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連載 医者も知りたい【医者のはなし】 3
北里柴三郎(1852-1931)・その2 「ドイツから帰国後のはなし」
著者: 木村專太郎1
所属機関: 1木村専太郎クリニック
ページ範囲:P.202 - P.205
文献購入ページに移動前回“その1”にも書いたが,北里柴三郎は,“Shibasaburo Kitasato”と横文字で書かれている.そして「きたさと」と発音されている.今から5年前に福岡市医師会看護学校の生徒に「北里村」出身の「北里さん」がいたので,「北里」は「キタサト」か「キタザト」か聞いてみた.答えは「キタザト」であった.九州大学の昭和40年卒業で,私の2年後輩にあたる元精神科教授の田代信維君が北里柴三郎のご子孫と話す機会があり,北里柴三郎は「キタザト・シバサブロウ」と発音するのが正しいと言われたことが,彼の書いたエッセイの中に記されていた.
明治25(1892)年5月の末に北里柴三郎は帰国した.北里がまだドイツに滞在中,先輩の東京大学衛生学教授緒方正規の「脚気菌発見」の論文に,「細菌学の基本を無視した」と批判する文章を日本にいた緒方に連絡なしにドイツ語で書いた.次の年に,この文章が日本語に翻訳されて,「中外医事新報」に掲載された.後輩の北里に恥をかかされた緒方正規が周りの教授連中に不満を漏らしたため,内科教授の青山胤通らが北里柴三郎に対して怒っていた.
その確執のために,北里柴三郎は帰国したときは,東大側からは暖かい歓迎は受けなかったという.
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