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連載 整形外科と蘭學・1【新連載】
日本最初の人骨図
著者: 川嶌眞人1
所属機関: 1川嶌整形外科病院
ページ範囲:P.1362 - P.1363
文献購入ページに移動良沢が侍医として仕えた中津藩主・奥平昌鹿の母親が𦙾骨を骨折し,なかなか治らなかったところ,たまたまオランダ人の江戸参府に伴って通訳として江戸に滞在していた長崎の蘭方医,吉雄耕牛が鮮やかな治療法で全治させた.昌鹿は蘭方医術の優秀性に心服してしまい,その後しばしば手紙を耕牛に送り,自らも蘭学に大きな関心を寄せた.明和7(1770)年,昌鹿は中津に良沢を連れて帰り,さらに長崎に留学させた.良沢は長崎でターヘル・アナトミアを入手し,後に杉田玄白や中川淳庵らと大変な困難を乗り越えて翻訳し,安永3(1774)年『解体新書』として世に送り,自らは蘭学の鼻祖となった.
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