による,と言ってしまえば簡単であるが,その背景には大きな歴史的な流れがあったように思われる.
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